写真新世紀 30年の軌跡 写真ができること、写真でできたこと

2022年10月16日~11月13日

東京都写真美術館


2022/10/28

 多くの優れた写真家を世に送り出した「写真新世紀」というプライズのデモンストレーションである。入場料無料を満足度でうわまわる数少ない展覧会の記念展だった。前提には無料は程度の低さをあらわす代名詞だという通念がある。にもかかわらずこれまで何度か楽しんで刺激を受けた展覧会である。新人の新作がいい。これまで見たことのないというのが、評価の基準となるが、今回もそこに焦点をあてると、輝きを見せる作品が少なくない。蜷川実花(1996年優秀賞)も澤田知子(2000年特別賞)もここから巣立っていったのだとわかる。

 高島 空太(2016年優秀賞)には黒の素描が引き出すファンタジーが、写真にカモフラージュされて描き出された一枚がある。写真にもこんな効果が出せるのだという驚きは、かつてルドンの素描を見た時の印象に通じている。おぼろげなイメージは二重写しになっているようで写真のもつ特有の効果によるものだ。迷宮への入り口も、二重写しがあり得ない迷走を繰り返し、たどりつく先は闇である。森と邸宅が同一画面で同居している。大判のサイズは目を凝らすことなく十分に入り込むことのできる空間を生み出していた。

 長谷波ロビン(2012年優秀賞)は須磨の海水浴場を写真スタジオに見立てて、当世風の水着ファッションを展望してみせる。壁一面に広がる若者たち(老人もいる)の姿は、時代をまるごと切り取っている。うごめくにぎわいは目のやり場に困るが,スクリーンの前に立たせることで、フレームづけは写真の機能と呼応する。写真を撮るのではなくて、写真を撮るところを撮るという、一歩引いた立ち位置から見えてくるものがある。そしてそれを連射銃のように繰り返し、壁面いっぱいに展開する。さわやかな写真だった。


by Masaaki Kambara