第12回恵比寿映像祭 THE IMAGINATION OF TIME 時間を想像する

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ「移動の自由」(2017)

2020年2月7日(金)−2月23日(日・祝)

東京都写真美術館

 毎年楽しみにしている展覧会である。写真美術館の全室を使っており、劇場型の映像は少なく、何を写すかという問題よりも、いかに写すかに主眼が置かれている。複数の画面を同時に見せる作品が、多かったように思うが、前方に向かうヒトの視野を超えてはいないので、まだまだついてはいける。その場限りのパフォーマンスやインスタレーションに落とし込まないで、映像をじっくり見て感じ取るという正攻法の作品に好感が持てた。

 ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ「移動の自由」(2017)は、そんな一点である。3チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション作品で、暗い部屋に大型のプロジェクター映像が三面、不規則に並んでいる。そこには、ある懐かしい人物の姿があった。1964年の東京オリンピックを記憶している者なら、誰もが知っているエチオピアのマラソン選手アベベである。

 黙々と孤独に走り続ける姿が脳裏に浮かぶ。孤独なのは独走という勝者のあかしのことだ。痩せこけた長身は、深い思索を携えた宗教家か哲学者のようだ。テレビが普及した時代を象徴するためには、動画である必要がある。マラソンはテレビ時代が目をつけ、同時にアベベをヒーローにしてしまった。

 これは「時のイマジネーション」という今回のメインテーマにもふさわしい作品と言ってよい。沿道やスタジアムでは、マラソンの切り取られた一瞬の時間しか共有することはできない。テレビはそれを、リアルタイムとしてとらえたのである。アベベは絵になる風貌の持ち主だった。エチオピアというアフリカにあっては、高度な知的伝統に支えられた風土が生み出した顔立ちを見ながら、知性あふれる「シバの女王」の末裔の勇姿を思い浮かべることも可能かもしれない。

 そして黒人であること。映像でアベベが走るのは、東京ではない。その四年前のローマオリンピックでのゴールの姿である。警備のオートバイに先導されてゴールに達する。日本語の字幕には、「警察に追われるのではなく先導されている」とある。この意味を理解するには、エチオピアがイタリアの植民地であり、独立を勝ち取ったという歴史的事実を知ることが前提だ。

 アベベはローマ、東京とオリンピックで二連覇をはたした。東京では来る前から勇者だったが、ローマではまだ戦士だった。イタリアとの間でなされたエチオピア戦争当時の報道は、野蛮国が文明国に勝利したと書いた。日露戦争を思わせる言い方だと気づくと、百年後のアフリカの繁栄が予想できる。

 アベベのローマオリンピックでの映像をメインにおいて、他の二面で、現代の黒人ランナーと、黒人合唱団の姿だろうか、混じり込んでビデオインスタレーションを構成している。合唱の歌詞は、残念ながら日本人には通じないが、前向きな希望を歌い込んだ勝利の響きをもっていた。


by Masaaki Kambara