イングリッド・バーグマン
間奏曲1936/ ドル1938/ 六月の夜1940/ カサブランカ1942/ 誰が為に鐘は鳴る1943/ ガス燈1944/ 白い恐怖1945/ 汚名1946/ 山羊座のもとに1949/ ストロンボリ神の土地1950/イタリア旅行1954/ 追想1956/ さよならをもう一度1961/ サボテンの花1969/ オリエント急行殺人事件1974/ 秋のソナタ 1978/
第1021回 2026年3月28日
グスターヴ・モランデル監督作品、原題はIntermezzo、スウェーデン映画、イングリッド・バーグマン主演、エスタ・エクマン、ハンス・エクマン共演、93分。
若い娘(アニタ)と恋愛をしたが、家族を捨てきれないでいる中年男(ホルゲル・ブラン)の葛藤を追う。男は高名なヴァイオリニストであり、世界中を演奏旅行で飛びまわっている。
情熱的な音の響きが聴衆を魅了していた。伴奏者としてながらく同行していたピアニスト(トマス)が、老境に入り年齢を理由に、家でゆっくりとしたいと言い出す。
引きこもって庭いじりの生活をはじめると、興行主(チャールズ)がやってきて説得をするが応じない。魅力的な若い娘がレッスンに来ていて、その指導だけはしていた。才能があるようで目をかけている。
娘は子ども相手のピアノ教師だったが、その生徒のひとりにヴァイオリニストの幼い娘がいた。妻(マルギット)と二人の子どもがいて、兄もまだ学校に通っているが、父親とはちがいエンジニアを目指している。
音楽に興味を持つ娘の誕生会を開いて、父親は伴奏者が見つかったといって、娘を紹介してヴァイオリン演奏をした。途中で間違えかけたとき、会に呼ばれていたピアノ教師が出てきて、娘をフォローする。
腕前を見込んで教師との演奏に夢中になってしまう。娘は引き下がり母親に抱かれているが、母親は夫のいつもではないまなざしに気づいている。教師にも下心があったように見える。
伴奏者として演奏旅行に誘われるが、かつての伴奏者であった師からも、功を急ぐなと言われていたし、師を落胆させることになると気づかった。まだまだ勉強をしたいと言うにとどめた。
ベートーヴェンの第九コンサートがあったとき、偶然二人は顔を合わせる。女は男が一人なのを不思議に思い聞くと、妻は外に出たがらないのだと答えた。食事に誘い、ワインを飲んで、たがいの気持ちが高まっていく。
忍んで会う仲にまでなってしまうと、会っていても人目を気にしながら落ち着かない。25歳の年齢差があった。男は大胆になって行くが、女は男の家族のことが気がかりで、もう会わないでおこうと切り出す。
妻は二人の仲を知っていた。町で見かけたという情報もすぐに伝えられていた。世間はスキャンダルには目がない。男は演奏旅行への同伴を決意し、家を離れる。女も師に別れを告げて、ピアノ教師も辞めた。
興行主があいだに入り、公演スケジュールを組む。ビジネスを優先させるのがマネージャーの役割である。伴奏者の魅力もあって興行収入も増えた。ラジオ放送がされ、自宅でも娘が聞いていたが、母親が部屋に入ってくると、スイッチを消してしまった。父親の情事については、幼い娘はもちろん何も知らない。
演奏とともにながらく旅行も楽しんできた。旅行の思い出は妻やこれまでの伴奏者とも共有していた。パートナーとウィンナーワルツの思い出を語り、かつて同伴した妻を旅行に誘ったこともあった。行きたがらず自宅にとどまったが、子どもたちを置いては行けないというのが拒否理由だった。
ウィーンに滞在中に、娘と同じ年恰好の少女と親しくなって、シターという楽器を教えてもらっている。置いてきた娘を偲んでのことだと女は理解した。愛の逃避行がやがて罪意識へと変貌していく。
興行主が離婚届をもって男のもとにやってきた。サインをすれば終わるのだが、踏ん切りがつかないでいる。そんなとき女にも手紙が届く。奨学金を獲得できたという師からの連絡だった。
