映画年代史1982年1981年 ◀ ▶1983年
「映画の教室」by Masaaki Kambara
第1030回 2026年4月6日
リドリー・スコット監督作品、原題はBlade Runner、ハリソン・フォード主演、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング共演、116分。
「2001年宇宙の旅」と同じく、過去となった未来の話である。2019年のロサンゼルスが舞台となっている。映画が製作された時には、まだまだ来ない近未来の設定だったが、今では過去のこととなってしまった。明るい未来では決してないし、そんなに暗い過去でもなかった。
映し出されるのは、自動車が空中を行き交う未来都市だが、自然は失われたようで太陽は姿を消し、陰鬱な人工都市が広がっている。一日中薄暗く日の当たらない、夜と雨だけの世界である。
アメリカなのに電光掲示板にはキモノを着た、艶かしい日本女が大写しになっている。地上では日本語が飛び交って、ゴミゴミとした裏通りには、ラーメン店のカウンターが並んでいる。主人公(リック・デッカード)が腰をおろして、店の主人にうどんを注文した。
かつてはブレードランナーだったが、今では辞めてしまったと言っている。進化した人型ロボット(レプリカント)を開発して、人工知能で人間の嫌がるような、さまざまな仕事をさせていた。
それが反乱を起こして人間を襲いはじめた。そのうちの一部は地球にやってきて、人間のなかに混じって身を潜めた。これに対抗し破壊しようとして、組織されたのがブレードランナーだった。
ロボットを開発した会社(タイレル社)は繁栄し、社長(タイレル博士)は優れた科学者でもあった。主人公は呼び戻されてロボットの抹殺を打診される。過酷な仕事であることから、復帰を嫌っていたが、政府からの要請でもあり、拒みきれないと判断する。
数体のロボットが会社内に入り込んでいた。自分たちを開発した社長やエンジニア(J・F・セバスチャン)に迫って、隠された秘密をさぐろうとした。彼らは一見すると人間とは見分けがつかない。気を許していると、急に襲いかかってくる。
女性については魅力的な容姿をもち、男性を誘惑するように設計された。開発者はロボットのパワーの見返りとして寿命をもうけて、5年間で命が尽きるように制御していた。主人公は社長を訪ねたときに、そんな一体(レイチェル)と出会い、愛を交わすようになっていく。
反乱を起こしたロボットを破壊するのが使命であったが、リーダーとなる男性ロボット(バッティ)との格闘は迫力に満ちたものだった。ペアを組んでいた女性ロボット(プリス)を撃ち殺すと、憎悪をこめて主人公を襲ってくる。
相手は手強かった。主人公は高所から落ちる寸前で、引き上げられて命を救われる。理解し難い行動だったが、その直後リーダーは寿命を迎えて命が尽きてしまう。不可解な判断に主人公は、命についてのリーダーのメッセージを、考えさせられることになる。
ロボットは感情を持たないが、人とながらく接触していると、情愛を示すことがあると、担当者は指摘していた。社長はリーダーによって迫られるが、態度を変えなかったことから、目をえぐられ無残な最後を迎えた。
社長のそばにいた、主人公の愛した女性ロボットは、はじめ機械のようなふるまいだったが、やがて表情が生まれる。ほんとうにロボットなのかどうかもわからなくなってしまう。恋愛の経験はなく、キスの手ほどきもしてやっていた。
最後まで生き残り、主人公とともに逃避行に向かうことになる。寿命が組み込まれているのかに不安を抱きながらも、今を生きる喜びを感じあいながら、二人は車を走らせていった。いつ死が訪れるかがわからないのはロボットだけではない。人間に備わった本質でもある。
自由を求めて立ち上がった者を、力で抑圧する。主人公はそれを嫌って退役したはずなのに、権力の命令に応じて復帰させられる。何の抵抗もなくそれを使命として受け入れている。ロボットを壊滅しようとして、自分自身がロボットと化してしまったのである。
情け容赦なく銃を発射して、残酷なまでに殺戮を続ける。相手が人間ではないという確信が良心を偽装する。そんななかでロボットから命を救われ、ロボットと愛をかわす意味を、この映画は考えさせようとしているのだと思った。
第1032回 2026年4月8日
スティーヴン・スピルバーグ監督作品、原題はE.T. The Extra-Terrestrial、ジョン・ウィリアムズ音楽、ディー・ウォレス、ヘンリー・トーマス、ロバート・マクノートン、ドリュー・バリモア出演、アカデミー賞4部門(作曲賞・視覚効果賞・音響賞・音響編集賞)受賞、115分。
イーティーと名乗る宇宙からきた生物と、子どもたちの交友を描き、出会いから別れまでをたどった感動作。宇宙船がやってきたのを、人間が見つけて大騒ぎになる。夜の闇の中で光り輝いている。何台もの車を走らせて探しまわっていて、それを恐れてか飛び立ってしまった。
地上に降りていたなかで、取り残された一体の生き物がいた。近隣に住む子どものひとりが、納屋にいるのを発見して近づいていく。なかなか姿は表さないが、カメラに写されるとあっと驚くような容姿をもっている。
家族には3人の子どもがいて、母親(メアリー)と暮らしている。父親は家出をしてメキシコに行ってしまったと、母親は嘆いている。大自然におおわれたなかで、恐怖に直面すると心細い。長男(マイケル)は車の運転もできる歳で、しっかりしているが、父のことを話題にすると、母親は泣きはじめるので、気を使っている。
次男(エリオット)が納屋で怪物がいると大騒ぎをするが、みんなで見にいっても見つからなかった。夜になって次男の部屋にいつのまにか入り込んでいた。顔立ちは不気味だが、背は低くおとなしい。
怖がることなくいると、何かを伝えようと指を動かしてくる。仕草をまねているのが、まず最初のコミュニケーションだった。鼻に手を当てれば同じように鼻に手を当てる。おもしろがって恐怖感は消えて打ち解けていく。
妹(ガーティ)に知らせるとすぐに仲良くなって、ことばがわかると言い出す。簡単なことばは覚えて発音もできるようになる。イーティーと「おうち」という語が盛んに繰り返されるので、自分の名であることと、家に帰りたがっているのだとわかった。
兄にも知らせて三人の兄妹の秘密となった。母親にも知らせようとするが、驚くにちがいない。すれ違ってしまっていて、そばにいても気づかない。おとなには見えないのかもしれない。飼っていた犬もはじめは吠えかかるが、やがて仲よくなっていった。
次男は仲良しができ、世話をしなければならず、学校をずる休みをした。母親が体温計を持ってくる前に、電灯に顔を近づけて熱をあげていた。兄妹が学校に行き、母親が勤めに出たあとで、友だちと二人になって、コミュニケーションを深めていった。
E.T.はよく食べた。次男は部屋から出さずに隠し続ける。たくさんあるぬいぐるみにまぎれると見分けがつかない。歩くのは遅くヨタヨタとしていたが、ハローウィンがくると仮装をして出かけていく。E.T.は仮装する必要はなかった。白い布を被せて、妹の背丈に見せかけて出かけていった。
夜遅くまで遊んで帰れなくなる。次男だけが帰って来ないことから、母親が心配をして警察に捜索願を出していた。やっと帰ってくると、疲れ切っていて、E.T.がいなくなったと言っている。
兄が自転車で森に探しに行く。川のほとりで倒れているのを見つけると、自宅に連れ帰る。このとき母親とも対面することになる。放ってはおけず、捜索隊が大挙してやってくる。宇宙服を着込んで、感染を恐れて物々しい警戒をしている。
次男とE.T.を並んで寝かせて、心電図を測りながら経過を見ている。二人は見えない糸でつながるように、病状を同期させていた。奇妙な現象は出会った時から起こっていた。E.T.が勝手に冷蔵庫を開けて缶ビールを飲むと、学校にいる次男が酔っ払っていた。
同調ははじめて会った時、鼻に手を当てたときからはじまったのかもしれない。原理に従えば、E.T.が死に瀕すると次男も同調するはずだったが、やがて次男は回復し、E.T.は反対に悪化して命を落としてしまった。
次男は泣きはらし、E.T.は氷詰めにして運ばれようとしたとき、次男が鉢植えの枯れた花に息を吹きかけると再生した。同時にE.T.の心臓も赤く輝き出し、命を取り戻す。宇宙船と連絡が取れ、救出に来るのだと目を輝かせた。
遺体を運び出して自転車に乗せて、宇宙船の降り立つ丘に向かう。捜索隊に追われるなか、追いつかれかけたとき、子どもたちの乗る自転車は、奇跡を起こし空中に浮かびはじめた。飛行機のようにして丘に降り立つ。
宇宙船がやってきてE.T.が乗り込もうとしたとき、次男にいっしょに行こうと誘った。首を横に振ってここにとどまると言い、駆けつけた母親に抱きかかえられていた。
邪悪な姿で想像されてきた地球外生命体が、こんなに優しいとは思えない。恐ろしければ私たちは逃げまわるだろうし、弱ければ恐れをだいて、蚊を叩くように踏みつぶしてしまうだろう。感染を恐れて物々しい警戒もするはずだ。
ブサイクだがカワイイと言えるには、立ち止まってのコミュニケーションが必要だ。ここで紹介されたように、相手の動作をまねるというのが、最良の方法ではないかと思った。
第1034回 2026年4月10日
テッド・コッチェフ監督作品、原題はFirst Blood、ジェリー・ゴールドスミス音楽、シルヴェスター・スタローン主演、リチャード・クレンナ、ブライアン・デネヒー共演、97分。
ベトナム帰還兵(ジョン・ランボー)の悲劇。グリーンベレーの名で呼ばれ、英雄としてもてはやされたが、7年たった今では駐車場の仕事にもありつけない。鬱屈したエネルギーが爆発して、警察権力を前に犯罪者として、逮捕されるまでの話である。
山奥まで訪ねて友の名を告げ、いっしょに写された写真を見せると、息子は死んだと言われて肩を落とす。ベトナムから帰国後、ガンになって昨年亡くなったのだと言う。ベトナム戦争で使われた化学兵器のせいだと、吐き捨てるように母親が言った。
立ち去ろうとすると、パトカーがやってきて保安官(ティーズル)が出てきた。町を守るのを使命としていて、よそ者は極端に排斥していた。送って行こうと言って、町はずれまで乗せて行って、あとはまっすぐに歩けばいいと言っておろす。
