美術時評  2019年2

journey to the past  by Masaaki Kambara

ART LEAP 2018 道具とサーカス

2019年2月23日(土)~3月17日(日)

神戸アートビレッジセンター


2019/2/28

 神戸にいながらも積極的には訪れない場所ではあるのだが、なぜか懐かしい気分にさせてくれる界隈だ。私にとって新開地は生まれ育った大阪の下町を思い起こさせる原風景でもある。闇の中から小石を介して伸びる二本の手を写し出したチラシが目を引き、以前から気になっていた。「道具とサーカス」という謎めいたタイトルも気にいっていた。ART LEAPという公募プログラムの第一回展ということだ。

 展示だけでいいと思って訪ねたが、ちょうどパフォーマンスが終わりかけていて、案内されるまま最後の数分間を見る。天井から吊るされた遊具?を使っての空中ダンスである。サーカスというほうがわかりやすいか。無言のパフォーマンスだが、聞こえるのは吊り下がる縄のきしみだけだ。耳を澄ますと息づかいが押し込められている。もちろん身体性を全面に出すポールダンスとして、ショーダンスに位置づけることも可能だ。しかし道具を使ったダンスは体操よりも新体操を思わせて、確かに「道具」というキーワードが立ち上がる。

 道具がポールやボールやバトンやペナントではなく、木彫のオブジェという点で、体操をこえて舞踊となっている。舞踊が美術と遭遇する風景は、現代美術のアートシーンでは長い伝統を築いてきた。ニジンスキーやロイフラーの舞台美術から、マーサグラハムとイサムノグチの関係、マースカニングハムとラウシェンバーグのコラボなど、西洋の例をあげればきりがない。

 木彫のオブジェという意味では、ノグチの舞台装置がヒントになるが、能楽だって樹霊が宿る木面を道具とした舞踊ということだろう。枝にまつわり一体化したかと思うと、身を翻して別の枝に乗り移る。茶の湯というパフォーマンスのためだけに焼かれた茶碗があるのなら、舞踊のためだけに創られた道具があってもいい。手のひらの中で、茶碗は踊る。舞踊は身体にこだわるあまり、衣服さえ脱ぎ捨てて近代舞踊革命が始まった。

 裸身から始まった人類の進化をたどると、やがては道具を手に入れ、手になじみ道具自体が身体化していく。アートを離れればそれは義足であってもいいし、デザイン史は実際にイスのデザイナーが義足の考案者でさえあったことを教えてくれる。

 ここでのユニット名はtuQmo、個人名はErika Relaxと池田精堂となっている。まだコンビを組んでの日は浅いようだが、これまで舞踊としても美術としても、あまり目にしたことのない視覚表象に、新鮮な驚きと表現の可能性を感じた。

 千利休と長次郎の出会いにも似た緊張感のある空間と、時間とともに推移する関係性のドラマを内包している。繰り返されるパフォーマンスは、会期の最終日には義足のように自由に取り外しの可能な身体と一体化しているだろう。そして生命を得て「道具」の高みにのぼり詰めるにちがいない。

 パフォーマンスののち展示室を訪れた。これだけを見て帰っていたら、たぶん何のことかは分からなかったはずだ。入り口にはレトロな掛け時計が置かれる。内部には引き出しのあるタンスが展示されている。家具のようだが、足があって安定は悪い。他方にはロッキングチェアが置かれ、やはり揺れ動いている。ともに木工作品で家具の展示場とも取れるが、タンスの上にはなぜか片方のハイヒールが置かれ、謎めいて見える。可動性を考えればタンスはダンスの語呂合わせのようで、舞踊のために製作された大道具なのだと気づくことになる。家具としての機能を果たさないという点が、アイデンティティを語り、パフォーマンスの導入となっている。

 今回の審査員は建畠晢、来年のart leap 2019は片岡真実、ともに現代美術の牽引役としてふさわしい人選だと思う。30-40歳代の埋もれた作家の発掘を期待する。来年度の募集要項を見ながら、商業ペースには乗らないだけに、作家の持ち出しを考えると50万円の制作補助では、かなり厳しいという印象が残った。

クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime

2019年2月9日(土)– 2019年5月6日(月)

国立国際美術館


2019/2/28

 誰も訪れたことのない未開の地の木の枝に風鈴をかけて帰ってきたとする。それは以前は未踏峰の岩に国旗を打ち込む登山家の行為だったが、現代ではパフォーマンスとして美術の文脈で解釈することが可能だ。ボルタンスキーにはそうした一面がある。もちろんそれを記録した映像が決め手となるが、それがなくても風鈴は耳をすませば、証言とはなり得るものだ。

 薄暗い部屋にぼんやりとした肖像写真が無数に並んでいる。スピーカーからは心臓音が聞こえている。鼓動が聞こえる限り、まだ生きているということだ。裸電球は電線がむき出しのまま、写真にあてられている。おばけ屋敷というほどの恐怖はなく、幻想的とはいえ美術展というほどには美的ではない。順路はかなり複雑で各部屋ごとにさまざまな工夫が施されている。初期から現代までを網羅的にチョイスされているようだが、一貫して通底するメッセージが読み取れる。

 第一作の映像作品は1969年の「咳をする男」で、ヘッドホンをつけると血を吐くような咳を繰り返す音声が響いてくる。気持ちのよいものではないが、攻撃的ではなく諦めに似た受動態で満たされている。その後のものも含めて作家自身は、繰り返し「追悼」という語を用いる。

 写真をはじめ小箱が無数に登場するが、ともに表面は剥げ落ちている。遺品の名にふさわしく、メモリアルの語で統一されるもので、無名の死を暗示する。ブリキ缶の粗末な箱は、遺骨を納める容器を思い起こすが、記憶は写真とともに薄暗い展示室内で消え入ろうとしている。作品名は「死んだスイス人の資料」(1990年)とある。見ようによればスイス銀行の地下に並ぶ貸金庫群のように見えなくもない。それも金融業界に君臨するユダヤ的イメージを喚起するものだ。

 個々の写真にはだれひとりとして知った顔はない。無名のままで死んでいったであろう少年少女の面影が、これでもかこれでもかと並んでいる。無名戦没者の遺影がアートになるためには、効果的なぼかしのもとで、個という衣装を剥ぎ取って、普遍化することが必要だ。

 裸電球がまだらにスポットとなって、うすぼけた顔を浮かび上がらせる。装置としてはロウソクの揺れる光が、効果的なものなのだろう。キリスト教中世以来の追悼のシンボルが散りばめられて、遺影とロウソクが祭壇を前に祈りの空間を演出する。現代美術の先端に位置付けられてはいるものの、深い宗教性に根付いていることは間違いない。

 光る矢印にしか見えない抽象的フォルム(1)は、磔刑のキリストのシルエットであるし、その矢印の方向が上昇をめざしていることは、信仰の意志とも受け止められる。衣類が壁一面に吊り下げられる姿(2)も、十字架にかかる無数の殉教者を暗示するものだ。そこには遺影と同じように身体は不在だ。ぼんやりとした少女像を浮かび上がらせる「ヴェロニカ」(3)も同様のことが言える。

 フィラメントの見える透明な電球はロウソクを思わせ、一昔前の歴史の重圧を伝えるにふさわしい小道具だ。多くが集まると追悼の意は強まるし、地下室で身を寄せ合って震えるユダヤ民族の血の思い出を物語る。フランス人とはいえボルタンスキーという名のもつ地域性が、鑑賞者に共通認識を植え付けていく。地に根付かない、地に根付けない民族の宿命が、サイトスペシフィックなアートを希求する。

