第5章 レオナルドと盛期ルネサンス

レオナルドとミケランジェロ/レオナルドの未完成レオナルドの絵画論骨と皮膚素描論工房からの脱皮キリストの洗礼ヴェロッキオの彫刻/受胎告知最後の晩餐三王礼拝岩窟の聖母聖アンナと聖母子

第284回 2022年6月23

レオナルドとミケランジェロ

 16世紀とともに盛期ルネサンスがはじまる。中心になるのはいわゆる三巨匠、ここではまずレオナルドが各地を遍歴した歩みをたどる。師匠ヴェロッキオとの比較、自然観察と解剖学に向ける情熱、絵画論と膨大なスケッチブック、これらをふまえながら、絵画作品を分析してゆきたい。

 美術史家ヴェルフリンは「しなやかさ」と「けだかさ」という対比で1400年代の初期ルネサンスと、1500年代の盛期ルネサンスを区別したが、それは同時代を生きたボッティチェリとレオナルドの比較でもある。ボッティチェリは世紀末を生き抜いた人で、最終的には絵が描けなくなって、尻すぼみになって終わってしまう。それを経て次の盛期ルネサンスが出てくる。中心になるのはレオナルド・ダ・ヴィンチだが、ボッティチェリとの関連で言うと、ちょうど同世代で少しボッティチェリの方が上になる。フィレンツェの町を行き来して顔を合わせている間柄である。ところがものの考えかたはずいぶん違う。伝承に従えば、レオナルドはボッティチェリの悪口を言う。風景がうまく描けないやつだと言うのだ。ボッティチェリがそれに対して反論をしたかどうかは定かでないが、同世代でありながら、ルネサンスの真っ只中にいるとはいえ、思考法がずいぶんと違っていた。

 レオナルドはルネサンスの本流、ジョットから始まってマザッチオ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ヴェネツィア派周辺でいえばマンテーニャあたりの重厚さを追いかけていこうという流れに属している。レオナルドについてはあまり感覚的感情的な描写はない。

 もちろんドラマ性、人間のドラマとして表現するという側面はあるが、センチメンタルな気分で絵を見せることはほとんど考えていない。ものの本質をつかむ方が重要であるとする論理の人だった。レオナルドの描いたものは好き嫌いがある。日本人の嗜好でいくとレオナルドとボッティチェリの対比では、感覚的なボッティチェリに軍配が上がるようだ。同じくレオナルドとミケランジェロという対比もあって、これは画家と彫刻家とのちがいであるが、そこに人間性のちがいも加わる。この場合もやはりミケランジェロに軍配が上がる。日本人はあまり論理的な民族ではないらしい。

 ふたりの個性のちがいはルネサンスを見る場合に対立要素になっている。ここではレオナルドにスポットをあて、ミケランジェロは次章で扱うが、基本的にはレオナルドは画家であって、ミケランジェロは彫刻家である。とは言いながらレオナルドも大きな彫刻を構想して、今は残らないが幻の騎馬像として知られている。騎馬像というのは大変で、馬というのは胴体部分が重くて、それを細い足で支えることになる。彫刻家なら誰も、現実の馬がなぜあんなにも細い足で重い胴体を支えていられるのかと驚嘆するはずだ。画家とのちがいは実はここにある。

 騎馬像の伝統はローマ時代より引き継がれ、イタリアルネサンスではドナテッロのガッタメラータ将軍騎馬像(1453)やその後のヴェロッキオのコレオーニ騎馬像(1480-8)などが知られる。つまりは絵になる姿である。これらの伝統の上に立って、それをもう一回り大きくダイナミックにしたものをレオナルドは構想した。しかしどうもうまくいかなかった。かなり無理をして支えようとする。馬が動いている表現をしようとすると、四本の足が地面についていなくて、一本足を上げると三点で支えることになる。これなら比較的支えやすいのだろうが、さらに二本足で伸び上がるようなことを考える。現在ではこれを復元しようという試みもあるようだが実現は難しい。

 一方ミケランジェロはそういう騎馬像などはあまり考えずに、もっぱら人体にウエイトを置いていく。カンピドリオの丘にはミケランジェロの設計した広場(1534-8)があるが、おもしろいのはその中央にミケランジェロが手がけることのなかった騎馬像が置かれている。ルネサンスの騎馬像の手本になった古代ローマの優品マルクス・アウレリウス帝の騎馬像である。

レオナルドとの対立のなかでミケランジェロは自分も絵ぐらいは描けるといって描いたのが、システィナ礼拝堂の天井画「天地創造」(1508-12)と壁画「最後の審判」(1535)である。ミケランジェロは絵画作品としては数えれば数点しかないが、そのうちの一点システィナ礼拝堂天井画だけで、面積からいえばレオナルドをはるかに凌駕している。礼拝堂は40×14メートル、高さは20メートルの規模である。ただミケランジェロの絵画が、人物群像だという限りでは、人体に特化した彫刻制作の延長上にあるものだ。

 レオナルドとミケランジェロの絵画を比べてみて感じることがある。レオナルドの人物画には画家とモデルのあいだに、空気の層があるが、ミケランジェロにはそれがないように思えるのだ。ミケランジェロの場合、天井画のように距離があっても、手に触れる距離感があるようだ。逆にレオナルドでは素描であっても、遠くのものを見ているような気がする。レオナルドが「夢見るような表情」をその特徴とし、スフマートというぼかしのテクニックを完成させるのも、この距離感の実現のためだったのだと思われる。端的にいえば画家は空気を介して世界を観察し、彫刻家は手に触れるようにして世界を把握するということだろうか。「最後の審判」はレオナルドが描く可能性もあった。作家自身が望んでいたように、20年早かったならレオナルドは世の終わりのイメージをここに展開することも可能だっただろう。それは大洪水をともなうファンタジーあふれる終末図となったにちがいない。

