㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画

2019年11月22日(金)~2020年3月8日(日)

21_21 DESIGN SIGHT


2019/12/2

 デザイナーが自らの手でおこなった遺品整理のような展覧会である。デザイナーの発想の原点を探る。創作メモが暴露される。自身の手による公開だから、自暴(じばく)ということになるか。本当の秘密は隠されているはずで、公開できるギリギリのプライバシーが紹介されている。ガラスケースにはいった日記帳は、背表紙か開かれたページしかみえない。何十年にわたって同じ規格のノートに書かれ続ける場合が多い。息の長いプロになるための条件を垣間見ることで、創作上の手本を得ることになる。

 漫才師で言えば、ネタ帳ということになるが、日々の暮らしの中で常に考え続け、継続は力なりと教えてくれる。日常のトレーニングと考えれば、四年後をターゲットに黙々と走り続けるマイナー競技のオリンピック選手と変わるものではない。成果が必ずしも出るとは限らないことも、似た心理状態を生み出すことになる。コンペに落選したプランは、うず高く書類の山となって蓄積されていく。

 製品化されるのが第一歩であるが、問題はそこから先だ。商品化をめぐる競争社会の悲哀が原画ににじみ出る。無念の涙が余白にあふれている。頭の中にあったものは妄想と呼ばれるが、メモを残せば実在の証拠にはなる。それはただの存在証明に過ぎない場合も多い。日の目を見ない場合がほとんどで、埋もれたまま忘れ去られていく。文豪でもなければ日記や書簡が、暴露されることもない。文豪にならないまでも日記や手紙は処分しておいたほうが無難だ。文学研究とはいえ研究者もまたスキャンダルにしか目は向かないのだから。

 ワトーというロココを代表する画家は、短命の最後に、友人に託してエロチックな作品を処分するよう依頼したという。そのために彼は品位ある画家というステータスを得ることになった。普通はまあいいかと思って、ついつい残してしまうものだろう。トランク一杯にした原稿用紙を燃やして世を去った小説家もいた。

 活字にならないまま終わった手書き原稿は、インポッシブル・アーキテクチャーと同じく、圧倒的多数を占めている。それらは芸術史を語ることはないが、芸術学の楼閣を築いている。印刷物とは単なる危険分散の方法に過ぎないとも言える。そんなとき写本しかない時代、源氏物語などはよく残ってきたものだと感心してしまう。もちろん聖書にしたってそうだ。本展もまたデザイナーの頭の中にとどまるものではなくなってしまった。これは秘密ですと言って広まっていく㊙︎のもつ秘密の構造の秘密を解き明かしてくれる、そんな展覧会だった。


by Masaaki Kambara