兵士は歩き出すが振り返り、町に向かって戻りはじめる。パトカーは再度追い返すが、言うことを聞かず、逮捕に至り警察署に連れ戻る。黙秘のままの態度に立腹して、保安官は力づくで留置する。
持ちものから名前が知られ、問い合わせをすると、クリーンベレーの一人だとわかった。厳しい訓練を経た最強の兵士だったことに、部下は驚くが保安官は対抗心を高めている。この町では法律は自分のことだと豪語する。
裸にされホースでシャワーを浴びせられた。背中に鋭利なナイフを隠しているのを取り上げられ、ヒゲを剃ろうと手荒に扱われ、カミソリが近づいてくると、ベトナム戦争で捕虜になったときの、拷問を思い出して半狂乱になった。突然に数人の監視員を殴り倒し、表に出てバイクを奪って逃走する。
保安官がパトカーで追跡し、激しいカーチェイスが展開した。山に逃げ込むと訓練でのサバイバルの成果を発揮する。山では法律は自分のことだと、対抗して語った。
ナイフひとつで武器をつくり、布を裂いて上着にする。保安官はヘリコプターを要請して、ドーベルマンもともなって部下がやってくる。匂いを追ってたどり着くが、尖った枝が胴体を突き抜けて、猛犬も兵士もひとたまりもなかった。
ヘリコプターに乗り込んだ保安官の同僚(ガルト)が、ライフルを発射して狙撃しようとした。警官とは思えない非道ぶりに、保安官はなだめようとするがエスカレートして、ロッククライミングで岩肌を登る主人公を、仕留めるのに必死になっている。
操縦士に揺れないように指示をするが、主人公の投げた岩が機体にあたり、ガラスにヒビが入った瞬間にバランスを崩して、谷底に落下して命を落とす。ライフルを奪うと、何人かの隊員を撃ち殺してしまった。
隊員たちは歯が立たないことを実感している。保安官の指揮する部隊に加えて州警察も加勢するが、それでも相手にはならない。報道カメラも駆け付けた。保安官だけが歯ぎしりをしながらも、長年の同僚だった仲間の仇討ちを誓っている。
さらに国防省からも大佐(サミュエル・トラウトマン)がやってくる。かつてグリーンベレーを指揮した隊長だった。主人公の説得にあたるつもりだが、保安官は独力で解決しようと言い張る。相手は一人だが総動員しても歯が立たないで、皆殺しになると警告をした。
無線機を奪い取っていて、こちらのやり取りが把握されている。呼びかけても反応はないが、大佐に投げかけられると、やっと答えを返してきた。それによって位置情報が確かめられる。大がかりな山狩りが開始された。
ロケット弾まで撃ち込まれ、生き埋めにされるが、ゲリラ戦に慣れた主人公は、坑道をたどって生き延びた。衣服を脱いで裂いて松明にして地下道の闇の中を進んでいく。
大佐の言葉どおり主人公は手を緩めず、町を破壊しはじめる。軍のトラックを奪い、積んでいた機関銃と弾薬を手にして、給油所に火をかけた。夜となり光のある建物に銃弾を撃ち込む。
主人公の動きを見つけた保安官は、屋上にあがって待ち構えるが、逆に撃ち返されて倒された。軍が出動するまでに至り、立て籠った建物を取り囲む。あきらめをつけたように、大佐が説得に向かった。
主人公は思いの丈をかつての隊長にぶつけた。英雄として帰国したが、今では仲間は自分を除いて全員死んでしまった。反戦運動のなかでは悪人扱いがされた。最後に訪ねた戦友は、屈強を誇り生きて帰ったが、ガンで死んでしまった。無念を語って泣きはらすのを、隊長が抱きかかえている。
日本語タイトルの「ランボー」は主人公の名だが、原題の「最初に流す血」は、先制攻撃を意味する。先に手を出したのはどちらだという、戦争においては罪をなすりつけあう醜い悪行のことだ。
敗北しないためには徹底的に先取攻撃を続けることが教え込まれ、それが戦争の現実だった。そんな傷跡を残す世代の悲劇を、アメリカはかかえていると言う話である。
第1035回 2026年4月11日
テイラー・ハックフォード監督作品、原題はAn Officer and a Gentleman、リチャード・ギア主演、デブラ・ウィンガー、デヴィッド・キース、ルイス・ゴセット・ジュニア共演、アカデミー助演男優賞・歌曲賞、日本アカデミー賞最優秀外国作品賞受賞、124分。
アメリカ海軍のパイロットをめざして、厳しい訓練を受ける若者たちの愛と野望の物語。学校(レーニエ航空士官候補生学校)で訓練を終えると明るい未来が待ち受けている。このことから多くの志願者が集まってくるが、過酷な訓練で脱落者が相次ぐ。女性パイロットをめざす者も混じっている。
指導するのは黒人軍曹(フォーリー)だった。ことば汚い命令を吐きかけ、しごきを加えて統率していく。航空技術だけを身につけて、ここを出て民間航空に勤める者もいると、怒りを滲ませる。落ち度があればすぐに退学願(D.O.R)を書かせようとする。
主人公(ザック・メイヨ)は野望に燃える若者で、父親(バイロン・メイヨ)も海軍の軍人だった。子どもの頃から勤務地を転々として、フィリピンにいた時には、現地人にいじめられた。不良仲間に混じって、肩に入れ墨をしている。
入学とともに見えないように、テープを巻いて隠していたが、整列した時に軍曹に見つかり剥がされた。大学卒のエリート学生と思っていたことから、いちもく置かれるが、目の敵にもされていく。退学願を迫られたときは、ここを追い出されればどこへも行くところはないと泣きついた。
週末には基地の周辺にいる女たちが集まってきて、将来性のある若者を見つけて声をかけている。主人公も同室の友人(シド・ウォーリー)といっしょにいて、白い制服でさっそうとしている。二人連れの娘を誘い、それぞれがペアになって別れて、愛を深めていった。
主人公は自殺により母親を亡くしており、父親を恨んでいる。海軍勤務で家を空けることが多かったせいだと思っている。父親はまさか息子が、自分と同じ道をめざすとは思ってもいなかった。
相手の娘(ポーラ)のほうは、軍服を着た父親の写真を持っていて、海軍の士官になり損ねたのだと言っている。そのことからもエリートコースをゆく、若者に憧れを抱いた。
女の家に招待されたとき、母親のつくる食事は喜んだが、同席した義理の父親は、迷惑げな顔をして接していた。テーブルには妹も加わっていたが、男が窮屈な思いをしたことを女は感じ取っている。
主人公は遊びのつもりでいて、来年になり新しい兵士が集まってくると、女はそちらの方に興味が移っていくものと思っていた。しかし女のほうは真剣になっていく。
最終の訓練が近づくと、主人公は女から離れていった。士官となりパイロットとして世界を飛び回るようになると、足手まといになることはわかっていた。女は男の居どころを突き止めると、別のボーイフレンドといっしょの姿も見せたが、主人公の反応は鈍かった。
友人も知り合った女(リネット)との関係は深まっていく。友人は優秀な成績だったが、父も兄も軍人であり、兄はベトナム戦争で戦死をしていた。親は兄の恋人と弟を結婚させようとしていたことから、自分は兄の身代わりにすぎないと思っている。
このときつきあいはじめた娘を、真剣に愛しはじめる。親の言いなりにならずに自分自身を見つけ出そうとする。女に妊娠を告げられると悩みはじめ、出した結論はパイロットの道を断念して、女と結婚をしようという選択だった。
全財産をはたいて、指輪を買って女にプロポーズをする。最終の訓練をクリアできることは、主人公以上に確実だった。にもかかわらずオクラホマに戻って、以前勤めていたデパートで働くのでついてきてほしいと誘った。
受け入れてくれるものと思っていたが、女は結婚はできないと拒絶する。自分はパイロットの妻として、海外に行きたかったのだと本心を明かし、いなか暮らしはごめんだとまで言った。さらに妊娠していなかったことが最近わかったと付け加えた。止まっていた生理がはじまったのだと言う。
友は愕然とした。すでに退学願を出していた。返された指輪を口に含んで飲み込んでしまう。主人公は友のゆくえを探して、別れるつもりでいた女の手も借りて、バイクを走らせる。モーテルの一室に見つけたとき、友は首をくくって死んでいた。
二人の女は同じ職場に働いていたが、同僚は友自身ではなく、友の身分を愛していたのだと非道を責め、主人公も友人をもてあそんだ女を許すことができなかった。そして自分もまたこの女と同じことをしているのに気づくことになる。
主人公は訓練中だった軍曹を誘い出す。自分もパイロットを断念すると言い、これまでの恨みをこめて一騎討ちに持ち込む。訓練兵たちが見守るなか、勝敗はつかなかったが、軍曹が最後まで立ち続けていた。
主人公は思い通りにはならず、他の仲間とともに修了を迎える。軍曹はそれぞれの兵士に祝福を送っている。最敬礼をして送り出した。各自は軍曹よりも上官である、少尉のポストで旅立っていった。
主人公はその足で、女の職場に向かい、工場で作業中の女を抱き寄せて、離そうとはしない。近くで働いている女の母親がほっとした顔をしている。懺悔の身であった、女友だちもまた笑みを浮かべて祝福していた。
原題の「オフィサーとジェントルマン」は、野望に満ちて富と栄誉をめざす仕官と、野望を捨てて優しくあろうとする紳士の対比を意味するものだろう。2組の男女に起こった悲劇だが、出会いの時、友は一方の女を選んで連れ去った。
残された二人がペアを組むことになる。もし別の方の女を選んでいたらと考えてみる。そうすればこんな悲劇は起こらなかったのではと思うと、運命のいたずらを感じさせる物語ともなった。
第1036回 2026年4月12日
シドニー・ポラック監督作品、原題はTootsie、ラリー・ゲルバート、ドン・マクガイア原案、デイヴ・グルーシン音楽、ダスティン・ホフマン主演、ジェシカ・ラング共演、アカデミー助演女優賞受賞、113分。
ニューヨークでの売れない役者(マイケル・ドーシー)が、思い切って女装をしたことから起こる騒動。主役を演じたダスティン・ホフマンのみごとな変身ぶりを見どころとしながら、90パーセント以上が失業しているという、舞台人の社会的に弱い立場が告発される。生活費はレストランのアルバイトで稼ぎ出している。