 誰も知らない場所で残した痕跡をアートとして言い張る倒錯を、日本ではいくつかの芸術祭で面白がってみせた。伊勢神宮の参拝以来、根付いた日本文化の本流と通底したものだったからだろう。行けども行けどもたどり着かない。そうした中でアートの目的は到達ではなくて、道すがらにあるのだと気づくことになる。大地の芸術祭や瀬戸内芸術祭のめざすところは、ボルタンスキーの思想と共鳴しあっているようだ。手がかりは見えるものにはなくて、かすかに彼方から聞こえてくる鈴の音や、地響きに伴う心臓音だったはずだ。

 何年か前に東京都庭園美術館で開かれた個展(2016/9/30)の時のような感動がなかったのはなぜだろう。存命中の作者にとって、ホワイトキューブの展示空間は、思いのまま演出できる理想空間であるはずだ。ライフタイムというタイトルのもと、旧作を使ったパフォーマンスとして回顧展が進行する。生きている時間、つまり現代を披露したはずなのに、抜け落ちてしまったものがあるとすれば、地に根づいた霊との対話だったかもしれない。

 点滅する赤いライトで写し出された数字の作品「最後の時」(4)が意味するものは、リーフレットを読まない限り、理解はできない。河原温や宮島達男と同じ、数字の羅列に過ぎないと解して立ち去る。あとで解説を読んではっとする。1秒ごとに増え続けるカウンターは、作者が生まれてからの秒数を示していて、死の瞬間に止まるのだという。つまりは生きている時間だけ作品として存在するという意味では、ライフタイムという展覧会名に最もふさわしいものだろう。このエリアは自由に撮影できたが、その時は私しかいなかったので、その写真は唯一無二のものだという点で、オリジナリティを際立たせる。

 赤いカウンターに隣り合わせて自画像が並んでいる。パネルには少年から老人まで30枚ほどがアトランダムに配置される(5)。ぼんやりとした顔立ちだが、ボルタンスキー自身のようだ。写真には新旧はなく、少年と老人がともに同時代である今に同居している。一方で今しがたくぐってきた紐状のカーテン(6)には、同じ自画像がスライド投影されている。紐の動きに合わせて顔は少年から老人まで変化する。

 国際美術館での展示をついつい庭園美術館でのそれと比較してしまう。庭園美術館という他目的の空間との競演でぶつかり合ってきたレジスタンスは、国際という時間軸に左右されない多目的空間の無味乾燥とは相入れることがなかったということか。確かに旧皇族の住居に残された拭いきれない歴史の重圧は、ボルタンスキーにとって敏感に感じ取られるものだっただろう。そこに影絵を使った光のパフォーマンスを用いてヴェールに包むことで、過去のシルエットとの対話が始められるのである。そこでは地と響き合って、肌に感じ取れる確実な体感を得ることとなる。

 荒野に広がる風鈴の映像「アニミタス」を前に、敷きつめられた草むらを踏みしめて歩く足の感触や、顔がプリントされた薄い紗幕のカーテンをかき分けて進む迷路のような「スピリット」では、まつわりつく運命の苦難を、歩行を通して体感していたことは確かだ。同時に草いきれの香りすら導入されて、目が忘れ去った体験を、靴底と鼻腔が今でも記憶している。庭園に比べてここでは、ヴェールをかき分けるには高すぎたし、草むらに足を踏み込むことは禁じられていた。今回はそれをすり抜けて、黒衣のボタ山が広がっていた。

 とはいえ無色無臭のはずの現代美術館がもつ地霊も、鋭い感受性の持ち主なら、研ぎ澄まされたはずだと思う。国際美術館の立地が旧帝国大学医学部の跡地であるからには、解剖によって切り刻まれた死霊が息づいていても不思議ではない。そんなスペシフィックな場所であるにもかかわらず、霊感を伴わないとすれば、それはボルタンスキーのせいではなくて、私の感受性の問題なのだろう。

 旅行好きの私の母は沖縄に観光に行くことを死ぬまで拒んだ。死者の霊を感じるのだとよく言っていた。行ってもいないのに感じるのかという切り返しもあったのだと、今では思うが、一方で事前に回避する本能を自然は備え付けていたはずだとも思う。アウシュビッツなどと言えば、さらに気を狂わせるものだったに違いない。ボルタンスキーにはそんな危機回避の使命感にさいなまれて、制作へと向かうエネルギッシュな追悼表明がうかがえる。電球のきらめきとコードが尾を引く光の軌跡10は、死者を弔う精霊流しのように美しかった。

東京展については

国立新美術館

2019/7/22

 大阪での展示と比べると、同じ素材を用いてはいるが、全く違う味わいとなっている。つまり旧作品を素材に用いたインスタレーションとして見ると、ボルタンスキーの今を共有することになる。それは作者が存命であるあかしであり、何をしても許容できる自由度の勝利とも取れる。音楽で言えば作曲家であり、演奏者でもあるということだが、美術の場合、演奏家としての存在が長らく希薄なままいたということになる。

 大阪では「古着の壁」が、効果的に目に飛び込んできたが、ここでは照明が暗くて沈み込んでいた。反対に「古着の山」は広い展示室の中央に積み上げられていて、黒光りのする照明効果は、炭坑のボタ山を思わせるものとなっていた。不気味な重苦しい空気は、心臓音に乗せられて、どよんでいるのだが、せきたてられるような緊迫感は、体感に値するものだ。抜け道のない坑道に入り込んだような感覚は、天井は高いのに背を丸めて通り過ぎようとして、息を詰めて行く手を探している。未来の見えない閉塞感を丸ごと演出して、視聴覚に訴えかけてくる。

 影絵も効果的で壁面に必要以上に大きく引き伸ばされている。目を凝らして何かを見ようとするのだが、視線が交わらない。亡霊のような実在が、ネガとポジを逆転させて、息づいている。すべては遺影であって、古着もまた遺品として機能する。身体を失った集団墓地が、渦高く積み上げられた無数の衣類に染み込んだ無念となって、こだましている。無意味な会話が立ち上がったカカシのようなヒトガタから発せられている。音声のはじまりは入り口を入ってすぐの咳き込む男の苦しみからだった。絞り出すような喉の痛みは、やがてドクドクと流れる心臓音の不協和音へと移行し、人工的なささやきへと向かう。耳をすますと風になびく風鈴の音も、聞こえていたかもしれない。しかしそれは沈黙にかき消されたように思う。

 美術とはいえ単独の作品と呼べるものではないことは確かだ。手垢の染み込んだ無数の遺物が、無名のメッセージを送っている。裸電球の光が直接目に入ってくる。フィラメントとコードが揺れ動くたびに、影はそれ以上に拡張して、闇を増し、恐怖の演出となっている。ナチの恐怖に怯えた過去が亡霊となって、繰り返されている。忘れることのできない、忘れてはならない記憶を、手繰り寄せようとして、現代の若者に言い聞かせている。はたしてその心の闇に気づいてくれるのか。見せかけのお化け屋敷としか見えない中で、言葉では説明的になってしまう形の結晶が、広い会場にこだましていることだけは確かだ。

10

子どものための建築と空間展

2019年1月12日~3月24日

パナソニック汐留ミュージアム


2019/2/9

 子どもが第一のテーマで、次に建築が問題にされる。多少脱線ぎみの展示もあるので、空間とぼやかしている。メインは幼稚園や小学校の建築。明治以来の名建築家が挑戦してきた系譜がある。大阪のど真ん中にあって、ドーナツ化現象で、過疎地として廃校に追い込まれたハイカラな小学校がある。創設者の教育理念を反映して、公立にはない配慮の行き届いた遺産が残されている。

 フランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」は重要文化財になっている。設計図が残されるが、退色して何も見えない。倉敷には大原孫三郎の郷土愛への情熱を物語る保育園「若竹の園」がある。設計は文化学園の創立者でもある建築家西村伊作の手になる。近年では「ふじようちえん」がよく知られる。デザイナー佐藤可士和の理念が反映する。子どもとは何かから説き起こし、彼らが学ぶ校舎の建築に至る。