第285回 2022年6月24

レオナルドの未完成

 レオナルドの絵画の少なさはいつまでたっても完成しないという点にある。ミケランジェロにしてもそうだがモノをつくりあげ完成させるという気があまりなかった。そんななかシスティナ礼拝堂の天井と壁画を完成させたということは、ミケランジェロをそこに縛り付けて完成へと仕向けたもうひとつの力の偉大さが見えてくる。ミケランジェロがサン・ピエトロ大聖堂と深い絆を築くのは、石の持つ象徴性に由来するのかもしれない。聖ペテロ(ピエトロ)は「石」という意味であり、彫刻家としてのミケランジェロの姿と共鳴し合っている。

レオナルドはミケランジェロ以上に完成へのこだわりがなかったからだろうか。実力から考えると当然くるべき公的なオーダーを逃している。遠近法と解剖学は絵画に集約するが、さらにのめり込むと絵画すら忘れて思索にふけることになる。レオナルドとピエロ・デラ・フランチェスカ、あるいはウッチェロを見ているとそんな気がしてくる。

 レオナルドの場合、自然の根元を観察する、今日の自然科学というものに近い目があった。そこでは完結することなく、永遠に「なぜ」という疑問が発せられ続ける。そこが科学と芸術が異なる点だ。レオナルドを見ていておもしろいのは、「モナリザ」(1503-19)などは完成作なのだろうが、最後の最後までもち続けていて、暇があれば少しでも手を加えたかったという点だ。肖像画を完成させずにいると、すべての肖像画は老人になってしまう。最後までもち続けていたものが何点かあって、それが今ルーヴル美術館に入っている。

 レオナルドはイタリア人なのになぜ代表作がルーヴルにあるのか。彼は晩年フランスで死んでいる。当時の時代の流れとしては、フィレンツェという町が下り坂に入り、ボッティチェリというのはメディチ家の最後の栄光を飾った画家である。燃え尽きる直前の画家である。レオナルドの方はメディチ家での安住は期待できず、あちこちに職を求めて放浪をしないといけないということになっていた。レオナルドは時代に翻弄された芸術家でもあるのだ。宮本武蔵と比較すると、剣豪を雇い入れた地方大名を思い浮かべる。剣豪だけてはない、筆と画のひとでもあった。武力だけではない、文化もほしかったのである。フランスは文化を欲しがったことによって、やがてイタリアを抑えて世界一の文化大国になっていく。

 レオナルドが長くいたのはミラノで、北イタリアにありフィレンツェとは文化圏を異にしている。むしろヴェネツィアなどに近いところだ。ヴェネツィアに近いおかげで、レオナルドはヴェネツィア派の次の世代に大きな影響を与えることになる。「最後の晩餐」(1495-8)はレオナルドの壁画の代表作だが、それを現地で見て感動するためにはミラノに行かなければならない。今は大都市であるが、システィナ礼拝堂がローマにあってたくさん人が来るのに比べると、やはり当時としては不便だということだ。今では画集をはじめ視覚メディアで誰もが知っているが、16世紀ではそこからミラノ詣でがはじまっていく。フランス王も「最後の晩餐」をほしがったが、壁画なので手に入れるには、ミラノを武力で攻め落とすしかなかった。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」を欲しがったスペイン王が、武力の矛先をネーデルラントに向けるのにも似ていた。美術品は美女と同じで国家の欲望の暗部にさざめいている。もちろん文化財をかえりみないで破壊しつくす侵略者も少なくない。

 レオナルドはミラノからローマに戻り最後にはイタリアから離れていく。フランスが力をもちだしてきてフランスの宮廷に召抱えられることになる。フランスの美術の出発点はレオナルドからはじまる。17世紀になるとフランスでアカデミーが出来上がっていくが、それももとをたどるとイタリアルネサンスを基調にしており、ことにレオナルドを原典としている。

第286回 2022年6月25

レオナルドの絵画論

 レオナルドのものの考え方をまとめておこう。どんなことを考えながら絵を描いていたかということだ。最終的に絵画というものを最後の目的にしている。もちろん建築や彫刻など芸術のあらゆる分野をこなしてはいるが、それはすべて絵になるのだという考えだ。しかし今日現存するレオナルドの絵画作品は多くはない。完成作は少ないがその周辺に膨大なスケッチブックが残される。それはレオナルドが何を考えてきたかをよく示すものになっている。

 そこにはそれぞれ絵があってそれにメモが書かれている。それは目に見えるものをすべて絵に写した観察記録である。マドリッド手稿とかアトランティコ手稿とか手書きの冊子が残っていて大事に保存されている。それをみるとたとえば洪水が起こって川が氾濫するときのようすであったり、緻密な草花の観察のスケッチであったり、人体解剖をしたときに出てきた臓器の生々しさであったり、あるいは子どもが生まれる前、胎内に赤ちゃんいる透視図であったり、潜水艦を構想した図であったり、羽根のついた飛行機で空を飛ぶ見取り図であったりというようなものだ。

 それを見ると芸術というよりもむしろ自然科学全般を、ふつうなら文章にするのだろうが、とにかく絵にしてしまったということだ。そのなかで遠近法であるとか、光の問題が起こってくる。光があたって影ができるが、どんな影になるのか、人間の目に見えるというのはどういうことなのか。それを知るために彼は眼球をえぐりだしてその構造を探る。人間の体の骨組がどうなっているかわからないと絵は描けないというわけで、人体解剖にまで至る。もちろん自然の神秘を知りたいという欲求にもとづくものなのだろうが、これら一連の行為はまるで絵を描きたいがためになされたようにも見える。

 彼はすべてのことを掘り下げていく。モノのうわっつらだけではもの足りずに皮を剥がし、そのなかにある骨組を探る。骨の仕組みさえわかれば人体は描けるし、人体が描ければ、着衣像も描けるのだ。レオナルドのものでは裸婦像はあまりない。衣装を身に着けているがそのなかにはいかにも骨がしっかりあって、その骨組まで見えてくるような、あるいは透視図を通してレントゲン写真で骨まで見えてきそうな感じさえする。モナリザの表面の顔料を落としたら、中に骨が描かれているのではないかというような、そんなことまで考えてしまうのだ。ファンアイクの場合と同じように、重厚な絵の具の層を、何度も塗り重ねて光り出す油彩の光沢は、何十回も重ね塗りにされた漆器の技法に似ている。

