第46回 2022年12月19

ニノチカ1939

 グレタガルボ主演。ソ連が没収した個人財産の宝石をパリに売りにきた国家の役人三人組をめぐるドタバタ喜劇。頼りない三人にさらに上司の女性が加わり、ラブコメディへと展開する。笑ってすませるならいいのだろうが、社会主義と資本主義というイデオロギーの対立する世界情勢を背景にして、ソ連をあざけるような立場は明確なので、反発も避けがたい内容となっている。

 ガルボの役柄は国家の使命感に燃えるロシア人女性だが、パリに魅せられ、恋に目覚めるまでの、女心の推移を巧妙に演じている。1905年生まれだから、この年34歳ということになるが、若い頃の魅力は少しおとろえているのかもしれない。トーキーがはじまってまだ日が浅いことを考えると、サイレント時代の花形と言ったほうがよいか。

 本当ならロシア語なのだろうし、フランス語も出てこないと不自然なのだが、アメリカ映画なので英語での会話になっている。アメリカ人がどこに行っても英語しか話さない、米語が国際語として確立する時代の到来を告げる映画でもある。没収された宝石の持ち主であったロシアの旧貴族がパリに逃れてきていて、それを自分のものだと主張するあたりは、話として考えさせられるところがある。

第47回 2022年12月20

肉体と悪魔1926

 サイレント映画なのに複雑な話の展開を、短い字幕で、みごとに伝えていた。男ふたりの友情を引き裂く女の魔性をグレタガルボが演じている。魔性の女はラストシーンで改悛したかのように、決闘するふたりを止めようとして凍てついた雪の島へと急ぐ。このとき氷が割れて溺れ死ぬシーンを見て、これで友情は壊れることはなくなったという安堵を与える。牧師が引用する聖書のエピソードが、人間のドラマとして普遍性と予言性をもつものとして見えてくる。

 愛と富はいつも相反の関係にあるようで、愛情だけでは生きてはいけないとは、よく聞くセリフである。5年間を待ちきれなくて別の男になびいてしまう女の話もよくあるものだ。その相手が親友だったら、あなたはどうしますかという問題だ。帰ってきたときの女の態度の豹変と、親友から妻だという紹介を受けたとき、打ちのめされた気分はよくわかる。日本でも終戦後しばらくたって帰国すると、自分の妻が弟の嫁になっていたという驚きに対応できるものだ。

 手に手をとって逃亡を企てても、ブレスレットひとつで心変わりしてしまうこともわからなくはない。もちろん優柔不断と言って悪魔扱いをしてもいいのだが、それを超えた魔力があるから、じつはやっかいなのである。題名にある肉体と悪魔という呼び名がふさわしいのだろう。

 ひとめで魅入られる美女というのはいるはずで、普通は遠くからながめるだけのことなのだろうが、魅惑的な反応を返されると男は有頂天になって、身の破滅を導いてしまう。友情までもなげうって狂乱を演じてもしまうので、ご用心をという教訓を含んでいる。二度と顔を合わせるなという、再三の牧師の忠告にもかかわらず、運命の糸に導かれるように破滅へと突き進む。親友の狂気の意味を理解するのは二度の決闘の記憶を誘導した神の啓示によるものだった。神の慈悲がない限り、ふたりは自滅していたはずだ。あのとき決闘を踏み止めさせたのは何だったかを、考えてみることは重要だろう。悪魔の死によって急に目が見開かれたとみると、神がかりではあるがわかりやすい解答かもしれない。

第48回 2022年12月21

グランドホテル1932

 ついついガルボに目が向くが、主役というわけではない。演じているのはロシア人ダンサー、これに一目惚れする泥棒男爵が中心人物で、この男爵に心を寄せる速記者の女性との三角関係を軸に、この速記者を雇っている会社経営者、かつてそこの従業員だった男もまた、生涯最後の大金を手にグランドホテルに宿泊しており、彼らが織りなす人間模様が、ホテルの電話交換を経由して展開する。はては殺人事件にまで発展するが、高級ホテルという特殊な空間にたまたま出くわした非日常が、思わぬ人間関係を生み出す点に、興味が注がれる。

 男爵は主役だと思っていたのにあっけなく殺されてしまう場面には驚かされるが、貧困が地位も名誉も捨てて真珠や財布を盗もうとした報いだったかもしれない。全財産をもってホテル住まいをしようとする余命いくばくもない男は、このホテルには場違いではあるが、存在感をもって見えてくる。子どもが産まれかかっているホテルの従業員もいて、何度か電話に登場し効果的な挿入がされている。それぞれがバラバラに電話をする幕開けのシーンは、意味不明だがやがて解きほぐすように密度のある人間関係が説き起こされていく。

第49回 2022年12月22

アンナクリスティ1930

 グレタガルボがいつ登場するかを待っている。夫婦のようにも見える酔っ払いの男女が酒場にいて、男のほうはクリスティと呼ばれているので父親だとわかる。15年ぶりに娘が帰ってくる。5歳で別れたので今は20歳になっているのだという。男が店から出ている間に、アンナが登場いきなりウィスキーを注文する。女との会話が続くが、母親でないことがわかる。およそ上品とは言いがたい疲れ切った風貌とハスキーボイスに戸惑いながら、ガルボの演じる娘の生い立ちを思い浮かべる。人生の荒波を経験してきたことがわかる。

 男は信用していない。父もそうだが、次に登場する船乗りも、心では惹かれるが、今まで出会ってきた男たちと変わらないと悲観的である。船乗りのほうが夢中になり、結婚を申し込むが、これまでの身の上を打ち明けて、結婚のできるような女ではないと告白する。男とにいさかいがおこり破綻しかかるが、最後は父とその男の仲も回復し、ハッピーエンドとなる。なにかしら波乱の結末を期待していた者には、アメリカ映画のハッピーはものたりないかもしれない。

50回 2022年12月23

アンナカレニナ1935

 グレタガルボ主演の無声映画。トルストイ原作のよく知られる話である。見どころは夫と愛人のあいだにあって葛藤に悩む女心にある。さらには息子がいて母でもあるところが決断を難しくしている。愛をとって逃避行を試みるが、愛人は職を失おうとする。アンナは身を引く決意をして、黙って立ち去る。地位も名誉も捨てて愛に生きる難しさが、しみじみと伝わってくる。身を引いたことを知ってか知らずか、時は過ぎる。3年後の再会がラストの見せ場となるが、このとき夫はすでに死んでしまったことがナレーションを通してわかると、映画は急転直下ハッピーエンドで終わりを告げる。共存することのない所有欲は愛にとって欠くことのできない罪禍であるようだ。

第51回 2022年12月24

椿姫1936

 オペラでもしょっちゅう公演されている演目の定番。金持ちの男爵といちずな青年の間で揺れ動く椿姫と名乗る娼婦の物語。見どころは父親が息子と別れてくれと椿姫のもとにやってくる場面で、どれだけ説得力をもって語れるかにある。息子を愛しているならその将来を考えて身を引いてくれないかという父親の説得に屈してしまうのが、根っからの商売女になりきれない悲しさだろうか。ここでガルボは一芝居演じる。自分は娼婦なのだと言い聞かせて、そっけない素振りを見せて男爵のもとに帰ってゆく。役者がもう一度役者を演じている。歌舞伎では腹芸と呼ぶが、演技力の見せどころだろう。ガルボの美貌は男っぽいさっぱりとした気質にある。その素材がここでも活かされて、冷たく引き離す効果を高めている。

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