美術時評 2018年7月
by Masaaki Kambara
by Masaaki Kambara
2018年7月14日~9月2日
2018/7/31
明石ではこの前に「リカちゃん展」を見てまだ間がないが、今回は少年をターゲットにした夏休み企画のように見える。ただしキーワードはゴジラ、リカちゃんとともに数十年の時の流れを感じさせるものだという点では、今の少年少女というよりも、かつての少年少女をターゲットにしたというほうが正しいか。
「特撮」という、これも今では死語となりつつあるキーワードをもとに、1960年代の文化の様相を浮き彫りにしようという企画である。現代ではフィギュアという語でよみがえったアートの一角を成す造形表現のルーツを、プラモデルに見いだそうとする点で、ぬいぐるみの少女像と対応関係にある。60年代に始まった怪獣の皮膚感覚へのこだわりから、メカゴジラからガンダムへと向かうメカニックな金属製へと変化する時代の推移も面白く、その場合もゴジラという主役だけは、変わらず持続している。
シンゴジラで話題をさらってからは、しばらく経ったが、ゴジラこそは日本のポップカルチャーの代表選手であることは間違いない。そのままアルファベットにして国際的に通用するという点で、浮世絵からマンガとアニメへと受け継がれる日本文化の基調をなしている。
特撮と円谷英二の名は、密接に結びついているが、それは映画というメディアでのことで、美術という展覧会企画では、造形師として若狭新一の名が、クローズアップされている。コミックイラストで絵師という名を用いるのに対応させているのだろうが、もちろん彫刻家と言ってもかまわない。ファインアートに背を向ける意志表示に受け止められるが、師と呼ぶことで、職人に支えられた古い日本文化に回帰しようとしているとも取れる。
西洋の芸術理念が入り込む以前に、日本には仏師に支えられた豊かな彫刻技術があったことは事実だ。しかしあまりにも強調し過ぎると日本万歳になりかねない懸念もあって、今はそんな時代であるがゆえに、それを危惧する目も必要だろう。
質にこだわり、手触りの再現を目指して、FRPやラテックスを駆使しての手づくりの試行錯誤が、映像で紹介されていたが、そうした技法を制作助手が受け継ぐ姿は、伝統芸能や伝統工芸に残される光景のようにも見える。細々と家内工業として残される過去の遺産のように見え、すべてがデジタル化へと向かう世の中に背を向けている。
それを逃避と取るか警告と取るかは、難しい判断だが、そこにはDNAとしか言いようのない否定し難い手の感覚による存在感が共有されている。東宝映画の宣伝用ポスターの時代を感じさせる文字の並びも懐かしいだけではなく、遺伝子となって2000年以降のリバイバルでも、引き継がれている。
2018年7月7日(土)~9月16日(日)
パナソニック汐留ミュージアム。
2018/7/14
陶芸家ではあるが、一言では尽くしがたいところがあり、木喰まがいの木彫も刻めば、自身の警句を連ねる書家でもある。陶芸は格調が高く、民芸運動を下敷きにしているとはいえ、知的で品の良さを感じさせる。
原色が勢いよく飛び跳ねる河井独特の絵付けは、個々の色合いの発色ほどには、けばけばしくはない。押さえ込んだ艶やかさがほとばしる。上質な琳派の意匠を見るような、自信をもって押し出せる個の勝利がある。仁清や乾山を踏襲した趣味の良さが光っている。
汐留ミュージアムは会場が狭くて、物足りなさが残ることも多かったが、今回は満腹に近い。やきものもガラスケースにびっしりと並んでいた。河井寛次郎の多様性を語るには最低限の数だっただろう。地に根付いた陶芸というよりも、インターナショナルな実験室でオールマイティを目指したプロフェッショナルな造形と言った方がよい。エンジニアが職業で、アートが趣味という点で、同じように器用に変身を重ねた魯山人と一線を画している。
照明を落として浮き上がるような書のコーナーも効果的だった。京都の河井寛次郎記念館の協力の賜物なのだろう。パナホームとの関連でいえば、生活文化と結びついた造形に、確固とした生活感情がトータルインテリアとしての冴えをうかがわせていた。
2018年6月19日(火)〜9月17日(月)
東京国立近代美術館
2018/7/14
パフォーマンス系のアーティストであり、建築物に手を加えて、あっと驚くような空間を演出する。美術館もターゲットにされてきたから、美術館での展覧会に異存はないが、パフォーマーはすでに世を去っており、誰が演じるのかという、記録集で終わらせないライブ感の持続という課題が浮上する。教祖亡き後の布教にも似て、記録を通してのオーラと奇跡の実現を、いかに奇術にならないで保持できるかということだ。
日本でも記憶に残る美術館の解体と剥離がある。私は二度、広島市現代美術館で、マッタ=クラーク現象を体験している。一度は一階の天井と二階の床を剥がして、一階の大作と繋いだことがある。日頃の導線とは異なる道筋に、作品そのものよりも驚かされて、そこまでするかという唖然とした感動にパフォーマンスの究極を感じざるを得なかった。
二度目は展示室の床面が大規模に剥がされたことがあった。もちろん作品の一部となってのことである。現状に復帰するのが公共施設の原理であるならば、この費用を誰が負担するのかと興味を持ったことが記憶に残っている。ちょうど床の張替えの時期に当たっていたというのが、私の出した予定調和だった。
日本では読売アンデパンダン展を契機に、現代美術が美術館の破壊をターゲットにしてきた歴史がある。古くはクールベが「ルーヴルを燃やせ」と言っていた。壁に釘を打ち付けるというかわいいレジスタンスから、匂いのするもの、音のするもの、はては火を燃やすというパフォーマンスを実施計画に盛り込んで、権威の壊滅をスローガンとした。もっともルーヴルがかつての宮殿である限りは、ヴァスティーユとともに、フランス革命以来の標的だった。
