第5章 広告写真

アートからデザインへ/文字とのせめぎあい/未来を伝える/原型としてのケルテス/文字の入る余白/ファッション写真/道具としての写真/ロトチェンコ/アートかデザインか

第420回 2022年11月22

アートからデザインへ

 写真はアートから、次の段階として大衆化し、デザインに組み込まれ、商業写真や広告写真として社会に浸透していく。芸術表現という高みに上り詰めたのち、誰でも写すことができるという段階に至る。メディアは新聞にしても、伝えることが使命だろう。今ではメディアミックスと呼ぶ。一つに限定されない。ミックスからさらにマルチメディアへと進む。情報は身振り手振りから始まり、人類は文字を発明した。文字情報が大手を振って歩き続けた。手紙にしても伝えようとするとき、手書き文字を用いるが、手書き文字は絵と同じようなものだ。記号化されているので意味が多くの人に通じていく。絵だと暗示にかかるのでダイレクトには伝わらない。文字の発明から次に印刷術というエポックメーキングをなす。グーテンベルクのおかげで、これによって一対一でない、一対多数となる。最初の段階では、美術に近づけていうと版画ということだ。版画というメディアがあって、その前にペインティングによるタブローがあった。

タブローは一点もので持ち運びできるものを意味した。さかのぼると壁画、壁に絵を描く、地面に絵を描く、天井に絵を描く。それらは制限され、その場に行ってみないと通じない。タブローの成立によって、かかえていって壁に掛ければ、どこでも見れるものとなる。さらに版画になると、タブローの一枚を複数つくる。日本では江戸時代の浮世絵版画は、ブロマイドのような役割をはたした。希少価値からいえば量産しないほうが値打ちがある。浮世絵の場合は限定二百部あたりだった。今に至ると消耗品なので壁に貼って押しピンの跡があれば値打ちが下がる。未使用のほうが高価だが、未使用のままでは役に立たない。使用して初めて意味を持つ点では切手と性格を共にする。

コミュニケーションとしては200人に通じればよいという時代と世界があった。コミュニティーとしては小さな界隈の範囲だった。界隈に知らせるこの形は長らく続く。謄写版というガリ版による鉄筆での印刷があった。小範囲でのメッセージだったが、印刷術の発明によって活字が登場する。手書きと異なり、組み合わせながら用いる。漢字文化圏ではアルファベットと異なり作業は大変だったことを考えると、史実に反し、活字は西洋文化圏に恩恵をもたらした。組み替えることにより繰り返し使用が可能となる。

印刷術から次にメディアとしては新聞を生む。新聞の起源はメディアの歴史をたどる中では重要なものだ。文字だけの新聞が、絵入り新聞になる。この段階ではまだ写真ではない。版画、ことにリトグラフが使われた。版画の歴史は古いが、石版画の発明は18世紀末のことだ。印刷術は15世紀、絵入り新聞は19世紀前半になる。今の現況を見るとその後は写真のちからが増大していく歴史だった。文字はタイトルと化す。写真の優勢は雄弁でもあった。

第421回 2022年11月23

文字とのせめぎ合い

ここでも広告写真は、写真が自立して注目されるものとなったことを前提とする。美でも感動でも注目するものとなり、それを利用して広告という商業に乗せようとする。芸術は商業とは対立する側面を有するが、有効活用しようとする才能がそれに手を差し伸べる。今では写真のない広告は皆無といってもよい。商品を見せる場合には必須で、広く告知するためには一目瞭然、ひとめでわかるものをめざした。文字をいかに減らせるか。文字と写真とのせめぎ合いが広告写真には重要な課題だ。文字が入ると芸術写真ではなくなる。文字が絵に邪魔をする。絵画の世界でも文字は入らないものだ。文字が入るとポスターとなる。逆にポスターは文字がなければ成立しない。ポスター芸術ももちろんあって、それは文字情報が役割を終えたのちのことだ。伝達から鑑賞への推移を読み取ることになる。欲望の対象から美の結晶へという月並みな図式も思い浮かぶ。

絵画に文字が入る場合もある。常に芸術は枠組みを壊そうとするものだ。あえて文字を入れようとする。この戦略はパウル・クレー(1879-1940)に顕著に見出される。アルファベットが色彩にまぎれて隠し込まれている。矢印をともなってBやRの文字が脈絡もなく登場する。抽象絵画では数字やアルファベットは記号であり、〇△⊡と同等なもので、組み合わせの一つとして用いることもできる。クレーの場合も何かを意味しているわけではないが、暗示的ではある。鑑賞者は想像力を働かせて解釈しようとする。クレーの身の置き所のひとつがバウハウスだったことを考えれば、デザイン運動の環境で文字の存在意義を問わざるを得なかっただろう。

