Re: スタートライン 1963-1970/2023 

現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係

2023年04月28日~ 07月02日

京都国立近代美術館


2023/6/10

 60年代日本の現代美術の動向を知るのによい展覧会企画だと思う。個人的には中学から高校生の時期で、まだ美術に興味が生まれる以前の話なので、リアルタイムでの実感はないが、美術館の学芸員になったころに学習して、記憶は鮮明に残っている。当時京都の館長だった今泉篤男の挨拶文に接したが、若い頃この人の著作集を読みながらこんな文章が書けるようになりたいとあこがれをいだいていた。その後、河北倫明や乾由明といった美術館人の批評文、あるいは針生一郎や中原佑介などの美術評論家の文章に接しながら、現代美術の輪郭を学んでいったのだと思う。美術をことばにする基礎的訓練だった。

 ここで第1回展が「現代絵画の動向」であったのが、2回目以降は「現代美術の動向」に名称変更されたという点が興味深い。絵画ではないという感覚が増幅していったのだ。そのことが出品作を回顧するなかでわかってくる。壁にかけるという絵画の体裁を保ったまま、レリーフのように前に張り出してくるのが、潮流として見えて興味深い。それは彫刻と言わないほうがよく、現代絵画は現代美術の語で置きかわるが、やがてこの「現代美術」が一人歩きしていった。

 「現代美術」と「現代の美術」とはちがうのだという感覚は、新旧や優劣の価値観をともなって、現代美術に選民意識を植え付けるものになった。難解で首をかしげる前衛を賛美する動向が、現代美術を支えている。日展を訪れる庶民感覚とは遊離しているが、国公立の美術館を味方につけていたことが功を奏した。もちろん淘汰されて、今日消え去った作家名も多いが、その場合も作品だけは歴然と輝いている。

 福井での学芸員の頃に身近にいた作家では八田豊さんと山本圭吾さんの作品に出会うことができ、懐かしく思った。斎藤義重も福井で現代美術を担当するなかで、知り合ったひとだった。倉敷での教員の頃に知り合ったのは、中西夏之さんと河口龍夫さんだったが、ともに同じ時期に国立大学を退官後に倉敷に赴任されていた。中西夏之の洗濯バサミはこれまで何度か目にしているが、あらためてまとまって展示されると、今でも衝撃的にみえる。無数の洗濯バサミの皮膚感覚が身体中に痛みをともなって、マゾヒステリックに浸食してくる。絵画でありながら絵画ではないという「現代美術」のはじまりに属する記念碑だと思う。


by Masaaki Kambara