マッタ=クラークが好んでやったのは、建築物の輪切りであり、時には斧を振り下ろしたような深いスリットを建物に入れた。ざっくりと割れた傷跡は、つよい衝撃を残すまさに胴体の切断を思わせるものだった。家屋が命の宿る人体そのものである場合はなおさらだ。
さらけ出された内臓組織は、バームクーヘンやロールケーキの輪切りにも似て美しいものだった。ホルマリン処理を施すと、ダミアン・ハーストの意図通り、永遠の命を得ることができた。
後に戻れない行為の跡形をとどめる姿は、福音書に似ている。キリストは行為の人で、後に何も残さなかったが、四人の弟子が福音書を書いた。マッタ=クラークの35歳という早すぎる死もまた、継承する後継者を必要とした。
外郭を丹念になぞることで浮き上がってきた教祖の真実、そんな感じのする展覧会だった。美術館は福音書の役割を果たす神格化の第一歩だった。
2018年6月19日〜9月24日
国立西洋美術館
2018/7/14
どれだけミケランジェロが来るのかと期待すると幻滅する。だいたいが絶対数から考えてミケランジェロ展などできるわけがない。理想の身体のほうに興味があると面白く見ることができる。最初のコーナーの興味の中心は子ども、ことに幼児の表現である。理想のプロポーションからは逸脱しているが、古代より興味深く彫刻表現がなされてきた。
ローマンコピーが数多く借り出されている。ミケランジェロの大理石2体にしても、ギリシャの原作を写し損ねたイタリアンコピーというほどに、荒削りだったり、大げさだったりした。しかしこのローマンコピーを通じて再認識できることがある。
ローマ時代にギリシャのオリジナルを量産することで、ギリシャ美術は少しずつ変質してきたが、それは完璧なものの形が崩れていく変化であると同時に、神が人間に姿を変えるプロセスでもあった。ローマ皇帝が神のような相貌になるためにはこの過程が必要だった。
そこでミケランジェロを見直すと、同じく神が人間になろうとしているのではないかと気づく。ダヴィデ=アポロ像を見ると、完璧な形が動きをはらみ、不必要な惰力が加わった印象を残す。腕が少し伸ばしすぎ、顔が少しひねりすぎることで、神の手を離れようとしている。人間的な無駄が加わることで、苦悩やもがきが表面化する。
神を逸脱した人間のしぐさにミケランジェロの目が向かっていたことは、一連の作品群が証明している。システィナ礼拝堂の天井画のメインテーマはアダムの誕生であり、ミケランジェロの興味は人間誕生の瞬間とその時のしぐさにある。繰り返し主題化したピエタ像は、神が人の姿を借りて現れた証しである。
今回のローマンコピーの展示は、ミケランジェロと無関係だと思っていたが、ミケランジェロもローマンコピーの末裔だと考えることで、人間主義の確立に至ったという仮説が生まれる。これまで評判の悪かったローマ彫刻の再評価にもつながるが、出品作の一点で、幼児が空に向かって手を伸ばすしぐさの愛らしさは、神を超えた人間讃歌の成果に他ならないだろう。
ミケランジェロ中では第一級とも思えないダヴィデ=アポロ像を前にして、しげしげと眺めながら形のわずかな崩れと、荒々しいノミに、実に人間的な相貌を見出した。ダヴィデかアポロかを議論する前に、神や英雄とは異なった苦悩する人間の実像に目を向けるべきなのだろうと思った。
2018年7月3日(火)〜9月2日(日)
東京国立博物館
2018/7/14
今回の展示を見て、改めて気づいたことが2点あった。一つは照明。縄文土器を上からのスポットではなく、下からの間接照明にしていて、これによって、今まで見てきた美術鑑賞のあり方を考え直すことになった。確かに縄文土器は美術品ではないが、美術品になってからも久しく、画集で見慣れた通常のライティングに親しんできた。今回、胴体部分の凹凸が特徴的な縄文中期の土器に下方からの照明によって、明暗が際立ち、神秘感が増したような印象を受けた。
縄文時代に現代のような照明はなく、松明のゆらめきを頼りに夜が演出されていたとするなら、土器が火にかけられ、炎の明るさが唯一の視覚効果であったことは、予測できる。火焔土器という形は、そこで生まれたイメージをさらに増幅する中で誕生したのだと思う。
もうひとつは壺の胴部に丸い窓が開いて人の顔が彫り込まれている土器がある。上部にも別の顔があって、二つは目がつりあがって、同じ顔をしている。そこから解釈がはじまるのだが、出産の姿だというのだ。壺の窓は母親の子宮に見立てられ、誕生する子の顔が出かかっている。あっと驚くような見立てであるが、そう考えれば、胴体の不可解な顔に納得のいく説明ができる。安産の祈りは原始の造形原理であり、子孫繁栄という至上命令を暗黙のうちに受け入れているということだ。
芸術誕生以前のイマジネーション豊かな造形原理があるとすれば、生命の発動が存在証明として、大地に残されることになる。火によって浄化され、水によって清められる宗教誕生以前の意志の力が、炎とも波とも取れる縄文のうねりの中で実現する。何千年と繰り返されてきた生命の持続の感動は、この時代にもやはり何千年も前のものとして理解されていたということだろう。そうでなければこんなに強いインパクトで、現代の私たちに迫ってくることはない。
この時代の世界の各地で展開した原始の造形を併設していたが、縄文のようなデコレーションは珍しいものに見えた。では次になぜ日本にこんな形が誕生したのかという特殊性が、問われることになる。これは縄文の発見であって、再発見ではないのだと理解した。
2018年4月25日~9月17日
森美術館
2018/7/13
大規模な仕掛けは、さすがに森美術館だと感心する。見ごたえは十分にあったが、あれっと思うことはいくつかある。最後のコーナーに安藤忠雄の「水の教会」が出てきて、締めくくりのように見えるのだが、申しわけ程度に付け加えたという印象だった。
