濱田庄司と柳宗理 —ふたりの館長—

2022年09月03日~12月13日

大阪日本民芸館


2022/12/3

 濱田庄司と柳宗理という二人の館長の相反するような造形性が、民藝という舞台で共鳴しあう姿をおもしろく受け止めた。あえて両者を対比すると、濱田の陶芸が若くても年寄りくさいものだとすると、柳宗理のデザインは年寄りなのに若づくりでいる。ともに柳宗悦を接点に、きわめて密な関係にあるが、現象面では真逆のように見える。最初の展示室には濱田の目が集めた民芸館の所蔵品、第二には柳宗理がそれと対比をなしている。今回、濱田庄司をまとめてみることができたのは収穫だった。自作では制作年は1970年のものが多く、大阪万博の開催年にあたる。ことに大皿が並ぶのは圧巻だった。

 柳宗理は民芸館に置くにはそぐわないものかもしれない。どてっとした土ものよりもメタリックな切れ味のよさが目につく。とはいえ父の宗悦からの影響は、血の中に受け継がれているはずだ。代表作の「バタフライストゥール」を見ながら思ったことがある。斬新な革新的造形を感じ取るものではあるが、それに座って絵になる姿を夢想したとき、ふと戦国大名が思い浮かんだ。はでな陣羽織とケバゲバしい兜をかふった出陣のときのそれである。前衛的とはいえ日本の伝統に根ざした形ではなかっただろうか。

 野球のボールが展示されていた。白地に赤い縫い目のあるまっさらな白球である。これを見ると高校球児を思い浮かべることもできるし、イチローが打った何千本目かのヒットを記念するボールであってもよい。いずれにしてもこの形と色に、まるごと野球という宇宙が閉じ込められている。柳宗理は味わい深い文章を残していて、日ごろ見かける何でもない製作品を集めてエッセイにまとめている。これらの文章がなければ、これら現代の民具がかがやくことはない。

 民芸の美が使い古されたものが放つ美であるとすれば、これらはそれに反している。使い込まれてボロボロになった野球に味わいを感じるなら、使い込まれたボールを展示すればよいだろう。使い込まれたような新作をつくるのがかつての民芸運動だったとすると、白球の展示はそれに反旗をひるがえしているようにみえる。そしてこれが現代の民芸なのだと主張しているようでもある。柳宗理のデザインした椅子や食器がこれに続いていた。


by Masaaki Kambara