2回企画展「日本を超えた日本建築―Beyond Japan

槇文彦/磯崎新/谷口吉生/伊東豊雄/安藤忠雄/隈研吾/SANAA/坂茂

2020320()1129()

金沢建築館


 ほんとうは福井と金沢の間で見たい展覧会がいくつかあったのだが、直前にクマの出没情報を聞いて、恐れをなし行き先を変更する。金津と小松を予定していたが、ともに駅から距離があって、ことに小松市が出している熊の出没マップは恐れを抱かせるに十分な迫力をもっていた。こわがりの自分が嫌になることが多々ある。2001年に自分のライフワークに取り組んできたヒエロニムス・ボスの大規模な展覧会がロッテルダムにあったとき、直前に起こったニューヨークテロにおびえて飛行機に乗ることが出来ずじまいでいた。すべてがこの調子で命をかけて仕事に没入などできたためしはない。


 金沢市内なら安全だと見つけ出したのが、最近開館した金沢建築館だった。開館後2回目の企画展が開催中だった。8人の建築家の海外での仕事を一点選んで紹介する展覧会である。もちろん金沢の人、谷口吉生のニューヨーク近代美術館の模型がひときわ大きく輝きを放っていたが、8人を同列に並べての展示であることを思えば、主観を交えずに説得力のある人選をおこなうことは困難を極める。さらに海外からどの仕事を選ぶかも難しいものだ。人選の基準は、海外での仕事とその評価にある。インターナショナルであり、しかもローカルであることが求められる。しかもそこに通底している建築家自身の作家としての個性が問われる。海外のものは私たちが直に見ることは少ない。それにもかかわらず、同一の印象を宿したとするならば、それは作家の個性だろう。簡単にいえばクセのようなもので、個性が強すぎると、鑑賞者によっては、反発を感じる時もある。


 坂茂のオメガ本社のコーナーで、映像を通して見ていたとき、どこかで見たことのある内部空間だと感じた。作家紹介を見ていて、この人が大分県立美術館の設計者であることを確認したとき、あ、そうかと思った。知らずの間に作家の息づかいを感じていたのだと思う。不合理な無駄な空間を前にしたとき、その印象は強いもののようで、心のどこかに蓄積されている。類似したものを前にして蘇ってくる。あらかじめ情報を得ていれば身構えるが、そうでない場合の出会いは衝撃的でもある。いまだ見ぬ肉親に出会った時のそれに近いと思う。


by Masaaki Kambara