第16章 ミニマルアート

60年代のイデオロギー表現の変貌/ミニマリズム/具象と具体/コスース:概念のかなたにある不在と実在/ジャッド:物を置けない棚を考える/ステラ:イリュージョンをへて実空間へ/レリーフ絵画/フォンタナ:タブローからの逸脱/セラ:禅宗の教え/関根伸夫:穴のある彫刻/のぞき込む鑑賞/カプーア:闇に落ち込む/闇と黒/エルリッヒ:鏡と窓の不思議/網膜上の絵画

第197回 2022年3月23

60年代のイデオロギー

 ミニマルアートとミニマリズム、用語としては両方ある。ミニマルアートという場合、ポップアートがそれに先立ってあったので、それに比較対抗できるような意味を込めて用いられたようにみえる。ポップアートは豊饒な物質性を背景にしたマキシマルアートだと考えると、ミニマルアートとの対比が際立ってくる。ながらくイズムの歴史が続いてきたが、ポップの時代になってイズムをはずれてしまった。再度イズムに戻したくはないという考えかたがある。しかしミニマルアートはイズム以外のなにものでもないような側面を有する。

美術はモノが命だという前提がある。そこに形がなくても成立するのではないかといいはじめる。残るのは何かというと、ものの考えかたとしてのコンセプトである。肉体が死んでも脳だけが生きている状態に近い。もちろん脳も肉体の一部であるかぎりは、栄養源が絶たれるとやがては消滅する。蛇が自身を尾から食いはじめ、頭部だけが残った状態のことをイメージすればよい。それがコンセプトの概念というものだろう。

 ポップアートの思想性を考えたとき、それはイデオロギーを考えることなく作品化している。イデオロギーが思想や政治の分野でなくなってしまうのは、80年代の社会主義の崩壊まで待たねばならない。60年代ではまだ東西の冷戦が続いており、ソ連も中国も強大で東ヨーロッパ圏も社会主義を保守していた。資本主義国と対等なものとして、ことに若者の心をとらえていた。

崩壊を待つとすれば80年代になるが、美術の世界ではポップアートが出てきた時点で、イズムをご和算にするような方向を取り出す。20年後を先取りした先見性を美術に見出すことも可能だが、実際はポップアートには社会主義的な考えかたが入り込む余地はない。

60年代はアメリカが最も栄えたころであり、同時に有頂天が陰りはじめるころでもある。後半にはベトナム戦争の泥沼に入り込んでゆくが、ポップの描き出した世界はそこにあまり深入りはしない。アメリカの資本主義を謳歌するような大型のスーパーマーケットが美の殿堂となった。コカコーラがその象徴的アイテムとなる。資本主義の危機を脱するのが社会主義なのかも疑問視されながら、70年代の模索が続く。

選択を決しない不安な時代にものの考えかたに目が向き、モノをつくることだけでは満足できないという思考が起こってくる。モノがあふれる一方で地球全体では飢餓に苦しむ格差を目の当たりに見る。社会矛盾に目が向きはじめると、モノを作ること自体が疑問視される。ポップアートに対する反省や批判も含めて、芸術自体を見直そうということになる。

第198回 2022年3月24

表現の変貌

その時考えはじめたのは20世紀全体をひっくるめた理念としての「表現」を再考することだった。表現ということ自体が人間をポジティブにとらえるものだった。人間の表現が何よりも重要であり、個人の個性を前面に出すのが芸術なのだと考えてきたのである。それらを見直したとき表現といいながらも、出てきたものはちっぽけなもので、小手先ほどのちがいでしかなかったことに気づく。絵画ではちがいはしょせんイメージの世界だけのことに過ぎなかった。

絵画である必要もなくなってくる。60年代後半期、今まで絵を描いていた画家が絵を離れ、ランドアートライトアートなどキャンバスに絵を描く以外の行為に目を向けはじめた。それは地球規模の大地であったり、現代文明を象徴する蛍光灯やブラウン管を用いたものだった。もちろんそれらは今では生産終了しているという点では、ビデオアートとも連動し文明とともに消滅するものだという暗示も含まれている。

そこで表現の主体は変貌する。今までの絵筆を握る画家が神に近い存在だったのに対して、個人の存在は限りなくちっぽけなものになってしまった。主役は人間ではなくて、土や木といった自然であるという逆転劇が起こってくる。これまでは自然をコントロールするように制作を進めてきた。それが制御ではなくて自然の隠れていたパワーを引き出すような表現へと移行する。この場合の表現は、人間個人は後退してモノ自体に語らせていくという方向をとる。それはオブジェ思考としてデュシャン以降引き継がれてきた文脈だった。そこに作家のもつ個性の尊重が行き来する。

20世紀から始まった表現主義はエスカレートすると、表現力は増大し、過剰なまでの厚塗りの絵画に至った。そういった極限に対して極小(ミニマル)が叫ばれる。オリジナリティを掲げて自己表現を探求したが、人間のやることは高々知れている。天才はそんなに頻繁に出てくるわけではない。そう考えると変に自分の個性を探したり、個性に磨きをかけたりすることがむなしく感じられてくる。そこで表現しないこと、あるいは表現をゼロに近づけるという発想に至る。創作や制作という概念からははずれてしまうという危機感はつねにある。表現を最小限にすることで、装飾部分を剥ぎ落した骨組みだけが見えてくる簡素さが求められる。

絵画の場合、シンプルで一色だけで成り立つようなものが当然出てくる。抽象絵画ではすでにそれは存在した。一方には表現性の強い抽象表現主義が、前の時代に起こってきていたわけで、そこに戻るわけにはいかない。古い時代に戻りリヴァイヴァルさせてもいいのだろうが、モダニズムはつねに新しいものこそが命だった。

第199回 2022年3月25

ミニマリズム

無駄な要素を切り詰めていって、最後に残るものに賭ける。今までは個性で白紙の上に付け加えていった。つまり加算法で出来上がっていて、過剰に膨らんできた。それに対して切り取っていく、剥いでいく方法論を打ち立てる。この方向転換がミニマリズムということになる。

