第9回日展神戸展

2023年02月18日~03月26日

神戸ファッション美術館・神戸ゆかりの美術館


2023/3/15

 久しぶりの日展だった。とりあえず満腹になる。朝食バイキングのあるホテルに泊まると、ああまた食べ過ぎたと思って反省するときがしばしばある。そのときの感覚に似ている。神戸会場となった六甲アイランドでは隣り合わせたファッション美術館とゆかり美術館がひとつになって、日頃はロビーに使われているスペースまでも展示がされている。彫刻の多くはここにかためられているので、気の毒な気がする。

 日本画からはじまり、洋画、彫刻、工芸、書と続くのは、暗黙の了解を得た、順路の王道となっている。もちろん反対から見始めてもいいはずだが、長年をかけて定着してしまったものならそれに従うのが無難なのだろう。ゆかりからはじまり、ファッションへと続く。個人的にはファッション美術館での企画展を見に来て、ゆかりはついでにまわるというパターンが身についているので、戸惑うが新鮮な体験にもなる。新たなスペースデザインとみれば、脳は活性化される。

 洋画と書は見ていくうちに突然二段がけになるところがある。ところせましの感があるが、額にアクリルが入っていたりすると、反射でよく見えないことも起こる。もちろん額に入れないと絵にならないことも多い。正装をしてセレモニーに臨むのに対応するが、貸衣装だと例年同じだという印象は否めない。中身にまで目が向かないのが、貸衣装の長所でもある。桜の開花だと思えば、年中行事なので、例年並みが落ち着いて一番いい。高齢者だと今年も無事に桜見ができたという感慨にふけることになる。今年の桜はいつになく美しいと言うとき、多くは桜そのものよりも、そのときの気象や気分に由来している。

 和洋中取り揃えた満腹食堂は、現代の庶民のニーズに対応したもので、変に前衛性を鼓舞したり、芸術を気取った高飛車なところがないので、安心して味わえるものだ。2,000円時代に突入した昨今の美術館事情を踏まえれば半額、シニアはさらに半額というリーズナブルな価格設定は、芸術の開放にも寄与する提言である。

 今回は書を丹念に見た。いつもは通り過ぎるスペースである。美術館ではたいてい入り口付近が混み合っているが、単なる人間の生理に過ぎない。疲れてきて足早になるが、ゆっくりと鑑賞できるという利点もある。不定形の紙の中にバランスよく字が並んでいる。もちろん破調もあって、それもリズムを奏でている。字の意味を解さなくても心地よく目になじむ。かすれやにじみさえも味わいとなって、絵画としてみれば純粋の極みといってよい。額装して展示する場合は、絵として見ようとするのだから、絵を見るようにして書を解釈する必要がある。字はつねに意味をもっている。何が書かれているかが気になれば、それは具象絵画だということだ。

 漢詩に親しんでいれば、意味に目が向くが、絵画であってもそれは邪道ではない。かなもじなら石川啄木でも宮沢賢治でもいい。相田みつおでももちろんいい。意味に目を向けるためにはヘタに字を書くこともある。破格の書体は、書かれた意味よりも、書いた人格を前面に押し出してくる。現代でははじめて目にするような強烈な個性に出会うことは難しいが、手本となったオリジナルを忠実になぞることでも、そのよすがに触れることはできるだろう。これが初心者の書の鑑賞法にちがいない。何と多くの書体があることか。隣り合わせて実に多くの様式を伝えている。よいものをちょっと食べるのが健康にはいいのだろうが、満腹感もときにわるくはない。聞き慣れた個人名はもちろんあるが、それは限られたプライベートな嗜好でしかないものだ。個人作家の理解ではない。一丸となったパワーを感受することが肝要なのだと思った。


by Masaaki Kambara