絵画のアウトサイド

by Masaaki Kambara

映像の重さイメージと物質時よ止まれ 

 映像表現の歴史を写真史と映画史をベースにして、今日のデジタル映像のゆくえもふまえながら、多角的に考えていく。映像を「絵画のアウトサイド」として位置づけ、人類の長い歴史につなげて考えなおしてみる。紙やキャンバスの支持体が、フィルム上のイメージとなって定着する。はじまりは「見える」という身体的な生理機能にある。「見える」という全身での体感は、目の特化によって「見る」という主体性と積極性に移行する。自分の目で見たとき、それを定着させたいという欲求が生まれる。うつろいゆくものは簡単には定着しないが、時を止めることが人類の夢となる。

映像は世界の発見がまずは先行する。そして「再現」をめざし、つぎに「表現」へと進化していく。その進化の過程でさまざまな発明があった。映像表現を実現するためには道具の発明は必須の条件だったのである。それは具体的にはレンズでありカメラでありフィルムでありテレビであった。これらの道具を通して人類の夢が実現へと向かう。世界を見たいという欲望とみずからの足跡を残したいという願望が出会うはざまにそれらの道具があった。「記憶」から「記録」への推移は、「見える」から「見る」への視覚の変化をともなって、やがて商業と結びつくと、「見せる」という行動ヘと進化してゆく。プレゼンテーションといってもよいが、スクリーンからモ二ターへという推移のなかで、人間の視覚の変容をたどることができる。

 映画史に学ぶマルチメディア映像史の試み二つのモメントメディアとメッセージ映像のはじまり影の誕生横顔の発見鏡と窓 

 額縁、影、鏡、遠近法、レンズ、印画紙、フィルムをキーワードに、映像前史をたどる。絵画のはじまりは壁に写った影をなぞることからスタートしたというが、影絵をへてやがてフレームをもったタブローの成立が、イリュージョン空間を小宇宙に閉じ込めることになる。この四角の枠づけが、その後長らく映像表現の標準になっていく。遠近法を把握システムとするレンズによってとらえられた世界というのが出発点であり、モニターもスクリーンも未だに矩形のフレームから逃れられてはいない。今日のプレジェクションマッピングは、これを乗り越える実験と見えるし、現代では消滅したブラウン管時代が一番人間の視覚には近かったかもしれない。

 アンドロイド暗い部屋倒立像ダゲールとタルボット心霊写真自然の鉛筆ニエプスナダール写真館冒険をする写真家砲弾から死者へマイブリッジの糸メディアはメッセージ 

 写真術の発明は1835年とされるが、印象派の世界観がこれに連動している。リアリズムの追求は、カメラの目がとらえた光の解釈により、加速化されていく。写実主義が世界を理解する基準となり、目に見えるとはどういう現象であるかを、突き詰めながら、絵画と写真のせめぎあいが続く。カメラ・オブスキュラから、ダゲレオタイプ、カロタイプをへてマイブリッジまでを外観する。出発点でのダゲールによるオリジナル性を前面に押し出す絵画的動向と、タルボットのネガポジ法による、いわば版画的複数性が、出発点で同居したという点は興味深い。芸術大国としてのフランスはオリジナルに、産業革命に根ざしたイギリスはコピーにターゲットを絞ったということになるが、その後の歴史を見ると、ネガポジ法が勝利を得たということだ。このときタルボットが公刊した写真集の名が「自然の鉛筆」だったというのは興味深い。

メディアの特性ライフの時代裏町の日常ライフルの一撃決定的瞬間ライフイズビューティフルフォトジャーナリズムロバート・キャパハゲワシと少女沢田教一ユージン・スミス同行取材 

 写真の進化を、報道から芸術をへて、広告へという流れでたどる。写真の真価はドキュメンタリーにあり、戦争写真が衝撃を伝える。生々しい戦闘の現場に至るまでは、カメラの軽量化とシャッタースピードの進化の歴史である。弾丸が転がるだけのクリミア戦争は、南北戦争になると死体が転がり、スペイン内戦では弾丸が命中する。ノルマンディー上陸作戦では弾丸が飛び交う真っただ中にある。こうしたメカニズムの開発史を彩って「ライカの時代」が展開する。「ライフ」という写真誌を通じて、メディアの独立と大衆の支持を獲得する。カルティエ・ブレッソンに結実する決定的瞬間の系譜をたどる。

