改組新第5回日展 岡山展

2019年07月06日~07月28日

岡山県立美術館


2019/7/9

 先日倉敷市立美術館で春の院展を見たが、今度は岡山県立美術館で日展がはじまった。公立美術館で団体展を見る機会はそんなにない。デパートの特設会場や団体展専用の落ち着きのないフロアで二段がけになったなか、これでもかこれでもかと質よりも量を競い合う満腹感を前にして、良質のものを少し食べたいなという美術鑑賞の本道に立ち返る。そんな前提をもって県立美術館に乗り込んだ。

 作品数が多いので県立美術館ではおさまりきらず隣りの天神山文化プラザも会場になっている。日本画と書と工芸は天神山、洋画と彫刻は県美という割り振りである。東京展には及ばないが、満腹になる量だ。二つの展示室には落差があって、日本画は天神山のさらには地下の天井の低い展示室なので、気の毒な気がした。一般の鑑賞者には洋画と日本画のちがいはないはずなので、画壇の勢力分布を知る上には、興味深い事実関係にはなっている。

 岡山県は古くから洋画王国で、郷土の恩人も多く、場所取りの発言力は強いということなのだろう。公立の美術館に展示されるとありがたみを増すのは、誰もが使える貸しギャラリーとはちがって、偉そうに見えるという単純な理屈でしかない。この前にはここにルノワールが並んでいたという連想ゲームもはじまっていくだろう。岡山ではなく福井県なら日本画がメイン会場を牛耳ることになるだろうから、県のレベルの画壇盛衰史を反映することになる。そもそもが公立館で団体展を行なう是非という問題が尾を引いている。

 今はどうか知らないが、かつての公立美術館はいかにして、団体展の圧力を回避して、貸会場にならないでおくかというのが、公立館に勤務する学芸員の課題だった。各会派は日頃の確執を棚上げにして、一致団結して県に美術館建設を働きかけたという経緯があれば、美術館側も耳を傾けないわけにはいかない。日展のできる美術館をというスローガンは、大規模な美術館建設を訴える合言葉だった。日展がかつての文展や帝展のように、国が主催をする展覧会だったら、何とかして国が美術館を作らなければならないということになるが、今は規模は大きいが、一つの団体に過ぎないという認識だ。

 六本木にできた国立新美術館は、そんなしがらみの着地点だったような気がする。所蔵品をもたない貸館美術館だが、団体展だけでなくメインは新聞社主催の大型展の特設会場となっている。とにかく大きく、上野の都美術館からバトンタッチした感がある。今でも芸術のメッカを上野公園と見る目も根強いが、もう少しオシャレな街にならないとという思いは、誰にもあるだろう。

 天神山文化プラザは、上野の雰囲気を残している。前川国男設計の名建築でもある。総合文化センターの名で私も学生時代によく訪れた。隣り合わせているのにつながっていないのは、県立美術館が関係を断ちたい意思の表れのように見える。普段は県立美術館の正面玄関を出て、ぐるっと一回りしないと天神山にたどり着かないが、今回は県美の開かずの扉を解放して、時間を短縮してくれている。日展は岡山では19年ぶりのようだが、県展のときにはこの通用門を開いているようだ。建築の構造からも美術館行政の歪みが見えてきて面白いと思った。


by Masaaki KAMBARA