美術時評 2018年7月
by Masaaki Kambara
by Masaaki Kambara
2018年7月14日~9月2日
2018/7/31
明石ではこの前に「リカちゃん展」を見てまだ間がないが、今回は少年をターゲットにした夏休み企画のように見える。ただしキーワードはゴジラ、リカちゃんとともに数十年の時の流れを感じさせるものだという点では、今の少年少女というよりも、かつての少年少女をターゲットにしたというほうが正しいか。
「特撮」という、これも今では死語となりつつあるキーワードをもとに、1960年代の文化の様相を浮き彫りにしようという企画である。現代ではフィギュアという語でよみがえったアートの一角を成す造形表現のルーツを、プラモデルに見いだそうとする点で、ぬいぐるみの少女像と対応関係にある。60年代に始まった怪獣の皮膚感覚へのこだわりから、メカゴジラからガンダムへと向かうメカニックな金属製へと変化する時代の推移も面白く、その場合もゴジラという主役だけは、変わらず持続している。
シンゴジラで話題をさらってからは、しばらく経ったが、ゴジラこそは日本のポップカルチャーの代表選手であることは間違いない。そのままアルファベットにして国際的に通用するという点で、浮世絵からマンガとアニメへと受け継がれる日本文化の基調をなしている。
特撮と円谷英二の名は、密接に結びついているが、それは映画というメディアでのことで、美術という展覧会企画では、造形師として若狭新一の名が、クローズアップされている。コミックイラストで絵師という名を用いるのに対応させているのだろうが、もちろん彫刻家と言ってもかまわない。ファインアートに背を向ける意志表示に受け止められるが、師と呼ぶことで、職人に支えられた古い日本文化に回帰しようとしているとも取れる。
西洋の芸術理念が入り込む以前に、日本には仏師に支えられた豊かな彫刻技術があったことは事実だ。しかしあまりにも強調し過ぎると日本万歳になりかねない懸念もあって、今はそんな時代であるがゆえに、それを危惧する目も必要だろう。
質にこだわり、手触りの再現を目指して、FRPやラテックスを駆使しての手づくりの試行錯誤が、映像で紹介されていたが、そうした技法を制作助手が受け継ぐ姿は、伝統芸能や伝統工芸に残される光景のようにも見える。細々と家内工業として残される過去の遺産のように見え、すべてがデジタル化へと向かう世の中に背を向けている。
それを逃避と取るか警告と取るかは、難しい判断だが、そこにはDNAとしか言いようのない否定し難い手の感覚による存在感が共有されている。東宝映画の宣伝用ポスターの時代を感じさせる文字の並びも懐かしいだけではなく、遺伝子となって2000年以降のリバイバルでも、引き継がれている。
2018年7月7日(土)~9月16日(日)
パナソニック汐留ミュージアム。
2018/7/14
陶芸家ではあるが、一言では尽くしがたいところがあり、木喰まがいの木彫も刻めば、自身の警句を連ねる書家でもある。陶芸は格調が高く、民芸運動を下敷きにしているとはいえ、知的で品の良さを感じさせる。
原色が勢いよく飛び跳ねる河井独特の絵付けは、個々の色合いの発色ほどには、けばけばしくはない。押さえ込んだ艶やかさがほとばしる。上質な琳派の意匠を見るような、自信をもって押し出せる個の勝利がある。仁清や乾山を踏襲した趣味の良さが光っている。
汐留ミュージアムは会場が狭くて、物足りなさが残ることも多かったが、今回は満腹に近い。やきものもガラスケースにびっしりと並んでいた。河井寛次郎の多様性を語るには最低限の数だっただろう。地に根付いた陶芸というよりも、インターナショナルな実験室でオールマイティを目指したプロフェッショナルな造形と言った方がよい。エンジニアが職業で、アートが趣味という点で、同じように器用に変身を重ねた魯山人と一線を画している。
照明を落として浮き上がるような書のコーナーも効果的だった。京都の河井寛次郎記念館の協力の賜物なのだろう。パナホームとの関連でいえば、生活文化と結びついた造形に、確固とした生活感情がトータルインテリアとしての冴えをうかがわせていた。
2018年6月19日(火)〜9月17日(月)
東京国立近代美術館
2018/7/14
パフォーマンス系のアーティストであり、建築物に手を加えて、あっと驚くような空間を演出する。美術館もターゲットにされてきたから、美術館での展覧会に異存はないが、パフォーマーはすでに世を去っており、誰が演じるのかという、記録集で終わらせないライブ感の持続という課題が浮上する。教祖亡き後の布教にも似て、記録を通してのオーラと奇跡の実現を、いかに奇術にならないで保持できるかということだ。
日本でも記憶に残る美術館の解体と剥離がある。私は二度、広島市現代美術館で、マッタ=クラーク現象を体験している。一度は一階の天井と二階の床を剥がして、一階の大作と繋いだことがある。日頃の導線とは異なる道筋に、作品そのものよりも驚かされて、そこまでするかという唖然とした感動にパフォーマンスの究極を感じざるを得なかった。
二度目は展示室の床面が大規模に剥がされたことがあった。もちろん作品の一部となってのことである。現状に復帰するのが公共施設の原理であるならば、この費用を誰が負担するのかと興味を持ったことが記憶に残っている。ちょうど床の張替えの時期に当たっていたというのが、私の出した予定調和だった。
日本では読売アンデパンダン展を契機に、現代美術が美術館の破壊をターゲットにしてきた歴史がある。古くはクールベが「ルーヴルを燃やせ」と言っていた。壁に釘を打ち付けるというかわいいレジスタンスから、匂いのするもの、音のするもの、はては火を燃やすというパフォーマンスを実施計画に盛り込んで、権威の壊滅をスローガンとした。もっともルーヴルがかつての宮殿である限りは、ヴァスティーユとともに、フランス革命以来の標的だった。
マッタ=クラークが好んでやったのは、建築物の輪切りであり、時には斧を振り下ろしたような深いスリットを建物に入れた。ざっくりと割れた傷跡は、つよい衝撃を残すまさに胴体の切断を思わせるものだった。家屋が命の宿る人体そのものである場合はなおさらだ。
さらけ出された内臓組織は、バームクーヘンやロールケーキの輪切りにも似て美しいものだった。ホルマリン処理を施すと、ダミアン・ハーストの意図通り、永遠の命を得ることができた。
後に戻れない行為の跡形をとどめる姿は、福音書に似ている。キリストは行為の人で、後に何も残さなかったが、四人の弟子が福音書を書いた。マッタ=クラークの35歳という早すぎる死もまた、継承する後継者を必要とした。
外郭を丹念になぞることで浮き上がってきた教祖の真実、そんな感じのする展覧会だった。美術館は福音書の役割を果たす神格化の第一歩だった。