文字がなければ成立しないが、文字だけでは伝わらない。現在の広告写真のスタイルが確立する。すべてのメディアが写真で駆逐されている。写真によってすべての情報は伝えられる。写真がオールマイティだというのは、文字も写真で伝達可能だということだ。タルボットの初期の写真集では、写真は自然の風景を写すだけではなく、書籍を開いたところが写されていた。あるいは絵画や彫刻を写した写真も登場すると、それは写真独自のものではない。文字も写真の手の内に入ったのである。写真のルーツは絵画で遠近法が見つけ出されたことに由来する。遠近法がオールマイティだったのは、この絵画の原理が彫刻も建築も描けたからだ。

すべてのものが遠近法を使って手に取るように描けた。絵画でありながら彫刻でも建築でもあった。同じように写真でありながら文字でもある。オールマイティでありながらないものがある。それはさわれないということだ。さわれないということが広告写真の出発点となる。広告写真は見せかけに特化し、目に心地よいものを希求する。目移りのする写真うつりのよいものをめざしていく。芸術写真はインパクトのある目をそむけそうなものでも成り立った。広告の場合は目をそむけられると困るのである。加えていえば貼った途端に盗まれるポスターでも困る。芸術写真にならないためには、情報が伝わる以上のものにならないよう抑制する操作が必要となってくる。

広告は資本主義経済に支えられた商品だけでなく、社会主義やイデオロギーを広める道具として、ことにヒトラーがプロパガンダに利用し、有効に戦略化していったという歴史がある。ロシア構成主義でのロトチェンコの写真の活用、デザイン的素地をもつアンドレ・ケルテスから、スタイリッシュなアヴェドンをはじめ、ヴォーグ誌を舞台にしたファッション写真、舞踊写真、建築写真のほかコマーシャルフォトの現況を見る。必須の条件である文字情報と組み合わされることによって、グラフィックデザインと一体化して、写真を通じて世界の新たな発見と解読を可能にしていった。

第422回 2022年11月24

未来を伝える

この章では巷に氾濫する広告に使われる写真をとりあげる。写真の出発点では写実と記録をキーワードとして報道写真が成立した。次に芸術写真として人間の個の表現、作家の自己主張が中心になった。写真というメディアがステータスをもちはじめた。メディアが充実してきた証拠だろう。アートに用いられることで高みにのぼりつめる。さらにそこから一般化していく。職業的な写真家の時代から、誰もがカメラを手にしてシャッターを押しさえすれば写真家になれるという時代になる。写真は芸術の領域を離れて、日常生活の中に普及した。普及を言い直して広告となり、広告を通して写真の役割を見ることができる。

広告は写真だけで成り立ってはいない。グラフィックデザイナーの仕事がメインになる。写真家はカメラマンとして加わり、詩人はコピーライターとして参加する。さらにエディターやスポンサーなどスタッフの分業で広告は成り立っている。視覚メディアについては写真の力は強い。何らかのものを伝える、売るという、方向性としては未来に向けて開かれ、ターゲットとしては未来にある。報道の場合ターゲットは過去にある。この対比で考えると芸術写真は過去でも未来でもなく、現在そのものだといえるかもしれない。こんなものがありましたという記録よりも、こんなものができますよという未来形を語ろうとする。芸術よりも広告のほうが大きなウエイトを占めている。新聞記事を考えた場合、過去の天気の記録よりも、未来の天気予報を知りたがるのと同様だろう。

資本主義社会では購買力を背景に視覚メディアのもつ役割は大きい。新製品を写真によって多角的に知らせていく。その場合の写真は一点限りのものではありえない。印刷にして大量にそのイメージが出回っていく。芸術写真が一点もののオリジナリティにこだわったのに対し、広告写真はどれだけ数を増やせるかが問われる。一点ものは個性のあるどぎついものであっても、それほど社会に影響力はなく、見たいものだけが見ればよかった。広告写真の場合は知らない間に目に飛び込んでくる危険性を常にはらんでいる。写真はメディアの成熟とともに武器と凶器を内包しながら展開していく。

