京(みやこ)に生きる文化 茶の湯

2022年10月08日~12月04日

京都国立博物館 平成知新館


2022/10/14

 喜左衛門井戸がさりげなく長いガラスケースの目立たない端近くに展示されていた。仰々しく国宝ですよと突出させるのではなく、他と同列に並んでいるのがいい。キャプションがなければもっとよかったかもしれない。端的にいえば「こきたない」いびつな飯茶碗に、どれだけの人の目がとまるだろうか。キャプションと並んだ解説文には、「随一の名碗とされる」とあり、「名である」と断言できないほどに、解説者にも疑心暗鬼な表情が読み取れる。どこがいいのかと首をかしげるところに、この国宝の価値がある。何でもない路傍の石をみて、悠久の時の流れを感じて心が震えるときがあるとすれば、それが茶の湯というものにちがいない。

 隣りに並ぶのは黒楽(ムキ栗 )、利休ごのみの一点だが、飲み口は方形でありどこから飲むのだろうかと思案してしまう。利休が長次郎の手を借りておこなった、挑戦とも言える造形に感嘆する。織部ごのみの意志の反映ともいえる「ゆがみ」はないのだが、利休がすでに織部を先取りしていたのだとわかる。これが木製なら枡と同一サイズにちがいない。このことに気づくと、枡酒を飲むことと、茶をたしなむことが、対比をなして見え出してくる。一方は覚醒、他方は忘却であり、茶と酒は真逆の作用を有するものだ。茶が出陣の合図だとすると、同じ茶碗で酒を飲んでいると、攻め滅ぼされてしまうのである。酔いはここちよく身を滅ぼす魅惑のことだ。茶碗は何も語らず、茶と酒をともに許容するものとなる。

 名品である条件は何だろうか。まずは由緒の正しさがあげられる。いわば血統書つきの犬のようなものだ。松平不昧旧蔵、徳川家伝来などという説明が続き、現代の所蔵先として、美術館名に混じってヤング開発株式会社蔵というような明示もなされている。個々の作品に接する眼力(がんりき)が問われるのではなくて、作品がたどる所蔵歴がものをいう。秀吉が所蔵していたという来歴は、利休の所蔵品と対比をなしている。利休が所蔵していた唐物茶壷(橋立)を秀吉が欲しがっていたという一点がある。秀吉はそれよりもひと回り大きな茶壷(楊柳)を、すでに所蔵していた。両者を比べると、秀吉のもののほうが完璧な美を宿しているように見える。権力者の執念と狂気をみた思いがした。

 利休の待庵と秀吉の黄金の茶室が、復元されて並べられている。サイズは畳三枚、同一である。この対比で何を見せようというのか。普遍化させれば桂離宮か東照宮かという美の二分法にもなるのだろう。現代は権力者の狂気をキッチュとしておもしろがる時代であり、両者を対等なものとして見ようとする。弥生と縄文の対比とみれば、両者は互いに無二のものとなる。かつては他を排斥しあっていたが、それらが比較できる限りは、男女の関係に似ている。

 同じかたちで同じマチエールをもっているのにサイズだけがちがっている中国の菁滋が並んでいる。室町幕府以来、珍重されて受け継がれ、現代では一方は国宝(万聲) 、他方は重要文化財(千聲 )である。並べられると、まるで夫婦茶碗のようにみえだしてくる。大小ではなくて、夫婦としてカップリングされると、秀吉と利休の関係もまた、信頼と憎悪の錯綜した男女の契りを思い浮かべることになる。離縁するだけでなく切腹まで命じる愛憎は、西洋でいえばサロメの耽美と嗜虐に通じるものがある。所蔵した茶壷の大小、茶室の明暗、さらには残された秀吉利休の肖像画を並べることによっても見えてくるものがある。筆跡を並べてみてもおもしろかったかもしれない。利休の書簡は掛軸となって見かけることは多い。秀吉の書も何度か見た記憶はあるが、両者を並べてみて、しげしげとながめたことはなかった。

 とんでもない大展覧会だった。ふだんの常設展示のスペースまで、片付けられて特別展にあてられている。牧谿の瀟湘八景を見ながら、茶掛としては柿図だろうにと思っていたが、終わり近くなって柿図が栗図と並んでいたのに、さらに驚いた。イガをもった栗も柿と並ぶと捨てたものではないことにも気づく。贅沢な展覧会だった。私設の美術館では小出しでしか見れない名作がてんこ盛りにされていた。先日訪れた野村美術館からも、名品が出品されている。

 利休の時代を追うだけでなく、近代の茶人にもスポットがあてられている。野村、住友、北村などの名が上がっている。野々村仁清本阿弥光悦がひとかたまりにされると、利休にはない華やいだ気分が香り立ってくる。緊張感ではない「なごみ」ともいえる現代のペットボトルになった茶の美学だろう。最後のコーナーには、500ccを網羅して現代の継承を締めくくれば、茶の湯はもっと身近なものとなっていたにちがいない。伊右衛門は喜左衛門にも劣らない未来の国宝なのかもしれない。


by Masaaki Kambara