 現在は「子ども」の記述が定着したが、教育現場からの主張だったはずだ。大正時代の雑誌「子供之友」が展示されていた。子供は供え物ではないという主張から、子どもとなったが、明治期には「こども博覧会」という記述があるし、「小供」という表記もある。私もながらく「子供」と書いていたが、教育学部の教員になったころから「子ども」と書くようになった。

 供えるが駄目なように、近年では障害者も障がい者となった。障害者は害ではないということだが、言い出せばきりがないところはある。今でも無頓着に使っている人は多い。指摘してもそんなこと思ってもいないという反応が返ってくる。障害者はだめでも障害物は、差し障りがあって害になるならこの記述でいいはずだ。害がだめなら障もだめな気もする。子どものための展覧会ではなく、子どものことを考えさせてくれる展覧会だった。

新・北斎展 HOKUSAI UPDATED

2019年1月17日~3月24日

森アーツセンターギャラリー


2019/2/9

 北斎もかなり見てきたのでもういいだろうと思っていたが、そうではなかった。竹久夢二を掛軸や額装ばかり眺めていて、じつはその本領が印刷文化にあるのだと知って、泥沼に入っていくのと似ている。北斎を支えたのは江戸の出版文化であり、高度に洗練した知的好奇心に満たされていた。ページを繰っていかないと見えてこない北斎が見つけ出されていった系譜と言ってよいだろう。400点を越える展示数という呼び込み文句は、従来の点数計算とは異なる点で紛らわしい。冊子の見開きが数多くガラスケースに並んだが、その鑑賞は本来、美術館のものではなく図書館のものだ。しかし一冊の北斎漫画にどれだけの北斎のエキスが含まれていることか。それに気づいて出版物に埋没する北斎を発掘し、収集を続けた研究者がいた。

 永田生慈さんで太田記念美術館におられた頃の姿を、私はよく覚えている。浮世絵ずきの学芸員に過ぎないと思っていた。それが今、永田コレクションとして名を馳せ、没後に島根県立美術館に寄贈された。本展はこれを核としたお披露目の場となった。キャプションには島根県立美術館蔵という表記が目につくのは、永田さんの郷土への思いのあらわれだった。

 北斎の粘りつくような癖のある筆致には、なかなかついていけないところがある。西洋の目が面白がるようには、素直に北斎を受け入れられない自分がいる。それは異様なまでの目の輝きであったり、奇想の系譜を踏襲したアクの強さであったりした。風景ひとつとっても、一捻りされていて、癒しを求めると、逆に心を動揺させてくる。脂ぎった苛立ちの中には、自我の目覚めた西洋との同質性がうかがえる。これでもかこれてもかと執拗に繰り返される肉食めいた筆跡には、執念や妄想と言ってよい狂気と紙一重の切れ味が潜んでいる。

 展示の最後に並ぶ大作「弘法大師修法図」と「龍虎図」は、異様としか言いようのない深々とした闇の中から浮かび上がっており、ともに永田氏の発見になる。ことに雲竜と雨虎が対になるという指摘は、両者の目の輝きに阿吽の呼吸を認める感性を要した。そこでは絵画を超えて運気が火花を散らしてぶつかりあっている。それは長らく時と場所を隔てていた両幅が、邂逅した今の火花でもあった。空海に迫る鬼の目も異様で、目をそらし祈る僧と、恐る恐る吠え返す犬の力をもっても収まりはつかない。うなり声をあげる犬の目はすでに負けている。好きにはなれないのに気になり、耳にこびりついて、いつまでも響き続ける肉感を伴っていた。肉筆画とはまさにこれを指すのだと思った。

六本木クロッシング 2019展:つないでみる

2019.2.9(土)~ 5.26(日)

森美術館


2019/2/9

 タイトル「つないでみる」は気になるところではあるが、とにかく美術の楽しさを教えてくれる企画力あふれる展覧会だった。あっと驚く仕掛けが満載で、エンターテイメントに徹することで、アートとしての価値を引き上げるものにもなった。国立新美術館の「ドマーニ展」の会期中にぶつけることで、官を超える民のパワーを見せつけた。これは観客動員力の違いにも反映している。現代美術の新鋭を紹介するという共通点はあるが、官の血税を使ってはいないという開放感が、自由度を上げる。

 まじめくさった現代美術よりも、より視覚効果を前面に押し出して、面白がって見せるというサービス精神が読み取れる。現代美術に対して現代アートという言葉の違いでの説明も可能だ。それはまた美術館側の企画意図でもあり、ポリシーでもあるのだろう。まじめに現代美術を理論づけ、歴史に位置づける作業も重要だが、まずは見世物として面白がって、美学よりも好奇心を重視する。明治期の超絶技巧がブームを呼ぶ風潮に同調して、躍進を続けているようだ。かわいいに代表されるポップな大衆性が、日本経済の好調を占ってくれる。繰り返し導入されてきた日本美術の基軸である。

 会場入口にある飯川雄大「デコレータークラブ : ピンクの猫の小林さん」は、かわいいを演出する巨大な猫のモニュメントだ(1)。並んで写真を撮るためだけにそこにいるように見える。観客はちらっと眺めるだけで、中に入っていく。それと対極にあるのが竹川宣彰「猫オリンピック : 開会式」で、小さな無数の猫のフィギュアが、オリンピックスタジアムを行進する(2)。数量は呆れるばかりと感じられる数を目安に考えられたようだ。銀行のロビーを埋め尽くした藤浩志のフィギュアの恐竜を思わせるものだ。川崎で見た「MJ's FES みうらじゅんフェス!」のマニアックな収集癖にも同調する系譜をたどる。

 統一したサイズのものを限りなく集める。かつては茶の湯で使う茶碗だっただろうが、それが手のひらに載るフィギュアに変貌したということだ。それを一堂に並べるとインスタレーションという名の現代アートになる。あっと驚くことが第一の要素である。美や感動といった古典派やロマン派の美学はそこでは通用しない。

 青野文昭の「直す・代用・合体・侵入・連置」も驚きをもって提示されている(3)。「震災後東松島で収集した車の復元2013」と説明にある。収集は、マニアックな趣味からはじまり、瓦礫にまで及ぶことで社会性を帯び出してくる。軽自動車とタンスが、トリッキーなまでに一体化している。家屋の内外が一つのものとなる災害の爪痕として、はじめてイメージできるものだ。それはシュールな出会いではあるが、驚きをもって受け入れられる稀有な一瞬である。

 同じ驚きは杉戸洋の場合にも言える。額縁が裏返されて立て掛けられている。私にとっては以前唖然とさせられた肩透かしの作家でもある。あれだけ魅力のある本体はどこにいったのかと探し回ることを狙ったように、反芸術が展開する。広報用のチラシを見ると、淡い色彩のアクリル画で3メートル近い大作が掲載されていて「Snail」というタイトルをもつ。ゆっくりと走行する船のように見える。本体は5センチほどに収まったこのチラシの写真にあったと言うなら、それもまた面白いと思った。

 妖艶な人形愛で見るものを引き付けたのは林千歩「人工的な恋人と本当の愛」と題したビデオ・インスタレーションで、陶芸制作の最中に背後から人形が迫ってくる(4)。設定は手を取り陶芸を教える教師がAIロボットで、生身の女性との間に愛が生まれるという展開らしい。インテリア空間が再現され、ロボットは机の前で執務中で、壁面には女性用下着が広がり、エロチックな雰囲気を高めている。

 妖艶な人形はジュスティーヌ・エマールのビデオ映像「機械人間オルタ」でも、魅力的に見るものに迫ってくる(5)。顔だけがリアルな皮膚をもった機械人形だが、複雑な内部組織はさらし出されている。文楽人形のような細やかな感情が、クローズアップされた映像を通じて、表情をより魅惑的に映し出していく。インスタレーションを伴わないワンチャンネルで十分に対抗できるものであることも、映像の原点への回帰として必要な選択肢だったと思う。