中年にさしかかり、役者だけではなく演技指導もおこなっていた。俳優仲間からは慕われていて、誕生日には大勢が集まってパーティが開かれた。オーディションを前にして自信のない娘(サンディ)を励まして、セリフの稽古につきあってやり、会場まで付き添った。
テストがはじまり送り出すなり戻ってきた。演技をする以前に返されてしまっていた。そのとき自分に決まっていた役に、他の役者の名があがっていることを知る。
他人事ではなく主人公はあわてて、担当するエージェント(ジョージ)のもとに駆け込んだ。名の知られた俳優に差し替えられ、スポンサーの意向だと告げられる。演技力はあったが、素直ではなく演出家を無視して、勝手な演技をすることから嫌われていた。
ニューヨークでは相手にされない。ブロードウェイでもハリウッドでも、雇うところはないだろうと罵倒されている。思い切って勝負に出たのは、女装だった。姓と名を反対にして役者名(ドロシー・マイケルズ)にした。病院物語というテレビ番組で、看護部長の役をもらう。
院長から迫られ、毅然とした態度で接する役だったが評判を呼び、視聴者からの人気を獲得する。演出を無視するような演技だったが、人気に支えられてディレクター(ロン)も口出しができない。
若い看護師役の女優(ジュリー)と、演技上のやり取りを通じて親しくなり、恋心をいだく。ただし相手はこちらを女性だと思っている。プライベートなつきあいにもなり、セリフの稽古に彼女のアパートに誘われる。
出かけると一歳の赤ちゃんをかかえていた。離婚したのかと聞くと、未婚だと答えた。気分が高まり、唇を近づけるとレズビアンかと突き離された。お守りを頼まれたときは泣き止まず、思わず男に戻って叱っていた。さらには女の出身地にも誘われ、父親(レス・ニコルズ)と引き合わされる。母親は亡くなって、父と娘だけの家族だった。
父親は精力的で、主人公を女として目をつけて迫ってくる。娘もそのことがわかっていて、お膳立てをしたようだった。主人公は何とか危機を脱することができた。
彼女は権力を振りかざすディレクターに、言い寄られていたが、主人公もオーディションに付き添った新人女優と関係をもっていた。女のアパートに誘われた日、あわてて女装のまま帰宅したときに見つけられる。着替えて顔を合わせると二役とも知らず、女といっしょだったのだろうと怪しまれた。
主人公は売れない劇作家(ジェフ)と同居していて、たびたび助けられている。資金を貯めてその台本で芝居をしたいというのが夢だった。彼女の父親がこのアパートに押しかけてきたことがあった。結婚指輪を渡されていて、万事休すだと言うところに、同居人が帰ってきた。
父親は顔を合わすと事情を察して、すべてを理解したというように立ち去っていった。主人公はいつまでも世間を騙していることに耐えきれず、番組内で脚本のセリフを無視するように、ヘアピースを脱ぎ捨てて、看護部長は男だったと物語の筋を変えてしまい素顔を見せた。
スタッフ一同は唖然としている。主人公は男に戻り女に告白するが、受け入れようとはしない。離れていくのをとどめて話しかけ続けていって、やっと寄り添うことができた。後ろ姿で歩いていくラストシーンが、チャップリンの「モダンタイムス」を思い起こすものとなっている。
トッツィー(ねえちゃん)はディレクターが用いた、女性を見くだした差別用語だったが、ここではそんなニュアンスはない。肩を組んで男女は対等に、静止画となって固まっていた。
第1037回 2026年4月13日
スティーブン・リズバーガー監督作品、原題はTron、ジェフ・ブリッジス主演、ブルース・ボックスライトナー、デビッド・ワーナー、シンディ・モーガン共演、96分。
世界征服をめざすコンピュータ・プログラムを破壊しようとする、ユーザーの戦いを描く。ユーザーとはプログラムを生み出した開発者のことだが、プログラムがまるで人格をもったように、ユーザーに迫ってくる恐怖が伝えられる。
コンピュータ会社(エンコム社)をクビになった男(ケヴィン・フリン)が、物語の主人公である。退職後は子ども相手のゲームセンター(フリンズ)を営んでいた。在職中に開発したゲームソフト(スペースパラノイド)がヒットしたが、その功績を上司(デリンジャー)に盗まれていた。奪った相手はコンピュータをビジネスとして成功させた実績から、会社の幹部になっていた。
そしてこの男を操っているのが、マスターコントロールプログラムというコンピュータのシステムだった。つまり考える能力を備えた、コンピュータが人間を支配するという、未来社会の構図が読み取れる。
幹部がコンピュータの命令に対し優位を主張すると、幹部が犯したこれまでの不正を公表すると言って脅しをかける。その形なき声に人間は引き下がり従わざるを得ない。
主人公は幹部の不正を暴こうと、システムに侵入しようとした。何か手がかりがあるにちがいないと考えたからである。不審なアクセスを読み取ったマスターが、全面的に封鎖したことから、内部の職員もアクセスできなくなった。
かつての同僚だった二人がゲームセンターを訪れる。恋人どうしの男(アラン)と女(ローラ)で、主人公を助けようとしてのことだった。侵入は認めたが、自分がヒットゲームの開発者であったことを打ち明けた。
そのことから退職させられるに至ったのだと知ると、二人は会社の不正を暴くのに協力しようと立ち上がる。深夜に3人して会社に忍び込み、直接コンピュータにアクセスする。
女性スタッフのデスクでコンピュータの前に座って操作をはじめると、マスターがコンピュータ内から声をかけてきた。主人公は無視して進むと、コンピュータ内部から急に湧き上がった、強い光線を浴びて、固まって動かなくなってしまった。
マスターは主人公をコンピュータ内に引き込んだことを伝えている。そこはゲームセンターの画面で展開するような、非現実な世界だった。気がつくと自分がどこにきたのかがわからず、同じ環境にいる男に声をかけると、地獄だという返事が返ってくる。
レーシングカーが猛スピードで競争をしている。音響が加えられると、それだけで高揚ひ、画面に没入する。それは主人公が営むゲームセンターで、テレビ画面に映し出された光景と変わらない。ただゲームと異なるのは、乗り込んでいるのが実写の人物だという点だ。
風景をはじめ、まわりはアニメーションの世界で、独特の光り輝く異次元をつくりあげている。これまでの映画では見たこともない美しい世界だ。その世界を統治するのはマスターだったが、その下に司令官がいて、兵士たちは絶対服従を強いられている。
新しく加わった兵士を、戦わせあって恐怖感を盛り上げている。主人公も戦わせられ、相手を倒すと最後の一撃を加えるよう、司令官が強要する。拒否していると、司令室からの操作で、相手は足を踏み外し、奈落に落ちてしまった。
コンピュータの心臓部を求めての旅がはじまっていく。宇宙飛行士の着る装備は、飛行船でめぐる宇宙旅行のようでもある。ユーザーによって送り込まれた兵士が、主人公を助ける。主人公はユーザー自身だと知ると驚いている。
ユーザーはコンピュータを生み出した親に当たり、こんなところにいるはずはない存在だった。司令官を倒し燃え盛る核となる中心部を破壊することによって、主人公はコンピュータの前で固まっていた姿から解放された。
人工的な風景が退いて自然が蘇ってくる。ゲームソフトの著作権も認められることになった。同僚が訪ねてきたとき、ゲームセンターで楽しんでいる子どもたちを見ながら、悔しげに自分には一銭も入ってこないと嘆いていた。
原題のトロンは同僚の開発したプログラムで、コンピュータを管理するマスタープログラムをも、制御対象にしたものだった。いわば内部告発をする装置でもあり、主人公を助けるものとなっていた。
第1038回 2026年4月14日
アラン・J・パクラ監督作品、ウィリアム・スタイロン原作、原題はSophie's Choice、メリル・ストリープ主演、ケヴィン・クライン、ピーター・マクニコル共演、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞主演女優賞受賞、150分。
ポーランドでのナチスによる、ユダヤ人虐殺を背景にして、「嘘」と「選択」をテーマに悲劇が展開していく。ニューヨークにやってきた作家志望の若者(スティンゴ)が出会った、ポーランド女性(ソフィー )への恋心のゆくえが追われていく。
ピンク色の壁に興味を持って、間借りをした屋敷には、すでに部屋を借りていて同棲する男女がいた。激しいけんかをして男(ネイサン)のほうは飛び出してしまったが、次の日にはケロッとして帰ってきた。
女は男にすがっていて、泣きはらすのを見ながら、若者は慰めのことばをかけている。次に出会った時、男は愛想がよく誘って、3人で遊びまわった。男は生物学者で製薬会社(ファイザー)の研究所に勤務していた。女はポーランド人で暗い過去をもっていたが、じょじょに若者に語りはじめる。
法学部の大学教授の娘だったが、父はナチスの迫害にあって命を落とした。夫は父のもとにいた助教授で、父とともに銃殺された。二人の子どもをもうけて、上は男、下は女の子だった。自身も強制収容所に入れられ、子どもは別々にされ、殺害されたのだろうと言う。
アメリカに渡り英語を学んでいるときに出会いがあった。ひとりとなり憔悴した女に手を差し伸べたのが、今同居している男で、倒れたのを手当てしてくれたことから医者だと思っていた。
兄(ラリー)が医師でその姿を見て対応を心得ていたようだ。男は女への愛は深く、若者が加わり3人でいるときも、女への愛情表現は露骨で、若者は目のやり場に困っていた。
喜怒哀楽が激しく、ときに嫉妬心をむき出しにする。女と若者がいっしょにいると、二人の仲を疑った。自身はユダヤ人であり、ナチスのユダヤ人迫害については憎悪をにじませた。
女はポーランド人だがユダヤ人ではなく、カトリック信者だった。男は女がアウシュヴィッツに収容されたのに、生き延びたことに疑問をいだいて、どうしてなのかと疑いはじめる。美貌を武器にしたのではないか。
死に直面して生き残るためには、嘘をつき選択を迫られる。ここでは二つの大きな「嘘」が明らかにされる。ひとつは女の父親は、反ナチスではなかった。ナチスとともにユダヤ人を迫害する論客だった。
