生誕120年 山沢栄子 私の現代

2019年05月25日~07月28日

西宮市大谷記念美術館


2019/6/21

 ポスターを見ていて抽象絵画と思っていたが、写真だった。写真を写真に撮ることの後ろめたさが、絵画の優越を語り出してしまうのだ。ピクトリアリスムを標榜する時代の限界を伝えるのだとすれば、この作家はかなり古い時代区分に属することになる。渡米して写真を学んだのは1920年代のことだから、かなり早い。日本人だというアイデンティティを考えると、アンセルアダムスやジョージウェストンの写真がそばに並べられると、その遜色のなさに驚く。同じ時代の目を感じるのは、節くれだった木の根の大写しや、鑑賞者の目が被写体を前に、大小のサイズ同定できずに揺れ動く不思議な感覚に接した時だ。

 この人はかなりすごい腕をもった写真家ではないかと改めて眺めなおしてみる。単に自分が知らなかっただけの話なのだろう。常設展示には交友を伝えるように津高和一の抽象絵画が並べられていた。どことなく似ている。1995年、阪神大震災の犠牲になった画家である。この西宮の画家の死を悼む当時の報道は、神戸にいて被災した私自身も、はっきり記憶している。しかし同じ年に亡くなった山沢栄子のことは、何も知らないままだった。

 写真というメディアの、芸術との距離感を感じてしまうとすれば、このメディアがやっと近年正当に評価されるようになってきたということだろう。先年、東京都庭園美術館で見た高知の女性写真家「岡上淑子展」も、地に根ざし埋もれてしまうローカリズムのパワーの所在を、まるで新人の登場を目撃するように、新鮮に受け止めることができた。この歳になって何と知らない作家の多かったことかと、驚きを持って加速化する老化が活性化されていく。自分よりはるかに高齢であれば、その思いは倍増する。山沢栄子は1899年生まれだから、当たり前のように並んでいる80年代の、抽象絵画のように見える一連の写真は、すべて80歳を越えての作品ということだ。

 折られた紙を写し出しただけのカラー写真がいい。影のリアリティは写真家のものだとわかっていても、そのクリアな実在に魅せられてしまうのだ。ただのシワやオレが、なぜこんなにも見るものの心に伝わるのか。丸みを帯びたガラスのボトルのディテールだけにさえ、心が引かれてしまう。それはラベルも何もないという点では共通していても、モランディの瓶とははっきりと異なっている。

 固有名詞を外したただのガラス瓶が、さらに抽象化されて、光にまでたどり着こうとしている。そして写真の特性であるモノクロの重厚さを排して、独特な彩色がなされている。それは総天然色と題した古めかしいカラー映画の時代性に根ざしていて、着色という行為の創造力を通じて、写真を超えて絵画になろうとしているようだ。写実絵画とは対極の方法論でありながら、ミクロなまでに写実に徹しきっている。

 こんな方法論的探求も、作家の実像を前にすると白紙に戻ってしまう。英語のインタビューに答えながら、突然日本語に変わると、見事な大阪弁なのにほっとする。実にプラグマティックで、思弁的でもなんでもない。大阪のオバハンの口調が心地よい。モデルを前にして現実に向き合う写真家という職業を見た思いがした。六甲アイランドに来たついでに、足を伸ばしただけの不純な動機が、思わぬ幸運を引き寄せてくれた。いい写真展だった。


by Masaaki KAMBARA