イケムラレイコ 土と星 Our Planet

2019年1月18日(金)~4月1日(月)

国立新美術館


2019/2/9

 未知の作家のほぼ生涯にわたる全容を一挙に見る。若くしてスペインに渡り、日本での活動はないので、イケムラレイコということになる。イサムノグチのように姓名が逆転しない分、日本美術の文脈で語ることができるということだ。国吉康雄の系譜をたどれるが、クニヨシヤスオとは記述しないので、今後これで定着するかどうかは微妙なところだ。フジタよりも藤田嗣治の方が落ち着きはいい。タモリやイチローといったカタカナ好みの時代の流行に左右されたのだろうか。漢字がわからない戦没者や事故機の搭乗名簿のように見えてしまう。

 作品は魅力的だ。絵画と彫塑をともにこなす。それぞれが相互に影響しながら補完しあい、一体となって独自の世界を確立している。風景画の前に寝そべる彫刻が置かれる。壁面に映し出された抽象画面に囲まれて、中央に長い耳の彫像が置かれる(1)。屋外展示でも長い耳の彫像が、ちょうど今日は雪に囲まれてたたずんでいた(2)。人の顔をもつがウサギのように見える。

 真っ直ぐに立った耳は繰り返し絵画や彫刻になっていて、見ようによれば手を合わせて祈る姿だ。そんなとき一瞬この少女像が、風格を備えた礼拝像のように見え出してくる。黒光りをした彫像は、特に古拙の美を讃えた奈良の国宝に似ている。中宮寺の弥勒菩薩はウサギの化身であったのかもしれない。

 なぜウサギなのかとの問いに答えていて、ボイスではないと表明している。唐突にボイスが出てきて驚いたが、絵画と彫塑という伝統的形式を踏襲してはいるが、現代美術を比較材料に備えているということだろう。

 絵画では風景がいい。抽象化されていて、風景に見えないものも多いが、彫像の背景をなすという意味では、壁面はすべてが風景だ。人がその前に立ったとしても、やはり風景ということだ。中央に彫像を置いて、壁面を絵画が取り巻くというのは、フォーヴィスムのパロディをなしている。

 撮影可能な最後の部屋には彫像はなく、壁面には三面を使って、大作が計9点並べられた(3)。山水画を思わせる東洋的コスミックが再現される。中央には椅子が井形に並ぶ。腰を下ろし、しばし瞑想にふける。ぜいたくな空間だ。よく見ると気づかないほど大きく人がいて、木や岩と一体化している。小さ過ぎても見えないが、大き過ぎても見つからない。

 重ねられた微妙な階調は、3点づつセットになって、全体を構成している。これをトリプティークと名付ければ、宗教性を帯び出してくる。川村記念美術館で見たロスコルームならぬレイコルームと言ったところだろうか。

未来を担う美術家たち 21st DOMANI・明日

 2019年1月23日(水)~3月3日(日)

国立新美術館


2019/2/9

 国から海外に派遣されたエリート作家たちの成果報告を兼ねた展覧会で、21回を数える。これまで3400人を送り出してきたのだという。海外研修という堅苦しい響きは美術にはなじまない。アカデミックでまじめな通学スタイルを思い浮かべてしまう。しかしこの文化庁の留学制度をただの方便とみれば、可能性が広がることになる。10年も経過しての成果発表もあるようで、海外研修の成果があったのかと言い出すと、すぐに効果が出るものとも限らない。先行投資なので当たり外れもあるだろうし、大器晩成型の作家もいるはずだ。四十歳前後を区切りとするのは、多々ある奨励制度の暗黙の了解だろう。

 先日岡山で見た秀桜留学賞の成果発表展では「今」が大きくクローズアップされていたのに対して、ここでは「明日」に目が注がれる。ともに過去の栄光は無用という点では共通する。ゲスト出品に三瀬夏之介が最後のコーナーを飾っていたが、ゲストにあるまじき、主役を上回る迫力と見ごたえを備えていた(1)。入場料を取る申し訳のように見えるが、一番のできだったことは間違いない。京都での新鋭選抜展で、特別出品の藤浩志が他を圧して、輝きを放ち過ぎていたのと類似する。ゲストを排して無料で見せるという手もあるが、無料のままではいつまでたってもプロにはなれない。

 見ごたえから言うと、東京都が主催する恵比寿映像祭は展示も大規模で、無料でありながら、充実した解説を付した冊子も配布される。出品作家のキャリアは、ほぼ同じで年齢も大差ない。この時期、固まって同種の企画が東京に集中しており、ついつい比較してしまう。

 今後どんな発展をするかは、まだ未知な部分も多いが、この会場で目に付いたのは、蓮沼昌宏のアニメーションと、白木麻子の木工のインスタレーションだった。ともにこれまであまり見たことのない展示で、映像インスタレーションが、現代アートで定番となり形骸化する中で、古いスタイルとはいえ、かえって新鮮に見える。

 蓮沼昌宏のアニメーションは映像ではない(2)。映像のルーツにあたるパラパラ漫画を見る装置だ。こんなに広い展示室はたぶん必要ないだろう。しかし難しい操作は不要で、誰もが自分の速度でハンドルを回せばいい。参加型のインスタレーションとなるためには、必要なスペースでもある。複雑化する操作に手を焼くアナログへのこだわりには、対デジタルを打ち出すのに不可欠な対抗手段だった。

 白木麻子の生み出す展示空間には、木材と布と壺がある(3)。作りかけの木工品は、白木のままの椅子や家具で、布がまとわりついたり、垂れかけられたり、埋め込まれたりしている。壺は不安定なまま木材に載せられ、緊張感を伝えている。無重力を楽しむように、ゆっくりと展示室を移動する。少しの振動で崩壊するような増幅の激しい空間に包まれながら、インテリアが自己完結していこうとする。家具として見慣れたイメージの原型を思い浮かべながら、作者は「浮力の増す部屋」と名づけている。魅力的な命名だと思った。

第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」

2019年2月8日(金)~24日(日)

東京都写真美術館


2019/2/8

 このところ毎年のように来ているが、作品の充実度はテーマを設定して、年毎に増しているように思う。前回はインヴィジブル、不可視性で、今回はトランスポジション、配置転換、または移動性ということになるだろうか(1)。多くはインスタレーションをともなう映像作品で、展示効果をねらって、9チャンネルのヴィデオ上映というものまで見られた。

 ポーランドの作家カロリナ・ブレグワの「広場2018」である。9作はそれぞれ小型スクリーンの前で寝そべって鑑賞できるようになっている。くの字型のスペースに方向を変えて、アトランダムに映像が並ぶ。9面をすべて見渡せる位置はない。それぞれの映像は、広場にある彫刻というひとつのキーワードを取り巻くさまざまなエピソードから成り立っていて、すべてを見るには9倍の時間を必要とする。3面ほどは一度に見ることができるので、それだと三分の一に短縮される。

 映像展も映像そのものに目が向かう前に、展示というパフォーマンスに翻弄されてしまうことは、注意を要する。角度を変えてモニターを連ねた作品があった。そこでは、映像よりもモニターの展示会になってしまっていて、本末は転倒する。確かに薄型で大画面のモニターは、それ自体が魅力的だ。

 黒川良一「ad/ab Atom 2017」は、モニターを鳥の飛翔のように軽やかに連ねてみせた(2)。何を見せるかよりも、如何に見せるかに関心が移ると、薄型モニターは、魅力的な主題として、目に映ってくる。かつてこの分野の草分けナムジュンパイクはブラウン管テレビを山のように積んで見せたが、その延長上で、立体物であった積み木が、平面状のカードに変わったということになる。それは一枚のカードが飛ぶ軌跡のように滑らかである。映像を立体で表現しようとしたのをキュビスムだとすると、映像をフラットな画面に落とし込むのは、それが限りなく薄く平面化されていくと、スーパーフラットということになるのかもしれない。