男に知らせると、またとない機会だと言って喜んだ。何もかも捨てて男についていく決意をしたところだった。伴奏者として終わるのではなく、演奏者としての高みに昇り詰めるチャンスだった。
女は迷い続けるが、興行主に打ち明けて、男二人で出かけたときに姿を消すと決断する。興行主は男がサインをした離婚届を預かっていたが、そのことは言わずに女の決断を受け入れた。
師はこの結末をわかっていたように、かつて女に勇気をもって行動するよう示唆していた。アンコールで演奏した、間奏曲が印象に残るが、女は自分はこの男にとっての間奏曲に過ぎなかったのだと自戒する。
わが子への父の思いは膨らんでいた。旅行土産にカメラを贈ると約束していて、パリでカメラを買って、スウェーデンに持ち帰る。家族もなく家もなくなったと思い、自宅には戻れない。
興行主に住まいを頼み、娘の小学校を訪れ、下校時間に合わせて待ち受けて、約束のカメラを手渡そうとした。車から降りて目があい、プレゼントを差し出したとき、娘は喜んでかけ出してきた。道路を横断したときトラックが来てひかれてしまう。
病院に運ばれて手術を受けている。息子が来て父親と顔を合わす。自分のことを母親から聞いているかと尋ねるが、聞いていなくても、そんなことはわかると言って父親を軽蔑した。
手術室が開いて父親が呼ばれる。母親もやってきて待っている。やっと父親が出てきて、娘の無事を知らせると妻は夫と抱きあい喜びあった。抱擁は夫を許すものでもあった。
軽蔑する息子に、かつての伴奏者が呼びかけている。そのときに語った「間違いは人の術、許すのは神の術」というセリフが心に残る。老いた伴奏者の、野心のない地に根ざした人生観がいい。
離婚届はサインがされて、興行主の手に残されたままである。娘が助からなかったならどうだったかと考えてみると、結末は違ったものになっていたかもしれない。神の許しはあっただろうか。父のわが子への思いが、彼女を救ったのである。そして事故は情事に対する、神の怒りでもあった。
第1022回 2026年3月29日
グスタフ・モランデル監督作品、スウェーデン映画、原題はDOLLAR、イングリッド・バーグマン、ヨールイ・リンデベルイ、エルザ・バーネット出演、78分。
スウェーデンにもアメリカの経済力が進出して、ドルが強く幅を利かせてきている。妻(ユーリア)よりも、会社を愛する男(クルト・バルザル)をはじめ、ギャンブル好きの弟(ルイス・ブレンネル)夫婦、友人の伯爵(ルドビク)夫妻が加わって、三組の男女の入り組んだ人間模様を描き出していく。
アメリカ人(メアリー・ジョンストン)がやってきて、あらかじめ調べさせていた人間関係から、夫婦を言い当てるが、みごとに組み合わせをまちがっていた。そんなモラルを欠いた姿は、アメリカにはあり得ないと呆れかえった。
私も冒頭のやり取りを見ていて、誰と誰が夫婦なのかわからないでいた。友人の妻(カティア)も加わるとさらに複雑な恋愛模様となる。友人夫妻には赤ん坊がいるが、弟夫妻は3年前に結婚をして、子どもが生まれたが亡くなってしまったという事情がある。兄夫婦には子どもはなく、兄嫁は舞台女優として美貌を誇っている。
兄嫁が弟を愛しているのだと噂され、弟の妻(スッシ)は兄嫁に嫌悪感を抱いている。弟はポーカーの世界チャンピオンとのギャンブルにのめり込んでいて、財産をなくしてしまう。友人がその姿を見つけて辞めるよう言うが、目が血走っていて言うことを聞かない。
兄に知らせると助けを出して、妻が倒れたのですぐに帰るようにと、ニセの伝言をする。弟は負けた金を小切手で払うが、使うのは三日間待ってくれと頼んでいる。相手を悪魔と呼び捨てて帰ってくる。
全財産を使ってしまったと妻に伝えるが、兄は口座に入金しなければ刑務所に送られると恐れを語っている。兄嫁はそれを聞きつけると、自分の財産から穴埋めをすることを決め、内緒のままにことをすすめた。