時代的にはポップアートを横目に見ながらの展開ということになるが、ミニマリズムはミニマルアートに対して、ひとつの思想を伝える用語だ。ポップアートはイズムではなかったが、これに対応させてミニマルアートの語が生まれたとすれば、両者は共通項をもった対立概念ということになる。ともに美術様式をかたちづくる理念だが、ミニマリズムはアートの領域をこえて、人生観にまで飛躍する。表現をゼロに近づけるという点で、哲学や思想にまで展開を予想できる。

芸術分野でも音楽や、元来表現性の希薄な建築にも応用される。シンプルで何もない空間という寡黙さを想定すると、ミニマリズムの産物ということになる。茶室建築を思い浮かべてもいいし、シンプルライフをキーワードとしてもいい。ファッションでの服飾的展開も当然の帰結となる。「無印良品」というような無名性の強調は、ミニマリズムのデザイン分野での展開だっただろう。さかのぼれば民芸運動、もっとさかのぼれば千利休の思想に至る、実に日本的な思考法だともいえる。

 ミニマリズムはやがてコンセプチュアルアート(概念芸術)に移行したようだ。考えかたとしては過激になっていったと見ることができる。概念だけで美術が成立するという。モノを介さず、それを目的ともせず、最も危険な歩みに一歩踏み出したともいえる。自分でモノをつくらないが、概念だから考えはする。考えるだけでいいのだというのが着地点となる。しかし目の前に何かがなければアートとはいえない。自分でつくらないというところからは、「発注芸術」が生まれる。

もちろんこれはこのとき始まったわけではない。建築家が図面を引いて業者に渡すことを考えれば、ごく普通のプロセスでもある。画家の場合も、自分で描かずに描いてもらうということになる。仕上がりに磨きをかけてくれる職人の手を借りることはあるし、額縁にしても発注である。自分ではできるだけ手を動かさないとしても、誰かが手を動かしているという限りでは、表面上は旧態依然としてもいる。

このとき安土城は誰が「建てた」かという問いに、胸を張って織田信長だと答えることができるのである。信長はコンセプチュアルアーティストとして「火天の城」を実現したが、またたくまに立ち上がり、またたくまに焼け落ちる姿は、一個の作品として信長自身の生涯をなぞった自画像にも見えてくる。

200回 2022年3月26

具象と具体

ミニマルアートは絵画よりも立体分野で広がっていったようだ。ドナルド・ジャッド1928-94 の立体物を出発点とする。無機質な幾何学的形態は、モンドリアンに由来するものでもあるが、時代は美術を絵画に代表させて語れなくなってきていた。立体表現あるいは絵画から飛び出してくるレリーフ状のものもある。源流をデュシャンにさかのぼると、ダダでは絵画であろうがなかろうが、表現形式としては大差ない。

思想面で美術を見る場合には、絵画史でたどってこられた。60年代から平面だけで語れないようになってきた。平面に奥行きや遠近法の立体的表現を見るのは長らく否定の対象になっていた。抽象絵画まではそれでよかったが、それ以降具象的なイメージが戻ってくる。あるいは具象とはいえないモノそのものが提示される。このときイリュージョンとの兼ね合いが問題になってくる。

具象といわないで具体と呼び変えると、わかりやすいかもしれない。具象絵画に対して具体絵画というと、モノそのものが画面に貼り付けられていてもよい。むしろ具象という奇妙なことばがこれまであったことに気づく。日本語の用語法では抽象の反対語は、具体(コンクリート)と教えられてきた。

絵画の世界では抽象に対して具象(フィギュラティブ)が一般化してきた。それはイリュージョンのあるなしを前提とした二分法だった。画面の上に具体的なものを貼り付けるとそれは具象なのかという問いだ。平面にモノを貼り付けると、平面ではなくなっているので、平面も立体の一部であると見るほうがよい。このことがミニマルアートの「表現の否定」ということと結びつく。

第201回 2022年3月27

コスース(1945-):概念のかなたにある不在と実在

コンセプチュアルアートの典型としてジョセフ・コスースが試みた三者の対比がある。「一つと三つの椅子」(1965)では、椅子を三つの様態で並べて展示している。ひとつは本物の椅子で、もうひとつは写真に写された椅子、最後は椅子を定義した辞書のことばをパネルにして並べられる。この三つをそろえとして何かをいおうとしている。ここにないのは描かれた椅子であり、それを通して具体や具象や抽象について考えざるを得ない。

作家が表現したものをひとつ提示すればよかったものが、ここではもはや表現はないと考えるほうが適切だ。私たちはこの三つに分断される前に描かれたみごとな「ゴッホの椅子」(1888)を知っている。ゴッホの椅子を知らない場合は、見るものの想像力に委ねられる。コスースが取り上げたモチーフは椅子だけではなく、スコップもある。思い浮かべるスコップはきっとゴッホを凌駕する名作であるはずだ。

20世紀に入って大前提となってきた「芸術は表現だ」という概念を見直してみることで、安易に語られるようになってしまった表現や創造の概念を問い直そうとしたともいえる。この段階を経てまた新表現主義の名のもと、もう一度表現に帰ることになる。それはまた絵画礼賛のようにみえなくはない。

椅子の三つの様態を設計図と考えると、それぞれは平面図、立面図、見取り図のように機能し、完成図がゴッホの椅子ということになる。絵画礼賛の視点で意訳すると、「一つと三つの椅子」は四つの椅子ということであり、最初の「一つの椅子」がこれまで絵画の名で呼ばれてきた創造力の成果、人間の存在証明、さらにいえばイマジネーションによる不在照明ということになる。

異なった平面を三つ提示して立体を浮き上がらせるのはキュビスムの方法論だとすれば、取り立てて新しい試行でもない。ここでもこのトリオは、言語による概念を解剖台だとすれば、その上でモノとイメージを出会わせるシュルレアリスムに依存してもいる。絵画を目的にすると実物のモノとしてのイスは、さして重要なものではない。模型とみなされることになる。モデルといってもよい。