第287回 2022年6月26

骨と皮膚

 ルネサンスの興味が「骨」にあるとすれば、その次にくるマニエリスムの興味は「皮膚」にあったといってよいだろう。骨を見るか皮膚を見るかは、世界観の大きなふたつの対比だ。古代エジプトが皮膚の時代であったことは言うまでもない。そうでなければ骨を埋めるのではなくて、ミイラで保存するなどという発想は生まれてはこなかっただろう。日本にも平泉に藤原三代のミイラが残るが、それも次代の鎌倉の美意識と対比すれば、骨組ではなく、表面の装飾に目を向ける平安後期の世界観を反映している。

近代でも骨にこだわりを示したのは、パブロ・ピカソ(1881-1973)やジョージア・オキーフ(1887-1986)などが思いつくが、日本の写実絵画では野田弘志(1936-)もそうだ。世界の躍動ではなく静止を、ともに世界の安定を模索した画家だったと思う。キュビスムは世界をうつろいゆく現象とみた印象派を否定して、世界の骨組みを探ろうとするこころみだった。しかもルネサンスの安定した重力の支配する力学も否定した。

キリスト教中世も骨に執着し、聖遺骨の信仰に終始した。ピカソの骨へのこだわりは、アヴァンギャルドと立ち位置としては不自然にみえるかもしれない。しかしピカソの場合、カメレオン的変容といわれるように、キュビスムの前衛精神が対極とも思える新古典の時代に移行できるのは、そこに通底するものがあったからだ。セザンヌがプッサンに帰れというのも同様の理念に由来するものだろう。流行に流されるなという、時流に右往左往される美術の付和雷同への警告ともとれる。中世ではそれをメメントモリ(死を想え)といって骨に対峙していた。

 レオナルドはいろんなことを自分の頭で考えた。今から見ると自然科学の立場からはずいぶん怪しげな考え方をしているが、それはそれなりにその当時、精一杯考えるとこういう結論が出てくるのだという意味では、論理的な整合性も見えてくる。

第288回 2022年6月27

素描論

 レオナルドにとっては絵画といっても重要なのは素描である。しかしそれはその後出てくるデッサン教育、デッサンさえしっかりしていれば絵も描けるし彫刻もできるというような素描ではどうもなさそうだ。アカデミーのシステムができて美術学校の教育の現場で用いられるような素描教育というのはレオナルド自身のなかにはおそらくなくて、そういう理念が成立するのは次の世代、ラファエロのあとあたりから起こってくることだ。

 レオナルドにしてもミケランジェロにしても、人に絵を教えるとか彫刻を教えるという意識がほとんどなかったのではないか。いわば自由人である。レオナルドもミケランジェロも確かに師匠について勉強はしている。それまで築き上げてきたイタリアルネサンスの伝統の恩恵をこうむっている。自分自身は当時の工房に入って、小さい頃から絵の才能を引き出されていくことになる。

 レオナルドは早熟で、師匠であったアンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435c.-88)が年端もゆかない少年レオナルドの描いた描写に驚いてしまって、絵を止めてしまったという話だ。絵をやめて彫刻家になった。絵をやめて彫刻だと絵のほうが彫刻よりも上なのかというランキングも見えてくる。

 似たような話はブルネレスキとギベルティの間でもあったが、その場合は彫刻家をあきらめて建築家になったという話だ。その意味では絵画・彫刻・建築という三つの柱にはランキングがあって、しかもその上にそれぞれが行き来できるものであることも教える。その当時の工房というのは絵画だけではなくて、工芸作品も含めて多くのものを手がける組織だった。何でもこなせるがそのうち得意芸というのを特化させていく。

 ヴェロッキオの場合はその後ドナテッロを継ぐ彫刻家に成長していく。レオナルドの場合は画家という道を進むことになるが、画家というには作品があまり多くはない。しかし一点一点の作品を見るとこれ以上のものはないという驚きがあってやはり画家だ。いつまでたってもできなかったという話なら、レオナルドと並びミケランジェロにも未完成の作品が多い。素描さえできればあとは自分の仕事ではないとでもいうようだ。

第289回 2022年6月28

工房からの脱皮

レオナルドには画家としての職業意識は少なく、自由人だった。もちろん親方になり工房をかまえ、弟子(今なら社員)を食わせていくことを優先すれば、その土地に根を張ってがんばろうとなるはずだ。レオナルドは自分を売りこんでパトロンを見つけようとする。距離を隔てたミラノのスフォルツァ家に入りこむ。そのときの自己推薦文が残っているが、私はこんなことができるという事項があがっている。もちろん絵が描けること。そして音楽もできる。演奏家としてもすぐれている。しかし絵が描けるというのは、実用という点であまりメリットはない。それよりも軍事施設、大砲がつくれる、敵が攻めてきても落ちないような城をつくれるなどの方が実質的であったし、実際それらを構想したスケッチも残っている。

 投石器という砲丸を飛ばす兵器もある。大砲のはじまりであるが、自分を売り込む材料のひとつでもある。自由人であるからこそいろんなことを考えることができたし、これ以前もこれ以後もどうも出てきそうにない、とてつもなく大きな夢想家だったという感じがする。20世紀でいえばマルセル・デュシャンが対比として思い浮かぶ。デュシャンの制作した謎めいた大ガラス「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(1915-23)は、レオナルドのスケッチに登場する発明品に似ている。レオナルドとデュシャンの関係は、物理学に置き直せば、ニュートンとアインシュタインの対比といえるだろうか。そこでは重力の法則に従うか、無重力に遊ぶかという立脚点のちがいがある。芸術の中心地の移動を念頭に置けば、一方はフランスが憧れたイタリア人、他方はアメリカが憧れたフランス人である。美術の中心がローマからパリに、さらにはパリからニューヨークに移る対比を象徴し、神話化された人格だった。

レオナルドのおかげでルネサンスは芸術家が胸を張って生きる事のできる時代となった。中世以来の組合組織(ギルド)に縛られない自由人だった。自然科学と芸術を結び付けたという意味でもレオナルドの功績は大きい。彼は科学者であって技術者であって、しかも芸術家であるというトータルな人物として考えられる。

