横浜美術館開館30周年記念 

オランジュリー美術館コレクション 

:ルノワールとパリに恋した12人の画家たち

2019年09月21日(土)〜2020年01月13日(月)

横浜美術館


2019/9/27

 ポール・ギョームのコレクション展と言ったほうが、正確な展覧会名になると思うのだが、それでは観客動員が見込まれないので、ルノワールの名声を利用したということだろう。それによってありふれた「印象派とそれ以降」展になってしまったようだ。画商は同時代を生きて、画家の生活を支えるという地に根の張った共犯関係がある。画家の才能を安く買い叩くという側面も理解した上で、使命感と欲望の織りなすダイナミズムが見どころとなる。

 40歳代で没した画商のコレクションは、画家がまだ大成しない最も活力に満ちた時間を共有していた。彼の生没年である1891-1934年はしっかりと記憶にとどめておく必要がある。ユトリロでいえば1910年代の白の時代を丸ごとコレクションすることができたということだ。しかしそこには、ある矛盾を含んでいる。画商のコレクションというのは、資産家の収集とは異なり、基本的には売れ残りのことだ。手放したものに名作が含まれるはずで、そうでなければ相当悪どい仕事をしていたということになる。

 ポールのコレクションは現在、オランジリー美術館となって、その質の良さを誇っている。邸宅美術館を構想していたというのが、純真な欲望に根ざしたこの画商の裏の顔を構成する。実現しないで最終的にはポールの没後、妻が国に寄贈することになる。妻はドメニカといい、名が知られるのは、それなりに話題を残した人物のようだからだ。ポールの死後、再婚しその相手もコレクターで、ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクションとしてフランスに寄贈する。

 ルノワールローランサンドランは、古いスタイルを引き継いでいて目に心地よく、ドメニカの好みのスタイルだったのだろう。一方、スーチンルソーのコレクションは異質で、時に醜悪な様相を呈して、強いインパクトを見る者に与える。ポールの画商としてのスタートは、アフリカの彫刻だったようで、ピカソのプリミティヴィスムの橋渡しの役割を果たしたに違いない。繰り返しアフリカ彫刻展を開催している。未開の造形は美しいものでは決してないが、20世紀に入り、飽き足らない都会人の憂鬱に、確固とした信条を与えてくれる救世主のような役割を果たしたに違いない。


by Masaaki KAMBARA