 シングルチャンネルで見せる映画館との差別化は、映像を分断しはじめていることは確かだ。この映像祭でももちろん上映設備は温存されていて、写真美術館一階のホールは、旧来のシアターである。展示と上映は、アートとエンタメとの二極化と取れないこともないが、そんな単純なものではない。肉体と精神と考えると、映像は確かに精神にあたり、光の集積であり、手で触れられないオーラによって成り立っている。しかしモニターやスクリーンといった肉体をともなわないと目に見えるものにはならない。

 当然肉体はじっとはしていないから、さまざまなパフォーマンスを披露することになる。その意味では従来の映画館は、精神だけを問題にしているということだ。展示へと興味を移していく映像の動向は、身体の復権と見ることもできる。

 映像はこれまで目の高さで正面から見るものだと思ってきた。額縁をもった絵が、映像の前提だったからだ。しかし絵画の誕生を考えれば、どこにでも絵は描ける。洞窟壁画は見上げるような位置に描かれていた。ルネサンスやバロックの天井画がその延長上に登場する。ミケランジェロは原始人の創造力を追体験したということだろう。

 考えてみれば撮影する方は、目の高さだけであるはずはない。崖をよじ登り下から見上げ、上空から見下ろしてカメラを回す。なぜ見る方だけが、正面を向いて安楽椅子なのかという疑問は当然起こってくる。見下ろして撮影されたものは、地面に投影するのが道理だ。

 今回、見下ろして鑑賞する興味深い作品に出くわした。群衆が移動するのを真上から撮影したものだ。円形の画面に正面はない。取り囲むようにして見る。アーティスト名はユニヴァーサル・エヴリシング、作品名は「トライブス2018」とある。群衆心理の何たるかを考察するものでもあるし、顕微鏡でのぞき見た無数のブラウン運動でもある。

 ぶつからないように空白を求めて移動するが、求心力が働いて集団ができ、行動をともにする。別の集団が現れてぶつかりながらも、混じり合い、うまくすれ違っていく。これが実写ならどれだけすごいかと思わせるものだ。人を真上から撮影していることはわかるし、向かい合ってすれ違う見事な行進もプログラムされている。

 市原えつこのロボットも確かに映像だ。顔がモニターになっていて、上下左右と自由に移動する。遺影とは映像のことで、肉体を失っているが、しばらくはロボットの身体を借りて生き続ける。何とも奇妙なセレモニーだが、明るく快活だ。

 トランスポジションは、投影装置の移動の話だけではなくて、別の解釈が可能だ。サシャ・ライヒシュタイン「征服者の図案2017」も確かに移動を問題にしている。シングルチャンネルのヴィデオなので、画面の中だけに集中すればいい。写されるのは織物の図案の細部のアップ映像である。次から次へと映されていくが、とてつもなく美しく、単なるスライド上映なのに見入ってしまう。ナレーションが続くが、注意して聞いていると、これが植民地支配を背景として、展開した美術政策であることが告発されているのだと気づく。ここに移動というテーマが浮上する。

 さわひらきplatter」は、中央広場の屋外展示だった(3)。小舞台をセッティングしたテントふうの見世物小屋を作り、円形の画面に映像が展開する。ひとつひとつのアニメーションの動きが魅力的で、じっくりと上映に目を向けようとするのだが、この日はあいにく雪で、寒くて鑑賞にはならず退散する。インスタレーションも困ったものだと実感した。

岡上淑子 コラージュの世界 沈黙の奇蹟

2019年1月26日(土)- 4月7日(日)

東京都庭園美術館


2019/2/8

 おかのうえとしこと読む。昨年、高知の美術館で見逃したので、気にかかっていた作家だ。前知識は何もなかったが、1950年代前半が活動時期だ。もちろん現役時代は知るよしもない。優れた感性の持ち主だと思う。美術評論家である瀧口修造の目に留まり、作家デビューをはたす。フォトコラージュという写真を切り抜いて貼り付けるというだけのものだ。誰もができるものだけに、すごいという感嘆が起こる。若い感性がシュルレアリスムの美学にみごとにフィットしている。

 生涯もまた魅力的だ。波乱万丈と言ってよいが、よくある話だとも言える。20歳代前半の若過ぎるサクセスストーリーは、結婚とともに終わりを告げる。29歳のことだ。画家の妻になるが、出産し家庭におさまったものの10年後に離婚。2人の子どもを連れて実家の高知に戻る。そこでは日本画を描いたりはしているが、本格的なものとは言いがたい。次に世に出てくるのは21世紀に入ってからで、70歳を過ぎてのことだ。40年以上の沈黙を破ったことになるが、その時点で若い時の仕事に注目が集まる。

 コラージュに当時の海外のモード誌を選ぶということは、時代そのものを切り取っているということだ。ライフという報道写真誌も使われるが、このふたつの切り抜きを組み合わせるだけで、シュールな世界が誕生する。たとえば戦場で最先端のファッションに身を包んだモデルを置くというようなことだ。夜の街に裸婦を貼り付けるとデルボーが誕生する。

 1951年よりスタートするが、フォトコラージュは猛烈な勢いで量産されていく。コラージュの定義として、他人のイメージを借りた二次使用と作者は定義づけており、数年後には破綻をきたし、実写による作品も生まれる。以前のものと見分けはつかない。かじられたリンゴに懐中時計を埋め込んだり、切られたリンゴと鍵を並べるなど、意外性のある組み合わせは、シュルレアリスムの基本形を踏襲する。結婚による引退は若い感性が枯渇したということでもある。

 膨大な切り抜きがあったのだと思う。使っていない切り抜きが展示されていた。面白いと思ったものを片っ端からストックしていったのだろう。そして組み合わせて台紙に貼る。それだけのことだ。使えそうな素材をためるということと、そこから選ぶという行為には、無限の可能性があって、その人でしかできない独創性を発揮する。創造力と言ってもいい。

 埋もれてもいい才能が偶然の出会いで開花する。武満徹との出会いが最初だったようで、この音楽家の妻となる女性との交友がきっかけだった。武満を経由して、瀧口修造に持ち込まれる。ともに現代芸術を先導する第一人者だ。若い才能の出現に驚いたと思う。シュルレアリスムもエルンストも知らない娘が、急速な勢いで創作にのめり込んでいく。

 瀧口から多くのことを学んだようで、残された手紙や、励ましの返信も展示されている。小さく原稿用紙のマス目を埋めたような、優しそうな返事の文字だ。デビューののち寺山修司からの挿絵の依頼もあるが、師の指示に従って、ことわったと年譜にはあった。興味深いエピソードだと思う。

 瀧口がいなければ世に出ることはなかったが、出会いが前後すれば寺山が代わりになっていたかもしれない。それを想像するのも興味深いが、偶然とはいえ、そういう場に身を置いていたことは、見出されるべくしてあったのだとも言える。高知でひっそりと創作を続けていたとしても、死後に田中一村として評価されるすべもあっただろう。作品が残っていればの話だが、そんな作家の「沈黙の奇蹟」を夢見させてくれる展覧会だった。ヒューストン美術館蔵の作品が多数展示されていた。現在91歳と年譜にはある。

酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり

2019年1月10日~2月17日

根津美術館


2019/2/8

 鬼退治の話は子どもの頃からなじみのものだ。坂田金時も登場するし、大江山の名も、昔話を通して聞きなじんでいる。しかしここでは子ども向きの絵本ではなくて、おどろおどろしく最後は血みどろの鬼退治の現場が活写されていく。室町時代、江戸初期、19世紀の三種の絵巻が、比較展示されている。長大なのは19世紀のもので、前半期だから江戸末期と言ってもいい。

 これを奇想の系譜と見ると、ルーツは室町時代にあるとしても、リバイバルは一方は岩佐又兵衛の時代、他方は嗜虐美に彩られた幕末の浮世絵世界と対応する。狩野山楽とも伝えられる二番目のものを見ると、細部描写は装飾性の極みであって、絢爛にして野卑と称された又兵衛の美学に対応している。

