第56回 2022年12月29日
花咲ける騎士道1952
ジェラールフィリップ主演のものがいくらか手元にあったので見ることにした。36歳で死んでしまったというだけでも伝説の人である。ここではドタバタ喜劇の様相を呈するが、馬上での戦いなどはスピード感のあるアクション映画となっている。西部劇の「駅馬車」を思わせる活劇場面もあり、ルイ15世やポンパドゥール夫人も登場するので歴史劇としても楽しむことができる。主演のジェラールフィリップは、王女と恋をするという占いを信じて上昇志向に夢みる若者だが、最後には身近にいた娘の愛に気づくというよくある話の展開である。ラブロマンスとしてはハッピーエンドとなり、めでたしめでたしで幕が降りる肩の凝らない映画。身のこなしも含めて絵になる名優を前面に出して見せようとする映画で、映像の探究や実験というものではないようだ。
第57回 2022年12月30日
夜の騎士道1955
ルネクレール監督、ジェラールフィリップ主演作品。軍人ならば恋にばかりうつつを抜かさずに、職務に燃えろと言いたくなるほど、女のあとばかりを追いかけている。プレイボーイが真実の愛に目覚めるまでの話だが、結婚にゴールインすることなく悲恋のまま終わってしまう。プレイボーイのレッテルが、一度ついてしまうと、だれも本気とは思ってくれないし、信用してもくれない。主役の軽薄さに感情移入できないまま、批判的に見ることになった。
騎士道とは女性に対する敬意、フェミニストであることを一義とするものだ。映画は女のもとで一夜を過ごし、朝帰りをするみっともない姿からはじまる。この主人公をジェラールフィリップが演じている。銃も剣も扱いに長けているが、恋の腕前がそれを上回っている。映画は負け知らずのこの若き中尉の敗北のストーリーが綴られていく。結婚の決意は、戦い続けられないという意味では恋の終わり、敗北を意味する。プレイボーイは恋はしても結婚を考えてはいけないということなのだろう。
ミシェルモルガンが帽子屋を営む未亡人を演じている。この女性に恋心をいだくふたりの男が織りなす三角関係が話の骨格となる。恋のバトルが最後に決闘に至るのは、フランス映画の定番だが、ここでは撃たれたふりをするというひねりが加えられる。死んでしまったとの噂を信じて、自分の愛に気づく女心が描かれるが、賢明な選択は最終的に結婚相手として軍人は選ばなかった。若きエリートがさっそうと列を進める馬上の勇姿は絵になり、女たちのあこがれのまとだが、失意の旅立ちとなって映画は終わる。
第58回 2022年12月31日
肉体の悪魔1947
ジェラールフィリップ主演。未成年の学生が年上の女と恋をして、子どもまで身ごもらせることになるが、夫が従軍中のことだった。終戦の知らせを聞いて、ふたりは別れを告げることになるが、身重の逃避行がたたって女は命を落とす。女は母親に助けを求め、学生は同行を拒否された。夫が駆けつけたとき、うわごとにつぶやいたのは学生の名だった。母親は生まれてきた子どもの名前だとつくろったが、夫が信じたかどうかは定かではない。
子どもの不祥事を取り繕う親の姿は、ともに共通する。学生は父親の示す理解と信頼が重くのしかかり、身を引く決意をする。社会的に自立しない青年との恋のゆくえが悲劇に終わるのは、明らかではあるが、飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったもので、人間の感情の狂気は、肉体をもった悪魔というにふさわしいものだということを教えている。
待ち合わせの場所に行ったのに行かなかったというのは、悲恋を高揚させる重要なモチーフとなるものだ。「めぐりあい」ではエンパイアステートビルだったが、ここでは船着場である。船の行き来は繰り返し出てくる。女は来ない男をあきらめて、うつむいている。カメラは水面を映し出している。一瞬身投げをするのではないかと思わせるが、これがその後女のセリフからも語られることになる。女が婚約者との結婚を決意する重要な場面である。このとき学生は父にともなわれていて、女が約束を守ったことを確認して、その場を立ち去った。なぜ帰るのだと私たち見る者をいらだたせるシーンだった。
第59回 2023年1月1日
モンパルナスの灯1958
ジェラールフィリップ主演。モジリアーニのことだと知らずに見ていたら、この画家はどのように私たちの目に映っただろうか。かなり常軌を逸した人物である。個展が成功し、アメリカのコレクターが目をつけて油彩画をまとめて購入してもらえる機会をつくってもらったのに、みずから放棄して、後悔することもなく、その直後に町の酒場でスケッチを売り歩くみじめな姿は、理解するのが難しいものだ。
潔癖なまでの画家魂とも言ってられないせっぱつまった状況がある。愛する女性がやってこないのを、自宅にまで乗り込んで大騒ぎをする姿は狂気を含んでいるし、こうした自虐行為が死期をはやめる原因にもなった。ラストシーンでリノバンチュラ演じる悪徳画商が、残された作品をあさる姿は印象的だった。画家の死を知らない妻は、絵が売れることを単純に喜んでいる。後追い自殺をするところまでは、映画では描かれてはいない。それは絵を手放したことを悔いる亡き夫への自戒の思いだったかもしれない。