 「素描」についてはその頃から徐々に重要視されはじめてくる。まだこの段階では素描は独立していない。その後素描が芸術のひとつのジャンルに発展していくが、レオナルドの段階ではまだスケッチの状態だ。しかしそれは何かの下絵というものではなくて、日々の記録や日記のようなものとして機能している。考え方としてはレオナルドやミケランジェロでは、素描が芸術の母であるという考えかたで、それがその後引き継がれていく。素描ができれば絵はほぼ完成してしまっているのだという考えかたも同時に出てくる。今のデッサン教育のもとをつくってはいったのだろう。システム化はまだ十分にはされていないで、描きっぱなしという状態ではある。

 ミケランジェロは次章に置くとして、ラファエロについては折衷主義ということであまりよくいわれない。それは大衆向きで誰れが見てもよくわかる。その点では芸術を広めたという功績はある。レオナルドのような神秘性は、ラファエロでは稀薄になっていく。レオナルドのもつ才能を十分に引きこんで、自分のものにしながら誰の目にも心地よいものにしていった。残念ながらラファエロは40歳になる前に死んでしまう。ミケランジェロなどに比べると半分の人生だ。

 レオナルドの没年は1519年、ラファエロは1520年。そのあとミケランジェロがひとり残って40年間を生きる。区切り目としてはそのあたりで、盛期ルネサンスは終わることになる。このふたりがいなくなってミケランジェロのひとり天下になっていく。ミケランジェロの後半の仕事というのはどんどんかたちを崩していく。彼の初期のものと晩年のものを比べると、同一人物と思えないくらいかたちのちがいがある。

 ミケランジェロは半分に切って、後半生を後期ルネサンスということにする方がわかりやすい。ここではルネサンスの真っ只中の時代を扱う。真っ只中といっても頂点はいつの時代も、限られた短い期間だ。厳密にいえば1500年を過ぎて1520年までの20年間のところが盛期の時代ということだ。前後10年を加えてもせいぜい40年間というところか。

第290回 2022年6月29

キリストの洗礼

 ここまでのところを作品にそってみていこう。レオナルド(1452-1519)のキャリアはヴェロッキオとの共同制作からはじまる。ヴェロッキオのもとでレオナルドは仕事をはじめる。少年期の作品として知られるのが「キリストの洗礼」(1472-5)である。実際には制作年はもう少し下がるようだが、伝説的な価値は十分にある。洗礼者ヨハネとキリストが中央にいる。上方に鳩がいて雲の上から手だけが出ている。ここに神の手、精霊の鳩、子なるキリストという三位一体が語られる。師のヴェロッキオはここで中心の人物ふたりを描く。レオナルドは天使と風景を受け持つが、見ると若いレオナルドの描き方に、軍配が上がる。天使の顔立ちや髪の毛のふわっとした感じにカールしているようす、空気遠近法にもとづいて遠くの風景がぼんやりとしていて青みがかって見える表現は、理論によるというよりも観察により気づいていたもののようだ。ふたりの天使を見比べてもちがいはあるようだ。左の天使の夢見るようなまなざしが際立っている。右のほうはヴェロッキオが描いたとすると、くっきりとした輪郭は特徴的で、じっともうひとりの天使の横顔を見る視線は、天才の技法をうらやむかのように見え出してくる。

 師匠の描いたメインの人物像が持っている、解剖学的にはしっかりしているが、幾分かたくぎこちない描写と比べて、レオナルドの描く天使の顔や風景の神秘性は、晩年のモナリザのバックにある風景にまで結びついていくような要素である。もしこれが10歳代のはじめのものだとするなら、この域にまで達していたということは驚くべきことだ。天使の顔立ちは「夢見るような」と称されるレオナルド独特のものであり、何を見ているでもない神秘性のあるまぶしそうな表情を浮かべている。衣服のひだの揺らぎの表現なども若いけれども只者ではないという完成度を示しているようだ。

 背景をアップで見てみると黄金色に輝いている。何でもないように見えるが神々しい風景である。「キリストの洗礼」という主題の場合、バックに出てくる風景というのは、何でもない風景ではなくて重要な意味をもつものだ。キリストが手前のヨルダン川で洗礼を受ける。ヨルダン川の源流をたどっていくと、伝説的にはエデンの園に結びつく。エデンの園から発した水が、キリストが洗礼を受けるヨルダン川に流れ着くのだという。

 遠くまで川の流れがたどれるのと同じく、時間軸も遠い昔まで引っ張っていく。空間的に流れ去るだけでなく、向こうにはエデンの園、つまりいにしえの楽園があるのだ。こうした聖なるものの表現として黄金色に輝いているのだという説明が加われば、その神秘的な風景描写はさらに意味をもってくる。黄金色に輝く風景はその後オランダでレンブラントカラーとして受け継がれるものとなる。イタリア留学もしていないのに、レンブラントは風景の神性をレオナルドから学ぶことになった。

 私にはこんなストーリー展開が思い浮かぶ。ヴェロッキオは主要人物であるキリストと洗礼者ヨハネを描いたあと、レオナルドに背景を描かせた。それがみごとな空気感を描き出せていたので、天使も描かせるとそれも独特な空気感のただようものだった。自分もその天使のかたわらに別の天使を描き加えたが、弟子の描いた天使のようには描けないとわかった。描き終えて見直すと、自分の描いた天使はうらやましげな表情でレオナルドの天使を見つめていた。

第291回 2022年6月30

ヴェロッキオの彫刻

 この作品でレオナルドが示した腕前を見て、師匠のヴェロッキオは絵をやめて彫刻家になったということだ。彫刻家になってからのヴェロッキオの仕事をいくつか見ておくと、まずは「コレオーニ騎馬像」。ドナテッロの騎馬像と比べても引けをとらない出来映えで、三本足で立たせるという試みだ。片足だけ前に上げている。ドナテッロでは足は少し上げているが、丸い球体に載せるようにして、支えられていたが、ヴェロッキオのほうは三点でバランスをとっている点では、一段進化した技術力と見ることができる。