第423回 2022年11月25

原型としてのケルテス

広告に至る原型としてアンドレ・ケルテス(1894-1985)をあげてみる。パリで活躍した写真家だが、デザインでも広告でもない。写真自体には文字は登場しない。ケルテスの写真は誰もがどこかに文字を入れたくなる空白を残している。写真家によっては文字が入るのを拒否するアート系の写真は多い。デザインの時代を先取りしたような視点を持っている。自身の個性を前面に出すのではなく、スタイリッシュでシャレた空間配置を残す。応用が利くといってもよい。唯一の決定的瞬間をめざしてきた写真の歴史に対して、汎用性という何にでも使える能力を開拓する。

歪みを生かしたヌード写真がある。女性のヌードを目的とした写真集ではない。歪みやねじれなど抽象化されて人体かも見分けがたいフォルムを扱う。テーブルの上に花瓶が置かれて、背後に階段が見える。静かな世界だが広告写真として使えそうな一枚だ。パイプとメガネが組み合わされている。チューリップが頭をたれている。雨傘が連なっていく。大いなる写真の暗示力である。

雨傘は日本では黒いマイナーな世界観を写すが、カラー写真でもその効果を生かした例が系譜として認められる。ソールライターはニューヨークの雪や雨の日を赤い傘でみごとに詩情を讃えた。映画「シェルブールの雨傘」(1964)の冒頭は雨傘が行き来する場面から始まる。色とりどりの傘がフランスのシャレた音楽と映像にフィットしたものだった。日本の雨傘のイメージとはかけ離れた文化構造を読み解くことができる。傘を使って顔を隠し、暗示力を高める。雪の日、すべては水墨画となるが、ソールライターやフランクホーヴァット(1928-2020)では赤い傘だけが生命の存在を主張している。これより前のモノクロ映画では、煙突の煙をピンク色にした「天国と地獄」(1963)という黒澤明(1910-98)の先駆があった。もちろんそこではストーリー展開でピンクの煙である必要があったが、それ以上の映像表現の可能性を開くものだった。スティーヴン・スピルバーグ(1946-)が「シンドラーのリスト」(1993)という白黒映画で、赤いコートを着た少女を登場させたのも、同一の系譜にある。日本の雨傘でも例外的に、この西洋のリズムを日本情趣に同化させた日本画家に小村雪岱(1887-1940)がいて、近年再評価が進んでいる。江戸情緒を写し出したリズミカルな「いきの美学」である。

第424回 2022年11月26

文字の入る余白

ベランダ越しに海を眺めるシルエットは男女の区別もつかないが、写真の暗示力の勝利だ。粒子の粗いすりガラスが効果的にヴェールに包む。縦長の構図を効果的に用いるのも、その後ソールライターが踏襲するものだ。そこに生まれる余白は広告写真に場を移す有力な条件にもなる。縦長がポスターの定番なのは、文字の入る余白のゆえなのだろう。逆に報道カメラマンは縦長を避けたようで、マスコミに持ち込んでも買い取ってくれなかったという。報道が横長を好むのは、伝えるものが広告であっては困るからだ。沢田教一には売れ残りともいえるのだが、縦長構図の魅力的な「戦火のなかの子どもたち」が未発表のまま残されていた。ユージン・スミスの戦争報道を伝える戦時下の写真のうちで、兵士が赤ん坊を保護する一枚がある。それが印象深く私たちの目に映るのは縦長構図であるからだろう。そこでは横長の報道性を超越している。この点で今日、携帯画面が縦長になっていることは興味深い。報道性をプライベート化した新しい視覚の誕生と考えられるかもしれない。

ケルテスの縦長では、蒸気機関車が高架を通り過ぎる一瞬が定着している。真下では額絵を手にした男性がちょうどその時画面を通り過ぎている。飛び上がった瞬間をとらえた一枚も、その後追随されていくショットだ。現代のコマーシャルでも、何の宣伝かがわからない例がみられるが、ケルテスの系譜と見ることができる。女性の身体の一部を写したとする。化粧品や装飾品が一番近いということはあるだろうが、予想を外れた商品の場合でも十分に成り立つものだ。それは身体がオールマイティだという哲学に裏付けられた、普遍化された記号として機能したということだ。皿のふちにフォークが載っている一枚がある。光と影の効果が際立っている。何気ないものではあるが深い味わいを秘めている。余白は多く、食器の広告にはもちろん使えるが、それを越えた暗示力が読める。ものがそこに置かれているだけで、見るほうはその陰影のかなたに存在の真実を感じたがるものだ。フォークはなぜ4本足にになったのだろうか。フォークという長年をかけて決定されてきた形の神秘に思いをはせることも可能だ。

