原三溪の美術 伝説の大コレクション

2019年07月13日~09月01日

横浜美術館


2019/7/22

 平安後期の仏画から明治の日本画までをおおう大変なコレクションだと思う。目利きとも言えるが、ディレッタントをめざした趣味人というほうがよいだろう。絵も描くが素人芸だとみると、文人的気風も加わり、人格全体の包容力が増す。茶の世界に深入りするのは経済人の定番だが、戦う戦国武将が好んだ茶の湯の必然は、勝負師の精神覚醒のゆえであり、常に食うか食われるかの荒びの中での、束の間の憩いを求めるということになる。

 酒を飲むか茶を飲むかは、美術品愛好の境界線だろうと思う。酔うか覚めるかの対極に、美術品と貨幣価値がバランスに載っている。両者が天秤に載る限りでは、芸術というよりも経済の話になっている。見事な仏画に出会うと、その顔立ちに惹かれて、なぜそれが仏教施設にないのかと思ってしまう。宗教道具もコレクションには多数混じっていたが、それらもまた美の法門を飾る美術品であって、宗教性を排することで審美眼が研ぎ澄まされていった。

 平安後期の国宝「孔雀明王像」は見事だ。しっかりと正面を向いた顔立ちに見入ってしまうが、その時には仏画に祈っている意識はない。無限にまで連れ出してくれる足元の浮遊性には、酔いに似た感覚がある。それは病人や弱者のまなざしを集めた図像ではなく、美の高みに昇り詰めようという排他性と、冷ややかなまでの貴族性を宿しているように見える。藤原仏のもつ救済の包容力を秘めているはずが、一般庶民を寄せ付けない、ある種の近寄りがたさがうかがえる。鎌倉仏教の掲げる民衆のパワーとは通じ合うものではないような気がした。


by Masaaki KAMBARA