千利休生誕500年 利休茶の湯の継承

2022年09月10日~12月11日

野村美術館


2022/9/30

 いかに茶の湯が日本の美意識として定着していったかを検証する。利休を始祖として織部から遠州へというのが主流をなすが、大声を上げるのではなく、静かに浸透している。まるでウィルスの侵攻にも似て、得体の知れない現代アートを先取りしたほどに魅惑的だ。世を捨てる隠者のような風格をもちながら、欲望にあぶらぎった審美眼が、そこにはあった。利休よりも織部のほうをおもしろがる現代の風潮はある。しかし利休がなければその展開はない。つまりルネサンスがなければマニエリスムもバロックもないということだ。

 茶道具の醍醐味は茶碗にあるが、茶掛けになった書にも味わい深いものがある。多くは絵として見ていて内容まで問わないが、茶碗のいわれを得々と述べるように、書のもつ具体的内容を語りだすところからその禅的性格が浮き彫りになってくる。利休の書状の一点は、出かけたが相手に会えなかったことを伝える他愛もない消息文だが、この日常性にこそ利休の息づかいも聞こえるし、これを仰々しく掛軸にして茶席に用いる意味もある。

 それはちょうど素朴な雑器として機能していた飯茶碗を茶席にのぼらせることで、輝かせた演出に対応する。ちょうど田舎娘をマイフェアレディに育て上げる姿にも等しく、経歴も血筋もかなぐり捨てたなかで輝きを示す自然の本性といってもよいものだ。こうした儀式に歓喜した美の系譜がある。研ぎ澄まされて茶室建築に集約される日当たりの悪い陰翳礼讃は、西欧でのメディテーションが形成する瞑想空間とは異なっている。密室での遊戯はギラギラとした生臭さをともなって、俗にまみれていればこそ、生命力を発揮する。家臣が手柄をたてたとき、土地を恩賞として与える戦乱の時代がすぎて、茶碗が一国一城に匹敵することになったのだという。それは主従の関係にも似て、ちょっとしたはずみで亀裂が入るものだった。


by Masaaki Kambara