岡﨑乾二郎—視覚のカイソウ

2019年11月23日~2020年02月24日

豊田市美術館


2020/1/26

 これを面白がるためには、少し美術の訓練と知識がいるかもしれない。何だこんなものという反応ももちろんあるが、多くの鑑賞者はある意識をもって豊田市まで来ている人たちなのだろうから、問題はないはずだ。大がかりな立体造形はわかりやすい。バランスよく不安定に立っている姿を、感慨深げに眺めることは可能だ。

 しかし作家デビューの頃のレリーフ作品については、戸惑うかもしれない。同じかたちの色ちがいが、壁面に沿ってずらりと並んでいるのだから。30センチにも満たない小さな段ボールの切れはしが、廃物利用されているとしてしか見えないだろう。色むらのある薄汚れた着色だと見れば、もう少しきれいに塗れないのかと思ってしまうかもしれない。もちろん目を近づけてみると、段ボール状の無数の穴のつながりが、建築物のディテールのように見えてきて、絵画のイリュージョンに入り込んでゆくおもしろさはある。

 しかし単体を単独で見るのではなくて、それぞれを関係で見ようとすると、両者には空間が誕生する。それは絵画を建築で見ようという試みだ。ブランカッチ礼拝堂の分析では、向かい合う壁面の対話として、建築の内部空間の理解を通して絵画の意味を探ろうとしている。展覧会のサブタイトルを視覚の「階層」としているのは、そういう意味だ。そして同時にカイソウは「回想」でもあって、視覚について思索を続けてきた過去への旅程でもある。

 展覧会のチラシが8種類作られていて、これを並べてみるだけで、おおよその芸術論はわかるはずだ。作品に足留めする工夫は、さまざまに施されている。作品解説とも思えないような長い作品名もまた、作品とキャプションを結ぶ関係性を、無関係も含めて問題にしている。ずらりと並べられると、一点一点を丁寧に見て行こうとは思わない。太田三郎の消印や河原温の日付けの場合と同じだ。

 のちに名古屋の常設展でガラスケースに小品が一点だけ展示されているのに出くわした。そこでは長いタイトルに違和感はなく、チューブから捻り出された油絵具の厳かなまでの信仰が、小祭壇に祀られて、輝きを放っていた。中には美味そうなまでの食感を感じ取らせる絵具そのものがもつ透明感もあった。


by Masaaki KAMBARA