イラストレーター・灘本唯人の全貌 —男と女のレシピ—

2019年07月02日~09月16日

BBプラザ美術館


2019/7/7

 アンニュイなパリジェンヌの少し崩れた女性の顔だちがいい。視線の定まらない目もとは50年代のフランス映画の定番だろうか。高すぎるハイヒールに足元がふらつくのか、冷静に見ると魔法使いの老婆のようでもある。顔は大写しだが、顔だけで語っているわけではない。映し出されていない足元や後ろ姿も含めて、全身である種のムードを作り上げているのだ。美人からはほど遠く、むしろキュビスムふうで、ピカソを意識した視点のずれが、自然に導入されている。トーンを落とした落ち着いた色調に支えられて、柔らかい空気感の中で大人の美意識に鍛えられている。

 似顔絵の訓練を経て、自信をもった省略が際立っている。顔を描きながら、顔以外に語らせる。それは絵画の醍醐味であり、画家の腕の見せどころだが、今ではイラストレーターの仕事になりつつある。現代絵画は色と形の純粋性を求めるあまり、表情を微妙に描き分ける王道を捨ててしまった。その意味では17世紀のレンブラントなどは最高のイラストレーターだったと思う。ピカソもまた泣く女を見ていると、その女性の人となりを、まるごと再現していることがわかる。

 誰でもない誰かを描こうとして、絵画は普遍性を獲得したが、ここではどこかの誰かを描こうとしているようだ。それが三船敏郎だったり、美空ひばりだったり、黒柳徹子だったりすると、似顔絵ということになるが、誰かを知らない者にとっても、その人となりがわかるなら、それが絵の醍醐味だということになる。懐から手を出して顎にあてる三船敏郎の姿は、用心棒以外の何者でもない。役者の仕草の一コマを切り取ったのならそんなに驚くことはないのだが、時折そのキャラクターがするであろう表情や所作を先取りして見せた時、見る方は納得する。絵は過去の記録ではなく、未見の未来を描き出せるのだと気づくのだ。そうした絵画礼賛の控えめな主張が随所に見いだせる展覧会だった。


by Masaaki KAMBARA