こども本の森 中之島

2022/6/28

 確かに本の森だ。好奇心がふつふつと湧いてくるしかけが、あちこちに施されている。図書館学の立場からの是非はわからないが、背表紙だけが並ぶ書店や公立図書館のすまし顔はここにはない。木々に開かれて花や果実が芽吹くように、こちらを向いて誘っている。本のページのことを一葉というのだと気づくと、それはまさに花盛りの森という印象である。

 本に取り囲まれて朝はこのコーナーに、午後はまた別のコーナーへと移動しながら、全身に人類の英知というシャワーを浴びて目を閉じて、どっぷりと浸かっていたい気がする。そのとき味わう幸福感を大人はこどもに誘われて取り戻す。こどもを連れてくることで、いつのまにか親がこの広大な森のとりこになってしまっている。もちろんいつの日かこの地域の廃校となった小学校が復活すればよいと思う。中之島に失われたこどもの声を取り戻すための、今は逆行とも思える試行ともとれる。

 安藤忠雄の建築はこれまで何度も体験してきた。大規模の建築よりも狭い敷地に工夫を凝らしたものを、わくわくとして新鮮に受け止めてきたように思う。ここでも単純な箱型のコンクリート建築ではない。狭いコーナーに隠れるようにして本の世界に深入りすることで、ほんのわずかな瞬間は永遠を感じ取ることさえできる。人数を制限した予約制で今回の私の訪問は15:30-17:00だった。開館して二年もたっていたので、予約は簡単に取れた。制限された時間帯ではあるが、開かれた公共性は、中央公会堂をはじめとして、かつて中之島界隈を舞台にした経済人の地元への恩返しから受け継がれてきたものだ。そこにはその後没落の憂き目を見ることになるとはいえ、絶頂期に私財をなげうった古き良き時代の面影がかたちをなしている。

 これまで私が目にした安藤建築は公共建築に限られるが、本領はプライベート建築にあったのだと思う。その意味では私は代表作を見ていないことになる。住吉の長屋にしても六甲の集合住宅にしても茨木の光の教会にしても、部外者が押しかけるものでもなさそうで、「鑑賞」の対象にはなりにくい。その後ろめたさはバルセロナに行ってガウディの住宅建築を申し訳なさそうに訪問するのに似ている。そのためおのずとサグラダファミリアグエル公園を語ることになるのだが、本来の鑑賞者は特権階層であるという点では、建築もまた絵画、彫刻と変わらず人類の所有欲に根ざしたものだ。

 美術館建築は公共性という点では、誰もが評価を語れるものだ。兵庫県立美術館については、使い勝手と導線の悪さから、私は悪口ばかりを言ってきた。これとともにこれまでよく訪れたのは高梁市成羽美術館だったが、アプローチの目隠し、あるいは目騙しは、その後の李禹煥美術館にも反映しているし、はては地中美術館(直島)となって建築を放棄するまでに至っている。にもかかわらずそれらはすべて安藤忠雄の建築なのである。苔むしたホテルの教会も廃墟を思わせる点で感慨深いものがある。北海道旅行をしたときにトマムのホテルで水の教会に出くわしたことがある。六甲オリエンタルホテルのチャペルを目にしたのも、ホテル廃業ののち遺跡としてだった。盛時を思い起こす滅びの美として印象づけられたものだ。

 そこには「こども本の森」にも通底する思想がある。狭いトンネルを抜けて急に開ける光明は、ここでも巧妙にしかけられている。それはわくわくさせる空間づくりであり、取れもしないほど高いところに配架された書籍が語るのは、知の象徴以外ではない。本を開く前に体感する人類史の恩恵にまずは手を合わせて祈るよう誘導するのである。その点では宗教建築に近いアプローチなのだろう。淡路島の本福寺を訪れたときに感じた、階段を降りて入水、あるいは入滅したあとに目の前に開かれた光明の光景に通じるものが、そこにはあった。

「本の森」では南側に窓はない。中之島を南側から入ると外観はコンクリートのかたまりにしか見えない。緑もないアスファルトジャングルを想起させる。石と砂だけの禅寺を思い浮かべてもいい。北側を向いて建てられた画家のアトリエにも似て、光に動揺することのない思索の空間を提供している。なんとかして光を取り込もうとする大都会の住宅建築と逆行するのは、逆光を愛し、日影の文化を称揚する日本の美意識を写し出していて、陰翳礼讃と言ってもよいものだ。もちろんここでは北側の大きな窓を通して明るい間接光が降り注いでいる。それは熱をもたない知の光であって、太陽に背を向けることで築かれてきた知の建築術だった。コンクリートは確かに太陽光を否定する人類の英知だった。

 中之島に箱モノを建てる是非は問われることにはなるだろう。しかし建築家なら建築を、造園家なら庭をつくりたがるものだ。戦国大名なら城を建てたがっただろうし、現代の権力者なら市庁舎ということになる。さまざまな思惑と利権が飛び交う「中之島公園」は、芸術文化とは別の意味で、興味深い名称であるようだ。大阪で育った若者にとって中之島は、予備校時代は府立図書館、恋愛初期は夜のベンチでしかなかっただろう。


by Masaaki Kambara