全体のコンセプトは「日本」にある。岡倉天心も随所に登場する。安藤忠雄を日本と結びつけるなら、教会ではなくて、寺院だろうと思うし、キリスト教ならやはり「光の教会」のはずだ。昨年の東京では大がかりな安藤忠雄展で「光の教会」の原寸大模型を披露して間もないので避けたというだけでなく、大阪の建築家の立ち位置を決めかねた中央集権の迷いでもあるのだろうか。
もともとが神仏習合の国なのだから、伊勢神宮や出雲大社をそんなに強調する必要はないだろう。木が仮設の思想であるということを忘れ去ると、石の思想に対抗したくなるが、木と石を同列に比較して見せたところに落とし穴はあったようだ。
展覧会は木組みの見事さで観客の度肝を抜くことからスタートするが、それは永遠不滅の美ではない。朽ちもするし、燃えもする。束の間の美の結晶のためになされた化粧のようなもので、一瞬を生きるためだからこそ、最高の技術を披露するのだ。
木の選択は身近な可塑性であったことにとどめておく方が無難だ。それ以上深入りすると、再制作という形だけの継承が起こり、物質性を捨てることに意味を与えてきた美学を根本から崩壊させるものとなる。
その極め付けの形で、利休の如庵が再構築された。畳二畳の宇宙の広がりを体感させようという、今回の目玉商品でもある。現物大の模型によって伝わるものと伝わらないものがある。一人ずつ入るために、行列ができる。それによって付加価値をつけるのが、現代の商法でもあるが、何気なく導き入れられる利休の思惑とは一致するものではない。
情報で知り得た知識を総動員して、身構えて躙口に向かう。天井が低いので気をつけてくださいというアナウンスは、桃山時代にはなかったものだ。腰から刀を外して入ると薄暗い光が障子から入り込んでくる。主人がいるはずなので、ここでも利休の人形をすわらせておく配慮は必要だったかもしれない。
案外広いという月並みな感想を得て戻ることになるが、緊張感もなければ危機感もない。乱世の時代にあって茶室は危機管理の頂点に位置したはずで、狭ければ狭いだけ秘密は守られたはずだ。畳二畳でどんな会話がなされたか。
それを体感するパフォーマンスが舞台演出の鍵であった。ここで何が欠けていたかといえば、一番肝心なもの、茶を飲むということだった。それは視覚を超越した湯気であり香りであり、手のひらに感じ取る宇宙の感覚であったはずだ。
新春の天満屋を舞台にした岡山での院展では、狭い会場なのに茶席が設けられていて、着物姿の女性客でごった返している。いつもこの光景を見ながら違和感を覚えていたが、今回利休の茶室の再現を見ながら、岡倉天心が目指したものは、空間ではなくて、儀式だったのだと気づいた。
この心が院展会場に引き継がれている。茶は人の出会う場であり、ごった返した茶席はまさに畳二畳の空間だったのだ。重要なのは、茶室でも茶席でもなく、茶を飲むというパフォーマンスだったのである。
2018年6月29日~10月14日
21-21デザインサイト
2018/7/13
森美術館で大がかりな建築展をしているので、それに連動しているように見えるが、洒落たネーミングで気に入った。オーディオ・アーキテクチャの横文字をさらに横にして、塔に見えるように構築したポスターは、美術展なのに具体的なイメージをシャットアウトした潔癖さに共感を覚える。
展示はメインのワンフロアに仮設舞台をつくり、作曲された新曲に合わせて映像が動く。簡単に言えばアニメーションだが、オーディオに合わせたビジュアルのコンビネーションと受け止めてよい。ここでオーディオであって、サウンドではないことは、企画者の意図として注目しておきたい。私がコラボレーションと言わずにコンビネーションと言ったことも、このことと連動している。
どちらかといえば耳をつんざくオーディオの響きが、途切れることなくエンドレスにリピートし続けている。イメージは、映像作家が動員され、見事に違和感なく結合している。音をイメージに置き換える多様性がここでの見どころだ。
ブースに分けられた小部屋では大音響の中で、個々の映像の出来を確かめることになる。そこではビジュアルにオーディオが結び付けられている。舞台では舞台上に座る人と、階段席でそれを見る人に分かれるが、どちらの選択の自由もある。小規模なチームラボだと言えばわかりやすい。
ビジュアルとオーディオに違和感がなかったのは、技術力の現れではあるが、あまりにぴったりと収まると物足りない。人工的ではあるが自然ではない。化学反応ではあり、重力の法則に従ってはいるが、作られたという印象は、サイエンスではあるが、アートではないという、贅沢な不満分子になってもいく。
一瞬のずれや一呼吸の差を、ライブサウンドは提供するが、ここでの疑似体験は、間の構造を埋めることで、沈黙の哲学を捨て去ってしまったように見える。この印象は私自身の個人的な偏見、薄暗い会場で大多数を占めた若者たちとの世代論の溝だけではないような気がする。
2018年6月9日(土)~8月5日(日)
東京都写真美術館
2018/7/13
しっかりと見つめる義務感を感じ取りながら、いくらかの違和感が残る。まずは悲惨な現実がこれでもかこれでもかと加速される。多くは説明がいる。天災なのか人災なのかは、ことばによる説明がなければ伝わらないことも多い。
頭からすっぽりとヴェールをかぶり魅力的な黒人女性を真正面からとらえた写真がある。うつむきかげんで表情はよく見えない。気品のある美しい写真なのだが、説明を読むと愕然とする。長い説明文を読まなくてもボコ・ハラムという語が目に入ると察することだ。
イスラム過激派から逃れた数少ない少女のひとりであり、こうした写真が生き証人としての地獄を浮かび上がらせる。誘拐され自爆テロを強要される。身体に爆弾を巻きつけて、この魅力的な衣装を身につけて街中に向かうのだという説明が書かれている。その時からやっとこの写真は意味をもちはじめる。そしてこの写真が生きている証しとなる。
