40回 2022年12月11

小間使の日記1964

 ルイスブニュエル監督作品。ジャンルノワールにも同名の映画があるが、まちがってこちらを見つけたので、まあいいかと鑑賞することにした。ブニュエルの予備知識は「アンダルシアの犬」しかなく、前衛的でわけがわからないという前知識が先行していたが、調べるとドヌーヴの「昼顔」もこの人の作品だったと知ると、俄然興味が出てきた。

 ジャンヌモローの悪女的な魅がひかる。控えめではあるがしたたかさをもちあわせた小間使を、みごとに演じている。アメリカ映画の「小間使」1946ではジェニファージョーンズが演じたが、カラッとしたカリフォルニアの青空を思わせる役柄と比較すると、こちらはフランス映画特有の淫靡さを宿しているようだ。

 二股以上をかけて最終的には奥様として落ち着くが、思わせぶりなしぐさが気をそそり、男たちをその気にさせる。セリフのなかで彼女が32歳であることがわかるが、これまでにパリでさまざまな経験を経たことがうかがえる。男たちを軽くあしらうクールな身のこなしがいい。少女を虐殺した男から身を張って真相を探るのも、正義感からなのだろうが、男への愛は持ち合わせてはいない。

小間使1946

 アメリカ映画。ジェニファージョーンズ主演のラブコメ。排水管の修理ができる小間使が幸せな結婚ができるまでの他愛のない話。

第41回 2022年12月12

銀河1968

 ルイス・ブニュエル監督作品。サンチャゴデコンポステラへ歩いて巡礼をする二人の男のロードムービー。道中さまざまなキリスト教の問答に出くわすが、信仰のないものにとっては、ピンとこないものも多い。マリアが処女のままキリストをみごもったことは、キリスト教では重要だが、仏教徒にとってはどうでもよい話である。不道徳な側面と、まじめな信者の側面が行き来する。いきなり出会った謎の男から到着したら娼婦に子どもを生ませるよう啓示がある。そして最後の場面ではそういうようになる。支離滅裂ではあるが、かなり重要な教義を問題にしているようだ。聖母マリアやキリストと思われる人物の登場も、誰もがいだくキャラクターイメージとみごとに一致している。

第42回 2022年12月13

この庭に死す1956

 ルイスブニュエル監督作品。いくぶん不条理で現実を超えたシュルレアリストのおもかげは残すが、話としては十分に理解できるものだった。ただ最後にならず者と耳の聞こえない少女だけが助かるのが、腑に落ちない。シモーヌシニョーレ演じる娼婦がころころと男を渡り歩く姿を興味深く見ていたが、突然あっけなく射殺されてしまい驚いた。

 本心がどこにあるかがわからずに、謎めいてみえるが、女心とはそのようなものなのだろうか。汚れ役だが墜落した飛行機からくすめた衣装や首飾りをつけた姿は魅惑的に見えた。権力に対して反乱を企てて、追手から逃れる話だが、密林を逃げまわる姿や蛇の皮を剥いで食うシーンなどは生々しい。

 殺されたのは男たちを手玉に取った娼婦と宝石をくすね取ろうとした神父だったと考えると、死は当然の報いだったかもしれない。そして生き残ったのは最後まで生きようという意志を捨てなかったならず者と純真な少女ということになる。密林を過ぎて海が見え希望が開けた直後のことだった少女の父からすれば撃ち殺したのは自分を裏切った娼婦と、その女を奪ったならず者ということなので、傷ついた頭による錯乱状態というよりも、嫉妬のあらわれと見ることもできる。ならず者に返り討ちをされて絶命するかぎりでは、この男は年甲斐もなく若い女に手を出した報いとも言えるだろう。突拍子もなく起こる事件も、よくよく考えてみると論理的だというのは、この監督のよりどころとするシュルレアリスムの構造をなしている。