 こちらはヴェネツィアにあって、広場に立っているので、比較的近いパドヴァにあるドナテッロのものとは、対抗意識があったにちがいない。ヴェロッキオはこれ以外にもドナテッロの後追いのような仕事を試みている。「ダヴィデ像」(1473-5)もそのひとつだ。その後ミケランジェロも制作するが、ここでもドナテッロと比べると、ドナテッロのほうが帽子をかぶりナイーブで女性的な感じのするものであったのに対して、こちらはりりしい若者という感じだ。ヴェロッキオのもとにいた美少年レオナルドがモデルだとも伝えられる。これが真実だとすると、このとき師匠はすでに絵画を諦めていたことになる。ここではそんなに筋肉隆々としているわけではなく、細面で立っているが、足下には生首が置かれ手には剣を持つ。大げさに肩を張って造られたものではなく、目に心地よく見えてくる。いかにもどっしりと立っているというよりも、自然体で楽に立っているという印象を与えるのは、技法のさえによるものだろう。コントラポストを発明したクラシック期のギリシャ彫刻を学んだ成果だ。

 小品では「イルカを抱いたキューピット」(1470c.)がある。これはヴェッキオ宮の中庭に置かれている。水を吐き出す噴水として機能している。イルカの口から飛び出す水流は、その後バロック的転換を経て、世俗化され小便小僧となる。キューピットをみると正面性という問題に突き当たる。360度歩き回りながらどこから見てもなかなかいい出来映えだ。お尻もかわいくて背後から見ても愛らしい。普通は写真に取ると顔を正面にもってくることになるが、何枚かさまざまなアングルから撮りたくなる一点だ。少し高く置かれているので下から見上げる角度になるが、上から見下ろしてもおもしろい見え方をするにちがいない。

 つくる側としても全正面性を意識していただろうし、見る側も回転台の上に載せて電動で回してみたい衝動にかられる。動きを感じさせるのはことにキューピットの足の指先で、親指がピンと立っているような微妙な表現も心憎いものがある。このデリケートな足指は、唐の時代の「加彩 婦女俑」(8世紀)を思わせるところがある。中之島の東洋陶磁美術館に行けば、それはいつも回転台でまわっている。イタリアと中国に同質のクラシックの美意識を見つけることが可能だ。唐の貴婦人の制作年代を考えると、遥かシルクロードを経由して、東洋の造形がローマにまでもたらされていたのではないかと思ってしまう。

 宗教表現ではキリストが復活して以降の主題で、「聖トマスの不信」(1467-83)がある。弟子のひとりが本当にキリストは復活したのかといって疑う場面である。その疑いを晴らすために十字架にかけられたときのわき腹の傷を、キリストは見せようとする。そのときにこの傷を触ろうとしているところである。キリストの方は弟子に祝福の手をさしのべている。傷跡の生々しい表現は彫刻ではあるが、迫真的に見える。中には疑いの意味を強めるために指先を傷口に奥深く突っ込んでいるような描写もあるが、ここではそこまでは至っていない。

第292回 2022年71

受胎告知

 一方レオナルドが師から独立して制作した若い頃の作例に「受胎告知」(1472-5)がある。この主題はルネサンスではずいぶん多くの画家によって描き継がれてきたが、聖母マリアがいてその左に天使ガブリエルがいるというのが定型である。これ以前のボッティチェリやマルティーニの描いたマリア像と比べるとレオナルドのものはどっしりとしているという印象だ。

 マリアが受胎告知を受けるとき、神の子を身ごもりましたよと言われたときにどういう反応をするかというのは画家の自由の領域である。下世話な話で言えば「妊娠なんて、そんなはずはない」「身に覚えはない」というのが正直なところだろう。マルティーニはためらいの表情をさせてみた。レオナルドの場合はそうではなくて、どっしりとして当然のように毅然としてそれを受けとめている。マルティーニの「ためらい」は、アンジェリコの「はじらい」を経て、レオナルドの「けだかさ」へと推移し、ラファエロの「気品」へと至る。しかし一方でボッティチェリの示した「けだるさ」は、その後マニエリスムになると居直りにも似た「いぶかしさ」へと変貌を遂げていったようだ。

 ここでもマリアのもつ堂々とした、三角形のピラミッドの構図にぴったりと納まる表現は、実にレオナルドらしいものだ。あまり感情的、感覚的な表現は避けて、どっしりと身構える重厚さを採用する。こういうものがその後のラファエロなどにつながっていく。ふつうならもう少し母親のやさしさが出てくるものだろうが、ここではもっと普遍的な、キリスト個人の母というよりも、人類すべてを支えるような大きさが見えてくる。

 まわりの背景の描写を見ていても、うっすらともやのかかるような描写は、手前にある草花の緻密な表現と対照的で、緻密描写はネーデルラントの油彩画の影響がずいぶん入ってきているのだろう。非常に丹念に草花を描きわけている。

 図像的には遥かかなたというのは、前景にある新約聖書の世界、つまりキリストが生まれるぞという話に対し、背後に広がる異教の世界、ないしは旧約聖書の世界、創世記の世界であって、見る者を巻き込んで空間的にだけでなく時間的にさかのぼらせていく。

 ここでさらに背景に至る中間地点あたりに何本かの「糸杉」を置いている。それは何かを意味しようとして取ってつけたような象徴性を生み出している。糸杉は西洋絵画のなかでしばしば出てくるものだ。近いところではゴッホがずいぶんと描くが、糸杉には意味があって死の象徴である。ゴッホはこの死の象徴を天に向かってうねるようにして生のあかしへと変身させてみせた。

 受胎告知で死を意味するものをなぜ中間地点に置くのか。キリストは最終的には磔刑という必然をもっており、それをこれによって暗示する。生誕を告げる喜ばしい場面なのだけれども、ここでは死の運命にあることを予感させる小道具となる。

 さらに別の解釈では糸杉によって、森林あるいは森のイメージが喚起される。それは古代あるいは原始という非常に古い時代のもの、あるいは異教の世界を代表するものでもある。単なる風景と見るだけではなくて意味を込めたものとして解釈しなければならない。