忘れ去りたいけれども、美しい写真であるがゆえに、悪夢をいつまでも引きずることになる。たぶん写真家はそんなつもりではもちろんないだろう。個人的理由とデリカシーを非情に切り捨てないと伝わらないことは、悲しいことだが確かにある。
2018年5月12日(土)~7月16日(月)
2018/7/13
おどろおどろしい世界だが、真実の情念についつい釘づけになってしまう。朴訥とした東北弁のナレーションが聞こえてくるような写真だ。森山大道に驚いていた者にとって、もっと土俗的で憑依に満ちた世界があることを教えてくれた。白黒写真の深い闇が、本来は見えないものの存在を予見する。
東北ばかりではなく、東京にまで取材の目が拡張しているのは、恐怖の連鎖を引き起こすが、それは東京自体の狂気に由来する。地霊に封印された都の怨念は、平将門じゃないけれど、東北なまりで語られた東京物語を生み出している。小津安二郎とは対極にあるのだ。
上野に行けば東北弁が聞こえる。西村京太郎に「終着駅殺人事件」というサスペンスがあるが、かつて上野は終着駅で文化の吹き溜まりを形作っていた。上野を起点に都を覆い尽くすエネルギーがある。今でも新幹線が直通を拒むのはそういう意味だ。圧倒的な土着の力が及ばないように念じられた暗黙の約束であったが、東京発の新幹線が誕生した時から、風穴が開き始めた。
上野発の夜行列車を降りた時から、津軽の厳寒が身を引き締めてきた。尾道から列車に揺られて東京見物に向かう物見遊山とは異なった地を這うような呻きがあり、それは東日本大震災で東京とは地続きであることが証明された。関西人はなぜ東京電力なのだと訝ったが、その時は福井にあるのが関西電力であることを都合よく忘れてもいた。
60年代に寺山修司や土方巽が上京し、東京人のイントネーションを変えてしまって以来、続いてきた因習がある。棟方志功や土門拳の名をあげてでも、それは納得できるものだ。あの黒々とした深い闇は、失われようとする視力にも似て、悲惨をパワーに浄化してしまうのだ。
最後のコーナーに東北芸工大での個展の紹介があったが、内藤正敏の出発点と着地点が、同じ粘り強い執念に支えられた反復であったことに気づくと、器用にさまざまなメディアを渡り歩くマルチな視覚に、土俗の血に支えられた同一の呪文を聞き取ることになる。
学生時代に寺山修司に導かれての東北一周で出会ったのが、恐山であったり、出羽三山であったりしたが、今回の展示でそれらから観光旅行では見えない地響きを感じ取った。
2018年5月12日(土)- 8月5日(日)
東京都写真美術館
2018/7/13
写真の読み方を学ぶには最適な、良質のレクチャーを受けたような満足感がある。写真を歴史でくくるのでも、主題でくくるのでもなくて、写真を読むためのキーワードを用意してひとくくりにすると、今まで見落としていたものが見えてくる。最初は「まなざし」というキーワードだ。
被写体はカメラを見ているというのが大前提だ。しかしフレームから外れた何かに目を向けている場合も多い。つまり視線のありかが気になる写真が集められた。
最初にくるのは、ロベール・ドアノーで、ピカソの視線は不条理に満ちている。もちろん刺激に対する何でもない反応に過ぎないが、視線の先に何があるかを明かされない限りは謎でしかない。それを写真家は見事に演出して見せた。
誰が見てもピカソであることから、普段着を着た画家の、単なる肖像写真として見過ごされてしまう。しかしタイトルに「ピカソのパン」とあることから、「誰が見てもピカソ」のパンに目が向かう。バケットが焼きあがるのを待っているまなざしだと判断すると、タイトルは「ピカソの手」であってもよかったということだ。
まなざしのコーナーに沢田教一のピュリッツァー賞を受賞した有名な写真が選ばれていた。確かにそこでもまなざしが問題になってくる。改めて見直すと視線の錯乱に出くわす。肩まで水に浸かりながら戦火を逃れようとする難民の一家がいる。加えてそこには登場しないで、それを写そうとするカメラマンがいるはずだ。二人の子を両脇に抱えて必死になる母親には、カメラの目は見えない。二人の子の視線も拡散している。
一方でカメラに厳しいまなざしを向ける二人の目がある。一人は年長の男の子、もう一人はカメラに一番近い女性だ。厳しい顔を返しているが、顔立ちがよく似ているところからは、母子三代の血族と読み取れる。父は兵士として召集されているはずで、戦うすべはない。カメラに向けて、すがるような表情と敵対する眼光が同居している。
まなざしは、カメラ目線という用語がある限り、写真を読み解くキーワードとなる。よりそい、ある場面、会話がきこえる音が聞こえる、けはい、むこうとこちら、うかびあがるもの、と続く。それぞれに該当するセレクションの妙を通じて写真の見方を教えてくれる。
もちろんすべてに、たとえば「まなざし」や「けはい」を伴わない写真はなく、選択を鵜呑みにしないことで、鑑賞者の感性を鍛えてもくれる。ぼんやりと眺めてきた鑑賞法に、良質の反省を強いられるものとなった。
2018年6月30日(土)~9月17日(月)
2018/7/13
興味はブラジル先住民が椅子を作るというので、どのようなものだったかにあった。椅子は生活の必需品ではあるが、日本人から見れば、なくてもそれほど不便のないものに思われたからだ。しかし西洋人にとっては、椅子は生活家具である以上に、ステータスを象徴するものであった。椅子とは地位のことだった。それではブラジルの先住民の場合、どうだっただろうか。
権力構造が出来上がると玉座が欲しくなる。エジプトはもちろん、エーゲ海文明にも玉座の間がある。中世にもキリスト教権力者や王の座る象牙で飾られた椅子があった。近代のデザイン運動のなかで、背の高いマッキントッシュの椅子は、喫茶店で誰もが座ることができ、偉くなった気分を演出した。こんな連想を繰り返しながら、わくわくとした気分で美術館に向かったのだった。
