荻原守衛展 彫刻家への道

2019年09月14日~12月08日

中村屋サロン美術館


2019/12/1

 中村屋の美術館にふさわしい企画である。碌山美術館から借り出されたものが中心だが、中村屋所蔵のものも混じって、碌山と中村屋とのつながりに、臨場感があふれ出る。中村屋サロンは香り高い新宿文化の礎を築き、それを支える荻原守衛の存在は、みごとに日本彫刻史に輝いている。31歳で没した無念が、明治期のまだ初々しい日々の日本の将来を切望する。フランスに渡り、7、8年の滞在ののち帰国して、2年ほどの制作期間で終えてしまう短命の話である。

 「坑夫」の石膏像が展示されている。そこには作家の親指の形跡が生々しく残っている。それはゴッホの絵を前にして、炎と化した筆づかいに情念の息づかいを感じ取るのと似ている。身を引いて視線に力を込めるねじれのポーズは「文覚」にも連動するが、「」の身もだえをしてのび上がる姿へと展開する。ロダンを前にして魂を揺さぶられた東洋の若者の身もだえが、そこに反映する。芸術的枯渇は守衛自身の実らない個人的恋情の裏返しでもあって、地に根ざした実感を土に植え付けることになる。後ろ手を縛られた日本女性が、古い因習を脱ぎ捨てて自立し、恐る恐る伸び上がろうとする時代の意志の力が、相馬黒光という女性の面影を借りて結晶している。伸び上がった顔立ちは、盲目の目が光を探るときに見せる一瞬の表情に似ている。

 安曇野に碌山美術館を訪ねたのは28歳のことだったが、それからは一度も訪れてはいない。個人的なノスタルジーがかすかなワサビの香りをともなって、蘇ってくる。佐伯祐三の描いたパリ郊外の古寺のもつキリスト教の敬虔な祈りが、私の脳裏には響いている。中村屋サロン美術館という大都会の一画に誕生した、手狭なスペースの5年間が、やっと守衛の追悼へとたどり着いたということだ。所狭しの感のある第一室には、守衛の代表作が集められている。クリームパンからインドカレーへと展開した中村屋の味わいとともに、日本文化の昔日を感じ取れるひとときだった。


by Masaaki KAMBARA