 マリアのいる建物も石のブロックが目立つが、これも集中遠近法を駆使して空間の広がりを効果的に見せようとしていることに気づく。マリアのアップを見ると髪の毛のふわっとした金髪のカールするようすは、レオナルド的である。天使ガブリエルはすらっとした鼻筋をもち、夢見るような目の表情はレオナルドならではのものだ。手にユリの花をもつというのは、受胎告知の定型だ。これはフィレンツェのウフィッツィ美術館にある作である。

第293回 2022年7月2

最後の晩餐

 レオナルドのミラノでの重要な仕事は「最後の晩餐」(1495-8)の壁画である。サンタマリア・デッレ・グラツィエ、ミラノ市内にある。傷みは激しいが近年修復がされて明るくなった。レオナルドの頃になるとフレスコ画の技術は伝統的なものが十分に伝わっていなかったのか、テンペラを用いた壁画であり、当初からぽろぽろと壁面が落ち始めたようだ。その後かなり危ない状態になって、上からリタッチを試みている。修復は上から描きたすと大変なことになるので、現状をキープするだけで止めている。洗浄によってずいぶん画面は明るくなった。16世紀から傷みを伝えるいくつもの記録が残るが、それにもかかわらずこれを見るために多くの人々が、ミラノまで訪れたということでもある。レオナルドの壁画はミケランジェロやラファエロとはちがって、ローマには現存しない。

 ここでレオナルドは今までになかったやりかたで「最後の晩餐」を描いている。キリストが中心にいて最後の食事をする。弟子は12人いるが、このときの描きかたはいろいろある。今まではキリストを中心に食卓を囲むというのがふつうだった。それをレオナルドは一列に横並びにした。これはある意味では不自然な並べかただ。食事をするのに一列に横に並ぶことはまずありえない。現実を越えてしまっている。

 ところがこの考え方というのは、ある意味では正しい。円形のテーブルを用いると後向きの人物が必ず出てくる。この時の画家の視点というのは、よそから眺める傍観者の位置にある。レオナルドのものを見ると、見る側の我々は、このなかにいて自分はキリストの前に座っていて、この事件の一員になっているということだ。そのとき私たちは13番目の使徒になっているのだ。傍観者ではなくて当事者として見るものを引き込んでいく。確かに私たちはうしろ向きの人物といっしょに食事をすることはない。

 この作品が描かれた場所は僧院の食堂であり、現実の食堂にある天井の梁の線は描かれた絵画上の線につながっている。現実空間の向こうにもうひとつ部屋があって、キリストがこちらを向いて見ているように見せかける。遠近法をうまく使いながら一種のトリックをしている。ぜんぜんちがう古い昔のこととしてではなくて、我々もキリストに混じって食事をしているのだというメッセージとしてこの絵をとらえる。

 それに加えてここでは、それぞれの弟子たちの表情が実に複雑だ。最後の晩餐というのは「お前たちのなかで裏切るものがいる」というキリストのことばに対するリアクションが問題となる。この瞬間にそれぞれの弟子がどんな反応をしたかというのを、ひとりずつ描きわけようとするのである。裏切り者はユダだが、ふつうは12人の弟子がいて、そのうちどれがユダかというのは、わかるようにしている。たいていはすぐに判断がつくようにユダだけをひとり離して座らせる。しかしレオナルドではどれがユダかは一見しては判断がつかない。

 つまりユダを隠しこんだのであり、それはこの場面に立ち会った者が感じた「一体誰が裏切り者なのか」という疑惑を視覚化したものに見える。登場人物の表情のなかでどれがユダかを読みとってみるようにこの絵は要求するのである。三人の弟子がかたまりになって「一体誰だ誰だ」と言って口々に言い合うグループもいる。「それは誰のことなのですか」と言ってキリストに詰め寄る者もいる。そのなかでユダはテーブルにひじをついている。前に乗り出す弟子と対比的に、一瞬ひるんだようにして身を引いているのが裏切り者だという仕掛けになっている。

 さらに離れた三人は次のキリストのことばを聞こうとして待ち構えている。それぞれが一瞬をスナップ写真のように写しこんだ絵のなかで、ドラマを盛り立てるキャストになっている。12人を三人ずつのトリオにしながら構成しているところは、不協和音を含みこんだ音楽のハーモニーにも似た巧みさである。頭の高さのちがいに目をつければ、音符が連なる楽譜にさえみえてくる。音楽理論に基づいたハーモニーの原理が視覚化されているのかもしれない。ここでは手の表現が大げさなように見えるが重要だ。音符の顔に連なるボウとハタに対応する。三連符はそこでは音の高さと長さと強さが統合される。それぞれ人物の手の表情は、顔の表情と同じだけのウエイトを占めているようだ。身振り言語は絵画表現にとって必須の事柄でもある。

 ユダの手は通例にしたがって、裏切ったときにもらう金袋を握り締めているように見える。テーブルに置かれているパンやワインも、現状では傷みが激しいが当初は手に取るようなリアルな表現がめざされていただろう。

 人物を一列に並べた「最後の晩餐」はレオナルドがはじめてではない。すでにイタリアルネサンスにいくつかの前例がある。アンドレア・デル・カスターニョ(1421c.-57)が同じく1447年に壁画として描いたものがある。レオナルドに比べてあまり動きはない。キリストは中心にいるが正面にひとりユダをぽつんとすわらせている。そこではユダ探しというおもしろさはない。ひとりずつの対応のしかたも通り一遍で、比較を通じてレオナルドの特質が際立っている。構図的には一列並べという点では先駆的なものになるのだろうが、レオナルドはそれをさらに発展させていったということだ。

第294回 2022年7月3

三王礼拝

 レオナルドの作品には未完成のものが多いが、その一点に「三王礼拝(東方三博士の礼拝)」(1481)がある。未完成のものだが大作であり、マリアのあたりはラフスケッチのままである。キリストを祝う三王のほうはかなりていねいに描きこまれている。ところがここで見ると人物はごたごたしている。ふつう三王はそれぞれが区別できるように描き分けられるが、ここではどれが三王かがよくわからない。くわしく見るとよく似た顔立ちを持った人物がふたりずついるのだといった研究者がいる。確かにその通りだ。