先住民という語に思い込みがあって、原始の造形と勘違いしていたようだ。行ってみて気づいたのは、それぞれが現代の造形だという点だった。アボリジニの絵画と同じように、民族美術の枠内で語れそうだ。椅子を作ろうとして、動物の姿を借りたのではなくて、動物の造形がまずあって、それが椅子にもなるというのが、本当のところだ。
椅子に深い意味はなさそうなので拍子抜けする。動物が親子の場合、子どもはかなり小さいが、それは人間での子ども椅子に対応する。座り方も背にまたがるというもので、座り心地はよいとは思えない。磨き抜かれた黒光りのする木肌は、重厚な造形性を獲得するが、椅子に大小があるとは言えワンパターンに陥り、製作者個々には個性は乏しい。
均一と言ってよい量産に、わずかな変化を感じながらも、今回起用された伊東豊雄の展示術に興味を移しながら、思い立ったことがある。
均一というのは実はデモクラシーではなかったのかという点だ。スーパーにコカコーラが並ぶように、それらは身分の上下はなく、誰もが共有できるものだ。これを「民芸」と称してもよい。手仕事で変化をつけようとするが、基本的には平等を原則とする。土産物屋にずらりと並んだ民芸品の落とし穴が開こうとしている。
説明文にはこの地域では、4000年前から椅子が作られていた形跡があるとのこと。権力者の椅子もあったらしいが、どんなものであったのかが気になる。ここで並んでいるようなちょこっと腰を掛けるものではなかったはずだ。今に残らないのは権力とは虚しいものだという教訓をふくんだからか。
庶民は地面に腰を下ろした。権力をもつと椅子にすわることになる。椅子に慣れると地面に直にすわりにくくなるのは、現代の日本を見ているとよくわかる。腰掛けとは権力の交代を意味する用語で、同じ椅子を共有できる関係にある。
権力者の椅子はひとつだが、庶民の椅子は量産される。前者は当然やがては朽ちて後には残らない。そこで民芸の問題だが、長い間、民芸の悪口に共鳴してきたが、そうも言えないなと感じてきている。素朴な味が商品になると素朴でも何でもなくなる。機械で量産されて、土産物屋に並ぶと安くはなるが、首をひねる。一方で手作りなのでと、申し訳なさそうに、店員がことわりを入れる。
素朴が売りものになる時代を察知した商魂が、問題の根にあり、話を複雑にする。作者は無心に作り続けるが、流通の段階で大儲けをしようとする者がいるという話だ。高価な民芸品を前にして、心の通わない形のコピーで間に合わせるという二重構造が生まれる。
ブラジル先住民の椅子もそんなルートをたどる危険をはらんでいる。そうならないためには繰り返しだけにとどまらない造形性が求められている。物珍しいだけでない民芸の、本来持っていたパワーが本物かどうかを見極める必要があるだろう。
2018年6月16日(土)~7月29日(日)
2018/7/12
シンプルな形と色を志向すると、絵本にたどり着く。これは単純な原理だろうが、誰もが思いつくことだけに、成功するのは難しい。色は6色以外は使わない。モンドリアンの国から出てきた画家だとすると、納得はいく。しかしモンドリアン・カラーとブルーナ・カラーは異なっていて、共通する赤黄青といっても同じではない。
ブルーナのほうは少しくすんだ感じだが、落ち着いている。モンドリアンは戦闘的に絵画を切り開こうとして、切れのいい鮮やかな原色を求めた。ブルーナには子どもを優しく覆い包む母性の色が必要だったはずで、6色のうちにグレーが含まれるのが、興味深い。茶色が仲間に入るのも通じ合う話だ。
ブルーナがミフィーを描いているところを写した映像があった。単純なただの点である黒い目を打つのに、ゆっくりと時間をかけて筆を下ろしている。点ひとつ打つのに、なぜこんなに時間をかけるのかと、不思議な気がしたが、わかる気もした。書家が慣れた手つきで一気呵成に仕上げてしまうのに対して、気を移す霊媒師のように、手かざしにも似たパワーで、気を画面に点じている。
まるで禅坊主のような気合いだが、内に秘めた霊力は飄々とした息遣いのなかに隠し込まれている。よく見ると確かに動かないがジリジリとした輪郭を持った点であって、判で押したような幾何学的なきれいな丸ではないのだ。
命の込められた目は、必勝祈願のダルマか、画竜点睛の故事のように、打ったが最後、天にまで登っていくような神秘の瞬間に立ち会っている気になった。一点に、悲しみも喜びも内包したすべてを込めて、涙の源泉としている。瞳もなければ眉もない。
ただの小さな点なのに世界に開けた大きな窓にも匹敵する。この制作風景を見なければ、こんな程度のキャラクターなら、誰でも描くことができると思ってしまったかもしれない
2018年6月9日(土)~7月16日(月)
2018/7/12
美術館の歴史などに興味のある観客は少ない。美術館が自身の歴史を振り返るのが、昨今はやっているようだが、そんなことは知ったことかというのが通常の反応だろう。要するに常設展であり、いつでも見れるものというありがたみのなさが、魅力あるものには見えてくれない。しかし数十年の手前味噌を辛抱して見ていると、苦労話を超えて共有できる真実に出くわす。
阪神大震災の以前、以後で二分した展示構成から、同時代を生きた真実がよみがえる。津高和一のコーナーがある。西宮で被災し亡くなった画家だ。美術館も被災した中、主人をなくした作品を引き取り育てて、再開後に追悼の特別展となった。
震災によって名品から順番に壊れるのだと知った。耐震のシンポジウムが阪神間の美術館ネットワークで、盛んに行われていたように記憶している。代替わりを繰り返し、若い学芸員に引き継がれ、継承されているコレクションの歴史がある。
修復でよみがえった作品は、何食わぬ顔でいるが、深い傷を負った記憶を携えており、その現場は当時の報道から見直すことができる。大変な時代を生き抜いてきたという感慨は、もっとひどい状況があり得ることを教えてくれる。