誰が写してもそうはならないで、ケルテスという写真家の抑制された思想が必要になってくる。ケルテスの写真集を繰りながらデザインの訓練が続いていく。ケルテスの評価も現代の美意識の中で浮上してきたもので、時代を先取りしていたはずだ。写真の歴史も現代の目を通して、これまで忘れ去られていた写真家が発掘されていく。写真は複数性を強みにして世界にまたたく間に伝わっていくが、その分忘れ去られている例も多い。

第425回 2022年11月27

ファッション写真

広告写真の一分野といってもよいがファッション写真という分野がある。カルティエ・ブレッソンはライカを手に多くの分野をこなした。オールマイティの写真機ではなくて、特殊なカメラがある。ファッション写真や建築写真はこれに属する。ファッション写真は服を着てじっとしていれば肖像写真になってしまう。動きをとどめる点に生命を宿している。ファッションショーはキャッツウォークというように、歩き回ることで成立する。動画まではいかないがいかに動いているかを写し出す。動いたときに作り出すラインの美を即座に受け止める。建築写真は対極にあり、いかに動かないかをめざす。建築写真用の蛇腹の長いカメラを見ればその特性がよくわかる。人は静止を、物は運動をきらう。ファッションがつねに流動して死を恐れるのに対し、建築は微動であっても地震を恐れる。

建築という住むもの、ファッションという着るもの、いわば商品からいかにその良さを引き出して写すか。ファッションモデルを写すのではないが、衣服だけでも成り立たない。モデルが着ていかに柔軟性をもって動いているか。さらに食文化を加えると衣食住を下敷きにした、広告写真の原型が読めてくる。ファッション写真については、報道写真の「ライフ」にあたるファッション雑誌として「ヴォーグ」が知られ、ファッション写真家の登竜門になっている。フランス語となったキーワードは流行だ。ライフが生活と生命をよりどころにしたのに対し、ヴォーグは波に乗る。ここを舞台にセシル・ビートンアーヴィング・ペン、さらにはリチャード・アヴェドンというような、華やかな写真家たちが名を連ねる。

広告写真の対象は商品だが、商品という概念の希薄な地域でも、写真というメディアは有効に機能する。ファッション写真と建築写真は、衣食住に関わる生活の基本をなすものだった。かつて社会主義の国では、商品売買がしのぎを削ることなく、広告写真の余地はなかった。複数の商品から選ぶという資本主義の流通の概念が、広告写真を鍛えてきた。しかし写真は商品の広告だけではない。社会主義でもヒトラーの場合も写真をプロパガンダとして利用したが、それもまた広告写真だった。

第426回 2022年11月28

道具としての写真

写真はイデオロギーではない。単なる道具であると考えたほうがよいのは、写真がどんな思想にも染まる点からだ。「流行」という語には、優柔不断な「流通」の思想が宿っている。資本主義でも社会主義でも写真は有効活用できる。写真は主義主張をもたないので、スポンサーの思惑に同調して、強力な武器と化す。法律家でいえば判事ではなく弁護士の役割を演じる。法の番人よりも弁護士に魅力を感じる時代は、デザイン全盛の時代だろう。社会主義の広告にも写真は役立った。いかにメディアをうまく使うかが問われる。主義をもたないということはオールマイティを意味した。節制なくどちらにも味方した。ポスターを考えても、あるグラフィックデザイナーが自身の主義主張を持っていれば、制作不可能なものがある。共産党に属するデザイナーは自民党からの制作依頼は受けないだろう。

しかし写真はどちらからの依頼にも対応する。どちらの味方でも敵でもない。戦国時代の武器商人が双方に売り渡した姿に似ている。イデオロギーがなければどちらにも売ることができる。殺し合いをする姿を高みから見物するのは、悪魔の商人と呼ぶにふさわしい。類比を探ればふたまたをかけるプレイボーイにも似ている。あまりに手口が悪どいと、愛憎は蜂のひと刺しとなって、手痛いしうちを受けることになる。首相を権力の座から引きずりおろすだけでなく、一民族を絶滅させようというまでに至る狂気は、とことん追求してみる必要がある。坊主にくけりゃ袈裟までにくいという身近な言い回しの延長にあることは確かだ。