 鬼と化した酒呑童子を退治するのは、鎌倉の兵士たちだが、物語のはじまりは平安初期にさかのぼる。酒乱の少年を正気に戻そうとするのは伝教大師、最澄である。山に引き取り酒を絶つが、手に負えないことを知る。いつまでも少年の髪を保つが、酒を飲み鬼と化した姿は異貌を放っている。女たちをはべらせて人と並ぶとひときわ大きく、酒に酔い赤らめた顔は、異様な目つきが凄まじい。

 源頼光を筆頭として4人がかりで童子に斬りかかり、首が飛ぶ飛んだ首は頼光の兜にかぶりついている。ここで場面が漫画や映画のようにコマ割りになるのは、又兵衛の山中常盤絵巻を思わせるものだ。そこでは惨殺された常盤御前の死に絶えるまでの凄惨が、時の経過に合わせて執拗に描写されていた。

 酒呑童子は血まみれで息絶えるが、仲間の鬼たちも退治される。見ていると首をはねられるだけではなく、胴体を縦に真っぷたつに切り裂かれていたりして、残酷きわまりない。17世紀のものでは、この描写が華麗な風景と抱き合わされて、独特の美に結晶されている。狩野山楽の得意とした花鳥画の金地の艶やかさを思わせるものだ。

 残虐美は京の雅びとともに絵巻という形式に封印されて、日の目を避けることになる。住吉派の絵師になるとされる19世紀のものは、8巻からなる大作で、童子の生い立ちからはじまって、惨殺のクライマックスまで、引き延ばされながら、徐々に興奮は高められていく。「今回はじめてその全容を紹介する」とチラシには書かれていた。封印を解かれ、怖いもの見たさを満足させる企画だった。

英国ラブリィ~派 自然を愛して

2019年1月12日〜3月10日

備前焼ミュージアム


2019/2/5

 バーナードリーチを創始者とする素朴な味わいを特徴とする英国陶芸を紹介している。現役作家6人の民芸運動の理念を踏襲した息づかいが伝わってくる。肩を張らないで、生活に密着した食器であるが、親しみのある文様を伴っている。動物や花など具体的なものもあれば、抽象文様のパターンもある。暖色系が多く、茶色をベースにし、どてっとした肉厚は、リーチの特徴が遺伝子として組み込まれているようだ。あるいはリーチが帰英のおり同行した濱田庄司のたすき掛けに流された釉薬のこげ茶のダイナミズムと思えるものまである。

 父リーチを引き継いで、その子も孫も陶芸家として名をなしており、リーチが居住したセントアイブスの地は、民芸の英国での故郷となっている。柳宗悦が英国の工芸運動から学び、リーチを通して、それを投げ返したというこどになる。アメリカでもミンゲイの理念に賛同して、ミネソタ大学の陶芸家がミンゲイソタの名で、日常の生活陶器を普及させた。高級品としてのレッテルを返上することで、地域に根ざし、まさに土に生き、安息の充実を味わうことで、地に埋もれようとする。ガラスや磁器では果たせない響きは、鈍く重く、ある時はふてぶてしく、大地にこだまする。

 こうした生活美の系譜は、大上段に芸術を振りかざす至上主義の枠外では、自然に受け継がれてきたものだろう。知られないままひっそりと生きるという美学はある。こうした形で紹介され、英日の文化交流の輪が広がることは悪くはないが、地に根づいて生きるという理念の危機は、常にあるだろう。

 いつのまにか気づくと、量産体制ができあがり、機械化が進んでいるということにもなり兼ねない。おふくろの味が売りものになり、無印良品がブランド名になる時代である。開発と荒廃は抱き合わせで訪れるはずで、美術館での鑑賞に留めておくのが無難かもしれない。手に取って使いたいという所有欲が、製作者を狂わせてもいく。製造者と名を変えることにもなるだろう。とはいえ確かに今日の出会いはラブリーなものではあった。

鳥ノアト—手紙 紡ぐ言葉・伝える心

2019年1月26日(土)~3月10日(日)

林原美術館


2019/2/5

 カラスの足跡とは目尻のシワのことだが、鳥ノアトとは文字のことらしい。鳥の足跡から文字を作ったという漢字の発祥に由来したものだ。北斎は鶏の足に墨を塗って紙面を歩かせて、竜田川の紅葉に見立てたが、まさにさらさらと流れるように、かな文字で一句したためたということでもある。こうした粋な計らいは、「書」と言われると抵抗感を抱いてしまう現代人を誘導するのに、良いヒントを与えてくれる。

 実際には戦国大名の書簡が並ぶ展覧会なのだが、内容的には一級の歴史資料だとしても、読めもしない書体を面白がるのは、古文書に目のない一握りの学者だけだろう。それが鳥ノアトという命名によって、文字が内容でなく、形式となって視覚化されていく。ぼんやりと書簡全体が絵として見えてくる。

 柴田勝家の書簡を見ながら、その型通りの収まりのよさに、これでは天下は取れないなと思った。それはこれに続く秀吉の書簡との対比による。書簡は秀吉のもとには残らない。著名人の手紙が面白いのは、宛先のもとに残されるという点にある。岡山藩ならではの書簡コレクションは、信長や家康や政宗も含まれている。

 秀吉の鳥ノアトはバランスが抜群な上に、枠をはみ出ようとする勢いを内に含んでいながら、枠内に収まっている。ひらがなが多いだけに流れる曲線が美しい。千利休の手紙も展示されていたが、個人的には秀吉の筆力に魅力を感じた。多くは軸装されて、保存されている。他人の手紙を大手を振って鑑賞しようというわけだ。朱印状といった堅苦しいものよりも、プライベートな私信の方に目が向くのは、有名人の秘密を知りたいという好奇心からだ。時代的にずいぶん早くから表装されているところを見ると、この好奇心は今に始まったものではないということだ。

 崩し文字は今では読めない。借金の言い訳の手紙であっても、床の間に掛けて鑑賞する。それは書の全体をその人の人格としてとらえているということだ。何が書かれているかではなくて、どう書かれているかが重要だ。ということになると現代絵画の鑑賞法に近いものになってくる。東洋の書が西洋の抽象絵画に与えた影響の論じられるゆえんでもある。

形山コレクション 茶碗 掌の銀河

2019年1月18日~3月10日

岡山県立美術館


2019/2/5

 常設展示室ではあるが「岡山の美術:小圃千浦 カリフォルニアに生きる」と合わせて、じつに見ごたえのある企画なのにまずは驚く。収蔵庫から適当に並べて安い料金で見せる常設展ではないのに、常設料金なのだ。ひとつは埋もれた岡山の美術の発掘で、こんな作家がいたのだという発見がカリフォルニアに及んだという話である。オバタチウラと読む。東京で開催中のイケムラレイコ展と同様に、知られないまま埋もれる直前の里帰り展である。岡山ではすでに国吉康雄という先人がいるが、それも発掘して岡山の人だと大声をあげる報道人と、コレクションをする収集家とセレクションをする学芸員がいてやっと日の目を見た。経歴はしっかりしているし、日本画をアメリカの学生に教える中から生まれてきた、変わってはいるが独特の融合スタイルである。

 もう一方は県内のコレクターを発掘して、そのコレクションを紹介しようというもので、シリーズ企画としては6回目になるようだ。まずはチラシが見事で、興味をそそられる。茶碗をひとつ見れば、陶芸家のすべてがわかるのではないかと思わせてくれるセレクションだと思った。河井寛次郎も金重陶陽も、たった一点が並べられているだけなのに、ほかの誰でもないその人のひととなりを伝えている。色と形が決まった四角の枠の中で、仲良く並んでいる。茶碗という統一規格であればこそ見えてくる、個の饗宴だろうと思う。

