今井俊介 スカートと風景

2022年07月16日~11月06日

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館


2022/8/26

 スカート、風景、襞(ドレープ)、帯(ストライプ)がキーワードとなる。ときに国旗のように見えるのは、あざやかな色の組み合わせが、私たちの記憶している国家のイメージと連動するからだろう。赤のストライプは何重にも連なるとアメリカ合衆国になるし、そこに赤い円形が加わると大日本帝国のイメージを喚起する。色が変われば、今ではウクライナの国旗を連想させるものにもなる。

 次々と連鎖するイメージの連なりは、今回新しく制作された映像作品を目にした印象だが、この画家の推移がキャンバスから布へ、そして映像へと変容する必然を物語ってもいる。絵の具のにおいが消え去ると服飾デザインに転化され、一人歩きもしていくだろう。

「スカートと風景」という不可解な命名は、作家の語るインタビューでの発言によって理解が可能となった。スカートに風景を見たのだという。それは風になびく木立にも似て、さわやかな、それでいて男性にとっては、こころそそられる風景でもあっただろう。国旗のはためく姿もまたスカートの襞と同じく心ときめくものとなり得るということだろう。

 襞の動きは軽やかに身体のなめらかさを反映するが、ときに隠微な薄暗い官能を宿すものともなるだろう。しかしこの作家にはそうしたマイナーな感性は全くといってない。あっけらかんとしてポップなカリフォルニア気質さえうかがえるのだ。作家の出発点での仕事を知らないので、単なる思い込みに過ぎないが、武蔵美の出身という点では、デザインに傾く思考は理解できるにしても、福井県出身という点がこの色彩感覚と相容れないように思うのはなぜだろう。

 近年の大作を遠目で見たときに、私が連想したのは、篠原有司男が1960年代に描いた花魁「女の祭」だった。ここでは色のストライプだけで構成されていて、具体的なイメージは欠落しているのだが、横長の大画面から発散する色彩の氾濫は、ポップアートの時代に対応したもののように見えた。不思議なことに花魁には顔はなかった。カラフルな衣服のみが存在感を主張していた。それは大衆性に裏打ちされたファッショナブルな感性だったが、前向きな美術史の正統を踏襲するものでもあった。

 今回の展覧会はストライプだけで十分におもしろい絵画の深淵に触れることができるのだと気づかせてくれた。会場入口の風になびくようなタイトルバックの揺れも、色ちがいのチラシとともに、軽やかなデザイン感覚に支えられて、好感のもてるものとなった。映像に向かうのは必然だが、絵画のみで十分に風のもつ揺れやなびきや、音さえも表現可能なのだと思う。さらにはデザインに拡散するのでもなくて、絵画に集約していてほしいとも思った。


by Masaaki Kambara