第782回 2025年7月7日
アルフレッド・ヒッチコック監督作品、イギリス映画、原題はThe 39 Steps、ジョン・バカン原作、ロバート・ドーナット、マデリーン・キャロル主演、88分。
イギリスの国家機密を盗まれようとするのを、阻止する男(リチャード・ハネイ)の話。ひょんなことから巻き添えを食って、殺人犯にされてしまうのを、綱渡りのように乗り越えて、解決へと導くサスペンスである。
多くの人が集まるロンドンの、ミュージックホールで発砲事件が起こり、われ先に逃げ出している。出し物は超人的な記憶力を誇る芸人(ミスター・メモリー)に、聴衆が驚嘆しているときだった。主人公はカナダから来たばかりの男だったが、逃げるなかでひとりの女(アナベラ・スミス)が寄り添ってくる。いっしょに逃れることになるが、行く先がないのか男の家にまで着いてくる。
謎めいた女で発砲したのは自分だとも言っている。二人の男から殺されかけて、騒動を起こして逃げようとしたのだと、探偵劇のようなことを言う。男の部屋にはカーテンもなく、家具もまだ閉じられたままになっている。女は帰ろうとはしないで、泊まり込んでしまう。追われているのだとおびえていて、通りを見ればわかるという。暗がりにした部屋の窓からのぞくと、二人の男の影が見えた。
次の朝に女が部屋に飛び込んでくると、背中にナイフが刺さっていた。死に間際に外国人組織がイギリスの機密を狙っていて、自分はそれを阻止するためにスコットランドに行かなければならないと打ち明けていた。組織のボスの手がかりは、小指がないことだった。
手に握りしめたスコットランド地図には、丸で囲まれた地名(アル・ナ・シェラ)があり、そこに行こうとしていたことを知る。男は愛国心からイギリスを救おうとして、女の意志を受け継ぐことになる。ただし女には金儲けだけの、割り切っての仕事だったし、男もイギリス人ではなかった。
自宅を取り囲んで見張られている。朝早く牛乳配達員が来たとき、制服を貸してくれと言っている。怪しまれると自分は情事で女の部屋にいて、外で見張っているのは女の亭主と兄だと、作り話をすると、おもしろがって着替えて、牛乳屋になって駅に向かうことができた。鉄道に乗り込むが追手も駅に到着していた。列車内でのサスペンスが続いていく。
車内を逃げまわるが、とっさに一人旅の女(パメラ)のコンパートメントに飛び込んで、いきなり抱き寄せて恋人同士に見せかけようとした。自分は無実で助けてくれと頼むが、追ってきた刑事に殺人犯だと言って引き渡そうとした。逮捕されかかるが、隙を縫って逃げ出して、鉄橋で止まったとき、列車を飛び降りることができた。
徒歩で目的地に向かうが、途中に宿はなく、民家に交渉をして泊まることになった。主人は狡猾で宿泊費をつりあげることで応じた。若い娘を嫁にしていて、食事の世話を通じて男と親しくなっていく。嫁は新聞からロンドンでの殺人事件で追われている男が、スコットランドに逃げていることを知っていた。
その記事を主人公が気にしていることから察して、男に目配せするのを、主人は勘違いをして妻を疑った。明け方、警察の捜査が近づくのを知らせて、男を逃すことになる。このときも妻は男の寝室に忍んで行ったと疑った。かくまうか引き渡すかも、いくら金を出すかで、追ってきた男たちとの天秤で決めており、妻はそんな夫を軽蔑していた。
丸印のついた住所には、英国人の教授(ジョーダン)が住んでいた。警察の捜査を逃れて辿り着いたとき、教授宅では娘の誕生パーティの最中で、大勢が集まっていた。主人公も引き入れて、客のひとりに紛れこませることで、主人公を救った。教授は主人公のことを知っていた。殺された女の名を出して、機密を奪おうとするボスに小指がないことを伝えると、教授は小指のない自分の手を見せた。
主人公は敵の真っ只中に、自分から入ってしまったのだった。教授に撃たれて倒れるが、着ていたコートの胸ポケットに入った讃美歌集に弾丸がとどまっていた。民家から逃げるときに、女主人から提供されていた、亭主の黒いコートだった。