ハンサムボーイでもあり女性遍歴は少なくはなかったようだが、その点ではジェラールフィリップは適役だった。ひとりの画学生との運命的な出会いによって、絵画芸術は高みにのぼりつめる。破滅的な溺愛といってもよいが、このことが売り絵となることを妨げた。売るために絵を描いているわけではない。おそらくアメリカにまで持ち去られることは耐えがたいことだっただろう。
アルコール中毒と神経衰弱が引き金となって、パリで倒れてのちニースで療養を続けるが、あきらめかけた頃に、愛するジャンヌが追いかけてくる。締め切った部屋で、海はどっちの方向かと問うジャンヌのセリフがある。画家は知らない。ニースに来ても海を見ていないのだ。興味は自然にはない。確かにモジリアーニの風景画は思いつかない。次に自然を背景に戸外でジャンヌを描いているシーンがはさまるが、どんな絵に仕上がったのかが気になった。そこで彼女の取ったポーズの絵があったような気がするが、たぶん背景はないだろう。
モジリアーニは36歳で没するが、ジェラールも同じく、この映画を完成した次の年、36歳で病没している。それは破滅的ではあるが、絵になる光景でもあり、伝説となって絵画と映画に定着している。遺作になった「熱狂はエル・パオに達す」は、心なしか静かな演技が目を引くが、それまでの快活なジェラールを見てきた者にはものたりなく映るかもしれない。私は恋に奔走する姿よりも、押し殺したこちらの演技のほうが好きだ。
第60回 2023年1月2日
赤と黒1954
ジェラールフィリップ主演。スタンダール原作による長編映画。ナポレオン時代のフランスで軍人になるか僧侶になるかを色であらわすと、赤と黒ということになるが、映画でもこの色分けを衣装のちがいであざやかにあらわしていた。さっそうとした赤い軍服姿はこれまでもジェラールフィリップのトレードマークとなったものだ。家庭教師としてラテン語を教える青年が、その家の夫人と恋仲になってしまう話である。身分は卑しいが野望に燃えている。神学校に進んで聖職者をめざすが、それは国王でさえ神の前でひざまづく姿を目にしたことからだった。恋を足がかりにして出世街道を直走るが、あぶない綱渡りは、欲望と嫉妬によるつまずきによって、死刑判決にまでエスカレートしてしまった。
第61回 2023年1月3日
夜ごとの美女1952
ジェラールフィリップ主演、ルネクレール監督作品。若き音楽教師の作曲したオペラが採用されるまでのドタバタ喜劇。まわりの住人は下町に住む労働者たちで、音楽家だけがひとり場違いで浮き上がってみえる。喧騒とした酒場でのラジオ放送では、クラシック音楽を聴くのを好んでいる。優雅な音楽に聞き耳を立てるのは、もうひとりレジ係の女がいるが、すぐにチャンネルは騒がしい番組に変えられる。
夜な夜な夢に見る美女との恋愛だけを楽しみに、音楽人生を満喫している。相手はピアノの家庭教師をしている先の奥さんであったり、先ほどのレジ係であったりするが、夢では優雅に変身して恋を語りあっている。話は夢なので妄想もはなはだしいが、フランスの1900年前後を社会背景として、仕事には身が入らず教室でも個人レッスンでも、職業人としては失格としか言いようはない。子どもの弾くピアノもうわの空で、いねむりをしてぼんやりと夢見ている。
あざけられからかわれして、本人は嫌われていると自覚しているのに、住人たちはこの変わり者を温かく気にかけているようで、その人情は見ていて心地よく目に映る。パリの下町にいきづく情趣と言ってよいだろう。ピアノがうるさいのと工作機器がうるさいのとが対比をなすが、夢ではオーケストラが、道路工事のドリルを響かせ、のこぎりを弾いている。オペラやクラシック音楽が茶化されているのだが、反発するのではなく、受け入れつつ共存している姿は、最先端の現代音楽をほうふつとさせてもいる。
劇的なストーリー展開はないが、ほのぼのとしたユーモアに裏打ちされた安定感のある映画だったと思う。最後にコンクールに出していた自作のオペラが採用されることになるが,本人以上にまわりの住人たちが、よろこんで大騒ぎをしている。ヒステリーを起こして警察につかまったときも、彼らが何とかして助け出そうと必死になっていた。そこには車の修理工や警察官もいた。堅実な職業人たちだった。
第62回 2023年1月4日
奥様ご用心1957