 この大きさはコレクターとしても収蔵しやすいし、鑑賞者も比較に目が向き、個性の違いを楽しめる。甲乙のつけられない美の多様性を、土と火に委ねるか、個に委ねるか、風土と時代に委ねるか、いずれにしても次から次へと欲しくなってくるのも、茶碗という統一規格のおかげだろう。国吉康雄や竹久夢二ばかりを集めるという方向性もあるだろうが、茶碗はローカルに根ざしながら、もっとインターナショナルなものに違いない。備前と唐津と常滑とどう違うのかと問われて答えるプロフェショナルよりも、同じだと答えるディレッタントの方に、親しみを感じてしまう。

 そうしたデモクラシーの中から育っていったのが、陶芸であっただろうし、デモクラシーであるからには、個の存在を何よりも優先させるということだ。一人一人が違うのだと認めあった上で競い合う、いわばスポーツマン精神に基づいてのものだろう。好みはもちろんある。

 楠部弥弌は見事だ。野々村仁清を思わせる京の雅びに立ち戻りながら、奥ゆかしいのに強烈に目立っている。川喜田半泥子のゆがみは、無一物の素人芸だという、これも強烈な自己主張に裏づけられている。河井寛次郎はさまざまな特徴をもつが、やはりこれかと思わせて説得力のある色絵だ。桃山の色調ではあるのだろうが、はるかシルクロードをたどる唐の時代を思い起こすものだ。楽吉左衛門の黒は、重い伝統を背負いながらもがく現代の苦悩に共感を覚える。金重陶陽はこれ以上叩けば、壊れるという究極の形に、茶碗の着地点を見つけている。

 茶碗はこれまで「手のひらの宇宙」と呼ばれてきた。ここでは「掌の銀河」としているが、チャーミングな命名だと思う。湯のみでは小さ過ぎ、丼鉢では風情はない中で、自然と両の手のひらで熟成してきたのだと思う。日本文化の果実が、花弁から開花するようすが、私の目には映っている。それは釈迦の手のひらに咲く蓮の花のように見える。

秀桜基金留学賞の10年 そして今

2019年1月18日(金)- 2月24日(日)

岡山県立美術館


2019/2/5

 大きな展示室にゆったりと、大作が並んでいる。30人近い作家の近作であり、贅沢なスペースが確保できている。日頃の展示の拠点であるアートスタジオは、病院の一画を借りた人間ドックに同居するギャラリーだ。定期的に若い作家の発表の場が提供され、今も地道な活動が続いている。

 今回は空間が解放され、美術館の広いスペースを確保した。何よりも天井が高いのがありがたい。絵画が中心だが、領域は広い。前衛的な独創性が問われるが、伝統的な工芸もあれば、マンガや写真も加わる。美術史研究も賞の範囲内にある。一堂に会すると、まるで最初から計画したように、ジャンルが拡散していて、この全体像に落ち着くように10年をかけて準備された総合展に見え出してくる。壁面だけではなく、立体作品が加わって、高らかなシンフォニーを奏でている。

 留学賞を通じて海外に出かけた作家が帰国して、その成果を今に問う。岡山には I 氏賞という若手作家を奨励する基金がある。そこでは岡山というキーワードに縛られているのに対して、ここでは郷土という枠を超えて、門戸が開かれている点で、スケールの大きさを感じさせる。高橋秀と藤田桜の夫妻の名から一字づつを取って命名した基金だった。

 留学賞といえばフランスでのローマ賞以来、画家になるための登竜門として機能した。審査員はどれだけ将来性があるかの判断を問われることになる。作家にとってはどこに行くかが鍵になる。奨学金は300万円とあり、滞在先にはフランスやイタリアだけでなく、インドネシアや、なかには世界漫遊というのもあるので、規制のゆるいポリシーであることが読み取れる。スポンサーの哲学が反映したものだろうが、公的な制度だとこうはいかない。受け入れ先を用意して、堅苦しい報告書も義務づけられる。言葉を巧みに操れる者が有利という仕組みでもあるだろう。

 作りたいという思いと見てもらいたいという願いだけでは、クオリティの高いものは生み出せない。限られた期間で何ができるかを考えた時に、とにかく何でも見てこようという、安直だが実りある判断が生まれる。その成果がすぐに出るのか、何十年もかかるのかはわからない。途中で挫折する者もいれば、亡くなってしまう場合もあるだろう。それらを丸ごと展示してみせた「今」がここにある。ポスターやチラシに大きく書かれた今という文字がいい。それは全てを打ち消すような赤い手書きの文字だ。評価ではなく現況を伝えるものだという表明がある。

 道半ばにして世を去ったという点では、小林陽介(1)の木彫が輝きを放っていた。今はないということだ。誰もが2018年作を見たかったのだと思う。旧作2点がロビーに寂しく展示されている。木にリアリティを感じるためには、木の生命をいったん絶やさなければならないだろう。似せるという肖像の魅力が、木という素材と格闘する。背中を丸めた人体の背後に見える荒々しいノミあとに、格闘の姿が読み取れる。目を近づけて見入ってしまう鑑賞と、目を遠ざけて素材の命に出会う信仰が同居する宗教彫刻の伝統は、たぶん彫刻家というよりも仏師の名にふさわしいものだ。私もこの造形に黒住教の美術館で出会って動けなくなったことがある。

 28名の作品をすべて記憶することはできないが、写真撮影OKの表示のあったものについては、記録に収め記憶に定着させることができた。最初の撮影は、長原勲(2)の6点の大作だった。石造りの建物が歪む風景は、これまでも見たことがあったが、新作の3点が特にいい。航空写真で撮られた風景をアレンジしたことは予想されるが、ニュアンスの異なる3点が、それぞれに造形原理を伝える絵画になっている。線と面とイリュージョンと言ってよいだろうか。人と自然が織りなす風景には、それだけで伝わるものがある。それを俯瞰して見るのが風景画だが、やがてそれは地図という味も素っ気もない測量図に変貌を遂げる。そして地図から説き起こして絵画を再構築する。タッチという筆跡が、風景と出会う中で、現実と夢想が混じり合う。絵画とは色の塗られた平面という形式上の定義はあるが、内容的には画家がとらえた妄想のことだろう。石造りの確固とした西洋文化の軋轢を歪めてみせた印象派を超えて、それを解体して再構築してみせたセザンヌの歩みをたどっているように見えた。絵画についてよく考えている人だと思った。

 相澤亮(3)の漫画がいい。出身を見ると大学では彫刻を学んでいる。漫画を大学で学ぶというのはまだまだ定着はしていないし、漫画を学んだからといって漫画家になれるわけではない。ちなみに私の勤務先の漫画の先生は工学部の大学院を出ているし、アニメの先生は経済学部の出身だ。学生の就職先が一般企業になるのもやむを得ないということだろうか。研究室の純粋培養では抵抗力は身につかない。

 ラフスケッチや原画が展示されるが、これが雰囲気があってなかなかいい。モノクロの世界は、漫画の原点だろう。それはちょうど写真や映画がモノクロから始まったのと同じだ。カラー全盛の時代になっても、そこに回帰していく。三作が展示されるが、黒の情感をみごとに結晶させたのが中央の「雪ノ女」だろう。出版されたフランス語版が並ぶが、タイトルは直訳すると「愛の雪」となっている。薄墨の効果は、水墨画の伝統で日本の得意芸だが、フランスの美意識の中でも定着している。フランス人好みのジャンギャバンのモノクロ時代の映画に出てくるアンニュイな気分を彷彿とさせる。ヘッドライトが闇を白く写し出すような映像世界が、そこにはあるようだ。漫画を学ぶのにフランスに行く必要はないという傲慢があるとするなら、その限りでは日本のマンガはアートにはならないということだろう。バンド・デシネは映像の次に来る第9の芸術と定義される。つまり最先端ということだ。