持株を大量に売ったことから、株価が変動する。友人が探りを入れて、真相を突き止めると、肩代わりをして現金を用意した。それを手渡して株に変えることで、友人は儲けを得ることになった。
支援があったことを知るが、誰からなのか心当たりはなかった。当たりをつけて伯爵や兄に礼を述べると、自分ではないと否定されている。兄嫁からの援助であることがわかると、妻はますます二人の仲を疑い出していく。
兄嫁を外してスキーに行く予定を立てていたが、兄嫁は自分も行くと言って山にやってくる。嫌悪感から妻は、吹雪のなかで事故を起こして、行方不明になってしまった。自殺をはかったように見える。アメリカ人の乗った車に、助け出されてホテルに連れ帰られた。
兄はこのアメリカ人からの資金援助を依頼していた。女性事業家であり、医者といっしょになって治療に口出しをはじめる。医者が治療にあたるが、患者は歩くことができなくなっていた。ドライにビジネスで割り切るアメリカ女は、自分なら短時間で治せると、豪語して医者と対立する。
医学博士ではないが、神学博士だと言っていて、からだの治療ではなくて心の治療が必要だと主張する。男女を集めて名探偵のように、それぞれの人間関係を説き起こしていく。
兄嫁が株を大量に処分しようとしたことも知っていた。患者が夫と兄嫁が寄り添う姿を目撃して動揺し、その延長上で思わず立ち上がってしまったとき、まわりは驚きの目を見張った。
スウェーデン医師は、短時間で完治させたアメリカ女にいちもく置くが、女のほうも地道に働く男に愛を感じている。資産を投入して大きな診療所にしようと持ち出して、医師にプロポーズをしている。診療所が付属しているホテルの買収まで口にした。
兄は家族の事情を、部外者のアメリカ女に知られることを嫌っている。弟は刑務所に入れられる心配などなかったが、兄が妻に大げさに伝えていて、その理由を妻は知りたがった。
兄は自分の嫉妬心を自戒して、会社よりも妻を愛していたことを打ち明ける。兄嫁は弟の妻の誤解を解き、夫の愛を確信させ、ハッピーエンドで締めくくられることになった。
一夫一婦制を否定したような、モラルを欠いたかに見える関係に、はじめ非常識を感じて唖然とするが、嫉妬という人間に本来備わった本能によって、秩序が取り戻されていく。
嫉妬を負の要素ではなく、愛を取り戻すための欠かせないアイテムだと気づくことになった。そして嫉妬と劣等感にさいなまれた女に見るように、誤解は自分を卑下する人間につきものの欠陥なのだ。
登場人物のなかでバーグマンの美しさはひときわ際立っている。ときには冷ややかに突き離されてしまう。嫉妬心を抱くことはまずないだろう、そんな役だった。それだけに嫉妬されることで苦しむことになるはずだ。
スウェーデン娘が見出されてハリウッドに向かい、その後イタリアへの逃避行を試みる。実人生がそんな役柄をなぞってしまうとすれば、持って生まれた悲しい宿命でもあるにちがいない。
第1023回 2026年3月30日
ペール・リンドベルイ監督作品、スウェーデン映画、原題はJUNINATTEN、イングリッド・バーグマン主演、ハッセ・エクマン、マリアンヌ・ローフグレーン共演、89分。
男に撃たれた女が一命を取り留め、その後の歩みをたどる。冒頭、主人公(シャスティーン・ノーバック)がいきなり銃で撃たれるのには驚かされる。犯人は船員(ニルス)であったが、別れ話が出てそれに納得できないことからの犯行だった。
被害者の安否を気にかけているが、死亡するかどうかで判決は大きく変わってくる。被害者は助かるが、忌まわしい記憶は早く忘れたい。法廷では犯人と顔を合わせなければならない。裁判が開かれ、それまで沈黙を守っていた女が口を開く。
悪いのは自分だと語ったことから、犯人は減刑されることになる。新聞記者(ヴィリー)も興味をもち、恋に陥った事情が探られ、記事にしようとする。撮影禁止の法廷での盗み撮りもなされた。美人であることから、世間の話題を呼んだ。
