江戸の茶の湯 川上不白 生誕三百年

2019年11月16日~12月23日

根津美術館


2019/11/29

 松江藩主で茶人として名高い松平不昧(ふまい1751-1818)が話題になっているが、今度は川上不白(ふはく1719-1807)の名を流行に載せようということだろうか。茶の系譜を、茶人の人格を中心に見直していく。書や茶碗が集められるが、自作としては茶杓が目につく。12本のシリーズがあり、12年をかけて干支と対応させている。ネズミの茶杓やウシの茶杓というわけだ。何でもないありふれた形なのに、ありがたいものに見えてくるとすると、そこに茶の湯のもつ精神構造に出会うことになる。耳かき一杯分で充分なのでスプーンだと大きすぎ、こんなものでいいのかという茶杓にたどりつく。

 茶碗よりひとまわり大きい飯茶碗を茶の湯に用いた驚嘆が、ここにも反映している。耳かきをひとまわり大きくして茶杓に用いる。バランスを崩すと茶の山は崩れる。心を落ち着かせて、何事もなく作法に則って、淡々とことを運ぶ。竹を用いた遊び心は、やがてはもうひとまわり大きくして、孫の手という発明を促していく。孫の手と名づけたのは、茶人の見立てではなかっただろうか。そこにはすくすくと伸びる子どもの成長が、下敷きにされていたはずだ。プラスチックでは駄目で、竹をよしとする由縁である。

 不白作の楽茶碗がある。利休好みでも、織部好みでも、遠州好みでもない。銘は「只」とある。綺麗さびに近いが、遠州と違うのは、気取りがなく、ただ(只)の茶碗だと言ってのけている点だろうか。肩を張ることがないのは、江戸中期以降の時代を反映しているのだろう。不白が賛を寄せているので出品された中村芳中の「糸瓜図」(へちまず)がいい。ユーモラスで肩の張らない庶民のくつろぎが、柔らかな色彩感に反映している。不白の美意識と同調するものなのだろう。


by Masaaki KAMBARA