所蔵日本画展 耳を澄ませば

2023年4月6日(木)~7月2日(日)

桑山美術館


2023/05/20

 「耳を澄ませば」というタイトルに誘われて訪れた。音の聞こえる日本画を集めての展覧会である。はじめの橋本関雪「天台雙狂図」の寒山拾得がいい。気持ちよさそうに眠っている姿からは、いびきが聞こえてくる。余白の多い日本画は、余韻が多いということでもあって、風のそよぎが音を伝えている。森村宜稲(よしね)「月下擣衣(とうい)」で砧を打つ音はそんなに聞いた経験はないが、ぴんと張り詰めた空気を破るに違いない響きは理解できる。前田青邨は「天の岩戸」の前での騒ぎを描いている。乱舞のざわめきと何ごとかと好奇心をふくらませて静かに開ける扉の音が、対比をなして聞こえてくるようだ。上村松園「手毬つき」では、少女の無心が見える。大人びて着飾っていても少女なのだと思う。リズミカルに単調だが響く音には、手慣れない初心者の新鮮な気分が宿っている。川合玉堂「松山懸瀑図」ははじめからタイトルを見てはいけない。静かな森の景色をよく見ると、遠望に滝が浮かび上がっている。それが目に止まったときから、湿気も加わって深淵な神秘感がただよいはじめる。今村紫紅の「雷神」がどんな音を鳴らすのかは、聞いたことがないのでわからない。たぶんゴロゴロとトントンが重なり合わさったものだろう。トントンは手にもつ小太鼓の音色だが、両者の音の高低と大小の対比が、コントラストの妙を奏でている。もちろん風神を加えて四重奏にして、完結するものだ。庭も含めて味わいのあるひとときを過ごすことのできる美術館だった。

 階下の古画に対して上階には現代作家の作品も並んでいる。そのなかで藤井康夫「飛翔する隼」に接した。倉敷での教員生活でご一緒した日本画の教授である。猛鳥のうなり声が聞こえてくる。同時に画家本人のいつも笑みをたたえた温厚な顔立ちが浮かんできて、その落差を楽しむことになった。作家の人となりを思い浮かべるのは美術鑑賞では邪道だと思っている。作品を通して見知らぬ作家を思い描くのはいいが、知り合いである場合には、作家と切り離して作品そのものと対峙するべきだというのが私の持論だ。作品は人そのものだという考え方もあるが、作品は誕生後、別の人生を歩む。親の所有物ではないことは、人間の親子関係を見ていてもわかる。作家の側からいうと前作との関係を断たなければ次作はつくれない。鑑賞者の立場からすれば、知り合いの作家の評価はどうしても甘くなってしまう。つまるところピカソだからいいのではない。いいからピカソなのだ。


by Masaaki Kambara