田沼武能 人間讃歌

2023.6.2(金)—7.30(日)

東京都写真美術館


2023/06/25

 一貫して変わらないものがある。時空間を渡り続けながら、いつもその折々の人々の表情がみせる真実をすくい取ろうとしている。それは写真家の自己主張ではない。表現主義でもない。人間の表情だけではない。自然の表情も変わらないカメラの眼で、おさめようとしている。風景は「武蔵野」の名で、この写真家の原風景となって集約されている。それは地名でもなく、普遍化された郷愁にちがいない。

 人生を肯定する姿勢は、いつも心地よく、ことにその人が笑顔を見せているときに、輝きを放っている。1950年前後の懐かしい日常生活が、子どもの姿を通してよみがえっている。当時10歳前後だとすれば、今は80歳をこえた人たちである。屈託がなく笑っている。紙芝居を見つめる目は、みんなが輝いている。それは希望そのもので、こうした毒のない世界を前にするとほっとする。

 黒柳徹子と組んで世界の子どもをカメラにおさめたが、一見するとノーテンキとも取れる人間讃歌と共鳴しあって、戦争や飢餓といって悲しんではいられない不屈の魂がある。行動力を加速して世界に羽ばたいていく。思い立つとすぐに飛び立つような潔さが美しい。じっとしてはいられない動物的本能ともいえるもので、それが写真家の生命なのだと思う。一般的には好奇心の名で呼ぶが、真っ先に見たいのだ。そして、それを伝えたいのだ。

 ノーテンキと見えることが必要なのだと思う。それがどれだけ苦悩をへて生み出されたかを察するのが、鑑賞者の味わいとなる。トラクターに家族全員が乗ってカメラを見つめて笑っている一枚がある。10人いるがすべてが同じ顔をしているわけではない。血のつながりがないもの同士が家族をつくる。この10人の関係を推理することは、楽しいミステリーである。ゲームにはつねにルールがあるが、条件はここでは彼らが家族であるということだ。写真のタイトルはゲームのルールであり、解明のヒントでもある。1976年の撮影で作品名は「家族全員でトラクターに乗って、チリ、サンチャゴ郊外」とある。それぞれの顔は、私は誰でしょうと言っている。


by Masaaki Kambara