生誕120年 文豪川端康成と美のコレクション展

2019年09月14日~11月04日

姫路市立美術館/姫路市文学館


2019/10/4

 川端康成を堪能した。美のコレクションを通して感受性の豊かさと、研ぎ澄まされた鋭敏な神経に驚く。林忠彦の撮影した写真がそのありかを如実に表しているようだ。ロダンの片腕の彫像をしげしげと眺めているのだが、異様な霊気が漂っている。同じ写真家が捉えた太宰治の有名な写真がある。バーのカウンターに座っているのを下から見上げた姿だ。共通するのは、よく見ると、何気なくタバコを指にはさんでいるのと、ともに自殺をした作家だという点だ。もちろん写真家が撮影した時に、のちに自殺するとは思ってはいないはずだが、写真家の直感はそれを見透かしていたと言えるのかもしれない。大阪人なら織田作之助を持ち出してもよい。悲劇的な死を共通項としてもつジャクソン・ポロックのくわえタバコの制作風景が思い浮かぶ。それも写真として有名な一枚だ。短命という点ではバスキアや松田優作にも似た写真がある。

 コレクションはロダンからはじまり、西洋画を序章にして、日本の古美術に続いている。土偶や埴輪や仏画を経て、江戸の文人画でピークに達する。国宝を個人で持つというステータスは、美の達人として認知され、審美眼の持ち主にまつられる。大雅蕪村玉堂に共通する自然観は、作家の心の安定を維持する常備薬であったに違いない。しかし一方で古賀春江岸田劉生をはじめとした精神を不安定に陥れる劇薬にも、自己同一化が自ずと運命づけられていたようだ。おどろおどろしい土偶を見つめる川端の目は、ロダンの腕に注がれた目と同質のものであり、心の闇を見た思いがした。

 村上肥出夫という洋画家の存在を、今回はじめて知ったが、川端の感性が捉えた作家である。画面をおおう異様な絵の具のうねりが、類を見ない重圧感を伝えている。同じ目は、銀座の画廊で、若き日の草間彌生も発見されていて、その時二点の作品を入手している。川端の異様な目の輝きに草間でさえもひるんだようで、その目力は林忠彦も感じ取っていたものだった。情念のほとばしりは、現在の草間のままだったに違いなく、二作は長らく作者不詳のまま、怪しい光に包まれて眠り続けていたものだ。今日の草間の名声を川端は知る由もなかっただろう。

 1970年に三島由紀夫が割腹自殺したのは、私にとってもリアルタイムとして、衝撃的に記憶にとどめているが、このあとまもなく川端康成もガス管をくわえて自殺した。70歳を越えてでは、文学者の自殺の美学からは遅すぎたのだと思う。狂気に見せられた系譜をたどると、川端は生き過ぎた思いを自覚していたのかもしれない。東山魁夷はこの狂気を暖かく見守る人格者として、文人画の延長上にあって川端の心の安定剤として、大きな役割を果たしていたに違いない。

 もう一人高田力蔵という私にとって懐かしい名前も、川端コレクションに含まれていた。古賀春江の影響下にある洋画家だが、柔らかで控えめなフランス風景は、心の安定をもたらしてくれる。私ははじめてヨーロッパを訪れた1977年に、パリ近郊のサンジェルマン・アン・レでこの画家にたまたま出くわしている。そこにはヒエロニムス・ボスの「手品師」という小品があるが、画家はそれを模写していた。私はボスで修士論文をまとめるための取材旅行だったが、この時騙される男の口からカエルが顔を見せる異様なモチーフを、話題にしたのを覚えている。こんなところで日本人に出くわすとは、年譜に照らし合わせると、高田氏はこの時77歳、私は25歳の頃の話である。

 ロダンの腕や首や胴体の断片を見ながら、切断死体のもつ異様なたかぶりに狂喜することはないだろうか。カミーユ・クローデルの狂気は、首を切断されて石に閉じ込められている。「瞑想(パンセ)」と題されてはいるが、静かな顔立ちは死者のそれだ。同じようにロダンの「女の手」は、切断された死臭と抱き合わせになっていて、川端が見つめる目には、美を越えた死との同一化を歓喜する紙一重の切れ味が読み取れる。

 伊豆の踊子や雪国のロマンの背後には、グロテスクで異様な耽美的世界が横たわっている。それが川端文学の深層だろうと思う。若き日の不可解な結婚の破断の深層に、人間不審の不条理が渦巻いている。畳のヘリすれすれで、ロダンの「女の手」を見つめる川端の目は、ロダンの掘り出したもうひとつの「カテドラル」と題された手とも、高村光太郎の生命力あふれる上昇する意志の力を宿したとも異なっている。そこには切断された生身の臭気が漂うように見えるのは、私だけだろうか。川端には「片腕」と題した奇妙な小説がある。


by Masaaki KAMBARA