ファミリーヒストリーに他人ごとなのに涙する場合がある。戦争や大災を生き残った共通の悲哀を噛みしめることの証言が、美術品をたくましく鍛え上げるのだろう。
2018年7月1日(日)〜9月9日(日)
芦屋市立美術博物館
2018/7/12
簡単な目鼻立ちなのに子どものかわいさがあふれ出ている。かわいい丸顔なのに鼻だけがツンと尖っている。何年かするときっと意地悪になるだろうと、未来を思い浮かべながらも、今はかわいい。
特定の誰かが想定された時、美は上昇する。つまり大人になれば、大してかわいくはないというリアリティが、今を愛おしくするのだ。多くは子どもの誕生で加速化する。娘が父の才能を引き出した。
あどけない子どもなのに背景は暗い。チェコの国家の悲しみを子どもたちも背負っている。何の罪もないが、時代の悪におびえながら親は子をどうにかして守ろうとする。ヒトラーの犠牲者はそういう人たちだった。
ヨゼフ・チャペックもまたその一人だった。強制収容所で殺害されたらしい。らしいと言うしかないところに恐怖がにじみ出る。名も持たず虫けらのように殺されたということだ。
2018年7月3日(火)〜9月17日(月)
2018/7/12
版画にかけた青春群像と言ってよいだろう。短期間で終わった美術運動に関わった版画家たちのそれぞれの歩みを追っている。デモクラートは短命だが、個々の作家たちは比較的長命で、作風も変化する。
ただ一様に情熱をほとばしらせたという点で、共有する無名性を誇りをもって語り始める。団体展のひそみにならえば、その後ふんぞり返る栄光が待ち受けていたことは確かで、それを否定することで、もっと大事なものを手に入れたということだ。
版画制作という比較的継続が容易なメディアでも捨て去ることを余儀なくされる。その後の浮き沈みは作品の展開が示している。4人の作品数にばらつきはあるが、時代を異にした5点もあれば、見えてくるものがある。
吉田利次の力強い版画メディアの生命力は、プロパガンダ以上のメッセージがあるが、全国区でいえば、知られないままなのは惜しい。デモクラートという抽象性に傾いた運動からは違和感があるが、版画運動の日本での展開を考えれば、こちらの方が主流だろう。
モノトーンの響きの中に、農民の、労働者の腕の輝きと影が、汗とともにこだましている。コミュニズムがまだ希望に満ちた前向きの気流に高揚感がみなぎっている。その後の挫折と失速感が長らく制作から離れただろうことは、年譜から読み取れる。本展でも会場正面で待ち受けていたのが、労働者の力強い腕を思い起こす黒光りのする色調だった。
4人の名前を連ねるのにどんな順番にするかは、頭をひねるところだろう。泉茂を筆頭にもってくるのは妥当だし、作風のヴァリエーションからも、広がりと可能性を感じさせてくれる。もちろん油絵もあるが、出発点はタブローを権力構造として否定し、版画をレジスタンスのメディアとして普及させていくということだった。
50年代の銅版画の確実な彫版技術の手ごたえが、「版」という必然を超えて、リトグラフやシルクスクリーンという版画にとってのニューメディアの特性を引き出し、開拓と実験に向けて、美術の本道を歩むことになる。
銅版画でめざしていたイメージの錯乱を、その後みずから封印してみせたようにも思う。油彩画も展示されていたが、後ろめたいものに見えたのは、私の思い込みからだろうか。
版画に深入りすると鑑賞者を置き去りにするところがある。制作者のみの語る用語にエクスタシィを覚えてしまうと、版画という大衆性すら 置き去りにされてしまう。
銅版画の切れ味や、リトグラフの躍動感や、シルクスクリーンの色のズレは、それぞれが効果としては興味深いが、それを加速化するためには、形はシンプルであればあるほどよかっただろう。○△□に落ち着くことになるが、同時に現代美術の落とし穴に落ち込んでもいった。
吉原英雄はイメージを残すことで、ポピュラリティーを保ちつつ、版画にこだわり続けることができた。ハイヒールや女性の足に向けてのフェティシズムは、個人的嗜好であるがゆえに、信頼感を獲得できた。
ウォーホルや三輪休雪とも時代を共有するものだ。もちろんモンローやバルドウに魅せられた大衆性に根ざしてもいるし、ストッキングを開発したアメリカ産業に、世界中が踊らせれていたというだけのことでもある。
吉原の名が展覧会名の最後に来ているのは、展示数が少ないことにも反映している。BBプラザに所蔵品が少なかったというだけの話なのかもしれない。
京都芸大という比較的知性に裏打ちされた学生を育てる中で、タブローになる版画をめざし、油彩画の下請けのようにされていた地位の向上運動ともなったようだ。確かに優れた後進は育ったが、気を許すと油彩画に憧れてしまうこともあるだろう。
かつて名画家は名版画家でもあった。デューラー、レンブラント、ゴヤ、ピカソと続く。もちろんデューラーは時の名声を版画で得たが、画家でなければ実の名声は得られないと考えた。その考えは今も引き継がれているということだ。
版画で名をなした池田満寿夫は、身をひるがえして、マルチタレントとなった。映画や陶芸や分筆活動に活路を見出すことでメディアを横断し、画家としてのステータスを無視しようとしたようだ。
美術の教員として身を置くことで待ち受けている惰性と怠慢は、団体展に所属するのと大差はない。どちらも後進の指導に名を借りた、あくなき権力欲に、知らぬ間に結びついてしまうものだろう。
山中嘉一も泉茂とともに大阪芸術大学で、後進の指導にあたっている。しかしあまりにしがらみを感じられないのは、前衛性や攻撃性とは異なって、落ち着いた絵画的世界を生み出すことに向かっていたからではないかと予想される。
つまり絵画とか版画というメディアの優劣の問題ではなくて、技法論に落とし込まない鑑賞の自由を保障してくれた点で、私などはその絵画世界を愛すべきものとして評価したいと思うのだ。
2018年7月6日~8月26日
2018/7/10
1)第1稿