娘はそんな父の論調をタイピストとして手伝っていたが、終戦後は隠し続けてきた。父が書いた論文にユダヤ人を抹殺するという一節があり、その部分をタイプした原稿を忍ばせていて、ナチスから迫害を受けたときには、それを見せて申し開きをしていた。
二つ目は男は生物学者ではなかった。兄が若者を呼んで打ち明けている。生物学者と名乗っているが、精神を病んだ狂人なのだと言う。麻薬に手を出せば破滅なので、注意して見てやってほしいと頼む。
このことは女も知らないことだと言う。突然腹を立てていなくなるが、何日かたって何事もなかったかのように、戻ってくることが繰り返された。若者はその理由が理解できたようだった。
「選択」もまたこの映画での重要な視点となっている。ふたつの衝撃的な場面があった。ひとつは女は美人であったことから、ナチス幹部から救われようとする。条件として出されたのは、二人の子どものうちどちらかを、手放せという悪魔のような囁きだった。
母親としてそんなことはできない。否定すると二人とも処刑するという。ぎりきりの選択に、思わず抱いていた娘を手渡す。泣き叫ぶ幼児の声が聞こえ、焼却炉に連れていかれた。息子は横にいて手を引かれて、その光景を見ていた。
女の美貌は収容所でも話題となる。ポーランド人だが、ナチスが理想としたアーリア系の美人で、きれいなドイツ語をしゃべることができた。所長(ルドルフ・ヘス)の秘書として優遇される。
媚を売る術も心得ていた。反ナチの地下活動からも声をかけられ、所長の娘のもつラジオを盗んでくれと誘われる。交換条件として、息子が生きているかを調べてくれと頼んだ。子ども部屋に入ったところを娘に見つかり、父親に告げると脅される。そのとき突然気を失うことで、子どもの関心を外らせることに成功した。
所長から言い寄られるが、転任前であることから自重すると、女は息子の安否を聞き出してくれるよう懇願する。所長は助けて連れ出してやると、約束したが実現されなかった。わが子への罪悪感は消えることがなかった。
もうひとつの選択は、男の狂気が女を連れ去って暴行を加えたときである。女は逃げ去って若者に助けを求めてきた。若者はニューヨークを去ろうと下宿を出ていた。
若者は受け入れプロポーズをする。ニューヨークを去って帰郷して、いなか暮らしに誘うと、女も承諾した。結婚についてはためらいを見せたが、一夜をともにする。男は22歳、女は30歳を過ぎていた。
次の朝、起きると女はいなかった。置き手紙があって、男のもとに戻ることを伝えていた。先のピンクの部屋で二人は青酸カリを飲んで、ベットの上で死んでいた。ぎりぎりの選択で彼女は死を選んだ。
安らかな穏やかな死に見える。人だかりのするアパートの前で、医師だった兄が見つけて、部屋まで連れていった。そこでは生々しく、警察の現場検証がされていた。
嘘を重ね、選択を誤ったことへの罪滅ぼしが、自分ひとりで生き残ることを、断念させたように見える。逃げることに疲れた女の選択は、若者を救うことになったと言えそうだ。
第1039回 2026年4月15日
シドニー・ルメット監督作品、バリー・リード原作、原題はThe Verdict、ポール・ニューマン主演、シャーロット・ランプリング、ジャック・ウォーデン、ジェームズ・メイソン共演、129分。
仕事がなくゲーム機の前で時間をつぶし、酒浸りの弁護士(フランク・ギャルヴィン)が、心を入れ替えて立ち上がり、勝訴するまでの話。法廷劇であり、弁論のやり取りが見どころになっている。主役を演じたポールニューマンの熱演に引き込まれる。
事務所は構えているが仕事はなく、新聞の死亡欄を頼りに遺族宅を訪れる。友人だと名乗って弁護士の名刺を出して、お役に立つことがあればと置いて帰ってくる。
旧知の弁護士(ミッキー)が、そんな姿を心配をして事務所に訪ねてくる。飲んだくれてだらしない仲間を見て、紹介してやった仕事を、進めていないことを知ると、業を煮やしている。依頼されていたのは、医療ミスの告発だった。妹(デボラ)が医療ミスから植物人間になってしまったことを、姉(サリー)が訴えていた。
弁護士の仕事は、病院にミスを認めさせて、賠償金を支払わせることだった。弁護士は優秀だったが、免許を剥奪されかねない屈辱を、味わった経験から自信をなくしていた。思い出したように被害者が収容されている施設に向かう。
女はベットに横たえられ、機械につながれたままで、意識もなかった。その姿を見ていて、怒りが込み上げてくる。痛ましい姿をカメラにもおさめた。病院(聖キャサリン病院)はカトリック教会が経営していたが、担当した二人の医師にミスがあったとして訴えていた。
忘れかけていた正義感が蘇ってきた主人公は、仲間の弁護士に協力を取り付け、本腰を入れて裁判の準備にかかる。病院側は悪い評判を恐れて、裁判を避けて示談に持ち込もうと考えた。
教会組織も動いて、多額の示談金(21万ドル)が提示され、裁判長(ホイル)をはさんで話し合いが持たれた。弁護士の手に入るのが三分の一であることから、3で割れる額になっていて、触手が動いた。
しかし、裁判長の勧めに応じず、主人公は真実を暴きたいという一心で、裁判で争うと主張する。病院側は教会の財力を注ぎ込んで、有力な弁護士事務所に依頼をする。何人もの若い弁護士をかかえた大規模な事務所であり、ボス(エド・コンキャノン)を中心にして勝つための準備が整えられていく。
基本的なデータ集めだけにはとどまらない。手分けをして陪審員への心象を良くするための工夫、証人のリハーサル、さらには訴えられた医師が、優秀だということをアピールするために、テレビ番組を組もうとまでする。こちらはくたびれた二人の弁護士だけだった。
これに主人公が行きつけの酒場で知り合った女(ローラ)が加わる。謎めいていて魅力的であることから、一目で惹かれてしまった。素性はわからなかったが、愛を交わすようになり、手伝いを買って出る。離婚をして夫は弁護士だったとも言っていた。
相手は強力であり、重圧を感じだすと主人公は、裁判に持ち込んだことを悔やみだす。裁判長に泣きつくが自業自得だと突き放された。依頼主の姉が夫を連れてやってくる。仕事の関係でこの土地を離れなければならず、妹の面倒を見ることができない。
姉は妹の無念を晴らしたいと考えたが、夫は弁護士が勝手に裁判に持ち込んだことに立腹する。病院側が提示した多額な示談金に執着していた。弁護士は勝訴すれば、それの5倍も支払われることになるだろうと言って、宥めるしかなかった。
希望が見え出したのは、その時に立ち会った看護師(ケイトリン・コステロ)の証言からだった。多くは圧力がかかって口をつぐんだが、退職をしてニューヨークにいる女がいて会いにいく。
食後1時間しないと麻酔をしてはいけないと教科書にはあり、それを書いたのがミスで訴えられた著名な医師だった。残っている書類には食後9時間となっているが、書き換えられたものだった。
看護師は証人としてその事実を訴えた。書類はコピーをして残していた。相手の弁護士は原本があるときは、コピーは無効だと主張する。なぜコピーをしたのかという問いには、役立つときがくるかもしれないからと答えた。
看護師は書類にサインをしていることを強く迫られ、泣きながら証言台をあとにした。裁判長は敵側の意見を採用して、陪審員にこの証言はなかったことにするようにと言い渡した。
裁判長にまで病院側の力が加わっていた。主人公は反論をするが却下された。それでも法はあなたがたのことだと言って、主人公は陪審員の心に向かって訴えた。
評決は出た。陪審員は裁判長の指示に従わず、医師たちは有罪となった。病院側は敗訴となったが、悔しいはずのトップにいた聖職者(ブロフィー司教)には自戒の表情が伺われる。主人公は自信を取り戻したが、愛は失った。
相棒が女のハンドバックから、敵の弁護士から受け取った小切手を発見した。ニューヨークに向かったときで、女もニューヨークに出かけるのだと言っていた。
相棒の知らせを受けると、女と顔を合わせるなり殴りつけた。敵の動きを探ろうと送り込まれたスパイだったのである。敵のスパイを愛することはよくある話だ。
ほとぼりが覚めないまま、女は男に電話を入れている。男はそれを聞きながら、受話器を取ろうとはしない。いつまで鳴り続けるのかというラストシーンだった。
二人で食事をしたとき、熱く語る弁護士にうっとりと聞き入る女の表情が、美しく映し出されていたことを思い出した。そのときは見過ごしていたが、スパイであることを後悔した、懺悔の一瞬を伝えようとしていたのだと解釈できる。
第1040回 2026年4月16日
ジョン・ヒューストン監督作品、トーマス・ミーハン原作、原題はAnnie、アイリーン・クイン主演、アルバート・フィニー、アン・ラインキング、キャロル・バーネット共演、127分。
孤児院に育った少女(アニー)が、大富豪の娘になるまでの物語。少女は10歳、10年前に両親が貧困のため置き去りにして、きっと迎えにくると書き置いて姿を消した。子どもであることがわかるように、ハート型のロケットの半分を残していた。
少女は孤児院では活発で、仲間のリーダー的存在だった。イタズラが過ぎ、院長(ミス・ハンニガン)からは目をつけられていた。クリーニング屋のカートに隠れて町に出る。いじめられている犬を助けたことから、なついてしまい孤児院に連れ帰ることになる。
いじめていた少年たちを殴り倒していて、けんかも強いことがわかる。警官に補導されて連れ帰られるが、顔見知りになっていて、常習犯のようだった。大きな犬だったが、仲間とともに隠しながら飼い出した。
大富豪(ウォーバックス)の秘書(グレース・ファレル)がやってきて、少女をひとり一週間預かりたいという交渉だった。院長が高圧的に対応すると、孤児委員会からの指示だと言って跳ね返す。
院長は厳しすぎて、子どもたちに嫌われていた。オールドミスであり好色から、男だとみればクリーニング屋だろうが、警官だろうが、誰かまわず誘いをかけている。
派遣されて院長に居座っているが、秘書は今は就職難で院長に成りたがっている者が大勢いるのだと、権威を振り回す院長に言い返している。富豪が権力者だと知ると引き下がった。
少女をひとり推薦してもらおうとしたが、主人公が話を聞きつけていて、ドアからのぞいていた。秘書とアイコンタクトをつけると、この少女がいいと直感するが、院長はこの子はダメだと嫌がらせに入った。