女は薬局に勤めていたが、回復後にそのまま勤務することができず、勤務先から紹介を受けて、いなか町を離れてストックホルムに出る。住所だけでなく新しい名前(サーラ・ノルダノー)にも変えて身を隠した。
紹介された薬局(白鳥薬局)を訪れ、勤務を続ける。新聞に書き立てられたときの見出し「傷ついた白鳥」と偶然に対応した屋号だった。胸に残る傷跡の経過観察から、紹介状をもって病院を訪れる。
担当医は胸の包帯を見て尋ねるが、真実は答えられなかった。乳がんの跡だと偽ったが、銃弾跡だとぶっきらぼうに言い当てていた。医師は半年後に診察を受けにくるよう、そっけなく言った。
看護師(オーサ)は暖かく接してくれ、住まいについて聞いている。今はホテル住まいだと答えると、下宿を紹介して連れて行ってくれた。自身も住んでいる共同アパートで、いろんな職業の女たちがいた。
顔を合わせたひとりは、どこかで見た顔だと言うが思い出せないでいる。女は素性が明かされることを恐れた。下宿人のひとり(ニッカン)が付き合っている新聞記者がいて、先の事件でスクープを放った男だった。
姿を消した主人公のゆくえを探していたが、偶然ここで見つけることになる。スキャンダルに飛びつく悪癖は編集長から戒められていたが、魅惑的な主人公のスナップ写真を一枚手に入れていて、何とか記事にしたいと思っていた。
看護師は医師と深い関係にあって、隠れての密会を楽しんでいる。半年後に女が病院に訪ねてくると、本能的に医師は不在だと言って、診察させないようにした。主人公の美貌を畏れたためだった。
深夜の当直で、主人公が薬局にいると、船員が顔を見せる。謝罪したいのだと言って近づいてくる。名前も変えていて見つけるのに苦労したと言うと、女の恐怖感は高まってくる。
一年はやく刑務所を出ることができたと言っている。出会った頃は新鮮で、航海の話を聞いて心を躍らせ、恋人であったこともあったが、やがて男の本性を知ると避け続けてきた。
復縁を迫り身の危険を感じると、心臓発作を起こしてしまう。苦しむ姿を前にして男は何もできない。喘ぎながら看護師に連絡を入れると、医師にも知らせて、駆けつけてくれた。薬局の交代要員を手配すると、医師は落ち着かせるために、主人公を連れてその場を離れた。
看護師は気丈に船員をなだめ、交代が来るまで薬局にとどまった。医師は主人公に付き添うなかで、その美貌に魅了されてしまい、この娘を守ってやろうと決意し、二人での逃避行に誘うまでに至る。女も医者の申し出を拒むことができず、頼ろうとしている。
看護師は船員を訴えず逃してやり、次の日に病院勤務に戻る。医師が出勤してきて、顔を合わせると別れを告げた。主人公への想いは感じ取っていたが、とうとうやってきたかという諦念だった。
中途半端なままで、何の教訓も残してはいない。結論は出さないで、そこで映画は終わってしまった。アバンチュールを楽しむことで傷ついた、危なかしい生き方が懲りることなく、繰り返されていくように見える。
バーグマンにとってはスウェーデンでの最後の映画となったが、教訓を欠いた投げ槍とも思える結末は、この監督が女優の魅力に完全にノックアウトされた証拠とも思えた。
第1024回 2026年3月31日
サム・ウッド監督作品、アメリカ映画、アーネスト・ヘミングウェイ原作、原題はFor Whom the Bell Tolls、ゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演、エイキム・タミロフ、カティーナ・パクシヌー共演、アカデミー助演女優賞受賞、157分。
1930年代のスペインで、ファシズム(フランシスコ・フランコ軍)に反対するアメリカ人(ロベルト・ジョーダン)の活動を追う。主人公は大学教授とも呼ばれるが、実際は講師でスペイン語を教えていた。
