星野道夫 悠久の時を旅する

20210928日~1107

岡山県立美術館


 43年の生涯のうち20年間の軌跡をカメラが追っている。つまりその間はカメラとともにある。アラスカと出会うのは20歳のことだが、そこから意志の力がつむぎ合わされて、自然との対話が深化していく。クマに襲われてプッツリと終わる履歴書は、戦場に散った報道カメラマンの短命をなぞっている。ちがうのは理不尽な戦争を摘発する無念の思いとは異なって、天命にも似ている点か。大自然の営みに殉じたようにみえるのは、私だけの印象だろうか。あらがうことのできない自然のリサイクルがあって、人間だけが例外ではないという、宇宙のおきてに従っている。なきがらさえもないとすれば、この定義を受け入れた証拠だ。


 海に向かって散骨するように、綺麗さっぱりとすべてが消えてしまったとする。それは悲しみや喜びといった刹那の感覚を超越したものであって、この写真家がこれまで動物に託して、繰り返し写し出してきたものだ。宇宙の原理、あるいは野生の摂理と言い換えてもよい。皮を剥ぎ獲物を解体するヒトの非情も繰り返し登場する。それは現代社会では異常な目の輝きを放つ狂気とみなされるが、ここでは大いなる宇宙のいとなみに従っていて、殺戮者なのに目は澄んで、実にいい顔をしている。キバやツノは凶器なのだが、鈍器のような心優しいツノもある。なかには内に向かって曲がっているものさえある。


 熊と鮭が顔を突き合わせる一瞬をとらえた一枚がある。水上に飛び上がった鮭にとっては、しまったという思いかもしれない。ブレッソンの代名詞、決定的瞬間の極め付けはサンラザール駅裏で紳士が水たまりに落ち込む無重力だが、それがもたらす一瞬の至福に匹敵する名品だと思う。そこでは食うものと食われるものが同等に鼻を突き合わせている。次の瞬間には紳士は水浸しになり、熊は大きく口を開けて鮭は飲み込まれている。写真は一瞬を切りとって、永遠を定着させる。弱者も強者もなく、同等を分けもつ時間帯がある。


 氷の上で体を寄せ合って眠る三頭の家族がいる。群れからはぐれて大自然をさまよう一頭がいる。その後はどうなったかはわからないが、生命はその時とどまって、一瞬を永遠にかえていることは確かだ。その姿をいとおしく思うとき、時が一巡すると、妻は夫の意志をたずね、子は父の足跡をたどる。反芻するとき三頭寄り添っていたのは、自分たちのことだと思っていた個別が普遍化される。一頭は命を落とし、残された二頭が意志を継ぐ。繰り返されてきた血の系譜であって、淡々と語り継がれて伝説となる。この伝説が成立した証拠に、私たちはここで数十年前の写真を、悠久の思いをだいて見ている。


 アラスカにつたない英文で手紙をつづり、写真技術を学び、動物の生態を学び、旅をし続けた。すべては意志の力のたまものだ。そして家族をむかえ、子をもうけるのも意志に導かれてのことだった。そこには写真家を受け入れた自然があり、支援する人々がいた。そして何よりも出会いのきっかけとなった、アラスカと題された一冊の写真集があった。神田の古書店に眠っていた洋書の一冊だった。いまは古ぼけたが、大切に保管され、展示されている。


 たぶん写真家ではないのだろう。写真を学ぶのは、アラスカに出会ってからのことだからだ。職業としての写真家でないからこそ、見えてくるものがある。まずは自身の目で見て、身体で体験することからはじまった。写真はその行動の足跡であって成果ではない。手段であって目的ではない。写真につけられたタイトルは、芸術を気取ったものではなく、簡潔に綴られた説明文であることが、このことを伝えている。もちろん美に魅せられたからこそ、それを見る私たちと共有できる真理にたどりついた。


 アラスカで出会ったワタリガラスの伝説を求めた道程は、自然科学から文化人類学へと興味を移したようだ。アラスカからシベリアに向かう新たな課題が、命取りになったかもしれない。ベーリング海峡を渡る壮大な環太平洋構想は、明治期に日本にやってきたお雇い外国人フェノロサが日本に根づかせた無謀な持論でもあった。冒険家の野望は魅せられて移動を決意する。初心にかえり、つたないロシア語でシベリアに手紙を書くことからはじめる必要があったのかもしれない。ロシアのクマには英語は通じなかったようにみえる。日本でも目をそらすことなくコラッと叫ぶだけで、クマを追い返す達人を追ったドキュメンタリーを見たことがある。


 アラスカでもシベリアでも、雄大なパノラマのほんのいっかくに生命が息づいて、目を輝かせている。隠れた目の輝きはもちろんクマの場合もあった。臆病なオオカミは奇跡的にしかヒトの前にはあらわれないという説明をキャプションにした一枚が気にかかる。ヒトを避け、いまだ私たちが目にしたこともない生命の神秘は無数にあるのだろう。重要なのはヒトが避けられる存在だということだ。自然の本能はヒトを忌みきらうものにしたということだ。目に見えるものこそ真実だとされてきた写真論がゆらぎはじめた。



by Masaaki Kambara