ボーリングというゲームを理解するにはコスースの方法は有効だ。ボーリングのピンは必ず必要だが、これだけだと何をするものかはわからない。それを説明する写真とことばによる補足を必要とする。しかしこの三者に優劣はなく、同等なレベルにあり、そこから浮かび上がってくるものがあった。かつて神と呼んでいたものは、それに近いものだったように思う。

たとえば神棚、写真に撮られた神棚、神を定義したことばを並べたとする。この三種の神器をとおして、ひとつの神を思い浮かべることになる。キリスト教徒なら父なる神とそれをそっくりに写した子なるキリスト、両者をつなぐ聖霊をことばであらわした三位一体と解してもよいだろう。ことばは経典のことで、聖書のことだった。はじめにことばありというのだが、英語を解さない者には意味は通じない。コスースはオハイオ州生まれだが、誰にでも英語で話しかけてくるアメリカ美術の優位を主張した。禅問答にも似たこうした目くるめく概念芸術の方法を用いて、高松次郎は、「この7つの文字」(1970)という作品をつくった。「7つの文字」は5つの文字だが、「この7つの文字」は7つの文字である。英語に翻訳するとThese Three Words となった。

第202回 2022年3月28

ジャッド(1928-94):物を置けない棚を考える

抽象表現主義の抽象をめぐり、非常にエネルギッシュな手や身体の動きを感じさせる表現性の反動として、一方でポップアートが登場し、それと相前後するように表現の否定を志向するミニマルアートを呼び込んでいく。表現は否定しても制作はおこなっているし、ときにその制作量と制作時間は膨大な場合もある。何を求めて表現とも思えないことに時間と労力を費やすのか。

ドナルド・ジャッドは平面の壁にでっぱりのある立体物を規則正しく貼り付ける。単体の家具ではなく、備え付けの棚だと考えればよい。飾り棚や書棚としては使えないようにサイズや間隔を工夫して機能を否定するなかから作品が誕生する。移動可能なタブローを拒み、壁画に回帰するといってもよい。これまでももり上がりのある絵画はあったが、どこまで突出すれば絵画が絵画でなくなるのか。そもそも壁面という美術館の主役にどれだけこだわる必要があるのか。出品規定が数値化してくれるが、絵画が厚みをもつのは、写真メディアの全盛期の訪れと無関係ではない。

壁にかけるものなら何でも絵画だという概念が定着してきているようにみえる。現実に凹凸があると目立つのは確かで、入選を掲げた絵画展の場合、募集要項のぎりぎりの範囲で、戦略上有効な手段として現実の奥行きをイリュージョンに組み合わせようとする。それが一瞬の輝きを放つという点では歓迎はしたほうがよいのだろうが、そうした入選テクニックだけですませていいものでもないはずだ。さまざまなパターンが試作され、床に置かれるものもあるが、壁面に固定されるシリーズが圧倒的にインパクトを強める。

目立とうとして突出したのではないことは、アンフォルメルのもつ混沌とは異なっていることから証明される。「箱」は中立で象徴的意味をもたないことで好みの形となった。1964年からはじまる「積み重ね」(スタック)は高層建築のようにそびえたち、現代の美を支持しようとする。もう少し厚みがなければ戸棚に使えるのにと思わせるような形を見つけていく。用途を否定することで、形の純正を探索する。物を置けない物置や座ることを拒否する椅子は、機能を排することで見えてくるものを期待する。

ジャッドの場合、色彩は単一だが作品に応じて節度をもってさまざまに変容する。常に壁面に沿って上昇するが、建築美を損なうことはない。絵画としての自己主張を極小化して壁面を飾るインテリアに徹することで、空間は照明で壁面が浮きたつような輝きを放つことになる。インテリアを極めると家具の展示会に見える場合もある。建築概念を強調すれば壁面からのでっぱりは雨宿りのできる「のき」か「ひさし」として機能する。タブローももとは壁面を飾る窓だったはずだが、やがて逆転し壁面がタブローを飾るようになった。そして美術館はホワイトキューブとして脇役にあまんじる。

こうした動向を踏まえてジャッドはカラーキューブを積み重ねて、壁面を際立たせ、自立した絵画を建築と一体化した古きよき中世への回帰を企てたようにみえる。ジャッドが美術史をメイヤー・シャピロ(1904-96)とルドルフ・ウィットカウアー(1901-71)に学んだという意味はそこにあるのだろう。ともに中世とルネサンスを愛する碩学だった。

第203回 2022年3月29

ステラ(1936-):イリュージョンをへて実空間へ

フランク・ステラをミニマルアートの分類だけで理解することはできない。デビュー時のブラックペインティングは、単調に繰り返されるストライプだけの平面であり、感情を抑え込んだ表現性の希薄なものだ。しかもこの色の帯は黒という沈み込んだトーンによってミニマルな表情を加速する。抽象絵画としてはカラーフィールド・ペインティングに分類できるだろう。モンドリアンの系譜はここに行き着くし、バウハウスも戦後アメリカに移植され、デザイン運動に出てくる絵画表現のなかで、定規とコンパスによる作図にたよることになる。

筆で絵を描くのではなくて、手の跡から離れて製図をするような感触を楽しむ。それでも油彩と四角いキャンバスという組み合わせは踏襲した。やがて束縛からの解放はシェイプドキャンバスという自由を獲得する。矩形へのこだわりは単なる便利な整理法に過ぎなかった。製図のサイズを拡大することで、美術の分野にもち込んでいったとするなら、ポップアートで漫画のひとこまを拡大して美術にしてしまったのと大差はない。