秘書は少女を気に入って連れ帰る。富豪は金と権力にしか興味はなく、違う世界を見せようとして、子どもを身近に置いてみようと考えた。主人公も窮屈な生活から解放されるのを喜んだ。
犬も連れて行きたいと頼むと、富豪は犬が嫌いだという答えだった。それでも犬はついて行った。邸宅に着くとその広さに驚いた。召使いの多さにも驚いた。子どもは一人だけで、富豪の令嬢のように扱われる。
富豪が姿を見せると、秘書の言っていたように権力者であり、大統領(ルーズベルト)とも対等に口のきける間柄だった。秘書から紹介されても、気にも留めていない。政治や経済だけが関心事だった。
少女の利発さが気に入ったようで、屋敷にいる全員を連れて、劇場を借り切って映画を鑑賞した。グレタ・ガルボの「椿姫」を富豪と秘書が並んで見ている。二人は悲恋に見入っている。
見終わったとき横で見ていた、少女は眠ってしまっていた。富豪は父親のように抱きかかえて帰宅した。秘書は母親のようにベットに寝かしつけた。今度は大統領に会わせてみようと言っている。
一週間が過ぎようとしていた。少女は、みんなの人気者になっていた。こんな世界があるのかという、贅沢な生活を経験した。少女を手放せなくなり、養女にしようと考える。
富豪はネックレスを用意して、少女にこの家の子どもにならないかと持ちかける。うれしい申し出だったが、少女はことわった。自分の身につけていた、ハートが半分のネックレスを見せる。
孤児院に置き去りにされたとき、引き取りにくるという手紙とともに、残された両親の手がかりだった。自分は孤児院にいて、迎えにくるのを待っていなければならないと答えた。ここがこの映画の見どころで、捨てられても親を慕う子ども心がいじらしい。
富豪は話に感動して、親を探すのに一肌脱ごうと決意する。新聞社やFBIに手をまわして親探しに乗り出す。懸賞金を付けると、報道に聞きつけて900組近い親が名乗りをあげてきた。
秘書が対応したが、少女に見つかったかと聞かれるが、まだひとりも現れないとしか答えられない。院長も懸賞金に興味をもった。院長には弟(ルースター)がいて、これまでも金をせびりに愛人(リリー)と二人でやってきていた。
弟と愛人が変装して孤児院にやってくる。少女は財産家のもとに行って、不在だったので院長が対応する。男は髭をとって素顔を見せると弟だった。少女の両親だと言うがそんなはずはなかった。
院長は両親が死亡したという通知を受けていた。その遺品だとして、ハート型のネックレスの片割れを預かっていた。さらっと語られるが、衝撃的な事実である。
それを弟に渡すと愛人と二人で、富豪の屋敷に乗り込んだ。ネックレスを見せて、少女の持っているほうと並べると、ぴったりと重なった。少女は荷物をまとめて両親とともに去っていく。
富豪は小切手に約束の額を記入して手渡した。男はそんなつもりで来たのではないと拒否するが、女は貧乏なので子どもを育てるために使いたいと言って受け取った。申し合わせたような答えぶりに、富豪はいかがわしさを感じている。
このとき院長と弟との、悪事のやり取りを聞いていた孤児仲間が、知らせようと屋敷に向かっていた。たどり着いたのは少女が連れ去られたあとだったが、ニセモノの親であることを知らせると、富豪は警察に出動の要請をして、自分も秘書とともに車で追跡をはじめる。
院長も駆けつけて、弟の車に乗り込んで金の分け前を要求している。少女は隙を見て小切手を奪って逃げ出す。破り去ると弟が殺してやると言って追いかけはじめる。
院長が止めに入るが、殴り飛ばしてしまう。少女は鉄橋の階段を登って逃げるが、弟がしつように追いかけてくる。踏み外すと危険な高さまで登ると、ヘリコプターが飛んできた。
富豪のボディガード(プンジャブ)が乗り込んでいて、少女を抱きかかえて救出した。追ってきた弟は振り払われて地上に落下した。下では警察隊がクッションを広げていて無事だった。
富豪は秘書と結ばれ、少女は二人の子どもとして、新たな家族が誕生していた。ミュージカル映画であり、歌い踊りながらのハッピーエンドが、さわやかなエンディングを飾っていた。
第1041回 2026年4月17日
クリント・イーストウッド監督・主演、クレイグ・トーマス原作、原題はFirefox、モーリス・ジャール音楽、136分。
ソ連とアメリカの冷戦下での、戦闘機開発をめぐるスパイ劇である。ソ連が開発した超音速機(ファイアーフォックス)の情報を得ようと、スパイの仕事を託されたのは退役軍人(ミッチェル・ガント)だった。ベトナム戦争に従軍して、精神的なトラウマをかかえていた。
パイロットだったが、墜落して捕虜となる。檻に入れられてまわりから暴行を受けている。近くにいたベトナムの少女が、その光景を見ていて目があい、そのときの表情が忘れられない。
このとき米軍の戦闘機がやってきて爆撃が加えられ、助けられるが逃げ遅れた少女は犠牲になった。敵を前にするとその少女の顔がちらついて、トラウマになってしまった。今はいなかに引きこもって、大自然に癒されている。
ジョギングをしていると、ヘリコプターがやってきて、かつての記憶が呼び覚まされた。逃げ帰って銃を構えると爆音を立てて降りてきた。兵士が入ってきて、身分を告げやっと探し当てたと言っている。非常事態だと言って呼び出される。
軍の仕事をするつもりはなかったが懇願される。任務はただの情報収集だけではなかった。ソ連に乗り込んで、新機体を奪って帰還するという、特殊な能力を求められるものだった。操縦ができるだけではなく、ロシア語が堪能という条件も付け加わった。
主人公は母親がロシア系であり、適任だと判断された。パイロットの腕は自分とは格がちがうと、説得にきた担当官は称賛する。ソ連には現体制に敵対する地下組織があり、そのメンバー(ウペンスコイ)がサポートするということだった。
名前を隠して他人になりすますことからスタートする。麻薬密売人をターゲットにして、付け髭を付けて変装する。偽造パスポートを受け取って旅客機に乗り込む。飛行場でメンバーに会うことができたが、国家秘密警察(KGB)の警戒は厳重だった。
支援メンバーと行動をともにすると、密売人を急に殺してしまい、主人公からパスポートを取り上げて、その男のポケットに入れて、遺体を川に流した。唖然としていると、新しいパスポートを用意していて手渡される。
アメリカ人であることから呼び止められ、パスポートの提示を求められる。メガネと付け髭は取っていたが、髪の毛が異なっていて怪しまれた。新しくもらったパスポートは偽造だと見破られ、主人公はそんなはずはないとしか答えることはできない。
その後、支援者に確認すると本物だと断言した。パスポートはもう一度変更され、主人公は戸惑いを隠せない。支援者の警戒は徹底しており、それほどに秘密警察への恐怖心が伝わってくる。
捜査員からの質問に答えることができず、迫ってきたので格闘になり、殺害してしまう。トイレに閉じ込めてその場を去るが、支援メンバーが来て、死者を秘密警察だと確認した。その場を早く離れないと危険だと急がせる。
手配が広がる中を、用意したトラックで逃げていく。暗い道を執拗に追いかけてくると、スピードを落とさないで主人公に飛び降りるよう指示する。次に会う人物と場所を知らせられ、単独行動となった。
支援者はトラックのなかで、自身の強い意志を伝えていた。その後、身を犠牲にするが、主人公の乗った新型機が、上空を飛び去るのを目撃することで、任務の遂行を確認し安堵することになる。
戦闘機の製造技術を提供した科学者(バラノヴィッチ博士)は、ソ連に敵対する友好的な人物であり、その仲間たちとともに、拘束されながら開発に協力をしていた。主人公と接触することができ、新機体の製造現場の道先案内をしてくれた。
厳重な警戒の中、博士たちは体を張って主人公を機体に乗り込ませ、発進することができた。博士は妻と仲間の技術者とともに、警備兵の銃口に倒れた。アメリカにまで一直線にたどり着くためには、給油が必要だった。
ソ連は予測を立てて、給油時に取り戻そうと考えた。東に進路を取って中国に向かっても、北京にまではたどり着けない。西に向かいモスクワに行くはずはない。北は北極であり、南に向かうことが予想でき、ギリシアかトルコだと考えた。
主人公も南に向かう体勢を示したが、実際には北に向かっていた。北極の氷の上に着陸して、潜水艦から給油をおこなうという奇策だった。みごとな操縦技術で海水に落ち込む直前に停止していた。
航空機にすれ違うことを目撃させて、音速機の位置を発信させる。このパイロットが航空機とニアミスをすることなどあり得ない。位置情報を誤認させるための作戦だと気づくことになるが、知るのが遅すぎた。
それでも新機種の2号機があった。博士たちが残って爆破する手はずが失敗していた。その試作機を使って、主人公に屈辱を味わわされたソ連のパイロット(ヴォスコフ中佐)が乗り込み、追撃に向かうことになる。
またたくまに本機をとらえ、空中での一騎討ちとなった。主人公には博士からはロシア語で考えろという忠告が与えられていた。新機種には思考を自動制御する機能が搭載されていたということだ。高速での戦闘が続き、最終的には主人公が勝利を得ることができた。
アメリカ人が見れば違和感はないのかもしれないが、米ソ対立ではソ連はいつも、敗北する悪役として登場する。アメリカ映画ではあるが、映画をインターナショナルな、理想的メディアとして見たいと思う、私たちを裏切るものとなってしまった。
第1042回 2026年4月18日
ブレイク・エドワーズ監督作品、原題はVictor/Victoria、ヘンリー・マンシーニ音楽、ジュリー・アンドリュース主演、ジェームズ・ガーナー、ロバート・プレストン、レスリー・アン・ウォーレン共演、アカデミー賞歌曲賞受賞、133分。
1930年代のパリでの話。同性愛をテーマにした、ミュージカル仕立てのコメディである。主人公(ヴィクトリア)は売れない歌手で、オーディションに落とされて食事にも事欠いている。レストランでうまそうに食事をする紳士の姿を、うらめしげに窓越しに見ていて、栄養不足で倒れてしまう。
空腹のまま宿に戻ると、滞っている部屋代を請求される。ここでも倒れ込むと、家主は芝居をするなと罵声をあびせる。ベットの上にゴキブリがいて、悲鳴をあげることで、この日はそれ以上の請求はなく無事に終わった。
