深堀隆介展 金魚鉢、地球鉢

2021年09月11日~11月07日

神戸ファッション美術館


 一合入りの枡のなかで金魚が泳いでいる。固まっていて動かない。よく見ると描かれた金魚なのだとわかる。もっとよく見ると絵画ではなく立体なのだ。さらに水でもなく、透明のアクリル樹脂であり、そのなかに金魚が固められている。たとえてみれば、あんこの入った水まんじゅうが近いか。涼しそうな夏の風物詩に見える。そっくりの金魚を立体でつくってまわりを樹脂で固めたというのが目に見える技法だ。子牛を輪切りにしてシリコンで固めてガラスケースに閉じ込めたターナー賞アーティストを連想したりもしたが、こんな非情の現代アートとは比べないほうがいいだろう。


 作者が手の内を明かしていて、積層絵画と名づけている。専売特許は秘密にしておくのがこれまでの礼儀だったが、レシピまで披露している。こうすれば誰でもできるというのが、レシピなのだが、それをオープンにするには、誰にも真似ができないという自信をうかがわせる。重ねがきをした絵画だということに、まずは驚かされる。層を塗り重ねていくのは漆芸での日本の伝統だと見ると、伝統工芸の人間国宝にも対応するものに見え出してくる。


 金魚に目をつけたのはいい。一芸に秀でるというのがどういうことかがよくわかる。若冲の鶏でもそうだったが、何に目をつけるかで、その後が決まる。一種の目だまし絵画だが、今は写実絵画が受け入れられる時代だ。モダニズムが行き詰まり、それを脱して古典復興の時代に入っているようにみえる。絵画の定義は「窓」でも、「色の塗られた平面」でもなく、描かれたカーテンにある。それをまちがって引きに行ったときに「絵画」が誕生する。目をだます遊戯が原点をなしている。


 みごとな塗り重ねは、洋菓子を引き合いに出せば層を積み重ねたオペラケーキとなる。菓子職人の妙技は口のなかに入れたときに広がる、すべての層がなすオーケストレーションにある。見ていたときの各層が混ざり合って、口のなかで広がっていく。金魚の鱗の層と皮膚の層は異なっていて、両者が同時に目に入ってきたときにリアリティをもって金魚は泳ぎ出す。


 メダカのような稚魚が一人歩きをしてゆく。日本画の掛け軸のようにして描き出されると、金魚は鯉の滝登り図を思わせて、伝統絵画となって変奏曲をかなでている。金魚を頭、胴体、尾と真上からとらえた作例がおもしろい。金魚にしては大きすぎると思えたときに、人体になぞらえられているのだと気づかせる。襖一面に鶏を大きく描き出した江戸の奇想に対応している。変奏は金魚すくいのインスタレーションにまで展開するが、やはり観察に明け暮れた金魚との対話がいい。


by Masaaki Kambara