ファビアン・ジロー&ラファエル・シボーニ「反転資本 公理」

2019年9月27日~11月24日

シネマ・クレール(岡山芸術交流2019)


2019/11/22

 シネマクレールと岡山城の展示を見逃していたので、会期中に見ておこうと思い立った。ともに映像作品だった。映画館での上映は、観る側に覚悟を強いるが、本格的に見てやろうという意志の表明でもある。意欲的な観客が多数集まっていた。「反転資本 公理」という不可解なタイトルにも誘われてのことだ。見始めるが、映像だけで文字情報はない。単調に動植物のクローズアップがモノクロの映像で続く。この調子で一時間見るのかと、席を立つ人も目立つ。隣の席では眠っている。最後にどんなオチがあるのかと見続けるが、10分を残して見切りをつけ退席した。

 タイトルと結びつかないという不可解が、さらに加わる。原語を探し当てるとThe Everted Capital, Axiomだとわかったが、まだ理解できない。「反転された資本」とは何だろうか。キャピタルには首都という意味もあるし、大文字という意味もある。一種の禅問答のような響きに、映像の不条理が加わる。確かに映し出された映像は白黒が反転しているようだ。そのために対象が何かは明確にはつかめない。ゆっくりと揺れ動く草むらが、カメラの移動とともに姿を現わすが、動きを認めると、そこには植物ではなく小鳥や昆虫の輪郭をたどることになる。光と風を浴びているが、そよぎはない。フォーカスはときおりくっきりと自然の細部を浮かびあげるが、その時だけは不可解な中で妖しい輝きをはなつ。不可解はたぶん音がないサイレント映画であることに由来するのだろう。

 フランスの映画監督名を用いたシネマ・クレールという映画館名を訝りながら、次回作の案内を見ると「去年マリエンバードで」とあった。チラシも魅力的だ。長らく映画館では見ていないが、不条理映像の原典である。大型のスクリーンに夢のようなモノクロ映像と、ささやくようなフランス語の響きに魅了された半世紀近く前の記憶が、よみがえってきた。

 映像とはもともとが不条理なものだと、自分に言い聞かせて先を急いだ。岡山城に何があるのかという期待が広がり、普段ならまずは訪れることのない観光スポットに入り込む。天守閣に向かう開かずの門を開いての映像上映だった。一方は裸体のダンサーを案内役に、本展覧会場を巡るビデオ映像である。他方はニューヨーク在住の中国人アーティストによるアニメ作品で、本格的に作り込まれているが、足元も寒く、落ち着いて見れる環境ではない。映像のコンテンツよりも、場の体感が中心となるものだけに、作品にとっては気の毒な気がする。狂言回しに使われたと見れば腹立たしいが、無名作家の名刺交換だとすれば、確実に作品と作家名が知られる通過儀礼でもあるのだろう。ポール・チャン「幸福が(ついに)35,000年にわたる文明化の末に(ヘンリー・ダーガーとシャルル・フーリエにちなんで)」と記憶することができた。


by Masaaki KAMBARA