第427回 2022年11月29

ロトチェンコ

ロシア革命がおこるのが1911年のことだから、写真術は発明以来、軌道に乗っている。写真は資本主義社会で育てられてきた。ここでうまく使えるぞと考えて登場したひとりがロシアのアレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)だった。写真を社会主義に応用したのだ。ヒトラーが同じく写真を利用し、一般大衆がそれに感化される姿を見ると、危険な要素を感じ取る。写真のもつ透明性は、頭脳としては空白であり、イデオロギーに奉仕するものとして広告写真の一部を構成した。商品見本もそれに類似する。購買欲をそそる写真が、現実の粗悪品をヴェールに包む。基調には写真は嘘をつけるという原理があった。

女性が大声を発する写真を用いた、ロトチェンコのよく知られたポスターがある。ロシア文字が配されて労働者よ立ち上がれという力強いメッセージが聞こえてくる。シンプルな構成だが幾何学的な切り出しがされる。女性には暗い悲壮感はない。希望に満ちた明るい表情で叫んでいる。これをムンクの叫びと対比してみると、そこに西洋文化の終末を救済する思想的展望を感じとることができる。労働者の風貌で文字を埋め込んで構成されている。ポスターだが写真が大きな役割を果たす。ポスターにたどり着く原型としての写真が残っている。鉄柱を下から見上げるようなアングルも印象的な一点だ。ポスター化されるが撮りためた写真が残る。人間の登場しない冷たい幾何学形態でも、ポスターになるとうまく生かされる。つまり画面がうるさくはないので、文字とうまく対応できる。

見上げる視点が特徴的で、上昇する気分を演出する。労働者側からの視点ということもできる。社会主義にとっては底辺から見上げる扱いが有効だろう。見おろすのは見くだす視線でもあって避けられただろう。上に向かって呼びかけるという点で有効にはたらいている。ビルや電波塔を下から見上げる写真が頻出する。これまでとは異なった都市構造がそのまま写真として繁栄しているような側面を有する。蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線も暗示的で、幾何学的な配置の面白さがねらわれる。幾何学的な形を組み合わせ、立体模型の興味を喚起したものもある。人物写真を切り張りして空に散りばめた、シャガールを彷彿とさせる写真も興味深い。立体構成が写真からの発展として試みられる。

イメージの再現ではなく、物体を印画紙に直接焼き付ける。シャッターを切るのではなく暗室での作業を通して、対象をもたない抽象絵画を写真で実現する。筆を光に置き換えたライトペンでの実験も、フォトデッサンの系譜をたどっている。機械への興味は電波塔でも見いだせるが、部分をアップにしてみせることで、労働者を歯車とイメージ上で重ねている。機械が一瞬みせる表情も切り取って写真化されている。階段の明暗を強調することでメッセージ性を強めた作品は、ロシア革命の現場オデッサの階段を扱った「戦艦ポチョムキン」(1925)を暗示する。衣服や眼鏡に二重写しにされた映像の効果、一糸乱れない体操競技や行進の場面、先述のものとは逆に真下を見おろす視覚効果、兵士が電話をかける一瞬など印象に残る写真がある。カラー写真が登場すると変わってくる要素も多い。ここで真下を見おろすアングルがあるのは興味深い。見おろすのではなく見くだすとみれば、その視線は監視の目でもあって、統制へと傾斜する社会主義のもうひとつの体質を示しているのかもしれない。

第428回 2022年11月30

アートかデザインか

大衆化の流れは芸術が確立した後で広がりをみせる。記録からアートを経てデザインに定着する。デザインはどれだけ一般に広げられるかという話のことである。報道・芸術・広告という写真の進化を示す三分法は、写真が自然に身に着けた特性から出発し、アートとして自己主張のメディアにステップし、やがてデザインとして大衆になじむものとしてアップしていく。

この三段跳びの展開は、茶の湯の歴史がつむぐ千利休からはじまって、古田織部をへて、小堀遠州へと受け継がれる美の変容に対応している。自然のおもむきをよしとする利休好みは、織部になると歪みをよしとする個性の発露として表現主義を楽しみ、やがて誰の目にもここちよい洗練した「きれいさび」へと達する。もちろん遠州好みが着地点だとしても、それが到達点ではない。桂離宮の意匠は確かに誰の目にもここちよいものだ。しかしそれによって失われたものがあったとすれば、それはこぎれいに「寂び」させるのではない、過酷な「錆び」の姿だっただろうし、作家の秘められた情念でもあっただろう。

そうすればすべては利休に回帰することにもなるが、それもまたまちがっている。始祖は自然そのもの、いわば神の存在であって、人間たるものの想像力は、そこにはない。ルネサンスでいえば、それはミケランジェロであって、その後のマニエリストたちの立ち位置は、それぞれが利休になることではなく、織部であり、遠州であった。


next