スペインに渡り義勇兵となって戦うが、仲間を救うために犠牲となって、命を落としてしまう。そこで出会った娘(マリア)との、短くも燃えあがった恋愛が綴られていく。
男はダイナマイトによる爆破のプロだった。敵の輸送路を断つ目的で、鉄道爆破を成功させ、次に橋の爆破を命じられた。山にこもってレジスタンスを続けるグループといっしょになって任務を果たそうとする。
グループは5人ほどの男からなる小さな組織であり、威圧的なリーダー(パブロ)が統率していた。さらにリーダー以上に男たちが畏れをいだく女リーダー(ピラー)がいた。8年間生活をともにしてきたが、信頼の寄せられる存在となっていた。
加えてもう一人、女リーダーが目をかける若い娘がいて、男たちの世話を焼いている。ファシズムの攻撃を受けて、市長だった父と母が殺害され、自身も囚われたのを、このグループに救われて行動をともにしている。3ヶ月前のことだった。
リーダーは橋の爆破の計画を聞くと、反対をする。それによって敵の兵が増強され、自分たちの身に危険が及ぶことを警戒した。自分はリーダーとして仲間の安全を第一に考えているのだと主張する。ダイナマイトを隠して使えないようにもしてしまう。
アメリカ人に指図されることを嫌ってのことだったが、女リーダーが爆破を受け入れ、仲間たちも同調すると、腹を立てて姿を消してしまう。娘がアメリカ人と親しくしはじめたのも気に食わなかった。
娘は髪の毛を短くしていて、主人公を前に気にしてそのいきさつを話し出す。両親を目の前で殺害され、娘たちは集められて理髪店に連れて行かれ、髪を切られたことを打ち明ける。
さらに暴行されたことも話し出すが、主人公は優しくとどめて、それ以上は話させなかった。二人のやり取りを女リーダーは暖かい目で見つめている。娘を見る母親のような目だった。自分がもう少し若く美人だったなら、黙ってはいなかったのにと悔しがっている。
アメリカ人がやってきたとき、手相を見て暗い表情を浮かべたことがあった。男は気にしているが、問うても答えてはくれなかった。それが最後の悲劇を生むことになる。
リーダーは仲間を裏切ったように見えて、私たちにはスリリングに目に映るが、最終的には戻ってきてリーダーシップを発揮する。手助けに3人の男を連れ帰って来るが、役目を終えると射殺してしまう。
仲間たちが逃げるのに使う馬が足りなかったからだが、敵兵との銃撃戦で仲間の二人が命を落としていたことから、馬が余ってしまう。非情な行ないに仲間は反発している。
橋の爆破は成功させたが、敵軍の攻撃をかいくぐって、一人づつ馬で道路を横断する。娘を見送って主人公が最後の番に来たとき、渡りきれず銃弾を受けて落馬して骨折してしまった。仲間が手を貸すが、馬では逃げきれないと判断して、敵を食い止めると言って機関銃を握った。
自分はあなたの中で生き続けるので、生き延びてほしいと娘に言い聞かせた。納得したように見えたが、女リーダーに抱きかかえられると、大声をあげて泣きながら連れられていった。3日間で燃え尽きたピュアな恋愛だった。
まだ19歳の娘であり、はじめての口づけではまっすぐに立って、鼻を突き合わせてしまい、男が優しく首を傾けていた。バーグマンの生命感あふれる、目の輝きが印象に残る名場面である。
第1025回 2026年4月1日
ジョージ・キューカー監督作品、アメリカ映画、原題はGaslight、パトリック・ハミルトン原作、イングリッド・バーグマン主演、シャルル・ボワイエ、ジョゼフ・コットン共演、アカデミー主演女優賞・美術監督賞、ゴールデングローブ賞主演女優賞受賞、114分。
ガス燈の灯るロンドンの広場(ソーントン広場)に面した、屋敷で殺人事件が起こった。殺されたのは著名な女性歌手(アリス・アルクィスト)で、犯人は見つからないままだった。財産を受け継いだのは、同居していた姪(ポーラ・アルクィスト)である。
