ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで
2018年7月6日~8月26日
岡山県立美術館
2018/7/10
1)第1稿
印象派の誕生から解体までをたどるが、日本人好みの作家名が網羅されていて、親しみのわくコレクションだと思う。ポーラ美術館という企業体の体質も感じさせて、興味深いものだった。
美術館のコレクションとしてはサイズが小さいという印象が残るが、肩を張った官展の絵ではなくて、家庭サイズというのが印象派のスタイルであるし、そのことによって日本人は印象派になじんでもきた。
それにしても小品だが、モネは充実している。何気ない風景画なので、すうっと入っていける。まるでそこにいてモネの目を通して眺めているような臨場感がある。チューブ絵具が開発されて、野外制作がはじまり、刻々と変化する自然の姿をとらえることができるようになった。
そのさわやかな感動が、そのまま伝わってくる。大気をおおう靄や霞は、モネが見つけた美意識だし、見る方もそれを美しいものだと思ってきた。
しかしよく見ると霞か雲かと思っていたものが、実は汚染だと気づくとモネの再評価に目が向かう。蒸気機関車の吐き出す煙や、遠景の工場の煙が、描かれているのであって、真っ白な煙であったとしても、決して無害なものではない。地球環境の悪化はそこからはじまり、モネの絵はそれに対する警告ではないかと見え出してくる。
それらはまだまだ遠くにあって、気づけていない場合も多い。しかし絵画の場合、写真とは異なって、たまたま写し込まれたわけではない。明確な意志をもってそれを描いたのである。
モネの絵は誰の目にもわかりやすいものだ。それがピカソにいたって、わかりにくくなる。そこまでの数十年の推移が手に取るようにわかるのが、この時代が動乱期であり、革新に満ちていたことを裏付けている。
2)第2稿
印象派の出発から解体までの限られた数十年の推移をたどるが、日本人にとってもっともポピュラーなビッグネームが連なっている時代だ。美術館のコレクションとしては、小品が多いという印象だが、それは印象派というグループのせいでもある。
展覧会に飾る大作主義から、個人の室内に飾る何気ない絵画への転換が、市民生活の日常性の優位を語っている。自然に目を向けた時のヴィヴィットな感性が、臨場感豊かに描きこまれる。
それらを加速したのは、チューブ入り絵具の開発で、野外制作が始まると、これまで気づかなかった絵画の可能性が開けてくる。光の一瞬のきらめきであったり、一陣の風であったり、その場でしか感じ取れない瞬間を永遠に定着させるのが、絵画の使命だと思い始める。
それまで絵画は時間の推移の中で展開する物語の一コマを伝えるものであったが、一瞬を永遠に置き換えることのできる秘密の兵器として油絵の可能性が広げられていく。
そこには物語はない。つまり日本人にもよくわかる絵だということだ。絵画は一瞬のきらめきを写すものであればいいという西洋絵画の伝統からすれば革命的な考えも、日本人にとっては当たり前のことに過ぎなかった。だから日本人にはモネがよくわかるのだ。ポーラ美術館もそんなモネを数多く所蔵している。
物語のないあいまいな色彩のうつろいでしかない絵なのに、ぼんやりと見ていては見落としてしまう現代社会へのメッセージが含まれている。声高には語られないので見落としてさえ構わないが、それに気づくとモネの世界観が見えてきて、少し楽しくなっていく。
モネの美観を形作っている靄に霞む神秘的な光景は、光の魔術師のせいではなくて、現代社会への告発を含んでいるからなのだと思うのだ。
ポーラコレクションの展示でもはっきりするのだが、一点は蒸気機関車が白い煙をはいて進む場面が描かれている。もう一点は遠景に白い煙を吐き出す工場の煙突が描かれている。それらは何気なく描かれているが、絵画の場合、知らないうちに写し込まれていた写真のような偶然はありえない。
明確な意図を持ってそこに置いたということだ。白い煙はいくら美しく描かれたとしても、それは自然現象ではなくて、地球環境の汚染に他ならない。モネはそんな現代都市の光景を皮肉ってみせる。
絵画はまるで美であるかのように嘘をつけるのだ。そこには臭いがないから、簡単に美に変貌してしまう。モネは美にだまされるなと警告しているように見える。それがポーラという企業体に重なるとすれば、なかなか含蓄のあるコレクションだということにもなるだろう。
西洋絵画が面白いのはモネのそうした警告通り、現代都市はますます醜悪な姿を見せ始める点だ。モネ以降10年ほどの間に、大きく絵画は様相を変えてしまう。わかりやすい絵が、ピカソに至りわかりにくい絵に変貌する。その変貌ぶりはあまりに急激すぎてついてはいけないはずなのに、感性の怠慢はそんなものかと歴史上の知識を受け入れてしまう。
印象派からキュビスムとフォーヴィスムへの展開は自明のことに思ってしまうのだが、それが大変な変わりぶりだったのがよくわかる作品群と展覧会構成だった。