レストランに来て4日ぶりの食事を取っている。オーディションで顔を合わせた男(トディ)が声をかけてくる。男のほうも歌手だった。お互いに一文なしだったが、女はテーブルに誘った。ゴキブリを隠し持っていて、料理に入っていたと言って言いがかりをつける。
支配人が来て、今までもこんなことが二度あって、ともにお客様が入れたものだったと言う。支払いを免れたが、男のほうは請求されると、連れだと言ってねじ込んだ。
男は女の歌唱力を買っていた。ソプラノの絶叫はガラスを震わせ、グラスを割っていた。ゴキブリがもとでレストランでは大乱闘になる。隙を見て逃げ出し、男の自宅に連れ帰り泊まることになった。
女に手を出すことはない。男はゲイだった。映画の冒頭は若い男(リチャード)とベットをともにするところからはじまったが、若者の衣類も部屋に残されていて、着替えのない女は男物のスーツを着る。
男はその姿を見てひらめく。男装をして歌わせるとヒットするのではないかと。一捻りしてほんとうは男であることにすると、さらにおもしろい。女の歌のキーを低くして歌わせてみると魅力的に聞こえてきた。
ポーランド伯爵(ヴィクター・グラジンスキー)の名で、売り込んで舞台に立たせる。ドレスで女の声で歌い終わると、かつらを脱ぎ捨てる。オールバックにした短い髪の男であることが明かされる。そしてスーツを着込んで歌う。女の名と男の名を使い分けてステージに立つ。
評判を呼んでアメリカから来ていたギャングのボス(キング)の目に止まった。もちろん表向きは事業家の顔をもっていた。愛人(ノーマ)を伴ってやってきたが、ボスが歌手に惹かれているのがわかると、愛人のご機嫌は悪い。
歌手がほんとうは男だと知ると、愛人のほうが目を輝かせた。歌手もボスに惹かれていき、女であることを明かして、一夜をともにする。愛人が二人を目撃すると、男同士でと嫌悪感をにじませた。
ボスのボディガードとして雇われていた屈強の男(スクウォッシュ)がいた。ギャングであることから命を狙われることも多い。フットボールの選手として知られ、ボスとは仲のよい友人だった。
ボスがベットをともにしているのを、うっかり目にしてしまう。気まずそうに謝って、自分もゲイなのだと告白した。こわもての顔に恥じらいが浮かんでいてかわいい。
ボスは歌手とのつきあいが知られることを恐れた。自分がゲイだと見られることを避けようとして、女を遠ざけることになる。愛人はアメリカに帰ってしまっていた。
かつての愛人を伴って、ギャング仲間(サル)がアメリカからやってきた。事業の共同経営者であり、偏見の目で見始める。主人公は女であることを明かし、ボスとの関係を表明した。
ボスがギャングを演じているように、自分も男を演じていたのだと言う。穴の空いてしまった舞台では、女装をしたゲイの歌手が代役となって、観客を笑わせていた。主人公はボスと二人でそれをテーブルから眺めている。
コメディ仕立てにすることで、同性愛が嘲られ、偏見をもって見られた時代の現況がよくわかる。舞台は1930年代のパリだが、映画が製作された1980年代の現況でもあるのだろう。ミュージカルとしては、社会問題をひとまず置くと、ジュリー・アンドリュースの歌唱力に魅了される。
第1043回 2026年4月19日
フランシス・フォード・コッポラ監督作品、原題はOne from the Heart、フレデリック・フォレスト、テリー・ガー主演、ラウル・ジュリア、ナスターシャ・キンスキー、ハリー・ディーン・スタントン共演、107分。
5年間同棲した男女がけんか別れをして、またもとの関係に戻るまでの物語。どちらも取り立てて目立ったところのない、ごく普通の男女である。たがいに違う相手を見つけるが、古くからの恋人を忘れることができなかったという話だ。
ラスベガス近郊の住宅街に一軒家を借りている。男(ハンク)は友だち(モー)と二人で、自動車の解体業を営んでいる。虚栄の都市にあって、華やかさのない地道な職業である。
女(フラニー)との口げんかが絶えなく罵り合うが、たいていは抱きあうと怒りは解消する。男が高まると女がストップをかけて、結婚をしていないのでと中断を余儀なくされる。これによって男は気勢がそがれてしまう。
セックスは一時的な解決にしかならない。女は怒りがおさまらず家を出ていく。旅行社に勤める同僚の女友だち(マギー)のところに行って、不満をぶちまけている。男はどこに行ったかが気になる。
口げんかのなかで出てきた友人を訪ね、言い争いになっていた女との関係を確かめる。この男との浮気を心配してのことだった。女はラスベガスのまちなかにある勤め先の旅行社で、ショーウィンドウの飾り付けをしていると、見知らぬ男(レイ)から声をかけられた。
大胆に振る舞いアバンチュールを期待したが、内心は警戒心が強く働いている。名前も簡単には答えない。男は歌手だと言っていて、ピアノもうまく踊りのステップも軽やかだった。盛り上がるとたがいに名乗りあって、恋の予感を感じ出した。
置き去りにされた男も、また友人と歓楽街に出て、独立記念日を祝う人混みの中にいた。サーカスの一団に出くわし、その一員の娘(ライラ)に心をときめかせる。友人に後押しをされてアタックすると、9時に二人だけで会いたいと誘われた。
有頂天になって人ごみの中を待ち合わせ場所に向かう。女のほうも歌手に再度出会った。レストランに入った時のことである。案内されウェーターの顔を見ると、先に会った歌手だった。
歌手だが時間のある時は、ウェーターもしているのだと言い訳をする。運んでいた料理を女の席に置いて、話し込みはじめる。隣の席の注文品だった。トラブルとなり支配人が来て、態度を改めさせようとしたが聞かず、立腹してクビを言い渡された。
歌手も負けずに女の手を引っ張って出ていった。有名な歌手になってやるというのが捨てゼリフだった。人ごみの中でいっしょにいると、別れた男がサーカスの娘といるのにぶつかってしまう。たがいに相手の素性も知らないまま、牽制しあっている。たがいの恋の進展がひとつのイメージに重ねあわされていく。
サーカスの娘は踊りと綱渡りで男を魅了した。キュートな美女であったが、男は別れた女が気にかかっている。娘のほうもその気になっていたが、男の踏ん切りがつかず、幸運を手放してしまった。
女のほうは歌手から誘われて、南の島(ボラボラ島)へ旅行をする気になっている。荷物を取りに自宅に戻ると、男が帰っていて復縁を迫ってきた。冷たく振り払って家を出ていく。
男が懇願するような目で見つめているのを、女は感慨深げに見ていた。申し訳なさそうでもあった。荷物を手に夜道を歩いて去っていく、女の後ろ姿をカメラは悲しそうに映し出している。
女と歌手が飛行機で旅立つのを阻止しようと、空港に駆けつけると、男は自分も乗り込もうとした。パスポートも持っていなかった。搭乗口で追いつき女に戻るよう訴えるが、今さら帰ることはできない。
落胆して帰宅し暗い中で、男はひとりうなだれていると、ドアが開いて女が帰ってきた。飛行機から降りて帰ってきたのである。女もまた後ろ髪を引かれていた。
シンプルなのに人間どうしの絆の強さを確認することができた。原題「心からのひとつのもの」が示すように、愛を求めるのではなく、愛を取り戻す物語だった。
名監督の失敗作として評価は低い。確かに登場人物にはあまり魅力はないが、そこに私たちと同レベルの、身近さを感じるとリアリティが増してくる。5年間も同棲しているのに結婚もしないのは、経済的問題からではない。
彼らが暮らすのは、狭い安アパートではない。一軒家に住んでいて、ともに稼ぎはある。ドアに読み取れる104の数字は、部屋番号ではなくて、住宅番号なのだ。
結婚しないのは理想の相手が、現れるのを待っているからなのだろう。二人の前に登場した相手は、ともに現実離れをしていて、実在の人物だったのかは疑問である。愛を確かめるために生み出された妄想だったのかもしれない。
何度も映し出される104は、地道な愛の実現を示唆する、エンジェルナンバーとして知られる数字である。そこから出ていき、またそこに戻ってくる扉なのである。「扉」もまた象徴的で、二人がやり取りをする場面で、おもしろい写され方をしていた。
第1044回 2026年4月20日
大林宣彦監督作品、山中恒原作、尾美としのり、小林聡美主演、佐藤允、樹木希林、宍戸錠、入江若葉、志穂美悦子共演、日本アカデミー賞新人俳優賞、ヨコハマ映画祭作品賞・脚本賞・最優秀新人賞受賞、112分。
さわやかないい映画だった。男女の性が逆転するという、奇想天外な話に驚くが、そこからさまざまな事件が起こり、見ているほうも混乱してしまう。舞台は尾道であり、女子中学生(斉藤一美)が神戸から転校生としてやってくる。エンドロールでは協力に、尾道高校とあったので女子高生かもしれない。
一字違いの男子生徒(斉藤一夫)がいて、仲間からからかわれている。尾道にいたこともあると、担任から紹介されると、顔を見るなり幼稚園でいっしょだったと懐かしがるが、男のほうは知らぬふりをしている。思いださそうとして、出臍でおねしょをしていたことまで暴露した。
女のほうは馴れ馴れしく近づいてくる。帰り道で、寺の境内で空き缶を蹴り損ねて、石段を落ち掛けるのを、男が助けようとして二人とも転がり落ちてしまった。
抱き合ったまま回転して気を失い、気づくと男女が入れ替わっていた。そのままそれぞれの家にかえり、男のほうは鏡を見て、女になっているのに気づきびっくりする。母親と顔を合わせないまま、自転車で女の家に駆けつける。
少年が泣きじゃくっているので、母親は誰なのかと戸惑っていた。自転車に乗せてもう一度連れ帰る。玄関で母親は息子を目にすると、何をしていたのだと言う。幼なじみを紹介するが反応は鈍い。入れ替わったのだと訴えると、何を言っているのだと、息子だけを連れて家の中に引っ張り込んでしまった。ほんとうの息子はしかたなく、女の家に戻る。その日から心は置き去りにされたまま、身体だけが家族と過ごすことになる。
女の家には二人の兄がいた。急に妹の態度が変わったのに驚いている。父親は不在が多く、母親からは女の子らしくするようにたしなめられている。寝る時間がきても自分の部屋がわからない。
