没後90年記念 岸田劉生展

2020年01月08日~03月01日

名古屋市美術館


2020/1/26

 全国の主要な美術館が、劉生の絵画を分け持っている。画家のステータスでは、どれだけ国公立の美術館に収蔵されているかが競われるが、その意味で劉生は、最高の部類に属する。38歳で没するということは、作品数が限られているということだが、それでいて作風は広い。

 同じような自画像を繰り返し何枚も描いている。麗子像の場合も同じだ。まるで同じポーズの自画像を都道府県に行き渡らせる必要を自覚したように、繰り返し描いている。会場では現在の所蔵館名が記載されていて、品評会さながらに美術館のステータスを誇示しあっている。何点かは個人蔵という表示を持っていて、今後美術館が目をつけて、購入の予備軍となるものだろう。

 劉生に魅力があるから数少ない作品を争い合うのであって、マーケティングのことはさして問題ではない。重要なのは作品評価の原点がどこにあるかだろう。劉生の作風の変遷は、極めてプライベートな日常生活のエポックと密接に結びついている。20歳前後で残されている銀座界隈の都会風景、結核が見つかり、郊外に移り住んだ世田谷の切り通しの道、震災を経て逃れた京都の歓楽、そこからの帰郷と、中国への旅立ち。それぞれはモチーフを得て、西洋画から東洋画へと自在に変容する。

 麗子にしても自画像にしても、風景にしても静物にしても、その時その場での体感にもとづいて、精一杯探究し続けたあかしである。首狩りだと言われた友人たちの肖像画シリーズにしても、書き込まれた日付けの通り、風土に根づいたリアリティが定着している。時と場所の一瞬を切り取ったはずなのに、絵画は永遠性を獲得することができる。麗子五歳は5歳の普遍性を獲得している。常に日々の記録でしかないという刹那主義を前提にした論理的帰結と言うことができるだろう。


by Masaaki KAMBARA