印象派の誕生から解体までをたどるが、日本人好みの作家名が網羅されていて、親しみのわくコレクションだと思う。ポーラ美術館という企業体の体質も感じさせて、興味深いものだった。
美術館のコレクションとしてはサイズが小さいという印象が残るが、肩を張った官展の絵ではなくて、家庭サイズというのが印象派のスタイルであるし、そのことによって日本人は印象派になじんでもきた。
それにしても小品だが、モネは充実している。何気ない風景画なので、すうっと入っていける。まるでそこにいてモネの目を通して眺めているような臨場感がある。チューブ絵具が開発されて、野外制作がはじまり、刻々と変化する自然の姿をとらえることができるようになった。
そのさわやかな感動が、そのまま伝わってくる。大気をおおう靄や霞は、モネが見つけた美意識だし、見る方もそれを美しいものだと思ってきた。
しかしよく見ると霞か雲かと思っていたものが、実は汚染だと気づくとモネの再評価に目が向かう。蒸気機関車の吐き出す煙や、遠景の工場の煙が、描かれているのであって、真っ白な煙であったとしても、決して無害なものではない。地球環境の悪化はそこからはじまり、モネの絵はそれに対する警告ではないかと見え出してくる。
それらはまだまだ遠くにあって、気づけていない場合も多い。しかし絵画の場合、写真とは異なって、たまたま写し込まれたわけではない。明確な意志をもってそれを描いたのである。
モネの絵は誰の目にもわかりやすいものだ。それがピカソにいたって、わかりにくくなる。そこまでの数十年の推移が手に取るようにわかるのが、この時代が動乱期であり、革新に満ちていたことを裏付けている。
2)第2稿
印象派の出発から解体までの限られた数十年の推移をたどるが、日本人にとってもっともポピュラーなビッグネームが連なっている時代だ。美術館のコレクションとしては、小品が多いという印象だが、それは印象派というグループのせいでもある。
展覧会に飾る大作主義から、個人の室内に飾る何気ない絵画への転換が、市民生活の日常性の優位を語っている。自然に目を向けた時のヴィヴィットな感性が、臨場感豊かに描きこまれる。
それらを加速したのは、チューブ入り絵具の開発で、野外制作が始まると、これまで気づかなかった絵画の可能性が開けてくる。光の一瞬のきらめきであったり、一陣の風であったり、その場でしか感じ取れない瞬間を永遠に定着させるのが、絵画の使命だと思い始める。
それまで絵画は時間の推移の中で展開する物語の一コマを伝えるものであったが、一瞬を永遠に置き換えることのできる秘密の兵器として油絵の可能性が広げられていく。
そこには物語はない。つまり日本人にもよくわかる絵だということだ。絵画は一瞬のきらめきを写すものであればいいという西洋絵画の伝統からすれば革命的な考えも、日本人にとっては当たり前のことに過ぎなかった。だから日本人にはモネがよくわかるのだ。ポーラ美術館もそんなモネを数多く所蔵している。
物語のないあいまいな色彩のうつろいでしかない絵なのに、ぼんやりと見ていては見落としてしまう現代社会へのメッセージが含まれている。声高には語られないので見落としてさえ構わないが、それに気づくとモネの世界観が見えてきて、少し楽しくなっていく。
モネの美観を形作っている靄に霞む神秘的な光景は、光の魔術師のせいではなくて、現代社会への告発を含んでいるからなのだと思うのだ。
ポーラコレクションの展示でもはっきりするのだが、一点は蒸気機関車が白い煙をはいて進む場面が描かれている。もう一点は遠景に白い煙を吐き出す工場の煙突が描かれている。それらは何気なく描かれているが、絵画の場合、知らないうちに写し込まれていた写真のような偶然はありえない。
明確な意図を持ってそこに置いたということだ。白い煙はいくら美しく描かれたとしても、それは自然現象ではなくて、地球環境の汚染に他ならない。モネはそんな現代都市の光景を皮肉ってみせる。
絵画はまるで美であるかのように嘘をつけるのだ。そこには臭いがないから、簡単に美に変貌してしまう。モネは美にだまされるなと警告しているように見える。それがポーラという企業体に重なるとすれば、なかなか含蓄のあるコレクションだということにもなるだろう。
西洋絵画が面白いのはモネのそうした警告通り、現代都市はますます醜悪な姿を見せ始める点だ。モネ以降10年ほどの間に、大きく絵画は様相を変えてしまう。わかりやすい絵が、ピカソに至りわかりにくい絵に変貌する。その変貌ぶりはあまりに急激すぎてついてはいけないはずなのに、感性の怠慢はそんなものかと歴史上の知識を受け入れてしまう。
印象派からキュビスムとフォーヴィスムへの展開は自明のことに思ってしまうのだが、それが大変な変わりぶりだったのがよくわかる作品群と展覧会構成だった。
2018年6月23日~8月26日
北九州市立美術館 分館
2018/7/1
文字に向かう感性が際立っている。未来派をスタートとするが、破壊的なアバンギャルドの側面は薄れていて、子どもに向けての真剣な表情が目につく。両者が重なったところに絵本が生まれた。
イタリア人的気質は押さえ込まれていたようで、冷静なデザイン的感覚は、オランダ人のような感性を備えている。もちろん色彩に対する感覚はイタリア的で、それが研ぎ澄まされた論理的思考にうまく組み合わされる。ムナーリの血の中に、風土の説明を要するものは入り込んでいないだろうか。
日本ではシュルレアリスムを軸に評論活動をした滝口修造と仲が良かったようで、先日富山で見た滝口コレクションの一点にムナーリデザインの灰皿(1)があり、ここでも同じものが展示されていた。シュルレアリストにとっては、無い物ねだりのシンプルな感性に引かれたに違いない。引きずるような悪夢を好んだイメージのるつぼと化したシュルレアリスムの限界を飛び越えるためには、必要なステップだったのだろう。