ステラのトレードマークとなったシェイプドキャンバスというキャンバス自体を変形させる背景を考える。変形絵画はたどるとかなりさかのぼる。なぜ四角のキャンバスでなければならないのか。出発は絵画を壁にくりぬかれた窓だとみるルネサンスの定義にある。そこからタブロー(額縁画)は出発する。窓が出発だとすると、確かに多くの窓は四角だが、丸い窓もある。

円形の絵画(トンド)もボッティチェリをはじめとしてイタリアルネサンスには数多くみられる。火灯窓という禅宗にねざした楼閣のおもむきもあるし、写真家石内都(1947-)が目を止めたハート形の窓には濃密な遊郭のひめごとが加味される[i]。楕円形のものもなくはないが、シェイプドキャンバスは、ことばでいえない不定形を指すようだ。それは壁にそって触手を伸ばしていく植物の習性をたどる。

人間の目の構造と視野を考えれば矩形よりも楕円形のほうが目には心地よい。目の構造を模倣したテレビ画面のことを考えてみよう。ブラウン管の優しいゆるやかな丸みは、やがてフラットに進化し、さらにスーパーフラットに至ると、厚みをなくし壁面に同化する。重量感をもった彫刻的存在から絵画へ、さらには壁面へのプロジェクションに同化した映像へと進化する。絵画での歩みに逆行する点が興味深い。


[i] 「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」2021年4月3日(土)〜7月25日(日)西宮市大谷記念美術館

第204回 2022年3月30

レリーフ絵画

シェイプドキャンバスとはいえ壁面にきっちりとおさまっていたステラの絵が、レリーフ絵画になって、最後は美術館から飛び出して立体そのものになっていった。植物から進化した動物的獣性ともいえるもので、壁に頼ることなく自立して人間性と表現性を取り戻している。ジャンクアートの廃物利用のような粗削りな表情を残すのは、はじまりの幾何学的な抽象性とは対照的にみえる。

それは時代の流行への対応のようにみえるが、レリーフになって壁から突出する直前のイリュージョンを用いた抽象絵画の頃が、私には最も興味深いように思う。それは飛び立とうとする直前の空気を十分にため込んだ鳥類の健康美を誇っている。抽象絵画でありながら重なる色の帯がなす奥行き感覚が、トリッキーにイリュージョン空間を生み出している。一番奥にあるのは何色だろうか。どのストライプも知恵の輪のように重なっていて、ケルトの組紐文様やレオナルドの規則正しい迷路をたどるような絵画の原点へと誘導する。抽象と遠近法という結び付きようのない両者がみごとに重なり合う。アブストラクト・イリュージョニズムをポロックとはちがったやりかたで実現したとみることができる。

重なりの奥行きを前にいつまでもたたずんで見入ってしまうとき、ファンアイクの描く古画の謎解きでもするように、時のたつのを忘れてしまっている。物語は否定したが新たな物語が創生しようとする待ち時間が、美術鑑賞をよみがえらせようとする。美術は一瞬にしてわかるというモダニズムへの否定的問いかけだが、それをポストモダンの名で呼びたくはない。モダニズムを鍛えるための思考演習の一環とみなすことができる。

遠近法をはずれて現実の奥行きに回帰した巨大なレリーフは壁面にビスで固定され、いつもそこにあるパーマネントコレクションになってしまった。現在の美術館は常設展と企画展からなるが、常設展示に魅力がないのは、いつ行っても同じ壁面に同じ絵がかかっていることに由来する。

リピーターを期待できないのは、墓参のご機嫌伺いのようには、そこが頻繁に訪れる場ではないからだろう。展示替えをしてもステラだけはそのままにとどまることが多く、やがてその強すぎる表現主義は、鑑賞者の想像力を奪い、目ざわりにさえ映りだしてくる。日本各地の美術館でもそんなステラのレリーフに出会うことができる。

第205回 2022年3月31

フォンタナ(1899-1968):タブローからの逸脱

タブローの最大の長所は移動の可能性にあったはずなのに、今ではルーヴルのモナリザは、防護のためのガラスケースに収められ、目を閉じてもたどり着ける定位置になってしまっている。ガラスケースのなかでモナリザは、幽閉されているのだ。かつてレオナルドはそれを生涯持ち歩いていた。その後はアメリカに一度、さらには日本にも一度来たことはあったが、門外不出の幽閉を強いられている。

ルーヴルにならって日本にも壁画と化した油彩画の展示は少なくない。学生時代によく訪れた大原美術館では、山手線の駅名を指折るように、エルグレコを取り巻く絵を右回りでも左回りでも数えあげることができた。ながらくエルグレコを中心に一家をなしていたが、いまはグレコはひとり退役兵のように隠遁しているようだ。タブローを通して時代の衰微が見えて興味深い。

ステラの作品の変容を通して美術館という制度の功罪をたどることになる。つまりはそれが絵画のモダニズムの可能性と限界ということだ。いつ行ってもそこにあるという定住に根ざした普遍的原理は、タブローの思想とは対立するものだ。タブローの組み換えで続けてきた美術館活動が、サイトスペシフィックへと大きくシフトしていくことになる。

サイトスペシフィックアート(場の芸術)は、タブローの移動の芸術を否定する思想だった。壁を思わせる巨大なタブローはいつもそこにはないという権力の盛衰を伝える実証である。壁画をつぶすには建築を焼かなければならない。壁のように見えて取り外しのきく日本の襖絵は、難を逃れるタブローでもあった。移動は可能だったが、残念ながら火には弱かった。安土城を飾っていたにちがいない豪華絢爛なる襖絵を見たかった。運び出すには火の回りがあまりにも早すぎたのだろう。

変形と合わせてキャンバスにをあけたり切り裂いたりする。これは今までになかったものだ。あったとすればそれは制作ではなく破壊行為に属するものだった。ミニマルアートの目で見ると、人の目は切り裂いた箇所に向けられる。この時キャンバスの上に載っているイメージ世界が解消される。作家の表現自体は色の塗られた表面からはずれ、ナイフで切り裂いた内部に向かう。視線は表面をなでるのではなくて、穴をのぞき込もうとするのだ。一瞬の行為のほうがメインであって、描画はサブとなる。作家の表現行為としては瞬時に終わるミニマルなものとなっている。