歌手の妹が娘を残して亡くなり、叔母に育てられた。悲劇を残す屋敷を去ったが、叔母のあとをついで歌手のレッスンを受けている。容姿は叔母そっくりの美貌を誇ったが、歌の実力はない。
ことに最近は身が入らないことを、見かねて教師は理由を聞く。娘が折り入っての話があると言うと、伴奏をしていたピアニスト(グレゴリー・アントン)が席を外す。恋をしているのだということがわかった。
師は音楽より魅力のあるのが、どんな相手なのか見てみたいと言っている。歌手の道を断念して師のもとを去ると、先に退席したピアニストが待っていた。作曲家として身を立てたいと思っていて、ふたりは恋人どうしだったのである。
女は一人になりたいと言って、一週間をかけてコモ湖に出かける。列車ではロンドンの広場に面した家に住むと言う、話好きの老婦人(ベッシー・スウェイツ)がイタリア旅行にきていて、忘れたい記憶を呼び覚まされる。
駅に着くとピアニストが待ち受けていて抱き合った。黙って追ってきていたのである。一人にさせないという熱い抱擁だった。幸せそうな姿を老婦人は、恨めしげに顔をしかめている。
結婚に至ると二人は夢を語り合った。パリやローマもいいが、ロンドンに住みたいと男が言う。女の顔は一瞬くもるが、男の夢をかなえてやろうと思う。そこには相続した屋敷もあった。
ロンドンでの生活がはじまっていく。近所には10年前の事件を、覚えている老人もいて、好奇心から近づいてくる。顔を見ると列車で同席した老婦人だった。残された家具や壁にかかる肖像画が、叔母の忌まわしい事件を思い出させる。
夫は家具類はすべて屋根裏部屋に片付けて、改装しようという。主人公は心機一転をはかるが、過去の記憶がそれをはばむ。さらに記憶喪失とも思える事故が繰り返されていく。
代々引き継がれできたという、夫からもらったブローチをバックに入れたはずが、いつの間にかなくなってしまった。壁にかかっていた絵が消えてしまうと、夫は妻を疑った。妻は新しく雇ったメイド(ナンシー・オリヴァー)が知っているのではとつぶやくと、夫はメイドを呼びつける。
妻の精神状態は悪く、メイドに容疑をかけたように思われるのを恐れている。夫はメイドに衣服が派手だと注意をするが、からかいながらも言い寄っていた。夫の本性が見え出してくる。メイドは敵対的で慎みはなく、巡回をする警官(ウィリアムズ)にまで声をかけていた。
もうひとり雇っている料理人(エリザベス・トンプキンス)は、主人公に好意的で、まわりの言動を注視していた。その後、窮地を救うのに働く。主人公は病気を理由に家に閉じこもっていたが、内輪での音楽会に誘われて夫婦で出かけて行った。
このとき殺害された叔母をよく知っていたファンの少年(ブライアン・キャメロン)が、今では警察での仕事についていて近づいてくる。はじめて見かけたとき、叔母とそっくりなので驚いた。事件を洗い直していて、殺害された時に行方不明になった宝石があることを突き止めた。
夫婦関係が不自然であることから、探りを入れる。音楽会での行動もチェックしている。演奏中に夫が時計をなくしたと妻に耳打ちをする。紐の切られた懐中時計が妻のバックから出てくると、驚いて声を上げる。
身の覚えはなく混乱して泣きはじめると、夫は妻を抱きながら退出する。主宰者にはまだ病気が治っていないとことわりを入れた。妻は自分を責めはじめ、病気を自覚している。
夫はピアニストとして、仕事で夜に家を空けるが、妻は一人になると決まってガス燈がゆらめき、屋根裏で不可解な音がしはじめる。恐怖に怯え続けたが、真相を突き止めようと助けがやってくる。叔母のファンだった男である。
叔母からもらった白い手袋の片方をもってきていた。主人公は叔母の遺品に手袋の片方だけがあるのを知っていて、二つを照合するとぴったりとあった。疑心半疑でいたが、謎の男を信頼することになる。