43回 2022年12月14

哀しみのトリスターナ1970

 ルイスブニュエル監督作品。怖い話である。若い娘が気まぐれのまま養父を死に追いやるが、表情を見る限り反省も憐憫の色もない。若い画家に恋をして出ていくが、死に瀕して救いを求めて帰宅する。足を切断することで一命をとりとめ、嫌々ながら養父と結婚するが、露骨に接触を避けている。年甲斐もなく若い養女を手にかけ、自由を与えない男の欲情が、ますます醜いものに見えたとき、娘が恋人との逃避行をはかるのはわかる気がする。しかし財産が目にちらついたとき、死に瀕した夫を助けようとしないのを見ると、はじめ従順であった娘が、こんなにも変貌してしまうのだと驚く。カトリーヌドヌーヴが純真からしたたかさまで、じょじょに変貌していく女心を、うまく演じ分けていた。父であり夫でもあろうとする男の願望は、やがては破綻するものなのだろうが、献身的な親心が欲情に根ざした下心に見えたとき、必要以上の嫌悪感がわくのも理解可能だ。年齢差のあるふつりあいな夫婦は、常になにかしらわだかまりのある不自然な不安を漂わせているものだ。

第44回 2022年12月16

熱狂はエルパオに達す1959

 ジェラールフィリップ主演、ルイスブニュエル監督作品。メキシコでの治安の安定しない時代を背景に、権力と情欲が絡んで生死をかけた人間模様が展開する。魅力的な総督夫人とその秘書官の若者が、総督の暗殺後、愛欲を隠しながら生き抜く展開がスリリングに推移する。ここでもブニュエルごのみの優柔不断な女性に踊らされる男たちがいる。ジェラールフィリップはこのメキシコを風土にした土着的な映画では、垢抜けしたクールな輝きをはなつ美男子にみえる。本作が遺作になったようだが、魅力的ないい俳優だった。恋愛と裏切りと、生き抜くための選択が、有無を言わずに迫ってくる。決断を誤るととんでもないことになる綱渡りの連続である。躊躇なく択一を見極めて突き進むしかない社会的変動の状況下、緊迫感のある葛藤が繰り返されている。 

第45回 2022年12月18

ブルジョワジーの秘かな愉しみ1972

 ルイスブニュエル監督作品。まさにシュルレアリスムの不合理な写実が、生々しく描き出されている。紅茶を注文するが、客が多くて品切れだという。ならコーヒーにするといって、かなり時間が経ってからコーヒーも品切れだとウエイターが告げる。こんなカフェなど現実にはあるのかと思ってしまう。レストランに入るとひっそりとしている。主人が死んだので隣の部屋でお通夜が行われているのに、営業もしている。そんなところで食事ができるかといって出ていく。仲のよい3組のカップルをめぐるドタバタ劇。

 6人はどんな関係なのかが気にかかる。タイトルにあるようにブルジョワ階級に属するが、麻薬の密売に手を染めているようでもある。夫たちはそれなりに歳を食っているが、それに比べて妻たちは若い。他人の妻に手を出している不届き者もいる。整合性を求めたとき一番合理的な解釈は、女たちが三姉妹だと考えることだろう。この6人が長い路を歩き続ける場面が何度となく続く。女たちはハイヒールで歩きにくそうなので、なぜ車にも乗らずに歩き続けているのかが不可解だが、印象的な映像となって脳裏に定着している。

 まともな話の流れのなかにギョッとするような展開が盛り込まれる。機関銃をもった男たちが、突然部屋に乱入してきて、6人とも射殺されてしまう。それも次の場面でベッドでめざめる場面がくると、今までのは夢だったのだという肩透かしとなる。目覚めの場面が一度ではなく、繰り返されると、目覚めて夢だったというのも夢だったのではないかと、合わせ鏡のような非現実の迷宮にさまよっていく。奇妙な映画だがゾクっとするような刺激的な場面もはさみこまれて、私にとって気にかかる一作となった。


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