ルーチョ・フォンタナが1960年代を通じて「空間概念」のタイトルで色面を切り裂いたのは、イタリアに根づいた伝統から潔く決別する勢いのあるものだった。しかし、その傷口は痛々しく、イタリアであるがゆえに意味をもつものだった。この絵画実験はミニマルアート誕生の前提をなすものだ。もちろんその後のイタリアで起こってくるアルテポーヴェラ(貧しい芸術)に引き継がれることになる。

第206回 2022年4月1日

セラ(1938-):禅宗の教え

リチャード・セラの鉄板を投げ出したような作品は、鉄さびのもつ表現力に頼ったものだ。壁のように立てかけられた曲面を、あいだをぬうように歩く大規模な鉄の通路である。「鉄の壁」はかつてのベルリンの分断とみなしてもよいが、素材そのものが象徴性を内包している。日本の美意識では、鉄板のサビは侘び寂びと結びつくもので、苔寺をめでる庭園美のように機能する。

鉄による彫刻をどう解釈するか。具象彫刻が銅で終わったのに対し、抽象彫刻は鉄により始まる。鉄が戦争の素材だとすれば、芸術としての素材は戦争をあらがう平和利用のシンボルとみなすことが可能だ。そしてそれを錆びつかせて兵器になる術を放棄する精神は、日本文化の基調にあった陰影礼賛に一致する。セラにとっては苔寺など禅寺の美意識は驚異をもって受け入れられたにちがいない。

素材に表現を託すことで、作家の表現をゼロに近づける。日本では「もの派」の名で知られる作家群に共通した思考である。70年代に引き継がれる動向は、表現の否定を概念として宿している。日本の場合のミニマリズムは、古くからの伝統が作用しているようだ。日本では芸術に対する考えかた自体、パフォーマンス性の強いものであり、タブローとして自律させるよりも、それをつくっていく過程や行為に目が向かう。

茶の芸術として結晶するものは、底辺には禅の教えがある。もの自体からなる物質世界はむなしいものであって、そこでその人が何を行為として行なうかが重要なのだという。茶の世界は美術品に囲まれているが重要なのは茶を飲むというパフォーマンスにある。それはきわめてミニマルな世界である。茶室はたたみ二畳にまで縮小されていく。日本自体が小さな国であり、やがてはトランジスタの発明に集積することを思うと、風土に通底した嗜好といえるものだ。

ミニマルアートが入り込んできた時、振り返ると室町時代から続いているものの考えかたを思い起こすことになった。パフォーマンスのもとで物質はむなしいものとなる。それでいて茶碗は一国にも匹敵する名宝となってきた。そこに千利休の堺の商人というもうひとつの側面がみえる。その生臭さが茶の芸術を支えてきた。現代美術と対比したくなってくる文化史の一コマだ。

セラが上野公園に植樹をしたことがある。1970年のことだ。21世紀ではサイトスペシフィックと名付けられる「場の芸術」に、当時の日本の感性は反応した。鉄板と組み合わされた造形だったが、それは自然をすくう容器のようなもので、目は息づいた樹木に向けられた。つまりは大地の「いけばな」であって、そこで生と死が邂逅する。根を絶やしてどこまで生き続けるかを楽しむ日本のセレモニーに対し、箱庭の枠を拡大して見せたとも解釈できる。ミニマリズムは自然を前に完結する。まだ地球環境はひとにやさしかった頃の話だ。

第207回 2022年4月2

関根伸夫(1942-2019):穴のある彫刻

現代美術でこうした動向が典型的な形で出てきたのが「もの派」だった。70年代に一世を風靡したが、代表作として関根伸夫「位相大地」(1968)が知られる。野外彫刻展への出品作だが、出品といえるのかと問われるほど作品概念を覆している。穴を掘って横に積みあげただけのもので、いわば地球の型抜きである。積みあげられた土はがっしりした円筒形で、穴を掘っただけとは見えない。

塊りという外観が彫刻の体裁を保っている。神が降りてきて一瞬にしてすっぽりと元に戻してくれるという期待は、巨石時代の名残りをとどめる持続性のある芸術論だ。展覧会終了後確かに神は降りてきて元に戻した。この作品の制作者は作者だけではない。穴掘りを手伝った仲間だけでもない。須磨離宮公園での野外彫刻展でこれをグランプリに選考した審査員も、この作品の誕生に加わっている。

現存しない伝説の作品を回顧して繰り返し再現がなされた[i]。美術史上の実地検分にすぎないが、そうした再制作では決まって落ち込み防止の柵がめぐらされた。再制作はデュシャン、斎藤、関根に通底するものだ。写真や図面ではダメで、模型をつくりたがる建築家の習性に似ている。手にふれる立体を必要としたということだ。模型はデュシャンの場合「グリーンボックス」(1934)という雑多なメモ書きや写真を満載した玉手箱だった。

建築家の場合は縮小版だが、原寸大の模型を想定すると、危険防止が課題となり、アヴァンギャルドに陰りが生じる。確かにのぞき込むと怖い。それが再制作の限界でもあった。彫刻にカモフラージュしているが、「位相大地」の実像は穴だった。写真は虚像を写し出すが、唯一残された写真を見る限りは、みごとな彫刻だった。彫刻展である限りは、穴ではなく彫刻を写しておく必要があった。「位相大地」というタイトルはこれが穴でもあることを教える。

危険回避を通してわかることは、「のぞき込む」というアクションがはじめて彫刻に導入されていたということだ。彫刻は美術館に展示するものと思い込むと、穴を見るという発想は出てこない。壁面ばかりをながめてきた美術鑑賞に反省を加える。通常真正面か、ときには仰向いてみる絵画の場合でさえも、それは珍しい視点だった。

