大・タイガー立石展 変幻世界トラ紀行

20210918日~1103

高松市美術館@


 虎がトレードマークになっていて、つねに登場するモチーフだ。なぜ虎なのか。寅年生まれかと思ったが、1941年なので巳年のようだ。福岡県出身なので、タイガースファンでもないようだ。画風より察するに縦縞のメタモルフォーゼに要因があるのかもしれない。いつのまにか虎柄はそのままで、タイガーはスイカに変身している。尾はスイカのへその緒となり、あっと驚くイメージのマジックはエッシャーを焼き直したパロディとして、脳裏に定着する。


 パロディは権威を引きずり下ろす大衆の武器だ。ポップなイメージは昭和歌謡を満載した大作に結晶する。美空ひばりの登場は強烈で、古賀春江のシュルレアリスムの名作中から飛び出して、水着姿の自由の女神になっている。古賀メロディーを歌うという意味で、画家名と作曲家名が隠しこまれている。誰であるかがよくわかるというのは、似顔絵の基礎的なテクニックの確かさを示すもので、次々と昭和の亡霊が湧き上がってくる。政治権力やイデオロギーに根ざした風刺も散りばめられるが、基礎となるのは誰もが共有する大衆的イメージである。連想が連想を生み、鮮やかによみがえってくる。


 その頃、通りの看板でよく見かけた人物名を言い当てることができる。哀愁列車のタイトルには、探すと三橋美智也が見つかる。ジグゾーパズルのワンピースがはまったときの快感に似ている。もちろん古賀政男の名を隠し込んだ高度な図像学は、ダブルイメージを敷いたシュルレアリスムの技法であり、絵を読む楽しさを伝える。世代をこえて共通するものではなく、閉ざされた戦友たちの哀歌でしかないだけに、同世代の連帯は根づよい。どうしても思い出せないと意地になるが、知らないと恥になる。知らないものも混じるが、作者のプライベートに属するものだと解釈することで、無知は回避できる。忘れてしまった人の中には、会ってもいない人も含まれている。思い出せない場所には、行ってもいない場合もある。老化と健忘はスクラムを組んでやってくるということだ。

 

 エッシャーの連想は、イメージのマジックだけでなく、建築空間に広がることで、デザイナーとしての立石の立ち位置を明確化している。イタリアで評価されるのも空間のマジックにあったようだ。昭和歌謡を満載してもイタリア人にはわからない。しかしそれが生み出す豊穣な空間構成は、ディテールの図像学にこだわる私たち以上に、正確に把握できたはずだ。名前が次々と変わるが、立石だけは一貫しており、気に入っていたのだろう。原始の石を立てるプリミティブに、意志を立ち上げる精神性が加わる。確かにいい姓である。


by Masaaki Kambara