 これもレオナルドの神秘思想というか、人間というのははじめ二つのものであったが、ベターハーフといわれるように、半分どうしが合体して完璧なものになるという考えがある。二重人物像という言い方もされるが、同じ人物で頭がふたつ出てくる。ベターハーフの考えは古代のプラトンあたりからくるもので、太古の頃、もともとは背中合わせにくっついていた男女が切り離されて、あちこちにばら撒かれた。それ以降もともとひとつであった頃の片割れを探しつづけるのが人間の生涯ということになった。ベターハーフをみつけて結婚をするという慣例につながる。男女というのはもともとひとつで、それがそれぞれに切り離されたのだということだ。確かに長く連れ添った夫婦を見ていると、しばしばそっくりさんのようによく似ている。現実的に考えれば、運命の人にめぐりあったというよりも、長年連れ添って寝食を共にし風雪に耐え同じ環境にいたことで、そっくりさんになってしまったということだろう。

 こういう神秘思想がレオナルドのなかには入っていてそれが絵のなかで結晶されて、ときおり出てくる。謎めいていて理解困難というものも多い。「三王礼拝」でもマリアに似た人物もさらにひとりいる。そっくりの双子という発想がこれ以外にもレオナルド作品でしばしば出てくる。

 同じく未完成作品に「荒野の聖ヒエロニムス」(1482c.)がある。彩色がないのでかえって素描力の確かさが見えるものだ。聖ヒエロニムスが砂漠で修行をしている場面である。石で自分の胸を打ちつけて修行にはげむ。右手には小石を握るが、腕を伸ばしたとき突っ張った筋肉の筋のとらえ方は、解剖学的な知識の賜物であるようだ。前にライオンがいるが、こちらの方は口を大きく開けていて、あまり観察をした結果とはいえない。ライオンはこの聖人のそばにいつも付き従うもので、ライオンのとげを抜いたことで、この猛獣が聖人になついたという話だ。

 「アンギアリの戦い」(1504)も壁画としてはじめるが、途中で投げ出して未完成のまま残った作品だ。今はのちにルーベンスの描いた模写がよく知られるが、レオナルドがこれを描いていたとき、ごく近くで若き日のミケランジェロが「カッシーナの戦い」の壁画を描いていた。いまは中央部分の模写が残されているだけだ。ミケランジェロはレオナルドに対して猛烈な対抗意識があったようで、このふたりが同じ時期に反対側で抱き合わせになって制作していたという偶然は興味深い。レオナルドは動きのある激しいものを描いているが、ミケランジェロは戦いを主題としながらも、戦闘場面ではなくて休息の場面だった。ともに未完成のまま終わってしまったいわくつきの作品だ。ミケランジェロも意識して休息場面にしたにちがいない。レオナルドの馬上の戦闘を残された模写で見る限り、馬の動き、見上げるポーズ、剣を振りかぶる姿は、まねることのできない人並外れた描写力をもっている。ミケランジェロはあえて休息の場面にせざるを得なかったというほうが正しいか。武力闘争に持ち込まなかった点では、勝利はミケランジェロの平和主義にあったとみることもできる。

第295回 2022年7月4

岩窟の聖母

 ミラノ時代の代表作の一点「岩窟の聖母」(1483-6)は、ルーヴル美術館にある。聖母がこうした洞窟にいるというのは例を見ない表現だ。洞穴はキリスト生誕にふさわしい神秘を宿した場所である。キリストが生まれたのは家畜小屋だったとされるが、当時の家畜小屋は地下に掘られた洞穴のようだったらしく、その意味ではレオナルドもこのことを知っていた。

 また具体的な想定としては聖母子が嬰児虐殺を避けてエジプトに逃げていくという話があるが、その途上の一場面であるとも考えられる。ただその場合はふつう養父ヨゼフが出てくるが、ここでは見当たらない。「岩窟の聖母」と名付けられるが、宗教的にはストーリーとしてどのへんに位置付けられるかは定かではない。

 ここでは人物が4人いて、赤ちゃんがふたりいる。この赤ちゃんもふたりが互いによく似ている。双子の兄弟のように見えるが、一方はキリストで、他方は洗礼者ヨハネだ。キリストに洗礼を授ける聖人だが、人間関係としては母親どうしがいとこにあたる。年齢は6カ月ちがいで、キリストは12月25日生まれ、洗礼者ヨハネは6月25日生まれだ。キリストより前に生まれて救世主の出現を宣伝するメッセンジャーボーイの役目をもつ。姻戚関係があるので顔立ちはよく似ているということだ。ただ5カ月ちがいだと、幼児の場合もっと年齢差がありそうに思うが、ここでもそっくりに描くのは先ほどのレオナルド独自の神秘思想に基づくものだろう。

 ここでは「最後の晩餐」と同じく、手と指の表現が考え抜かれている。マリアが手で抱きかかえている方をキリストと思ったりするが、手の表現からするとそうではない。ひとりいるほうの赤ちゃんがキリストで、左の洗礼者ヨハネは手を合わせてキリストのほうに向かっている。それに受け答えるようにキリストは祝福のポーズを送っている。ここでは手の表現が見る側の視線を誘導する。出発はマリアの左手からだ。これは下を向いていて、影をつけながら短縮法で実にうまく描かれる。この部分をアップでみるとこの描写のすごさがよくわかる。下に向かって光が落ちてきそうな感じがする。

 下に向かうマリアの手は、天使の指先にたどり着き、それが指し示す方向に目を向けると洗礼者ヨハネがいる。そこで反射して洗礼者の視線と合わされた手がキリストに向けられるという順序である。この四人の手のドラマが見事に表現される。マリアの左手と天使の指さす右手を見つめていると、ラファエロの描いた「アテネの学堂」を思い起こすことになる。そこでも手のひらと人差し指が天地を二分するしぐさとして対比をなしている。

