第153回 2023年4月10日

雨の朝巴里に死す1954

 リチャード・ブルックス監督作品、アメリカ映画。原題はThe Last Time I Saw Paris。雨に濡れただけで簡単に死ぬなよというツッコミはあるだろう。男には妻が死なないとわからないことがある。一人の男をめぐる姉妹の確執の物語である。エリザベステイラーが輝きを示す。華やかなパリの街にいる遊び好きの側面と、夫への思いやりがゆききする。崩壊した夫婦関係の失意の果てにアメリカに帰ろうと夫に訴える場面が印象的だ。パリのアメリカ人が素朴に生きようという決意の瞬間だった。はじめアメリカに帰ろうと言いだしたのは男のほうだった。夫は受け入れず、妻を死なせてしまう。妻の死後、アメリカにひとり帰ったパリの三文文士は、そこで成功する。著名な作家となってパリに戻ってくるところからこの映画は始まる。妻の遺した一人娘を引き取るところで映画はおわる。ロンリーウルフとして成功しても、ファミリーが必要だというヒューマニズムは、いかにもハリウッド映画ということだろう。ながらく父と離れていた娘が、そんなに簡単に父親になつくだろうかという不自然はある。妹のようにこの姪も死なせてしまうのでないかという姉の思いがある。姉の夫はいかにも善良という人物だが、幼子を父親に戻さないのは、妹をうばった男への代償でしかなかった。当て馬にされた善良が得々と妻に言い聞かせるセリフがいい。愛を感じることのなかったただのいい人が、はじめて不満を爆発させたかにみえ、説得力に満ちていた。自分が見つけたご馳走を妹に奪われた女のうらみは根強いものがあった。妹に一目惚れをした男にははじめから姉は見えていなかったのである。どんなに遊び好きでも、美人は得だなという映画に見せないためには、エリザベスの演技力が問われることになる。個人的には好みではないが、華のある女優だと思った。「陽のあたる場所」(1951)を見たときもそう思った。

陽のあたる場所1951

 よくわかるのはいつも出会いは、早すぎたり遅すぎたりするのだという原理にある。「君は心で殺人を犯した」というのは重いことばだ。助けないのは殺したことと同じだというメッセージは、あらためて噛みしめる必要がある。

第154回 2023年4月11日

邂逅(めぐりあい)1939

 レオ・マッケリー監督作品、原題はLove Affair。帰りかけるところで画家は自分の絵があることに気づく場面をクライマックスにして、話は急降下してハッピーエンドとなって終わる。はじめからは絵は見えない。別れぎわに鏡越しにチラッと絵が見えるという設定である。小道具をうまく活かしながら話を展開させていく。絵に描かれているショールもまた遠まわしにされた思い出のアイテムだ。そして車椅子。座っているだけでは足が不自由かどうかはわからない。ソファに座り続ける姿を不思議だと感じさせる演出もあるかも知れない。歩けなくなることは身を引くことを意味しただろうし、交通事故がいつ起こったかを小道具の暗示によって伝えることは難しい。

 この映画はその後1957年と1995年にもリメイクされている。第一作の不自然がどういうふうに解消されていたかを見比べる必要がありそうだ。「めぐり逢えたら」というこの映画を下敷きにしたバリエーションもかつて見た記憶がある。もちろんすれ違いは日本では「君の名は」での数寄屋橋での一年後の約束ということになるが、携帯電話が恒常化した現代では成り立たないものだ。しかしこの愛のすれ違いはだれもがよくわかる。思い違いは言葉が足りないことからはじまるが、嘘を重ねていってもそれは加速される。

 再会(めぐりあい)のセリフは、男が約束を破ったことを謝るところからスタートする。すれ違いの醍醐味を味わわせてくれる場面だ。見えすいた嘘を女は気づいている。そして話を合わせる。思い違いがふくらんでゆく。こまごまとした小道具を使っての演出だったが、船での出会いと別れは美しき大道具となった。加えて数寄屋橋ならぬエンパイヤステートビルも重要なアイテムである。

