大岩オスカール 光をめざす旅

2019年04月27日~8月25日

金沢21世紀美術館


2019/7/18

 そんなにうまい絵ではないのに、超絶技巧と呼べる高度なテクニックが埋め込まれているように感じるのはなぜなのだろう。ダイナミックなスケール感があるのは日本という狭い空間を逸脱しているからに違いない。日常に根ざした卑俗なまでの描写であるのに、永遠へと引き伸ばされた時空間の拡張を伴って見える。そのアンバランスは光や雪や水という気象現象が、生活空間を取り巻くことで、解消されている。魔法の棒をかざした時の軌跡のように、その場で時が停止してしまうのだ。

 日常の異空間とでも言うような場のもつ神秘に向ける眼差しは一貫している。二重露光も多様されていて、シュルレアリスムで言えばダブルイメージになるが、これによって船が空を飛ぶことも可能となる。日本で暮らしたのが「北千住」であり、その場のもつエネルギーを下敷きにしていて、失われた昭和を彷彿とさせる。画家はサンパウロ生まれで、昭和を体験しているわけではないが、あざやかにそのポリシーを描き出していると思う。大学で建築や都市を学んだせいもあるのだろう。モノが伝えるメッセージは、確実に伝わってくる。海をゆく船の描写も構造的で、窓枠を通して内部空間も適切に描き出されている。

 空気の重さを十分に計算できていて、はじめて船が宙に浮くことも可能となる。画家は解剖学から人体の輪郭を理解するが、建築家はパースペクティブを通じて重力の法則を確認する。いったんそれが身につけば、シュルレアリスムはいくらでも想像可能だ。木立に小さなイロリとカマドと風呂と寝床を置いた風景に、違和感はない。もちろん住居が鳥の住まう巣とダブルイメージにされているのだが、離れて見ると同じ色に染まり、メルヘンのこびとの世界へと誘ってくれる。

 大都市の高層ビル群を否定するように、ベールや雪や光の粒でおおってしまう。不可解な自然現象のように見えるがこれらの記号は、都会が吐き出すスモッグのように、憂鬱げに世界を取り巻いている。一方、樹木に向かっては光の粒が加速度を増して移動している。


by Masaaki KAMBARA