伝説のファッションデザイナー 鳥丸軍雪展

2019年04月13日~06月23日

神戸ファッション美術館


2019/6/21

 柔らかな布地が、ゆったりと流れていく。ドレープという用語で一括されるが、原型はギリシア彫刻にあるはずだ。上品で優雅な振る舞いは、クラシックの極みであり、西洋美術の原点に位置する。裸形を引き立たせる知の技巧だが、日本人にとっては仏教彫刻のほうが、なじみ深いかもしれない。こちらは翻波式衣文(ほんぱしきえもん)と称して、仏師の腕の見せどころとなっている。衣文を見るだけで、阿弥陀如来の慈悲に感じ入ることになる。天使に羽根をつけた西洋よりも、薄地の絹をまとって浮遊する天女の羽衣に魅せられた東洋の神秘が、ドレープへのこだわりでは、優っていたということなのだろう。

 この飜る波のような表現効果は、単に造形として定着するだけでなく、動きをともなった服飾の分野で実現するのは、当然のなりゆきだったに違いない。それを通して着る人の人格を写し出す優雅な振る舞いが演出される。人を描かずして、人の高雅を伝える技の凄みに、画家や彫刻家がどれだけ魅せられていたかを考える必要がある。レオナルドが描いたドレープのデッサンが残されているが、そこに描かれたのは着衣の細部だけであり、モデルの顔さえ描かれてはいない。

 鳥丸軍雪は見事な仏師の風格を備えた人だと思う。古風な名前はファッションデザイナーには、不似合いだったのだろう。日本での知名度は低い。欧文のファッションデザイナー辞典のYの項目に、二人のヤマモトと並んで掲載されているのを見て、やっとその実力が伝わることになる。ヤマモトがカンサイやヨージとして知られるのと同じく、トリマルグンユキはユキとして分類されている。ありふれた本名を捨てて大成したイチローとは、逆方向からのトライだったと言える。

 高校卒業後、東映動画に就職しアニメーション制作に関わってのち、ロンドンに向かい、華麗なる転身を果たす。東映動画のスタッフたちが「軍ちゃん」に宛てた寄せ書きが残っている。カルダンに見いだされるのも、天賦の才以外のものではなかっただろう。それを養ったのは何だっただろうと問いかけてみる。生れながらとは言いたくない歴史家の心情としては、生まれ育った宮崎の地に、何かがあるような気がする。 

 日本でのまとまった紹介は宮崎のアートセンターでの個展がはじめてだったようで、それは郷土の血を感じ取った企画者の直感に由来するものだろう。そして今回のファッション美術館への企画につながっていった。

 他とは一味ちがう特性を、ドレープが命を持っているという、月並みな言葉しか思い浮かばないのが悔しい。フランスの哲学者アランは芸術論集の中で、ゆったりとした衣装は悲劇にふさわしく、ぴったりとした衣装は喜劇にふさわしいと言った。ドレープとはまつわりつく運命をふりほどけない悲劇の象徴だとするならば、この不在の衣装に、ダイアナ妃も含めて、王室や滅びゆく貴族の面影を思い浮かべることができるのかもしれない。


by Masaaki KAMBARA