記録からの脱皮アートの条件ピクトリアリズムフォトゼセッション二重写しの効果モノそのものへ意志の勝利アメリカの恥部 

 写真は記録を原点としながら、写真家の自己表現へと移行し、アー卜としての地歩を確立する。絵のような写真をめざすピクトリアリズムからはじまり、写真独自の表現性を見つけ出し、ダダやバウハウスの運動と対応しながら、諸芸術と足並みをそろえて、芸術運動の拠点にもなっていく。スティーグリッツ、マンレイ、モホリナジ、さらには強烈な個性を前面に打ち出すアーバスやメイプルソープの芸術性に注目する。それは同時に病んだアメリカを告発する時代の証言でもあり、ドイツの新即物主義から出てくるザンダーの無名の職業人や、ヒトラーと歩みをともにするリーフェンシュタールの格調高い理想美についても、芸術の普遍性という点で見直してみたい。

アートからデザインへ文字とのせめぎあい未来を伝える原型としてのケルテス文字の入る余白ファッション写真道具としての写真ロトチェンコアートかデザインか 

 写真はアートから、次の段階として大衆化し、デザインに組み込まれ、商業写真や広告写真として社会に浸透していく。広告は資本主義経済に支えられた商品だけでなく、社会主義やイデオロギーを広める道具として、ことにヒトラーがプロパガンダに利用し、有効に戦略化していったという歴史がある。ロシア構成主義でのロトチェンコの写真の活用、デザイン的素地をもつアンドレ・ケルテスから、スタイリッシュなアヴェドンをはじめ、ヴォーグ誌を舞台にしたファッション写真、舞踊写真、建築写真のほかコマーシャルフォトの現況を見る。必須の条件である文字情報と組み合わされることによって、グラフィックデザインと一体化して、写真を通じて世界の新たな発見と解読を可能にしていった。

動いて見えるということ映像の力残像という生理スクリーンかモニターかカットの文法街の灯声の功罪映像の実験 

 写真術の発明から50年後に映画術が登場する。はじめは無声映画だが、この時期が一番「映像のカ」を発揮した時代だった。フランスとアメリカが映像の拠点となるが、リュミエール兄弟はスクリーンに映写するタイプの映像を、エジソンはテレビからモニターへと展開し、今日のコンピュータ映像につながる道を切り開いた。無声映画の集大成はイギリス人チャップリンにより果たされるが、シェイクスピア以来の演劇的伝統が、新しいメディアと理想的な出会いを果たしたと見ることもできる。カットとクローズアップを武器とする映画の文法は、ロシア革命のなかエイゼンシュタインの功績が大きい。ここでもロシア演劇の演出術とパラレルな関係をなすものかもしれない。それは演劇から映画へという次代の総合芸術への移行を実証しており、映画が芸術の仲間入りをするのに必要な手続きであった。

音の力ことばと身振り歌からの出発詩的レアリスムネオリアリスモロッセリーニデ・シーカ敗戦国の悲哀 

 サウンドトラックが導入され、映画は「音のカ」を得ることになる。これにより総合芸術として現実世界に一歩近づくことになるが、一面では美術からは遠ざかる。映像の純粋性を追求する視覚芸術の視点から遊離して、オペラやバレエなど舞台と連動し、声や音楽を取り込んで、娯楽性を強めることにもなる。言語を獲得しての劇映画としての長編化は、サイレント映画にはない独自のドラマツルギーの確立をめざす。そうした中からフランスの詩的リアリズムやイタリアのネオ・リアリスモの思潮から名監督が数多く誕生していく。アメリカ映画での長編かつカラー映画としての「風と共に去りぬ」やディズニーのアニメ作品など1930年代の活動が見逃せない。

映画産業の興亡演劇からの分離サスペンス映画不動産の否定ミュージカル映画銀幕の美女ダンス映画キューブリック西部劇マカロニウエスタン戦争映画反戦か好戦か 

 「面白くなければ映画じゃない」という考えは、大衆動員により制作の継続が保障されることになると、産業としてアメリカ映画に繁栄をもたらした。ハリウッドは今も続く娯楽映画の一大拠点として、完成度の高い秀作を提供し続けていく。ミュージカルや西部劇など、アメリカのサクセスストーリーを背景とした栄光の歴史はベトナム戦争を機に、ことに戦争映画で影を落としていくが、一方でヒューマンドラマの制作を通じて映画のさらなる可能性を引き出すことになった。芸術を超えて人間性を伝える感動のツールとして、映画は進化をとげ、ヴェネツィアをはじめ、カンヌ、ベルリン、モスクワなど世界各地の映画祭が、秀作を吟味し、映画のもつ国際性と普遍性を拡張していった。

映画作家勝手にしやがれ大人はわかってくれない去年マリエンバードで手持ちカメラカメラ目線カメラを止めるな俺たちに明日はない卒業イージーライダー松竹ヌーヴェルバーグATGの創作活動ATGの上映活動 

