映画年代史1981年1980年 ◀ ▶1982年
「映画の教室」by Masaaki Kambara
第998回 2026年3月5日
クロード・ルルーシュ監督・脚本、原題はLes Uns et les Autres、フランシス・レイ、ミシェル・ルグラン音楽、ロベール・オッセン、ニコール・ガルシア、ジェラルディン・チャップリン、ジェームズ・カーン、ジョルジュ・ドン出演、カンヌ国際映画祭高等技術委員会賞受賞、185分。
ラヴェルのボレロを下敷きにした、オーケストラとダンスによる音楽劇。畳みかけるようにして、盛り上がっていく音の重層性が、時代の深刻な状況に呼応している。舞台はパリ、ドイツの占領下にあった激動の時代である。
音楽に携わっていた、ごくふつうの庶民の群像劇として、戦後に至るまで引きずられた、悲劇の様相を伝える。アメリカ人(ジャック・グレン)の公演中に、歌と踊りに浮かれていた酒場に、臨時ニュースがもたらされた。ドイツ軍がポーランドに侵攻し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告をしたという知らせだった。
パリは瞬く間にドイツ軍に占領され、兵士が小学校にまで入り込んでいる。衝撃的なシーンが繰り返され、ナチスによる恐怖が再現されていく。子どもたちのズボンをおろさせて、下半身に目を向ける。
割礼が施されているかを点検しながら、教室内を兵士がゆっくりと歩いている。一人の生徒の前で立ち止まり名前を聞く。女教師が駆け寄って、キリスト教徒の曲を歌うよう指示する。
ドイツ兵はそれを聞くと、忌々しげに教室を出て行った。教師はこの歌を教え、覚えてくれたことで安堵している。ユダヤ教を信じるユダヤ人にとっては異教の歌だった。割礼もまたキリスト教徒の儀式であり、それがここではユダヤ人狩りに用いられたのである。
家族が強制的に退去させられ、収容所に送られていく。男女が引き離されて、夫婦は別々に運ばれていった。赤ちゃんが泣き叫んでいる。せめてこの息子だけは救おうと、目を光らせているドイツ兵士の隙を見て、父親(シモン)はお金をくるんで列車からおろして、線路のわきに置く。
朝になり、自転車で通りかかった若者が、布にくるまった赤ちゃんを発見する。教会まで連れて行き、添えてあった金だけを奪って、牧師館の戸を叩いて逃げていった。手紙にはこの金で育ててほしいと書いてあった。
ドイツ将校の若者(カール)は、ピアニストであり指揮者でもあった。兵士の指揮も取っていたが、パリの娘たちが投げかける視線に、好印象を与えようとしてほほえみを返している。
ドイツ軍が敗北すると、これまでの地位は逆転する。それでも音楽家としての評価は高く、コンサートでは前売り券が完売した。幕を開くと会場には観客は、音楽批評家の二人しかいなかった。
ヒトラーの愛した指揮者であったことから、ユダヤ人が前売り券を買い占めていたのだった。この指揮者が戦後数十年が過ぎて、ラヴェルのボレロを指揮している。年長の女性がマネージャーとして世話を焼く、カラヤンを思わせる風格のある音楽家だった。
ダンスはモーリス・ベジャール振り付けによる有名な作品であり、ロシア人ダンサー(セルゲイ)の役でジョルジュ・ドンが演じている。モスクワ行きの帰国便に乗る直前に引き返し、亡命する衝撃的な姿が映し出されていた。
終戦になり収容所から無事に帰還した母親(アンヌ)は、罪悪感から駅に置き去りにした息子のことを、探そうと現地を訪れる。夫はアウシュヴィッツの収容所で虐殺されていた。
妻は目撃者を探しまわるが見つからない。金だけを奪った者が名乗りをあげるわけはない。何度も訪れ、駅長夫婦とも親しくなっていた。教会で名付けられて育てられた、息子(ダヴィット)はやがて母親と再会をはたすことになる。
