伊豆の踊り子

1933年松竹蒲田作品(無声・モノクロ・123分)

監督:五所平之助/出演:田中絹代、大日方伝、小林十九二

京都文化博物館


 劇場で無声映画を二時間もかけて見るのは、はじめての経験だった。長い映画だが、確かにサイレント映画である。セリフがないだけではなく効果音も音楽もない。沈黙を前にして、耳の不自由な人の世界を連想する。生まれついて聞こえないのではなくて、突然聞こえなくなったという体験に等しい。


 私たちはこれまで音のある映画を見慣れていたわけで、耳をすませると不思議と声が聞こえてくる。俳優は口を動かしているが、何と言っているのだろう。字幕が入るのでそれはわかるはずだが、ほんとうにそう言っているのだろうか。唇の動きから判断すると、ちがうような気がするのだ。何の意味もない口パクではなさそうだと思うと、無声映画の役者もセリフを覚えての撮影だったのかが、気になってくる。モノクロ映画の時代、俳優はどんな色の衣裳を着ていたのかと思うと、まさか白黒ではなかったはずだ。とすると無声映画でも役者はセリフを覚えて喋っているということになる。


 声を出さずに感情を伝えるためには、演技力を必要とする。男女の出会いと別れを描いた伊豆の踊り子は、格好のテーマとなる。文学作品の映画化という点では、観客はストーリーをあらかじめ知っているという前提で、その上に付け加えたり、展開させたりする醍醐味を得る。


 その声は俳優のナマの声とどんな関係かというと、声を覚えている場合はその声が聞こえる。田中絹代の声は地方なまりだったようだが、後年には見ているはずだが記憶がない。飯田蝶子の声は知っている。若大将シリーズのおばあちゃん役だったので、その時のかすれ声がそのまま聞こえてきた。


 五所平之助はこれより以前にトーキー映画を完成させているので、ここではあえて無声映画を楽しんだということだ。今回は沈黙とのコラボレーションだったが、活動弁士の時代はもっと派手で、鳴り物入りのパフォーマンスをともなってもいただろう。エンターテイメントとしては、演芸の一コマとなっていたはずだ。二時間のあいだ全く音がないというのもいいものだ。新鮮な体験だった。


by Masaaki Kambara