このとき修学旅行で阿蘇の火口をのぞき込んだことが、じつは芸術体験であったのだと気づく。無謀に飛び込む者があらわれるまでは柵もなかった。そこでは自然が芸術を模倣している。もちろんポロックや通例の日本画版画は、のぞき込みながら制作をするが、鑑賞は目の高さで壁に向かってなされた。


[i] 「『位相-大地』の考古学」1996年6月15日~7月21日 西宮市大谷記念美術館 「神戸ビエンナーレ2011 関根伸夫『位相―大地』再制作プロジェクト」2011年9月26日~10月14日 神戸芸術工科大学

第208回 2022年4月3日

のぞき込む鑑賞

美術館の床に穴を開けることはまずないが、開けるとインパクトのある光景となる。広島だったか改修工事前の現代美術館で、二階の展示室に穴を開けて、一階の展示につなげたことがあった。床もはがして荒廃した現代アートの展示に対応させていた[i]。会田誠が試みた東京青山でのビルの解体を利用したインパクトは、すまし顔の美術鑑賞に風穴を開けるものだった[ii]。美術学校では壁の塗り替え前に学生に自由に描かせることがよくある。鬱屈した学生に向けてのささやかなアヴァンギャルドであり、その場限りの落書きに過ぎないが、塗りなおされて思い起こすと、名作ではなかったかと気づく。

壁の落書きは神戸では画家や文化人がつどうアカデミーバーの壁面を飾ったが、酒場の閉鎖にともない剥がされて、神戸ゆかりの美術館でタブローとして展示されている。商店街のシャッターアートも盛んであるが、ひっそりとした商店街が活性化されるのは、シャッターをおろしてからという矛盾を抱えている。京都の新京極から少し歩くと、朝早くか夕方以降になると若冲のシャッターアートが錦市場に続いている。

のぞき込む恐怖体験はフランク・ロイド・ライト(1867-1959)が設計したニューヨークの美術館で味わうことができる。グッゲンハイム美術館のすり鉢状になった吹き抜けをのぞき込むと確かに怖い。中央の穴をのぞきこまないためには、反対側の壁面にそって、まるで洞窟壁画を見てまわるように、展示作品をなめるように円環を螺旋状にゆっくりと移動するしかない。そこでは円筒形の穴は「位相大地」であり、この穴に落ち込むように宙吊りになった自動車を、かつての特別展で見たことがある[iii]。それを地獄だとみると、ボッティチェリの描いたダンテ「神曲」の挿絵(1490)にも見え出してくる。そこには層をなし円環上に下降するグッゲンハイム美術館が描き出されている。

作家が何もつくっていないという限りで位相大地はミニマルアートに分類できる。本人の語るには、芸術行為というのは積もった埃をはたくことくらいでしかない。人間のやることなどたかが知れているということのいいかえだが、実際にはひとりでは掘れないぐらいの大きな穴だった。はいあがれない深さが基準となるが、それは彫刻のサイズの決定に限りなく近い。

それは芸術だけではなく、拷問のための基準でもある。表現行為はゼロに近づいているといいながら、労働量はまともな彫刻を上回ったものだ。表現ゼロと実際に体を動かす作業量とはちがうのだということだ。これ以外でもミニマルアートでありながら、時間も手間もかかっている作品はずいぶんとある。そこで表現行為を再考すると、表現と称して絵を描いていたもののほうが、無駄なく効率を生かしたミニマリズムではなかったかということに気づく。粘土やキャンバスを前に沈思黙考する旧来の制作ほどミニマルな行為はなかった。

キャンバスの前に立った画家がうなるだけで何日も過ぎる場合は多い。それはデュシャンがチェスを続けるアクションに同調してもいる。日本でも名勝負だと一手打つのに数時間を要する棋士もいる。それは非生産的な芸術行為だが、居眠っているわけではない。何手先を読んでいるのかが表情に現われると、それもまた絵になる芸術だ。作品の物質性を否定すると、「行為」が芸術となったが、さらに進化すると「思考」が芸術となる。新石器時代にすでに横たわった巨大な石を、何も考えずに立てるだけで、彫刻行為を無化するほどの表現力があることを、古くから人類は知っていた。


[i] 「殿敷侃:逆流の生まれるところ」2017年3月18日(土)〜2017年5月21日(日)広島市現代美術館

[ii] 「会田誠展:GROUND NO PLAN」2018年2月10日(土)~24日(土)青山クリスタルビル特設会場

[iii] 「蔡國強展」2008222日~528日 ニューヨーク・グッゲンハイム美術館

第209回 2022年4月4

カプーア(1954-):闇に落ち込む

 抽象絵画に至り自律することのできなくなったタブローは、色の塗られた平面という規定をはずしはじめる。ここでアニッシュ・カプーアの造形をあげることで、色彩の再考を余儀なくされる[i]。闇は黒かという問題だ。このインドの作家が黒の平面をみせようとする限りは絵画だが、見せようとする仕掛けは彫刻だ。カプーアの人気の作品群を見ている限り、インドとは必ずしも結びつかないかもしれない。

トリッキーな目だましを狙ったエンターテイメントとしか思えないのだが、それが宗教的瞑想へと誘う道具だとみると、途端にありがたみを帯びてくる。深みに落ち込んで焦点を結ばないカプーア体験は、真っ暗闇の世界に入り込んだ状況と似ている。「一寸先は闇」という距離感を喪失した世界に放り出されて、対象を見極めようとして大きく目を見開いてみる。

同時に目を閉じて目の前にある対象の距離感を確かめようとする。ともに視覚文化を逸脱しており、そこに深い精神性を読み取らざるを得ない。目を閉じて見ることと暗闇で目を見開くことは、対極にある同義語だが、暗闇で目を閉じるという究極の在り方を回避しているという点で、ともに視覚体験ということになる。