音楽会でもこの男がじっと見つめているのを、夫は知っていた。男は妻を助けようとして妄想は事実であることを証明していく。ロンドンに住みはじめたころ、部屋を整理していて、楽譜の間から手紙が出てきた。夫は血相を変えてそれを取り上げた。
殺人の3日前の手紙で、恋する男からのものだった。夫はその後そんな手紙は知らないと言うと、妻はまたしても妄想だったのかと思う。夫が不在のあいだに部屋が探られ、戸棚の鍵をこじ開けると銃を入れていた空箱とともに、ないはずの手紙が出てきた。なくしたはずのブローチもそこにあった。
夫の書いた書類を男はもっていて、書体を比べると同一であり、夫がまだ無名の頃に出した手紙なのだと推理された。最も高額の宝石を探して、当時の家財道具をひっくり返す、屋根裏部屋での夫の姿が映し出されていた。
あきらめかけたときに、舞台衣装に他の模造の宝石とともに、埋め込まれているのを見つけると、夫は喜びの表情を浮かべた。目的は果たされたが部屋に戻ると、そこにいたのは妻だけではなかった。
パトロール中の警官が呼ばれ、男と二人して夫をロープで縛り上げた。妻は二人にしてくれと頼むと、夫は妻を暗示にかけるように、ナイフの場所を教えて、ロープを切るように指示する。
妻はナイフを逆手にもって、夫を突き刺すのかと思われたが、憎しみを伝えて大声で警官を呼んだ。ガス燈の灯る不気味なロンドンの霧が、サイコミステリーともいえる雰囲気を盛り上げている。
近隣の老婦人が、女が夫ではない男と二人でいるのを目にすると、あっと声をあげた。駅で見た抱擁のような、不自然なものではなく、婦人にはにこやかな笑みが浮かんでいた。好奇心旺盛な老婦人の、直観力がここでは対比になっている、
第1026回 2026年4月2日
ロベルト・ロッセリーニ監督作品、イタリア・フランス合作映画、コレット原作、原題はViaggio in Italia、レンツォ・ロッセリーニ音楽、イングリッド・バーグマン、ジョージ・サンダース主演、105分。
イギリスからやってきた夫婦がイタリア旅行をしている。会話を聞いていると仲は良くないようだ。たがいにいがみ合い、離婚を口にするが、最後は急転直下愛を取り戻すまでの物語。
車での旅をしている。妻(キャサリン)が運転をして、夫(アレックス・ジョイス)は横で居眠りをしている。会話はほとんどない。夫が運転を代ろうかと言う。ねぎらいのことばを期待したが、理由はこのままだと眠くてしようがないからというものだった。聞いていて何という会話だと唖然とする。
車道では牛が行く手を阻んでゆっくりと歩いている。轢かないようにして通り過ぎると、フロントガラスに蚊の血がこびりついていた。あっと驚くような、かみ合わない不自然な対話が続いている。
目的地はナポリであり、風光明媚な景観を期待してのことだった。二人だけの旅行は8年間の結婚生活で、はじめてのことだと言っている。子どもは生まれず、この結婚は失敗だったと、たがいに思っている。
夫はイタリアにある、叔父の別荘を相続して引き継いだが、売却を考えていた。やっと着くと管理をまかされているイタリア人(トニー・バートン)がやってきて、室内を案内してまわる。窓からは海をのぞみ、ベランダからはヴェスビオス火山が見える、手放し難い屋敷だった。
ホテルでは二部屋を取って、別々のベッドに寝る。内部は行き来ができ、仲間が集まった食事会では、二人はそろって参加して、仲の良い夫婦を演じていた。別れて座ると、妻は夫が若い娘に積極的に近づいているのを、軽蔑の目で見つめている。
別の集まりでは反対に妻が、年配の男たちに囲まれて、有頂天になるのを夫は冷ややかにながめていた。妻はナポリでは美術品を見たいといったが、夫は興味がなく、別行動をしてカプリに向かう。
ナポリの博物館にある古代彫刻を、妻とともに私たちもいっしょにみることになるが、3メートルを超えるファルネーゼのヘラクレスをはじめ、力強い筋肉美に圧倒される。
