すべて未知の世界へ—GUTAI 分化と統合

2022年10月22日~2023年01月09日

国立国際美術館



2022/11/10

 中之島美術館との共同企画ということで期待していたのだが、残念という思いをいだいたのは私だけだっただろうか。GUTAIの活動を統合と分化に二分して見せようというのだが、具体的な作品はこれまでも個々にはかなり見ているので、今回の「統合」がどういうまとめかたをして、美術史上に位置付けているかを知りたくてやってきた。

 今回は常設展示がないというので、常設展示室まで使って大規模な企画展をおこなっているのだと、勝手に思ったが、まさに勝手な思いこみだった。企画展示室にはたった一点、かつて見たことのある現代彫刻の大作が置かれていただけだった。そして通常は常設展を行なっているフロアのみで、GUTAIを見せている。統合という限りは、同時代の他の動向も合わせて展示して、GUTAIに特化できる現象をひき立たせ、それを目に見えるかたちで提示するのが本来の姿ではないのか。

 つまり私の思惑の半分の規模ということになる。中之島美術館のほうを見ていないので比較はできないが、中之島美術館では、併設してロートレックとミュシャ展もおこなっているのだから、こちらの規模も半分ではなかろうか。もちろん観客動員はミュシャにあるはずだ。午後も遅がけだったので5時の閉館に間に合うように、ニ館をまわることはできなかった。つまり共同企画と称して会期をあわせて同時におこなうほどのものだったかという疑問が残る。

 先日、京都国立博物館でみた「茶の湯展」が、利休生誕を祝う共同企画のひとつだったが、他館を圧倒的に凌駕して、常設展を閉めてまでも、企画を拡張させ、さすがに国立機関だと脱帽した。そのことがあったので国立国際美術館での展示を期待したわけである。GUTAIの活動を評価する者であるだけに、ついつい愚痴に終始したが、作品は年月を重ねさずがに埃をかむってしまったが、時のヴェールを外したときに見えてくるきらめきがあった。

 ところどころアクリルケースで作品を保護しているものもあったが、GUTAIにはそれはなじまない。はじめからアクリルケースごと作品化した嶋本昭三では、それはアクリルケースも同じだけ歳をとっている。つまり旧来のガラスケースで作品を守るという、悪しき風習をパロディとして見せようとするもので、そこに映る自分自身の反射を作品の抽象的イメージと重ねあわしながら、おもしろく鑑賞した。リヒターが近年おもしろがっている試みを、数十年前にGUTAIがやっていたとも取れる。額縁だけが天井から釣り下がる村上三郎「あらゆる風景」も同様の文脈で理解可能だ。

 機械仕掛けで動くものが動かなかったり、とんでもない大きなモーター音がしたりと、さすがに年代を感じさせる。吉原治良がカメラをまわして当時の制作風景を撮影している。白髪一雄も嶋本昭三もみんな若い。そして作品以上にアクションをおもしろがったことが、この映像を通して見えてくる。大阪の人だなと思ったのは、絵の具をぶちまけたり、顔料をふりかけたりする姿で、これを見ながらこの動作はお好み焼きやたこ焼きをつくるときの手つきにちがいないと確信し、苦笑した。


by Masaaki Kambara