おばあちゃんにあいさつをと言われてはっとする。まだ生きていたのかと驚くが仏前に手を合わすという意味だった。幼稚園のときおばあちゃんを殺したと、女から脅されていた。
遊んで帰ってきたとき、口を開けて居眠りをしていて、口にハエが止まったので、殺虫剤を吹きかけた。それによって死んでしまったのだとおびえていた。おそるおそる母親に聞くと、そのときはすでに死んでいて、母親は奔走していたのだった。
男の家は父親と母親との3人家族だった。大事な報告があると言われて、夕食時に聞かされたのは、父親が栄転をして横浜への転勤が決まったということだった。
次の日に学校でそのことを話すと、父親の夢が叶ったのだと息子は喜んだ。自分まで転校させられるのかと不安になり、早く男女をもとに戻さねばと焦りはじめる。
慣れないことが多く、男は女の身で生理のことがわからない。生理用品をもって手順を伝えると、女というのは大変だなと知ることになる。一方で成績が飛躍的にあがったのを、担任が不思議がっている。
バスを借り切っての海水浴での一泊旅行になると、女子生徒は同室となった。肌を整えるよう言われていたので、顔にパックをしながら、仲間の裸身に目をちらつかせている。
引っ越しの日が近くなると、男は憂鬱になる。学校も欠席がちになり、友だちからもめそめそとするのをあざけられている。女は腹を立てそんな友だちを殴りつけるが、真実は明かせない。
男は死にたいと言い出し、家出をすると船に乗り込む。女も心配でそれについていく。団体の慰安旅行に紛れて、旅館に泊まり込んで一夜を共にする。男は女に迫って、からだを見ておきたいと言い出した。
自分のからだなのだという意味だが、それを超えて二人の間に愛が芽生えているのだとわかる。旅館のフロントが怪しんで、男女の子どもが紛れ込んでいて、中学生にしか見えないと、警察に通報している。
そのやり取りを偶然に聞きつけると、あわてて逃げ出し二人は尾道に戻った。最後に二人は鉄道沿いの石段を上がって、思い出の寺の境内にたどり着く。男を残して女が用を足して離れ、帰ってきたとき空き缶につまづいた。
男にあたりバランスを崩して、二人して階段を落ちてしまう。気づくと男女が入れ替わり、もとに戻っていた。女は胸を男は下腹部を確かめている。喜んで二人は抱き合った。男は先ほどと同じように立ち小便をしてみた。
家に帰りたいということばが、たがいの口から出てきた。石段をはさんで上下に別れて、それぞれの家に戻っていった。引っ越しの日に男はカメラをまわして尾道の記憶をとどめている。からだが戻らないとあきらめたとき、女が男に将来の仕事を聞いていた。
映画を撮るというのもそのひとつに選ばれていた。映画は8ミリの白黒画面からはじまり、文字だけがカラーとなり、オールカラーで本編が撮影され、また白黒に戻って締めくくられる。
引っ越しの日、少女は別れにやってくる。母親の態度はそっけない。この娘のせいで息子は心を病んだのだと恨んでいた。さりげなく別れを告げ、家族3人がトラックに乗り込む。ぎりぎりまで待って走り出し、サヨナラわたし、サヨナラおれと呼びあっていた。
性を考えさせる重要な映画なのだと思う。心と身体という問題だが、男と女と書きわけながら、私自身も混乱している。混乱はたぶん最初に心のままに、それぞれの家に戻ったからだ。性別は心によるものなのか、それとも身体によるものなのか。
大胆なヌードに驚くのは、これが映画であることに気づくときだ。男女が入れ替わったのだからと、少女の裸体を私たちは平気で見ているが、それを演じた未成年の女優にとっては、過酷な決断だっただろうと思う。オーディションで役を獲得する名誉を考えあわせると、優れた映画だと認めながらも複雑な思いでいた。
「オーディションという名の暴力」については、ここでは直接に見えるものではない。同じ年に制作された「トッツィー」というアメリカ映画を見た時に感じとったものだ。ふんぞりかえっている審査員の姿が目に浮かぶ。
それはニューヨークに住む若い情熱を支配する装置である。日本でもそれに追随している。笑われてなんぼ、打たれてなんぼというのは、お笑い芸人やボクサーにも共通したものだ。有名は無数を肥やしにして育っていくのは当然かもしれない。
無数の無名戦士が眠っているのは、アーリントン墓地や靖国神社だけではない。巨匠の失敗作を発掘するよりも、無名戦士に報いるべきだとは、つい最近気づいた教訓でもある。
第1045回 2026年4月21日
森谷司郎監督作品、岩川隆原作、南こうせつ音楽、高倉健主演、吉永小百合、三浦友和、大谷直子、森繁久彌共演、日本アカデミー賞最優秀録音賞 、142分。
青函トンネルが開通するまでの、国鉄職員(阿久津剛)の苦労話である。台風による暴風雨で1400人の死者を出した、青函連絡船(洞爺丸)の事故から映画はスタートする。救助に当たった主人公が、母親に抱かれた幼児に息があるのを、見つけて助けた。ひたいに傷があるので覚えていた。
その後、トンネル屋として任務を得て訪れ、竜飛岬に向かい海岸で花束をたむけている。海に向かう少年(成瀬仙太)がいて、ひたいの傷からその時の幼児だったと直感した。そして現地採用の職員を募集したとき、もう一度ひたいに傷のある青年と出会った。幼児、少年、若者と推移する、20年にわたる長い年輪がつづられる。
主人公は地質学を学んだ技師だった。国鉄に勤め、津軽海峡にトンネルを掘れるかの調査を命じられた。数万年前の地層から説き起こし、山地と海底の地層を調べ、工法を決定する。
予備調査がすんでも、政治家の判断が必要だった。予算化がされないと何もできない。新しい政治家に代わり、前任者と異なり、積極的に取り組まれるとゴーサインがなされる。単身で赴任することになるが、環境は劣悪でとりわけ冬場の雪の音には恐怖する。
使命感を感じて本腰を入れようとした時に、転勤を命じられる。3年おきに勤務地を替えるのが、国鉄職員の通例だった。主人公は継続を上司に申し出るが聞き遂げられない。転勤先は明石海峡だった。
岡山の出身であり、父親をひとり残していた。同じ海峡とはいえ、温暖な瀬戸内の自然が対極をなす。婚約者がいて父親のめんどうを見ている。出身地が考慮されての移動だったが、主人公はきっと戻ってくると言って、青森をあとにした。
人間関係ができていた。岬で身投げをする娘(多恵)を助けており、気にかけていた。北陸の旅館に勤めていたと言っている。火事になり大勢の死者を出したことで、責任を感じての決断だった。
なじみの居酒屋に連れていき、女将(おれん)の世話になろうとする。亭主が出て行って独り身だった。このとき妊娠して身重だったのが、急に産気づいてしまう。助け出されたばかりで憔悴している、娘にも手助けを頼んだ。娘は元気を取り戻すと、居酒屋の手伝いをするようになり、主人公にも惹かれていった。
転勤の日、仲間が集まって主人公を見送った。娘も悲しそうな表情を浮かべて見守っていた。岡山の父を訪ねると、30歳を過ぎた息子を案じて、結婚するように促した。結婚をしたことはすぐに青森にも知らせられた。居酒屋にいた娘はそれを聞いて気を落としている。
約束通り主人公が戻ってきたのは、青函トンネルの建設が決定した時だった。身を固めたことから帰ってこないと思っていた仲間は喜んだ。居酒屋に集まって喜びあっていると、娘は帰ってきて、結婚と栄転におめでとうと言った。
妻が遅れて息子を連れて引っ越してくる。質素な狭い社宅に入るが、波の音に恐怖を感じている。やってきたとき主人公は現場で手が離せず、見知らぬ女が代わりに駅に迎えに来ていた。その後も同じ女が夫の部屋のそうじをする姿に出くわした。
長続きはしなかった。主人公は妻に岡山に帰りたがっているのかと問いかける。体が弱りかけた父の世話をするのが、よい口実となった。父親は親子3人いっしょにいるのがいいのではと心配するが、聞き遂げなかった。
現地採用の職員を面接しながら、生意気なけんか早い若者に反対する声を制して、主人公は見どころがあると言って採用を推した。ひたいに傷のある青年である。親父と呼ばれる古参の技術者(岸田源助)を慕ってよく働いた。
親父は九州出身の職人で、戦後に大陸から引き上げてきたが、その間に妻と娘を亡くしていた。北緯41度でのことで、その線をまっすぐに東にたどると、津軽海峡になるのだと言う。ここにとどまり、過酷な自然を捨てて温暖な土地に移ろうという誘いに乗ることはなかった。
主人公は死んだ父親の墓標を、海峡を望む高台に立てて祈りを捧げている。70歳という文字が見える。危篤の知らせを受け、チチシスの電報が来ても、職責を離れることができなかった。若者とともに慕った親父は、人柱になって工事で命を落とした。
娘は女将から居酒屋を任され、この土地を離れようとはしない。居酒屋に生まれた娘(峡子)は主人公が名付け親になった。若者と愛を交わし、母親とともに旅立っていった。
主人公が目をかけていた若者は、家庭の幸福を取ったのである。主人公は次にジブラルタル海峡での仕事の指示があったが、上司がことわっていた。妻はひとり東京に出ると言っている。自身の息子もまた父に愛着はなかった。
青函トンネルは多くの犠牲を出して完成した。トンネル屋のみかえりは、家庭をかえりみない不幸をもたらした。海底トンネルに漏れ出す海水を、止めようとする人間の営みは、過酷な自然を制する人間の過信を露呈する。自然を力づくで抑えようとすれば失敗すると言いながら、主人公はその誘惑の虜となってしまった。
のちの「鉄道員(ぽっぽや)」につながる映画だと思う。自然の猛威は映画の見どころではあるが、別れに男女が酌み交わす沈黙の、酒盃のやり取りが美しい。不器用な二人の名優がかわす演技は、「駅(1981)」でのほろ酔いともまたちがう。
女将となった女と立ち去ろうとする男の、つかの間に築かれた、ストイックな永遠が見える。愛すればすぐにベットインをさせるのではない。形式の美学は肉体以上に精神の、エクスタシーを感じさせるものとなっていた。
第1046回 2026年4月22日
野村芳太郎監督作品、松本清張原作、英題はSuspicion、古田求、野村芳太郎脚本、芥川也寸志、毛利蔵人音楽、桃井かおり、岩下志麻主演、柄本明、鹿賀丈史、仲谷昇、北林谷栄共演、毎日映画コンクール日本映画優秀賞・脚本賞、報知映画賞主演女優賞受賞、127分。
