印象派からその先へ—世界に誇る吉野石膏コレクション

2019年06月01日~07月21日

兵庫県立美術館


2019/6/21

 コローからシャガールまでの日本でなじみの絵画展である。吉野石膏コレクションというのが肝で、先に笠岡の竹喬美術館で見逃したので、気になっていた。しかし入口のあいさつ文を読むと、名古屋、神戸、東京での開催とあって、笠岡のことは触れられていなかった。私の勘違いだろうと思い、調べると笠岡のは吉野石膏日本画コレクションの展覧会だったようだ。

 幅広いコレクションのようで、こちらは教科書的ではあるが、安心して見ることのできるスタンダードナンバーと言ってよいだろう。 近代絵画史の定番に沿って、おとなしく並べられた絵画展だ。会場が広いせいか、壁面にまばらな印象が残る。

 そんな中、モネは作品数も多くて充実している。睡蓮やロンドン風景は、印象派の最高の成功例だと思う。画面が幾分暗いように見えたが、展示室の照度の問題ではなさそうだ。クリーニングをすれば、さらに驚くほどの明るい画面が蘇るにちがいない。コローやクールベだと、そうはいかないはずで、展示効果としては、一連の写実主義からバルビゾン派を、モネの直前に並べることで、印象派はもっと印象的に見えるだろう。

 フォーヴィスムは押し並べておとなしい。野獣派と言うからには、もう少し荒っぽい作品がそろわないと、その名に収まりがつかない。ビッグネームにこだわりすぎると歴史をつづりそこねるということだろう。ルオーでフォーヴを語らせようとするなら、相当吟味が必要だろうし、マチスにしても初期のものばかりを集めるわけにはいかないのだ。

 画家をひとつのイズムに収めようとすると、巨匠であればあるほどにそこから遠ざかることになってしまう。ピカソに至ってはさらにやっかいだ。アートシーンのあちこちで顔を出していくことになる。そもそもがイズムの変遷で美術史をつづることの不毛をさらけ出してしまうのだ。そんな美術史の不在を尻目に、それほどの名品とも思えないが、ルノワールの少女の眩しそうな目が、ひときわ輝きを放っていた。


by Masaaki KAMBARA