 「映画は面白いだけではだめだ」という主張が、反ハリウッドを鮮明にするヨーロッパから、ヌーヴェルバーグ(新しい波)という形でフランスで開始する。個人映画の色彩が強く、性に目覚め社会に目覚める若者の目を通して、時代が切り取られていく。日本では松竹ヌーヴェルバーグという形でこれと同調し、ATGの自主映画の制作活動へと受け継がれていく。この動向はアメリカでもニューシネマの名のもとで、勧善懲悪とハッピーエンドを信条とする従来の映画観からの脱皮が図られる。アートの名のもとに刺激性の強い映像美に走る場合には、エロ・グロ・ナンセンスに陥ることも少なくない。それは体制に対する批判を伴って、若者文化のメッカを築くことになる。ときに大衆性を失って孤立する場合も少なくない。

CGのはじまり映画監督コダカラーの芸術フィルムの時代アナログとデジタル疑似体験特殊撮影の進化アナログへの郷愁フォレストガンプ三丁目の夕日 

  ここではアナログからデジタルへという大きな時代の転換の中で、映像の進化をとらえてみる。CGがはじめて映画に導入されるのは1970年代初めのことである。今日ではコンピュータによって加工されない映画はないというほど普及し、ことに特撮技術を前面に出す近未来を舞台にしたスターウォーズやターミネーターなどSF大作の分野で歓迎された。しかしスペクタクルを売りとするパニック映画だけでなく、ごく普通の日常を描いたものに、何気なく導入されるコンピュータ技術の方が効果的であり、評価も高かった。1994年の「フォレストガンプ」の成功は、日本では「ピンポン」や「Always三丁目の夕日」の好評につながっていく。

実写とアニメ手塚治虫アニミズムクリエーター(創造主)白雪姫の衝撃無国籍性短編アニメ人形アニメ 

  写真が実写映画へと展開したとするなら、マンガはアニメーションに進化する。すべての出発点はディズニーにあったようで、ジャパニメーションとして今日日本の基幹産業にまで発展したきめ細かな作り込みは、「白雪姫」の滑らかな動きへの感動に起因している。しかし実写に対抗して膨大な時間と資金を投入する長編アニメよりも、短編作品にアニメーションのアートとしての可能性は開かれているかもしれない。シュヴァンクマイエルをはじめとする東欧や、カナダ、オランダなど映画制作にとっては周辺に位置する諸国から、優れた映像作品が生まれている。ストーリーを追った文学性の排除という点からは、映画よりも映像という名にふさわしいものと言えるかもしれない。加えて商業アニメとアートアニメという二極化も明確になっていった。スタジオジブリの大衆性と同時に、川本喜八郎、手塚治虫、山村浩二、加藤久仁生などアヌシーを舞台にした日本勢の短編アニメは注目に値する。

放送メディア魔法の箱電波は飛ぶ父親の不在家族の変貌実況中継タレント性 

 映像表現という点ではテレビと放送文化について触れないわけにはいかない。映画をそのままコンパクトにしたテレビドラマもあるが、ニュースやスポーツ中継、さらにはバラエティ番組を含むライブ映像に、テレビの本領はあるようだ。常に視聴率をバロメータとして、時代の流れを嗅ぎ分けるアンテナが求められるのも、放送メディアの特徴をなす。映像の実験を回避した、キャスターのキャラクターに依存した番組も少なくない。フィルムや紙媒体ではなく、電波であるという点に、つかみどころがなく、得体の知れない、膨張し続ける現代文明が象徴されている。空中に漂うという点では「うわさ」に似た性格を有し、国や言語を越えては広がらないという点に特徴があるかもしれない。ゴシップとスキャンダルに奉仕するというのも必然的帰結と言えるだろう。加えてCM映像という鬼っ子的な存在の意義にも触れる必要がある。テレビという茶の間の中心にあった重厚な父親的存在が希薄化し、ブラウン管から液晶へと存在感をなくす現象を、社会学的な視点から捉えなおす目は必要になってくるだろう。

テレビドラマ映画解説テレビにくぎづけメディアがアートになる情報のひとり歩き表現の不自由展ヴィデオアートの遺産ナム・ジュン・パイクテレビブッダヴィデオ彫刻オノヨーコジョーン・ジョナス 

 今後の映像の展開として、実験映像の現場を見つめ、ヴィデオとパフォーマンスをへて、メディアアートの名で21世紀の美術の主流となりつつある現況を追う。現代アートの芸術祭が世界的に盛んであり、美術家による出品作が多くの映像作品を含んでいる。かつてのヴィデオアートの主流であったモニターを通しての上映形式だけでなく、観客が参加するインタラクティブな形式へと展開しているものも少なくない。即興性はヴィデオアートの先駆者ナム・ジュン・パイクにすでに見られるが、デジタルアーカイヴとして保存する一方、今を生きるアートナウとして美術館に参入し、今日ではさらにパフォーマンスの色彩を強めているようだ。デジタルミュージアムの形で、東京をはじめ仙台や山口などで、映像とメディアアートに特化した施設も増えてきており、これまでの美術館や映画館とは異なった文化の受け皿を提供している。