ピーター・シスの闇と夢

2023年04月14日~06月11日

市立伊丹ミュージアム


2023/5/12

 チェコスロバキア出身の絵本作家がアメリカに亡命して、才能が開花する。抑圧からの自由の叫びが全編からこだましている。」というタイトルがそれを象徴する。亡命後アメリカで生まれた娘や息子には、親の苦難は伝わらない。彼らは生まれたときからアメリカ人なのである。こどもに向けての絵本は、プライベートな思いが下敷きにされているほどに、生々しく感じ取られるものだ。大宇宙のなかで孤独であるという寂寥感と、同じ顔をもった無数の集団が押し寄せてくるような息苦しさが、交互に繰り返されていく。

 アメリカが自由の象徴であったことは確かだが、誰にでも手を差し伸べていたわけではないだろう。才能の有無を見極めて、選別されていく。ピーター・シスもまた見出されたひとりだった。意志の力と幸運がもたらした成果だといえる。かつては天才的なユダヤ人に目が向けられて、アメリカの反映に寄与した。ここではナチスドイツとの戦いではない。第二次世界大戦後の新たな世界秩序をめぐってのアメリカとソ連の勢力争いを背景にしたものだ。

 対立の図式が底流をなして、ドラマは生み出される。ロメオとジュリエットは、家と家の対立だった。組と組の抗争もあるだろう。さらに大きくなれば国と国の戦争、その上には宗教やイデオロギーの勢力争いによる悲劇が生み出されていく。関ヶ原の戦いを見ていても、二極化のすえ強いほうに味方するという大勢が築かれていた。亡命は著名人に与えられた名称だが、戦後のヨーロッパ映画は、アメリカに憧れて自由を求める無名の人々の姿を浮き彫りにしている。

 自由の象徴はピーター・シスの世代にとって、ビートルズやローリングストーンズだった。彼は画家である前に音楽家であり、ディスクジョッキーだった。旧社会主義の国の若者にとって、このビートの効いたリズムは、平和そのものだった。日本の場合もそうだったが、異なっていたのは、彼らが社会主義に現実を見ていたのに対して、私たちは理想を見ていたことだったか。知的エリートをよそおう大学生は、マルクス・レーニンにかぶれ、毛沢東思想を受け入れたが、ビートルズは高校で卒業していた。エスカレートすると航空機を乗っ取って北朝鮮に亡命することにもなった。

 ピーター・シスに見える引き裂かれた孤独は、切々と私たちだけではなく、次の世代にも訴えかけているように見える。大海原にぽつんと浮かぶ三隻の船がある。大空に羽ばたく羽根をもつ自転車が行く。それをサーチライトが追っている。忘れ去ろうとする記憶の町の幻想風景。たどり着かない迷路となった曼陀羅図。それぞれが彼の苦難を知らない私たちに響いてくる情景であって、アニメーションや絵本というかたちで、世代を越えて引き継がれていく。

 基調となるブルーに染まった世界は、脳裏にこびりついた悲しみの郷愁を伝えるものだ。伝記絵本として取り上げられたコロンブスガリレオは、シスの脳裏の孤独からしぼり出されてきた先駆者たちだった。それぞれは大海原と大宇宙に身を置くがともに孤独だった。ガリレオが法廷で弁明をする姿も、大海原のような無数の聴衆を前にして、孤独を対比として際立たせている。しかし彼らは孤独を悲しんでいるわけではない。正面を向いて未来へと目を向けることで、楽しんでいるふうでもある。シスの描くプラハの街も不気味ではあるが、好奇心に満ちていた。


by Masaaki Kambara