 カプーアの作品を覗き込むのは、好奇心という人間の欲望に根ざしたもので、この欲望を引き出す装置として、これらの諸作品がある。穴に落ち込むためには、大きく目を見開いていなければならない。焦点が定まらないためにも、目は開いておく必要がある。漆黒の穴は深い虚無主義に誘い込むが、一方であからさまな女性の淫部をイメージさせる一連のデッサンが、カプーアにはある。

福岡にある作品は「虚ろなる母」(1989-90)と名づけられるが、直訳すると「虚空としての母」mother as a voidであり、母と名づけた作品には、これ以外に「船としての母」「山としての母」などがある。仏教的に言えば、これは虚空菩薩像に当たるわけだ。福岡の作品では釣鐘のような形に姿は変えているが、れっきとした信仰の対象とも言える。東洋思想の原点をインドの豊満なエロスに置くとすると、はっきりとこの作品の意味が読めてくる。ターナーがアルプスで落ち込んだ地球の谷もまた、同様の体験だったにちがいない。

 金沢二十一世紀美術館のパーマネントの設置作品で、人寄せパンダの役割を果たすのは、「プール」と「」と「」だが、多くの観客はそれらをトリッキーな見世物として見ている。しかし、もう一歩踏み込んでみる必要がありそうだ。21世紀の美術の動向は、2004年に金沢に誕生したこの美術館の活動に、文字どおりあとづけられている。これまでの美術の概念を逸脱したしかけが、現代アートと観光が違和感なく共存する成功例を認めることになる。

ここでカプーアが設置した部屋は、「世界の起源」(2004)と名づけられている。やはり深々とした丸い穴で、開かれているのか、閉じられているのか、人間の目では見極めがつかない。黒く塗られた平面だとしても、遠近法習得後の目には、表面には焦点は結ばない。ここに見えるのは、写実なのか空想なのか。これを写実主義の画家クールベに向けてのオマージュとみると、さらに読みは深まる。

クールベの「世界の起源」と題した話題の作品を下敷きに考えると、この深遠なブラックホールの意味が理解できるようになる。この密室は聖なる礼拝所であると同時に、欲望に根ざした俗空間でもある。その証拠に観客は目を凝らして、穴を見つめ続けている。さまざまに角度を変えて、じっと見入るしかないのである。

何を見ているか。答えは「空」void、これもまたインドのカタチということになるだろう。ここでもまたデュシャンののぞき穴のことが思い浮かぶが、そこで見えるのもクールベが描き出したのと同じレアリスムそのものだった。


[i] 「アニッシュ・カプーアとインドのカタチ」2017年1月2日 (月)〜2017年5月9日 (火)福岡アジア美術館

第210回 2022年4月5

闇と黒

黒の塗料をぬっていると思っていた絵画が、穴をのぞき込ませることで黒は闇に変貌する。黒色を絵の具のひとつだと見ていた常識がくつがえされる。黒は昼間でも見える闇のことだ。しかし、闇はほんらい絵の具の同列に並んだ一色のことではない。まったく見えないことを闇というのに、なんとかして闇を見ようとするところに矛盾がある。それは目を開いていることに由来するが、「一寸先は闇」というフレーズを暗示の用語としてしか受け止められなくなった現代は、何も見えない体験から遠のいた。

キリスト教会にも似たようなものはあるが、仏教体験としては長野で善光寺に行って胎内めぐりをしてやっと闇の何たるかに気づく。一寸先も見えず手探りで進むしかない。何もないこと、いわばゼロの発見であるが、それはインド哲学を原点とする無の哲学といってもよい。カプーアのなかにあった民族の血が、自然と湧き上がったとみることができる。

絵画で闇は表現できない。東洋の虚無の感覚が西洋と出会いミニマルアートに結実した。もちろんルドンはこのことを早くに気づいていた。木炭画を使って闇にチャレンジした。水墨画とおなじくそれは黒ではなく、燃え尽きて何もなくなった闇のことだった。東洋の墨は色の否定のことをいうが、それでいて五彩を含んでいる。

闇を前にして目は焦点を結ばないが、黒は縁取りと同一平面に焦点を定める。遠近法で描かれた絵に奥行きを感じる目は、訓練のたまものだが、この目はやがて現実の奥行きを平面と錯覚してしまうという逆転劇を演じることになる。闇を黒と取りちがえると、カプーアの穴は平面にしか見えず、思わず落ち込んでしまうのである。これが地面に置かれると、位相大地となり大けがをする。その点、金沢二十一世紀美術館で見上げてみる「空」skyは安全だった。ただし雨が降ればずぶ濡れになる。

日本語の「空」はスカイ(そら)とヴォイド(から)の両方を意味する。カプーアを裏返しにしたジェームス・タレル(1943-)の「ブルー・プラネット・スカイ」(2004)は、天空を描いた遠近法絵画に見える。私たちの目は遠近法に毒されると、四角の枠があると絵だと思ってしまうのだ。みごとな空を描いた天井画としか見えないから不思議だ。百聞は一見にしかずなどといってきたのに、人間の目がいかに信頼できないかを教えてくれる。

第211回 2022年4月6

エルリッヒ(1973-):鏡と窓の不思議

あやまって穴に落ち込んでしまうのではという関根伸夫の穴をのぞき込んだときの恐怖が現実のものとなる。金沢にあるもうひとつの「スイミング・プール」(2004)でも、この危機はみごとに回避されている。そこにはカプーアやタレルのようなミニマリズムはない。イリュージョンに支えられた設置型のシュルレアリスムだった。

レアンドロ・エルリッヒの視覚実験は、森美術館の企画によって十分なエンターテイメント性を発揮した[i]。体験型の現代アートとして、従来の美術鑑賞の枠を解消し、インスタレーションの名で現代美術の一翼を担おうとする。しかしこの遊び心は、美術の枠で捉えない方がよいかもしれない。見て楽しむためだけにつくられた仕掛けは、ファインアートの資格を十分に備えている。しかも自分自身の手の跡を残さない発注芸術という点では、現代美術の範疇にも属している。