日本との関係は深いようだ。60年代の「折りたためる彫刻」を見ていると、ふくやま美術館の前にある赤いモニュメントにどことなく似ている。高橋秀の長いイタリア在住が出会わせた偶然なのだろうか。陽気なイタリアの形である。
「役に立たない機械」という出発点でのコンセプトが、生涯を支配したように見える。遊び心がそれを支える。子どもとの接点を見る場合、これしかない。筋目の入った石ころを見つけてきて、道に見立てて車を描き入れる(2)。
いたずらの延長上に創作活動が開始する。「穴のあるコンポジション」は、タイトルがないと見過ごしてしまう(3)。三つの小さな丸が描かれているが、一つだけは実際の穴が開いている。「空間概念」などと称されると、構えてしまうが、単なる遊び心でよいのだと思う。
フォンタナだけではない。イサム・ノグチの「あかり」もあれば(4)、カルダーのモビールもある(5)。座れない椅子もある(6)。「座ることを拒否する椅子」とすると哲学的になってしまうところを、ここでは「短時間の来客のための椅子」とすることで実用化してみせる。
あれっと思える遊戯感覚を、難しく考えないで取り込んでしまうところがいい。多方面に興味がひろがり、そのために何者かがわからずに分類に苦慮するが、それが今日的でもあって、語義からすればタレントと呼ぶのがふさわしいのかもしれない。
2018年5月19日~7月1日
北九州市立美術館 本館・アネックス館
2018/7/1
銀色絵画という独自の手法によって知られるが、一堂に会し展示室を取り巻くと、全体像の持つ一つの主張が見え出してくる(1)。同じ手法を用いながら、個々の表現は試行錯誤を繰り返し、一つとして同じものはない。図柄が異なるとか、色ちがいといった似て非なるものではない。銀色に覆われた同サイズという条件を厳しく守る中で、どれだけヴァリエーションを拡げていけるか。ゲーム開発を競う熾烈な戦いにも似て、生死をかけた熱い思いが繰り広げられる。
にもかかわらず全体像はひっそりとしている。鉛色のどんよりとした静寂は九州の画家とは思えない感性の裏切りを内に秘めている。北九州の夏の日差しの中、寒々とした雪の情景を浮かび上がらせる。中谷芙二子が父宇吉郎へのオマージュとして演出してみせた霧の彫刻にも似て、叙情性を感じてしまったのはなぜだろう。
雪の結晶がヴェールに覆われてどんよりとした大気に煙っている。その湯けむりの旅情は、片山津温泉の雪の科学館をも想起させる。冷たいのに温かい二律背反が、ここでは夏の日の清涼となって心地よい。
こうした無彩色の禁欲は、九州とは裏腹に破綻を内包していて、やがては色彩が火柱のように立ち上がる。ピンクやグリーンといった落ち着きを欠いた色彩が銀世界に加わっていく一時期があった(2)。
パフォーマンスによって情況に関わろうとするアクチュアルな姿勢(3)から、一歩下がって絵画とは何かという問いかけをなす。当然パフォーマンスにおいて身体が基本であったことに対応して、絵画では物質が基本となる。絵の具のもつマチエールやペインティングの手法に目が向いていくが、そこに物足りなさを感じるとすれば、それは自己が生きているという実感だっただろう。
イメージの復権は絵画に無限の可能性を切り開く。物質の優位はただ重力の法則に従っているに過ぎないという視点が出てくると、それを膨らませ、歪める自由意志の力に目覚めていく。
抽象が連想を受け入れる瞬間がある。円環がカルデラを写した火山のマグマを導く(4)。幾何学的にコンパスでたどられた電球のかたちが、のっぺりとした顔に変貌する(5)。
同心円さえも収束する遠近法に近づくと、高速道路のトンネル内での疾走を待ち伏せている(6)。その時から絵画は潤いと憂いを含みはじめ、声高に歌う歌唱法を身につけることになる。繰り返しシリーズを増殖させるのは、満足を得られないフラストレーションに由来する。確実に進化している実感をつかみあげた時に、シリーズは完結する。
船のシリーズはそうしたリピートの末に増殖された何隻もの船団に成長した(7)。船という説明がない限り、船には見えない。東北の大震災で打ち上げられた船が源泉であると説明があるまでは、その思いは伝わらない。茫洋とした横長の大きな不定形に、象のような茫漠とした広がりを感じるのみだった。それがいったん船と結びつくと、身震いするようなイメージの勝利をもたらしてくる。
モーリス・ルイスが繰り返し描いた色の山が、見るものの前に大きくそびえ立ち、強い存在感を伝えるのに似ている。それは中国山水画の名作のような確固とした岩の塊にも見えてくる。
ルイスの山が並ぶと山脈になるのと等しく、ここでは船とも見なせない不定形が、船団となって広がっている。その大きさが実にいい。よこの広がりはノアの箱船を思わせ、救済と安らぎの形を模索した末にたどり着いた結論のようだ。
ひっくり返すと仏教徒にはストゥーパか釣鐘のように見えてくる。伏せた器とは救済の船が使命を終えて、眠りについた形であって、墓地の祖形に違いない。いつかこのシリーズは逆さに並べるとよいと思った。
同じ理屈を作者は高速道路のトンネルで試みている。アーチが続くチューブは、ひっくり返すと高速道路は下水道に変貌する。じつに見事なトリックだ。イメージの源泉はここではアンジェイ・ワイダの映画「地下水道」にあるようだ。絵画からも響き渡る靴音が聞こえてくるような気がした。
遠近法のトリックは、当然のように「窓」というテーマにたどり着いたようだ。しかしそこでは窓枠をトリックに用いるのではない。それはルネサンス以来、常套的に試みられてきたことで、はては額縁という因習を生み出して、絵画のステータスを築きあげてしまった。ここでは逆に格子を入れることで、窓を封印してみせる。
上下の逆転がここでは、遠近の逆転となっている。はじめは確かに格子は絵の前にあった。しかしやがては目を近づけなければ、窓格子は見えないものとなる。石内都の写真からのシリーズでは、格子はモチーフの中に埋め込まれている(8)。