保険金殺人の容疑をかけられた女(白河球磨子)が、無罪になるまでの話。誰が見ても犯人だと思えるが、決め手となるような動かぬ証拠がない。それでも事件を解決しなければならないところから、都合のいいように話がでっち上げられていく。
ギリギリのところで逆転勝訴となるくだりがおもしろい。その後、似たような事件も起こり、現実にあり得る話だけに、そのリアリティに引き込まれていく。主演を演じた桃井かおりの、ふてぶてしいたくましさに、身を引きながらも見入っていた。
女は銀座のホステスで、男は富山の資産家(白河福太郎)だった。妻が亡くなりまだ中学生の一人息子がいた。男のほうが夢中になり、60歳に近かったが、女を東京に一人にしておけず、結婚を申し込んだ。
富山に嫁いできたが、勝手な振る舞いに家族は手を焼いている。いなか町ではその品行の悪さは目立った。男の母親(白河はる江)がまだ実権を握っていて、前科もある嫁を嫌っていた。夫婦でドライブに出かけたとき、車ごと海に突っ込み、男が死んでしまう。
女は這い出して生き延びたが、死んだのが地方では名士の財産家だったことから怪しまれる。警察だけではなく、新聞記者(秋谷茂一)も聞きつけてやってきて、真相解明に必死になった。車が引き上げられ、男の遺体は見つかったが、運転していたかどうかがわからない。
女は助手席に乗っていたと主張するが、運転していたのは女のほうだという証言も出てくる。事故なのか殺人なのかを巡って、法廷劇が展開されていく。会社(白河酒造)の顧問弁護士(原山正雄)が立場上担当することになるが、家族からの圧力もあり身を引いてしまう。
母親は嫁が息子を殺したにちがいないと確信している。東京から有能な弁護士も招聘されるが、熟慮のすえ引き受けるのをあきらめた。こんな女の弁護をすると評判が悪くなると考えたからである。
顧問弁護士も持病を持ち、引退の年齢だと言って逃げてしまうと、国選弁護人に頼るしかない。選ばれてきたのは女性弁護士(佐原律子)だった。女は素直には言うことを聞かず、六法全書で自分なりに勉強していた。弁護士などいらないと言い出すが、凶悪犯罪については弁護士をつけるのが決まりだった。
二人はぶつかりながらも、裁判が続いていく。女性弁護士も家庭に問題をかかえていた。離婚をしてまだ小さい娘は夫が引き取っていた。月に一度、娘に会うという約束だったが、新しい母親になつき可愛がられていた。
妻が前妻に会いたがっていると言われ、謝罪のことばだと思ったが、会ってみるともう子どもとは会ってくれるなという申し出だった。自分は子どもを生まず、この子をわが子として育てると言われると、引き下がるしかなかった。
女は法廷でも怒りをぶちまけ、判事からの注意が繰り返され、退場もさせられた。弁護士も手を焼いたが、転機が訪れたのは、女の情夫(豊崎勝雄)が法廷で証言をしたことからだった。
これまでの前科はこの男との関わりを示すものだった。今回の事件も背後に情夫がいるのではと、新聞記者が見当をつけ動いていた。記者からの情報を得て話をでっちあげる。記者は社会正義からこの女を何とか暴きたいと思っていた。
三億円の保険に入っていたことを知ると、自分にはそのうちの5000万円を受け取る手はずになっていると法廷で証言をする。すかさず女弁護士は、それは何の金かと問うと、うっかりと分け前だと言ってしまう。殺人の分け前だと取られてしまったのである。
女は法廷で身に覚えのない話を聞くと、情夫に食ってかかる。次の回には撤回して、新聞記者との駆け引きがあったことを暴露することになった。決定的な証言は息子から引き出された事実からだった。
新妻がきて前妻の息子は、亡き母親の実家に戻されていた。祖母にとっては血のつながる孫への執着は強い。このままでは一族の財産の半分がこの女に取られてしまう。集まって相談したときに提案を出したのは、前妻の兄だった。
税金はかかるが財産を、孫に相続させればどうかという案だった。まだ本人は生きていたころで、多くが納得するなか判断ができないでいた。わがままな妻を前にして、家族のことを思い、息子のことを思って出した答えは、思い詰めた決断だった。
手紙に書いて息子に送っていた。法廷でその内容を証言する。家族を愛したと同じように妻を愛していた。妻を殺害して自分も死ぬと書いていた。女はそれを聞いて、勝ち誇ったように、無理心中じゃないかと吐き捨てた。
なぜ自分が死ななければならないのだと言うと、息子は父を殺したのはこの女だと叫んでいた。無罪が言い渡されたが、自殺であったことから保険金は降りなかった。女は弁護士に食ってかかると、命があっただけでも拾いものだと言い返していた。
記者も地方局に飛ばされ、恨みごとの電話をかけてきた。女はまた銀座のホステスに戻った。弁護士を招待すると、ホステス仲間は、何かことが起これば役に立つとその敏腕ぶりを歓迎した。
二人になると互いに悪態をついて、嫌いあい別れていった。ボトルを傾け赤ワインを白い上着にかけると、すかさずグラスの酒を顔にぶっかけた。別れ際に弁護士はまた何かあれば相談をしてくれと営業をして去った。性格は対極にあるがともに、身近にいると嫌なタイプの女である。
第1047回 2026年4月23日
柳町光男監督・脚本、英題はA Farewell to the Land、根津甚八主演、秋吉久美子、山口美也子、矢吹二朗、蟹江敬三共演、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位、130分。
危うい生き方を選び、転落のすえはては殺人にまで至る、男の半生をたどる。主人公(山沢幸雄)は田園風景の続くいなか町で、トラックの運転手をしていた。性格は破綻していて、凶暴になると手をつけられない。親では歯が立たず、近所の男たちが駆けつけて、縄で柱に縛り付ける。
穏やかな老父(幸一郎)は気弱げで、ガミガミ言う老母(イネ)のうしろで静かに見守っている。落ち着くと二人の男の子どもが、父親の縄をほどいている。父親が好きなようで、父親も二人を抱きしめている。
そんな子どもが、二人だけで水郷に小舟を出して、転覆して死んでしまった。父親は悲しみのあまり、妻(文江)に矛先を向け、憎悪を剥き出しにして、家を飛び出してしまう。
子どもの供養に、背中に観音様と息子たちの戒名を、刺青でほりこんだ。家は農家で妻はその手伝いを続ける。亡くした二人の息子の下には、もうひとり子どもがいた。男は帰ってこない。老いた親と嫁が野良仕事をする背後の国道に、男の乗るトラックが行き来している。
主人公が仕事仲間と集まるスナックがあり、ママと娘(順子)がいた。娘のほうは主人公の弟(明彦)と同級生で、以前は付き合っていた仲だった。弟は東京に出て建築関係の仕事についていたが、時折戻ってくる。
スナックで弟と出くわして、娘とも顔見知りになった。娘がバス停で待っているときにトラックで通りかかる。送って行こうと誘って、身の上話をしている。母親と二人きりだったが、母親は惚れっぽく、これまでも男をつくって出ていき、帰ってこないことが何度かあった。
二人はこのときから男女の関係ができ、次の母親の出奔をきっかけに同棲をはじめた。男は意欲的に働いた。運転だけではなく、経営にも手を出そうとした。口べたで金儲けには向いておらず、そのときは常識的な弟に同席を頼んだ。
スナックの娘との間にも、子どもが生まれた。二世帯をもつと大変だと同僚に言っている。実家に残した妻とは離婚はしないままでいた。子どものこともあり、娘は籍が入っていないことを気にしている。
トラック運転手の同僚(大尽)がシャブに手を出して快感を貪ったが、注射を手伝って忘我状態にある姿を目にする。脳を冒して精神病院に入ることになる。退院できて迎えに行くと、中毒に苦しむ患者たちの姿を見ることになる。
もう二度と手を出さないと同僚は言うが、主人公は薬を手放せなくなっていた。注射器を隠し持っていて、狂気を宿した顔立ちに変わってくる。立ち直った同僚も異変に気づき出す。
トラックの汚れが気になり、ぞうきんがけを5時間もし続けている。外敵を恐れてカーテンを引き、浴槽の排水穴をぞうきんで塞ぎはじめる。弟と女との昔のよりが戻ったと疑い出す。
弟が東京から戻ってきて、トラックの仕事を兄から引き継いだ。兄は仕事もせずに妄想にとらわれている。子どもを抱えて女は、頭を下げて男に頼むが、働こうとはしない。
仕方なく弟のもとに出向いて金を借りる。兄をよろしく頼むと女に託した。シャブに手を出しているのをわかっていても、何も言えなかった自分の責任だと女は語った。
このとき結婚相手とも顔を合わせ祝福するが、みじめな自分に耐えられず、早々にその場を去った。女は兄には言わないでくれ、知られると殺されると恐怖をにじませた。
兄が暴力沙汰で傷を負い、入院すると二人の女が病院で顔を合わす。女は妻に男を返すと言ったが、妻にとっても迷惑なことだったにちがいない。出て行けとわめきながら、出て行こうとすると男はすがってくる。女は男を捨てることも、男から逃げることもできなかった。
弟の結婚式の日、兄が出席しないわけにはいかないことから出向いていた。ただし紙にくるんだ出刃包丁を背中に隠し持っていた。妄想は恐怖の対象を弟に向けはじめる。目がすわっていて、いつ包丁をかまえるか恐怖が伝わってくる。
弟は力で制して、兄は病気で欠席をすることにして、会場に戻っていった。固唾を飲んで見守っていた、私たちもホッとする。帰宅すると女が、婚礼はもうすんだのかと聞いてくる。
台所で料理の準備をするナイフの音が増幅して、女の叱責するつぶやきも聞こえる。カメラは女の口が動いていないのを写している。恐怖した男は包丁を構えて背後から近づき、女を刺し殺してしまった。
子どもを連れてトラックのわきにうずくまる男がいる。警官が二人やってきて、子どもをかかえて逃げるのをとらえて逮捕に至る。弟と同僚が面会を終えて戻ると親と妻がいて、8年間だと報告をしている。兄は穏やかなようすだったと伝えた。
覚醒剤をやめられない男の末路が描かれているが、禁断症状に苦しみもがく姿ではない。性格が変わったように妄想とつきあう、ありふれた日常が、かえって私たちを恐怖に陥れる。主人公を演じた根津甚八の、正気と狂気が同居した、何を起こすかわからない無秩序に、終始目を離せないでいた。