第155回 2023年4月12日

黄昏1952

 ウィリアムワイラー監督作品、アメリカ映画。原題はCarrie ローレンスオリヴィエがいい。もちろん名優である。男としては身がつまされる話だ。若い女には手を出さないほうがいいという教訓を含んでいると見ると、さすがに勧善懲悪を推奨するハリウッド映画なのだと思ってしまう。

 勧善懲悪とは見えない人間の真実を訴えているとは、虚しい男のロマンが言わせる弁明だろう。悲鳴に近い訴えだが、ハッピーエンドになりかけたのにラストで肩すかしをするあたりは、やはり勧善懲悪ということになる。こんなことになるからと注意喚起をうながすなら、シェイクスピアのハムレットも台無しになってしまう。すごすごと立ち去るのをやせ我慢と見るか、男の意地と見るか。男の意地なら、はじめから姿を見せなければいい。惨めな老いの後ろ姿に、さまざまな思いをこめて、映画は終わる。

第183回 2023年5月17日

第十七捕虜収容所1953

 ビリー・ワイルダー監督作品、アメリカ映画、原題はStalag 17。戦争映画だがドイツ軍の捕虜収容所での話。脱走をした二人が失敗をして機関銃で撃ち殺されるところから物語はスタートする。多くの捕虜たちが協力をして地下を掘り、綿密に計画をしていたのに、見つかったのは誰かスパイがいて、密告したとしか考えられない。真っ先に疑われた男がいた。脱走の直後、成功するか失敗するかでギャンブルをしかけた人物で、賭けるのはタバコの本数、多くは成功を願って、3本、5本、10本と賭けた。この男は失敗するだろうと思っていたので、仲間の多くのタバコが巻き上げられてしまった。

 そこからスパイと疑われて吊るし上げられ、しまいには半殺しの目にあわされてしまうが、自分の無実を晴らそうと、犯人探しをはじめていく。ナチスの捕虜収容所というと、拷問をはじめとした過酷な状況を思い浮かべるが、強制労働なども出てこないし、監視のドイツ兵を相手にジョークも飛ばしている。全員がヒトラーの顔にメーキャップをしておどけてもみせる。脱走を拒絶する論理は、脱走して戻っても、今度はもっと過酷な日本人相手の戦場に送られるのだと言ったりしている。つまりここのほうが身は安全だということなのだ。

 脱走を得策とは考えていないこの男が、最後は脱走をすることになるというのが見どころだが、そこに至るスパイ探しは、スリリングに推移する。戦闘場面がないだけに、犯人さがしの推理劇を楽しむことになる。キーポイントはチェスの駒ランプの高さだったが、気がつくにはこれまでとは何かちがうという第六感が必要になる。ランプの影がゆらめくのを見て、直感的に感じ取るものがあったようだ。アメリカ人に化けたドイツ人が混じっていた。アメリカの地理の細かなことを質問しながら、問い詰めていく。物的証拠としては隠し持っていたチェスの駒が決め手となった。

 爆破の容疑がかけられて自白するまで立たされている兵士がいた。3日間立たされ続けていたようだ。拷問のあとも残っていたので、ちょうど捕虜の扱いを監視する国際機関からの視察団が来ていて不審をいだくが、ドイツ軍は言い逃れをしてかわそうとする。あわてて捕虜に毛布を配布するなど、その場しのぎをして対応した。眠らせてくれと、ふらふらになりながら訴えるが聞き入れられない。裁判にかけるために移動になったと告げられる。つまりは処刑になるということで、仲間は何とかして助け出そうとする。とらえてあったスパイをおとりにして目を引いているすきに、助け出して脱走するてはずをとる。屋外に放り出されたスパイは、脱走とまちがわれ味方から誤射される。その隙に鉄条網を切って逃げ去るふたりのアメリカ兵の姿がみられた。