ただ異なるのは難解さがなく、誰もが楽しめるという点だ。顔をしかめる難渋さに、不可解や不条理の神秘を見つけてきた現代美術のフロンティアスピリットが、みごとに回避されている。ここでは美術館は学びの場ではない。ゲームセンターか遊園地として機能している。もちろん現場は学びの場ではないが、帰宅後ふりかえると多くの知恵と教訓を反芻することになるだろう。

これまでこの作者が一貫して考えてきたコンセプトはただ一点、見えるものと見えないものの邂逅ということだが、その表面上の見かけの多様さには驚かされる。最大規模の展示はビルの壁面を、地面に型取り、角度をつけた巨大な板ガラス状の鏡を通して、それを見るという装置だ。鑑賞者は地面にへばりついて鏡に映る自分のスタントプレイを楽しむという仕掛けである。横倒しにされたビルの壁だが、ここでもモチーフは窓である。絵画とは何かという問いが、究極 までたどり着いた姿とみることができる。

同じ原理でできているのが、「鏡」と「窓」の不思議を体感させる一連の作品だ。ガラス越しに誰もいない教室がある。手前に椅子があり、それに座ると向こうの教室の椅子に亡霊のような自分が座っている。この不思議な体験はたぶん誰もが気付いている。夜行列車での車窓に映る車内の光景を何気なく見ているが、それは窓ガラスが鏡にもなるという不可解を原理としたミラクルである。

フィッティングルームでは全身を写すはずの鏡がなく、壁をすり抜けていくことができる。原理は簡単に言えば、メガネにレンズが入っているのと、ただのガラスであるのと、ガラスもなく抜けている伊達メガネとが並んでいる光景を考えればよい。さらにサングラスや鏡を埋め込んだメガネにまで考えを広げると、イメージをめぐる多様性は飛翔する。

窓から眺める中庭では、対面の窓に左右が逆になった自分がいて、こちらを見ている。理髪店では対面する鏡が、互いに鏡写しになって無限に繰り返しながら、鑑賞者の目をかなたに引き込んでゆく。カメラを構えて写そうとすると、どうしてもカメラを構える自分がいて、それを消すことはできない。つまりこの仕掛けの傍観者にはなれないということで、いつも体験者として、システムの中に巻き込まれているのだ。

展示室内には大規模な仮設がつくられ、観客の目を驚かせる。それは遊園地のミラーボックスと大差ない。ガラスはあまりに透明度が高まると、顔をぶつけるが、鏡も磨かれすぎると同じことが起こる。ここではそうした現代の工業技術に支えられて、遊戯空間が広がっている。歪みのない巨大な鏡が作れる技術は、それだけで驚異だが、それをひとひねりするとアートが生まれる。これまで芸術は大量にある素材の廃物利用を旨としてきたが、ジャンクアートもまた現代美術の大きな柱であって、その意味でもこれは現代のメインストリームに準じた正統派の作品と言えるかもしれない。

展覧会終了後のインスタレーションのゆくえについても気にかかるところだが、展示期間を終え観客にもまれて消耗品として命を終えるとしたら、それもまたインスタレーションやパフォーマンスのもつ意義でもあるだろう。このとき作品は場を共有した観客の心に残ればそれでいいという芸術観が前面に押し出されてくる。必要があればもう一度つくればいいのだ。作品はもののかたちをとらないで作者の頭のなかにある。にもかかわらず、発注芸術は図面さえあれば、作者がいなくても成立する。


[i] 「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」2017年11月18日(土)〜2018年4月1日(日)森美術館

第212回 2022年4月7

網膜上の絵画

図面は音楽でいえば楽譜のことだが、美術では長らくこれを思いつくことがなかった。秘伝として伝えなかったからか。タブローが楽譜に当たるものだとみれば、次に楽譜に置けない音を発見したくなってくる。現代美術のタブロー離れは現代音楽と同調していく。

ジョン・ケージは「4分33秒」(1952)でクラシック演奏のスタイルを借りて、鍵盤にふれることなく、沈黙の音楽を実現した。ピアノ演奏の一曲の長さはクラシックな伝統にしたがうことで、前衛音楽をクラシックと対比することができた。それはまた画家の自画像に等しく、絵筆をにぎったまま描くことなく、時間をとめて、沈黙を描こうとする姿だった。

体感を重視する姿勢は、映像全盛の現代アートのなかにあって、やはり美術はライブで見るものだと主張する。頭でわかっていても、見ないとわからないものがあるし、見てもわからないものは、身体で体験しなければならない。まるで体罰を奨励しているようにも聞こえる。こうしたライブ感覚は音楽と共闘するものでもあり、大勢の観客に混じって混沌のるつぼと化す。祭りの場を共有する充実感が確かにあった。もし観客がまばらだと、遊園地と同じで、ちょっと寂しい。静かに対話をする現代美術の瞑想空間ではないようだ。

金沢のプールも、いつ行っても人だかりが絶えない。人だかりがなくなれば、この「水のないプール」は、同名の映画(1982)のように、虚無感がただよいはじめる。大規模な装置をともなうが美術ではないと割り切れば、アートにとってはミニマリズムということになるだろう。

エルリッヒは遠近法の復活を目のイリュージョンをとおして、再生してみせた。ネオルネサンスという造語が思いつくが、それを通してモダニズムの系譜を踏襲することになる。ここでは油彩画と結びついた絵画のルネサンスに、もはや未練はない。目に映るものとしては、変わらず絵画のままだったが、それはキャンバスや紙ベースではなく、網膜上の絵画だった。印象派の発見が、デュシャンをへて、エルリッヒに至ったとみることができる。

ルネサンスではすべての芸術ジャンルが絵画に集約されたが、映像の時代では網膜上に映るすべての芸術もまた絵画だった。網膜上ではすべてが絵画となる。写真はそれを定着させたものだ。立体を写真に撮れば絵画になる。絵画が色のついた平面だと定義すれば、写真ほどそれらしいものはない。英語のピクチャーには、写真と絵画との両方の意味がある。


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