エミールゾラ原作、ジュリアンデュヴィヴィエ監督作品。主演のジェラールフィリップは、あいかわらず女好きのプレイボーイ役である。恋愛についての軽薄な考えが、騒動を巻き起こす。人騒がせではあるが、ポリシーは一貫しているようで、堂々としていてあとには引かない強情さをもっている。どう考えても社会的通念には反するが、最後まで見ていると、結婚制度に支えられた社会のほうが不自由で、不自然にさえ見えてくるから不思議だ。恋愛の三角関係の決着が最後には剣か銃かの決闘に至るというのは、今では時代錯誤で理解しがたいものだが、命をかけるという意味では、人間として純粋な営みなのかもしれない。「モンパルナスの灯」を先に見ていたので、アヌークエーメに注目していたが話の展開に大きくかかわってはいなかった。
婦人服の店員として就職するが、商売上手で客の対応にそつはなく、店を繁盛させるのだが、女好きなのがたまにきずで、女主人は嫌っている。意見が合わず飛び出して、ライバル企業で大成功するが、この女主人、夫が死んだこともあって最後には心のうちを告白して、めでたしめでたしで幕を閉じた。とはいえはたしてこの先どうなるかは誰もわからない。どう見ても別の女たちとの関係が終わるとも思えないのだ。
第63回 2023年1月5日
危険な関係1959
ロジェヴァディム監督作品、ジェラールフィリップ、ジャンヌモロー主演。不道徳な夫婦の破滅へと至る物語。危険な関係を楽しむのもいいが、度を過ぎると身の破滅を招くという教訓が下敷きにされている。その限りでは道徳的な話ではある。ジェラールフィリップはあいかわらず恋愛の達人で、妻公認のプレイボーイである。妻が浮気相手まであてがうというアブノーマルな設定は、異常心理ではあるが、刺激的な話の展開がドラマをおもしろいものにしている。
倦怠期の夫婦関係を活性化するために、互いが公然と不倫を楽しむのは、信頼感のある遊戯のルールに根ざしたものだろう。しかし遊びはときとして本気になってしまうので要注意ということだ。夫は外交官で地位も名誉もある。妻もキャリアウーマンで、大学時代からの付き合いで結婚して10年を経過している。外交官は若い娘に手を出して妊娠までさせてしまい、フィアンセの学生から怒りを買って殴り殺されてしまう。妻は悲しむでもなく証拠隠滅の事後処理の最中、火が服に燃え移り、顔に大やけどをおってしまった。火遊びの相手はとんだ災難で、フィアンセは殺人犯になってしまった。火遊びは確かに大やけどをおうのである。
第64回 2023年1月6日
勝負師1958
ジェラールフィリップ主演。ドストエフスキー原作「賭博者」による。カジノで全財産をなくしてしまうロシア人女性と、その遺産を目当てに群がっていた縁者たちの騒動が織りなすブラックユーモア。資産をなくすと急に相手にされなくなってしまう現実世界の姿が、極端なまでに誇張されて描き出されている。ジェラールはそこで雇われている家庭教師という身分だが、愛と情熱を武器にこの家の娘にアタックを続けている。優位にある恋敵がいるが、娘に転がり込む遺産を目当てにしてのことだった。
死が間近だと聞いていたのにもち返し、老女は車椅子で町を訪れてくる。まわりが大慌てをする場面はドタバタ喜劇の様相を呈している。カジノに出かけてルーレットにはまりこんで、はじめに勝ちが続いたことからやめられなくなって、全財産を注ぎ込むまでに至る。甥をはじめ縁者は気が気でない。遺産をねらう相続人たちへ見せつけようとした報復にさえ思えるが、人を狂わせるギャンブルの魔力と見るほうが正しいだろう。
財産をなくしたとわかって、フィアンセは手のひらを返したように娘に別れを告げた。娘は殺意さえいだき、彼女を愛するジェラールに殺人の依頼をほのめかす。彼は拳銃を所持していた。手もとの金をカジノで使い果たして、決意を固めようとするが、逆に勝ちに恵まれ、大金を手にすることになってしまった。娘のもとに大金をもち帰ったとき、娘の態度は豹変した。目を離しているすきに、男の拳銃で自殺してしまうのだ。そこにドストエフスキーが観察した、理解しがたい摩訶不思議な人間感情の神秘をみとめることになる。
第65回 2023年1月7日
悪魔の美しさ1950
ジェラールフィリップ主演、ルネクレール監督作品。ゲーテのファウストを下敷きにしながら、ファウスト博士と悪魔との駆け引きを通して、老いと若さの対比がくっきりと見えてくる。悪魔を演じたミシェルシモンは、日本でいえば伊藤雄之助の存在感にあたるだろうか。「素晴らしき放浪者」での強烈な演技を忘れられないでいるが、ここでも老いたファウストとして、酔っぱらったような言動に受け継がれている。学生ふうの若者のほうが、実はファウスト博士であるというファンタジーの構造は、ミステリアスなコメディに展開してゆく。王妃とのアヴァンチュールと堅実な旅芸人の娘との恋愛とが対比になってもいて、悪魔は老教授に若さを与えて、何とか破滅の構図を完成させたいと願っている。錬金術がむなしく土に戻ってしまうというのも象徴的で、老いも錬金術と同じで、見せかけでは輝くことはないということだ。冒頭、ファウスト博士の栄光を祝うセレモニーを、片隅から眺めるジェラールフィリップのメイキングは、恐ろしいまでに悪魔の美しさを示していた。
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