今森光彦 自然と暮らす切り紙の世界

倉敷ガラス 小谷眞三 羽原明徳コレクション

2019年07月13日~09月01日

高梁市成羽美術館


2019/8/30

 ハサミ一本が、絵筆の代わりになる。それは筆以上に誰もが手にするものだろう。切り紙は平面上は木版画と大差ないが、浮かぶと影ができてレリーフ彫刻となる。さらに今森光彦の切り紙は、立体へと進化する。蝶をはじめさまざまな昆虫が誕生する。立体になると、理科の教材になってしまうので、わずかに影を宿してレリーフに見えるあたりの表現が、アートとしては面白い。写真家としても側面も紹介されていたが、もっと写真作品を見たかったという気がしている。

 自然主義者としての生きざまを、写真も切り紙も伝えるものなのだろうが、写真に本格的なプロとしてのこだわりが、あるように見える。その点、切り紙は肩を張らず、構えないところに見どころはあるが、驚異的なものかというと、物足りなさが残る。蝶や動植物の表現によって確かなメッセージは聞こえるが、趣味の延長上にあり、それだけに市民権を得て、環境運動やワークショップへと展開できることにもなったのだろう。

 併設された小谷眞三の倉敷ガラスは、見ごたえがあった。なぜ切り紙展と抱き合わせに展示がされているのか、明確ではないが、単なる穴埋め以上のボリュームを感じさせるものだ。ガラスの食器が並んでいるだけではない、ひとことでは語りきれない人の心の問題が、ガラスの造形を通じて、語られているように思う。穏やかさや温もりといった人の感情のおぼろげな美徳を、丸ごとガラスという素材が伝えているように見える。それは一般的なガラスの概念を裏切るものであり、鋭利な切り口と明晰な知性というような冷たく光る怪しさはひとつとしてない。

 かつての牛乳瓶やラムネ瓶が共有していたどっしりとした安定感を土台にした、日々の仕事に支えられた日常生活の充溢を最高の価値とみる美学が、そこにはある。ひとことひとことはっきりとした口調で説得し続ける宗教家のような響きを、さまざまな飲み口の形のバリエーションが伝えている。ときにそれは肩幅の広い人格をもったひとのシルエットのように見え出してくる。左右対称でないのはひとと同じで、右の肩がすこしあがっている。ワイングラスを思わせるキリスト教もあれば、仏教やイスラム教や地域の信仰をも取り込んだ素朴な祈りの形もそろっている。決して強い自己主張はしないのに、心に沁み入るような説得力を持った器物なのだと思う。てのひらにのせて目をつむっていたい気がしてくる。こんな食器を集め続けたコレクターの思いが、伝わってくるものだった。


by Masaaki KAMBARA