逃げ出して教授の会にも来ていた検察官のもとに駆け込み、国家機密が持ち出されると訴える。話を聞くふりをしていたが、警察がやってくると、殺人者として引き渡してしまう。教授とは長年の友人であり、信頼関係が築かれていた。
追手は警察と殺人者が入り混じり、どちらかがわからない恐怖感を示している。追われて逃げ込んだ先が、政治集会だったことがあった。応援弁士にまちがわれて、壇上に立つことになる。国どうしで情報の奪い合うことのない社会の実現を訴えると、賛同の拍手を受けている。
会場に列車で告発した女が、警察官を伴ってやってくる。壇上の男に目を止めて知らせると、演説が終わった場で逮捕されてしまう。女も参考人として車に乗せられるが、警察署を通り越して、別の場所に連れ去ろうとする。途中で羊の群れに行く手をはばまれると、男たちは男女に手錠をかけて車を出る。主人公は女を引きずり出して、引っ張りながら逃げ出す。手錠につながったままの逃亡シーンが長く引き伸ばされる。スリリングだが、柵を二人で越えるシーンなどは、チャップリンの喜劇を見るようにおもしろい。
口封じをしながら、ホテルに入る。コート越しに銃を突きつけている。手錠が見えないように、銃で女を脅しながら、一部屋に泊まる。宿の夫婦はあやしみながらも、常に寄り添っていて、若者どうしはいいと微笑んでいる。手錠のまま眠ってしまうと、女は手をすぼめて抜け出すことができた。眠っている男のポケットから銃を取り出そうとすると木製のパイプだった。
フロントに警官がやってきて、怪しい宿泊客がいないかと問い合わせている。女は二階の廊下からようすをうかがっていた。助けを求めようとしたとき、電話のやり取りが聞こえてきた。ボスへの連絡で、女はまだ自分たちを、ほんものの警官だと思っているという声を耳にしたとき、男の無実を確信する。このとき女主人が現れて、主人のことばを否定して、営業時間を過ぎていると言って、客を追い出した。
若い二人の情事に味方が入った。女は胸を撫で下ろして部屋に戻る。男に向ける目が逆転していた。安堵してもう一度眠りにつく。分かれてソファに眠ったが寒くて、ベッドに眠る男の毛布をはぎ取っていたのが笑いを誘う。男は目覚めて手錠が外れているのを見ると、なぜ逃げなかったのかと不思議がっている。殺人者がやってきていたことを知ると、逃したことを残念がり、5時間の遅れを取ったと悔しがった。自分はまだ殺人容疑のままなのだ。
国家機密が盗まれたことを、女は申し出るが機密は安全に保持されていると回答された。男が見つけ出したのは、ミュージックホールに向かったボスの目的だった。この前と同じように記憶力を誇る芸人が登場していた。機密を盗み出してこの男に暗記させて、またもとに戻していたのだった。奇抜な発想には驚かされる。観客がさまざまな質問を投げかけると芸人は即座に答える。
主人公は39階段とは何かと質問をする。それは組織内部でしばしば飛び交っていた語で、機密を奪う外国人のスパイ組織の名称だと答えたとき、張り出したボックス席からの発砲があった。手すりには小指のない手が映し出されている。芸人を連れての国外逃亡の計画が、そこで失敗に終わった。
教授は逃げて舞台の上に飛び降りると、警察官が取り囲み逮捕された。撃たれた芸人の傷は浅く、問われて覚え込んだ機密を暗唱しはじめる。国家が開発した新兵器のデータを細部にわたって語っていた。お経のような意味不明な専門用語の羅列を聞きながら、主人公は後ろ手に手錠をつけたまま、信頼を取り戻した女と手を握りあわせている。ヒッチコックらしい気の利いた、粋な終わりかただった。39階段も不可解だが。邦題の39夜はさらに不可解なものとして、いつまでも余韻を残して、ヒッチコックに同調していく。
* 画像は「ヒッチコックの1000フレーム」参照