この作品にはルーヴルとは別に、ロンドンのナショナルギャラリーにも別ヴァージョン(1495-1508)がある。ロンドンでは自分たちの所蔵する作品の方が出来がいいと主張するわけだが、両者を比べてみて明白なちがいは、ロンドンでは天使の指差す手がないという点だ。そのために先ほどの視線の移動がたどれない。マリアの手は直接キリストの頭に落ちてくる。ルーヴルでは天使がワンクッションおいて洗礼者ヨハネのほうに、いったん退け、洗礼者を経由してキリストに届くという構成である。マリアの手も洗礼者の祈りもキリストをめざし、天使の存在価値が薄らいで見える。天使を介さないで受胎告知を解釈しようとする神学的背景があるのかもしれない。レオナルドの発想はどうだったのだろうか。

 天使はウリエルという見方もあるが、たぶん受胎告知の天使ガブリエルだろう。洗礼者を指差すしぐさは、受胎告知のときに天上に向けたときの人差し指を思い起こさせるものだ。洗礼者ヨハネもまたこの指先を通して、自身の身振りを呼び起こす。レオナルドでは、この二者は同一視されて夢想されるものだ。おもしろいことに洗礼者ヨハネが背中に翼をつけている9世紀の作例がバチカンには残っている。

 「岩窟の聖母」はどちらも贋作ではないはずで、出来映えとしては、全体の落ち着きではルーヴルが勝るが、天使の表情は、つまり夢見るような表情という点では、ロンドンのもののほうがレオナルドらしいように見える。目の表情だけではなく髪の毛のカールするようすも異様な感じすらするもので、渦巻く姿はよく見ると、レオナルドがスケッチブックに残している川の濁流を思い起こさせるものでもある。スケッチには濁流と並べて髪がカールするようすを描いたものもあって、自然と人体の対応関係を考えていたことがうかがえる。ミクロコスモスとマクロコスモスの対応というのは、錬金術や占星術とともにこの時代通例の思考法である。そこでは人の息は風であり、血は川の流れ、頭髪は地に生えた樹木にあたる。山村浩二作の「頭山」(あたまやま2002)という日本の短編アニメが、海外で高い評価を受けたことがある。男の頭から桜の木が生えてくるという落語に取材した語り物だが、この日本の奇想に西洋が反応した。評価の背景にはレオナルドの思考と共有する日本文化への興味が底辺にあったような気がする。同作家はその後「マイブリッジの糸」(2011)という西洋でのアニメの原理を探った映像伝説を取り上げてお返しとしたが、これも高い評価を得た。

第296回 2022年7月5

聖アンナと聖母子

 ルーヴルにある「聖アンナと聖母子」(1502-16)も実に奇妙な表現の仕方だ。聖アンナはマリアの母親であるから、親子三代の図である。アンナとマリアを比べてみると親子関係なので、アンナはもっと年老いているはずだが、ここではずいぶんと若い。マリアと非常によく似た顔立ちをもっていて、やはり双子の姉妹とも見えなくはない。しかもアンナのひざの上にマリアが乗っている。そんな奇妙なポーズを取る絵というのは今までなかった。ちょうどひとつの体からふたつの顔と足が生え出ているようにも見える。これに似た構図をもつ素描(1499-1508)もロンドンのナショナルギャラリーに残されるが、そちらではこの印象はさらに強められる。

 さらにマリアはキリストを支えるが、キリストは子羊に向かって身を乗り出している。子羊は犠牲のシンボルである。子羊は生け贄に捧げられるもので、キリストそのものを意味する。キリストは自分自身で犠牲を手に取ろうとしている。犠牲に向かって手を差し伸べるということは、みずからの死への自覚を意味する。死へと向かおうとするキリストをマリアは「行くな」と言いながら止めようとしているようだ。それでもキリストの体は向こうへ行ってしまっている。キリストは半分人間で半分神なので、人間的な部分が振り向いているキリストの顔立ちに残されている。実に見事に流れこむような動きのなかで、象徴的な意味をもたせた作品だと思う。最後には子羊すら表情をもって、マリアを見ている。

 一番目立つのは聖アンナだが、モナリザにも匹敵するような口許に浮かべる微笑は、薄気味悪いと言えばそれまでだが、作品の持つ神秘的な意味合いを強調しているようだ。

 レオナルドの色彩は中間色で原色はほとんど使わない。自然のなかには原色というのはないのだというのがレオナルドの考えのようだ。それはまたイタリアルネサンスの基本的な考え方でもある。その後マニエリスムが出てくると、極端にそれを逆転させて原色を意識的に多用する。レオナルドの場合は何色かわからないような微妙なニュアンスが問題になる。

 「モナリザ」についてはいろんなことが言われているが、人物画を描く場合の典型になってしまっていて、手を前で組み合わせるポーズは、肖像画を描く場合の定型として定着する。手の表現もうまくて、顔だけではなくて手が十分にものを語るようだ。線をほとんど用いずに、輪郭線がないという意味では印象派でさえある。デッサンでぼかしを入れて、光と影だけで表現していくというスタイルは、自然観察のなかで輪郭線というようなものはないのだということに、印象派以前に気づいていたということだ。光を大きな意味のあるものとして見ていた。

 肖像のなかではもちろん明確な輪郭をもったものもある。ニューヨークのメトロポリタン美術館にある「ジネブラ・ベンチの肖像」(1474-8)もすぐれた一点だ。モナリザふうの腕組をした手の部分は切断されたようで、ここでも人物像は見ようによれば薄気味悪い、何を考えているかよくわからない顔立ちは、レオナルドの得意とするものだ。

 聖母子像もいくつかあるが、ラファエロがその後聖母子像の定型をつくるのに対して、レオナルドのものは実験的で、いびつな感じもするが、挑戦的という点では考察に値する。エルミタージュにあるものは、母のマリアとは思えない雰囲気をもつ。少女のようなマリアがキリストを抱いている。それは姉と弟としか見えない。ミケランジェロのピエタ像でマリアとキリストが恋人どうしのように見えるのと対比して考える必要があるようだ。


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