 大西康明(4)は彫刻を学んだが、ボリュームの実現という限りでは、彫刻の主流に位置する。しかし見るからに重量感はない。量感だけではなく質感もないが、彫刻としての存在感があるという不思議な造形だ。最初の個展のタイトルが「体積の裏側」だったようだが、興味深いネーミングだ。肩透かしを喰わせたような発想の逆転が刺激的だ。立体だから面積ではなく体積というのは道理だが、この測量的実感が、旧来の彫刻概念を裏返してくれて爽快感がある。同時に展示されたレリーフも、体積の裏側と言うにぴったりのトリッキーな平面=立体だった。

 宇都宮知憲(5)の油彩画の大作を前にして、世界漫遊のはてにたどり着いたのは原始の森だったのかと思った。空気に溶け込もうとしている人影がある。ひとりではない。樹齢を計りかねる大木を中心に、根を張っているという意味で、世界は安定している。どこまで根を張るのかという生命の不思議は、写実力をうかがわせるもので、実在感を高めている。人の影は木の根から湧き上がる樹霊のように、白いベールに包まれていて、輪郭をたどる限りは少女のような印影を残している。人類が去ったあとに樹木が残る。木は伐採された形跡がない限りは、人類誕生以前のものかもしれない。にもかかわらずそれを見つめる画家の目がある。考えさせられる一点だった。

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松田基コレクションⅧ 夢二名品展 特別展示「祈り」

2018年12月18日(火)~2019年3月17日(日)

夢二郷土美術館(岡山)


2019/2/5

 「祈り」というキーワードで夢二の図像を探る。同時に祈りのもつ主題の広がりを、村上華岳や棟方志功(1)、さらには白隠禅師まで動員して、考えてみようとしている。夢二の背後にあるのは仏教よりもキリスト教だろうが、実際のところはそうした宗教性は越えて、人間のもつ普遍性を探ろうとしているようだ。手を合わせメディテイトするときの、不安から希望へと推移する感情の機微をとらえたいという意志がそこには見えてくる。洋の東西を問わず共通する祈りの姿に目が向けられる。

 大型の二曲屏風に描かれた「耶宗渡来」(2)がいい。中央に3人の異国の男性、脇には3人の遊女ふうの女性がいる。沖には南蛮船が停泊している。小舟に乗り継いで上陸したようで、キリスト教がもたらされたという主題の陰に、なまめかしい男女の出会いが予想できる。

 コレクター松田基の夢二に向ける愛と、郷土に残そうという情熱が伝わってくるコレクションである。伝統的な絵画を超えて、出版文化に身を置きながら、マルチな才能を発揮する。詩を書くように絵を描く。大作もあるが、ディテールを細かく描きこんだものではない。こたつ(3)や一力(4)といった屏風は、原作を前にしてこんなに大きかったのだと感嘆する。しかしその大きさが必要なのだとも思う。艶めかしさは共通しているが、暗示的であって露骨ではない。本格的な日本画の形式は取るが、浮世絵の系譜に位置付けると、夢二の本領が見えてくる。肉筆画も多いが、基本的には出版文化の庶民派に属している。

 こども学芸員という試みがあり、子どもたちの目を通して、夢二が再評価されている。夢二の作品をセレクトして展示し、その解説を書いている。選ばれたのは洋装の少女が目につく。和服が珍しい現代の様相をうかがわせるが、昭和初期のハイカラという語で語られる時代の流行を敏感に受け止める夢二の感性が、現代の子どもたちに反応している。

Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー展

2019年1月12日(土)~3月17日(日)

兵庫県立美術館


2019/2/2

 タイトルとチラシのデザインからは、どんな展覧会かがわからないまま、何となく面白そうな予感に誘われて足を運ぶ。最初の部屋では労働者が高らかに声を上げている。シュプレヒコールという語の流行は、社会主義運動に支えられた、1970年前後を体感した私たちの世代にも、共有できるものだ。一丸となって仲間がみんな同じ方向を向いている違和感は、明るい未来をめざした活動の挫折を経験した者が、今では嫌悪するものだろう。そうした中で、よく見ると一人だけ少女がこちらを向いていて、カメラ目線となっている一作にでくわし、ほっとした。

 ピーポーがピープルのことだと気づくのは、イデオロギーに従った群像劇が展開するのを目にしてからだ。ヒーロー&ピーポーは日本語に置き換えれば「指導者と人民」ということになるだろうか。人々、民衆、大衆よりも、人民が良さそうだというのが、昭和初期の労働運動を描いたイメージでの共通理解だろう。この対比は早くはフランス革命以降、帝政と共和政を繰り返す権力者に振り回される大衆心理に裏打ちされたものだ。ピーポーというとぼけた響きの中には、付和雷同する民衆の落ち着きのない不安定が読み取れる。それが政治に踊らされるものだというニュアンスも本展のタイトル「マツリ☆ゴト」から読み取れる。

 英雄を待ち望むのはそんな時だろう。ヒーローにはのらくろにはじまり、月光仮面とウルトラマンとゴジラが、とりわけ重要なものとして取り上げられていた。現実の英雄像はフランスでナポレオンが台頭した時のように、国家権力を握った政治家や軍の司令官だっただろう。しかし、そうしたフィクサーは暴かれることなく隠れてしまっているようだ。戦時下の紙芝居が展示されていたが、それらは戦意高揚の名のもと、勇敢に戦う兵士の、海や空に散る姿を称賛するものだった。

 大衆の支持を得たポップなキャラクターを前面に押し出しながらも、企画意図は、イメージを通してまじめに時代を読み解くというものだった。重苦しい時代を背景にして、地味になるところを、会田誠をはじめとした現役作家の社会意識が、美術展としてのパフォーマンスを支えていた。展覧会に合わせた新作も加わることで、昭和平成を超えて脈々と続く歴史の普遍を感じさせてくれた。

 会田誠(1)の攻撃性は、決して暗くはない前向きな創造力を備えている。国会議事堂の上空に現われた亡霊のようなモンスターは迫力に満ちていた。前の戦争の犠牲者のようで軍帽をかぶり、星一つが縫い込まれている。この☆が今回の展覧会名でマツリゴトを二つに分ける役割を果たしている。作家の意図か企画者の意図かはわからないが、意味深い対応を示している。それは兵卒の星章でありながら、未来を占う五芒星のマークでもある。日本兵の悲劇は政(まつりごと)の聖地の頂に触れようとしている。もちろん国会議事堂は、見ようによれば墓石でもあるという強烈な批判が下敷きにされている。ダブルイメージを多用したパロディによるラジカリズムは会田誠の本領であり、最近目にしたものでは大林組の企画による破壊した都市の妄想が、目に焼き付いている。それは破壊という積極的意志を持った想像力という点で、明るい未来を写し出すものでもあった。都市の未来を建築家だけには託せないという建築会社の良心を感じさせてくれた。

 柳瀬安里(2)のヴィデオ映像「線を引く」にも、見入ってしまった。31分10秒の映像インスタレーションと表記されている。地面に線を引きながら歩くというパフォーマンスを延々と写し出したものだったが、その過程で人混みの間をぬっても線を引き続ける。途中には9条を守る会の集会のようすがはさまれる。集まるピーポーの足もとをすり抜けるように、淡々とチョークを引く姿は、奇妙ではあるがユーモアに満ちてほほえましい。長いチョークがなくなるまで続くのだろうと思っていたが、気がつくと新しいチョークに変わっている。それでも最後はどうなるのだろうと気になりながら、立ち去りがたい一作だった。以前、氷の塊を街中で押して歩くパフォーマンス・ヴィデオがあったが、最後は小さくなった氷をけりながら歩いていた。似ているが腰をかがめて線を引き続けるほうが、確かに大変だ。階段にも残る線の軌跡は、映し出された記録映像よりも、バンクシーさながらリアリティのある確固とした美術作品になっていた。

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