これまで別々に語られてきた家族が、その子どもたちの世代になって、一つに出会う。親子を同じ俳優が演じているので混乱してしまうが、理解できると運命の糸のようなものを感じることになる。
集合するのが、赤十字のもとに集まったチャリティコンサートだったというのが象徴的で、エッフェル塔には赤十字のマークが掲げられ、上空からは路上に同じマークの車が連なって走っている。
ボレロを踊るダンサーに伴走するように、男女がハミングをしながら、デュエットになっている。別々の歩みをしてきた何組もの家族がすれちがい、やがて世代を越えて、一つの場所に落ち合う運命のダイナミズムは、大河ドラマと呼ぶにふさわしいものに見えた。
第999回 2026年3月6日
ウォーレン・ベイティ監督・脚本・主演、原題はReds、ヴィットリオ・ストラーロ撮影、ダイアン・キートン、ジャック・ニコルソン、モーリン・ステイプルトン共演、アカデミー賞最優秀賞を3部門(監督賞・助演女優賞・撮影賞)で受賞、194分。
ロシア革命の影響を受けて、アメリカで立ち上がった新聞記者(ジョン・リード)の生涯を追う。「世界をゆるがした十日間」の著作で知られる実在の人物である。
ニューヨークでの進歩的な文化を受け入れた、先鋭的なグループに属しており、活動的な記者だった。仲間には舞踊家のイサドラ・ダンカンや写真家のスティーグリッツ、劇作家のユージン・オニールの名も連なっている。
同じグループにいた女性記者(ルイーズ・ブライアント)と恋愛関係になるが、彼女は写真の個展も開いて、多方面に興味をもっていた。男が政治を第一に考えるのに対して、女は芸術を好み、美術記事で成功していた。女は自分の書いた文章を、男に批評してもらおうと預けているが、芸術には興味はなさそうだ。
女のほうは結婚していたが、男は意に介さない。たがいに自由な恋愛を信条として、同棲するに至る。拘束しないつもりでいたが、男が取材で家をあけたときに、劇作家とのつきあいが深まり、帰宅した時に目撃されてしまう。男のほうも他の女との情事をほのめかすと、たがいに嫉妬心が起こり、男は結婚を決意して、プロポーズをした。
黙ってふたりして姿を消したことから、劇作家は女を見つけ出し批判するが、男同士の友情はその後も揺るがなかった。女のほうは顔を合わすと喧嘩の絶えなかった、記者への愛を再確認することになる。
男は反戦運動を続けたが、1919年のロシアでの革命を聞くと、支配された労働者が、権力者である皇帝を退けた事実に共鳴し、そこに理想のかたちを見出し、居ても立っても居られなくなる。
取材を兼ねて直接現地に向かい、さらに運動にのめり込んでいく。共産主義は赤と言われて排斥されたが、厭うこともなかった。映画タイトル(Reds)は赤の複数形を意味するものだ。
アメリカを戦争に導いた大統領を批判して、ロシアに理想像を見ようとした。資本家と結託して、戦争による産業で甘い汁を吸う政治家を批判する。先輩のジャーナリストは男の過激な言動を心配げに見ている。
現地ではレーニンやトロッキーも登場するが、その組織のなかに入ると、自由を勝ち取ろうとしながらも、そこに自由はなかった。妻に会うのに帰国するのも許されず、手紙も届かなかった。
音信の途絶えた夫を心配して、妻はロシアに向かう決意をする。自由に行き来できる時代ではなく、劇作家に相談して協力を得る。フィンランド経由で、雪の中を危険な思いをしながら、旅を続けることになる。
探し当てた時には、夫はすでに組織を去っていて、出会うことができたのは、内戦に疲れ、やっとの思いでたどり着いた列車での到着時だった。ごった返す終着駅の旅情を感じさせるものだ。
駅で見つけ出したときは、感動の再会だったが、持病を悪化させていた。過酷な環境で腎臓を患って、片方を摘出していた。トイレを真っ赤に染めたときは、レッズであることから、共産主義者なのだと自嘲している。アメリカに戻ることもできないまま、病院で命を落としてしまった。泣きながら女が付き添っている。