ダムタイプ―アクション+リフレクション

2019年11月16日(土)~2020年2月16日(日)

東京都現代美術館


2019/12/1

 スタイリッシュで冷たい数値の繰り返しが、現代の美を縁取っている。土に根ざした皆川明の方が、現代美術館のカラーにはそぐわなかったのかもしれない。突き放されたように事務的な扱いをされて、温かみのなさに激怒するとすれば、それが一般大衆の反応だろう。

 発光する白いレコードとターンテーブルという組み合わせは、どこか近未来風なのだか、アナログ時代の面影を残すレトロな響きを伝えていて、その落差にアイロニーをともなう笑みがこぼれる。タイトルには「プレイバック」play back (1989)とある。再生なのか巻き戻しなのかわからないが、アナログ時代の歌謡曲の響きをもつ語である。クールな身のこなしはダンスをともなって、映像メディアとして再生されている。

 美術というよりも音楽と舞踊を下敷きにして、目を鍛えていかなければならない。映像をともなうパフォーマンスという点では、ナムジュンパイクの系譜に属する。無機質な電子音と点滅が繰り返す映像に生命を与えたのは、創設者古橋悌二の個性に由来するだろう。エイズにより35歳で没することで、無機質は解体され、ある意味で自然科学が社会科学に、さらには人文科学へと変貌を遂げたと見てよいだろう。

 「ラバーズ」loversというビートルズのアルバムを思わせるスタイリッシュなファッションが、歌舞伎役者のようなグロテスクな化粧を前にして、目を背け、次の身構えへと移行する。身体性へのこだわりは、映像を背にして演じる、ライブ活動へと展開していく。やなぎみわなども含めて、関西、ことに京都から出てくる前衛に共通するものかもしれない。

 ダムタイプというグループ名が一人歩きしていくという点が重要だ。京都市芸大を根城に出発したが、個人を超えたパフォーマンス集団という点では、フルクサスや具体と比較することは可能だろう。いやむしろダムタイプのような活動の登場によって、フルクサスが再評価されてきているというほうがよいだろうか。

 一匹狼の関東勢との比較も成り立つか。コミュニケーションを開くオノヨーコや、コミュニケーションを閉ざす草間彌生も、基本的にはパフォーマーではあるが、それらは個と全体との関係にあった。間にグループを介在させる関西の思想的背景を探ってみたい気がしている。そういえば前にいた大学で、サル学の研究者たちが、研究対象に同調するように、いつも親ザルを中心に群れをなしていたのを思い出す。もちろん京都学派の俊英たちだった。


by Masaaki KAMBARA