ネロをはじめ残酷なエピソードの残る、ローマ皇帝の逸話を、肖像彫刻を見せながら、解説員が話すのを、私たちも興味深く聞くことになる。妻は疲れて帰宅するが、夫はカプリ島で浮かれているのか帰ってこない。
一人で寝ているが楽しくはない。寝静まったころに夫が帰ってくると、ことばをかけるが素気ない態度で、妻はまた腹を立ててしまう。夫は知り合った人妻と、次の日にも会う約束をしていた。浮き浮きとしていたが隠して、疲れていると言って自室に戻った。
ポンペイには夫婦で出かけた。解説を聞きながら歩いている。焼け死んだままの遺体が、ミイラのようになって残っていたり、残酷な話を聞かされて、妻は気分を悪くして抜け出してしまう。
帰りたいと言い出すが、ガイドに悪いと夫は引き止めようとする。そこでも二人の対立は修復できず、夫はついに離婚を口にする。帰り支度をして町に戻ると、子どもたちが集まって、にぎやかな行事が行われていた。行列の波に飲まれた妻は、夫の名を呼ぶが引き離されていく。
夫も手をあげて必死になって妻の手をつかもうとする。やっと手が届いたとき、引き寄せてたがいに抱き合った。これまでのいがみ合いが嘘だったように、愛を語り合い、崩れ去った絆を取り戻すことができた。
急な心変わりは不自然に見えるが、そんなものかもしれないと納得した。二人を引き離そうとした祝祭(聖ジェンナーロ祭)は、二人を引き戻す聖なる奇跡を、パワーとして秘めていたようだ。子どもたちが間に入って流れを生み、それに押し流されようとするのを、愛の本能が抗おうとしたと解釈することにした。
カンツォーネのメロディが鳴り響く、イタリア映画の雰囲気を濃厚に漂わせていく。ハリウッド映画と訣別し、土臭い庶民性に分け入ろうとする、バーグマンの意志と女優魂を確認できる作品でもあった。
第1027回 2026年4月3日
アナトール・リトヴァク監督作品、原題はAnastasia、マルセル・モーレット原作、アーサー・ローレンツ脚本、ユル・ブリンナー、イングリッド・バーグマン主演、ヘレン・ヘイズ共演、アカデミー主演女優賞受賞、105分。
ロシア革命により一家が処刑されたはずの、皇帝(ニコライ2世)の孫娘(アナスタシア)が生きているという噂から、残された財産をめぐってのサスペンス映画。孫娘が本物か偽物かは最後までわからないままというのが、謎めいていておもしろい。
10年後のパリでこの女は現れる。薄汚れた格好で、街をうろついているのを見つけたのは、ロシア皇帝に仕えた将軍(ボーニン)だった。皇帝が海外に残した資産があり、一族は処刑されたが、孫娘が生きていればそれを相続することができる。
女は皇女に似ていた。頭に傷を負っていて、精神病院に収容されていた。そこで自分がロシア皇帝の娘だと話していた。その後、行方不明になっていたのが見つかり、仲間からの知らせを受けて、将軍は会いに行く。
女(アンナ・ニコル)は記憶喪失から、逆に自分は何者かと問うてくる。将軍にとって、本物か偽物かはどちらでもよく、本物であることが証明されるのが重要だった。
立ち居振る舞いからは、皇族とは思えなかった。王冠をつけたシルエットを等身大に描いていたが、背丈はぴったりであり、将軍は本物に仕立て上げることが可能だと考えた。身分にふさわしい「王様と私」(1956)を思わせるダンスも教えている。
子どもの頃を知る者が集められ、関係者や当時つかえていた侍女が質問を投げかける。一目で見抜いて相手にしない者もいた。侍女のひとりをよく覚えていて、声をかけ細かなことまでも答えていた。
まわりで聞いていた者だけではなく、私たちも皇女だと確信をいだいたが、場面が変わると、この侍女は将軍のもとではたらく仲間のひとりだった。あらかじめ打ち合わせていたのである。
もっとも信頼が置かれたのは、皇女の祖母(皇太后)にあたる女性で、コペンハーゲンに住んでいた。これまでも金目当てで本物を名乗る孫娘が現れたが、すべて偽物だった。将軍は願い出るが簡単には承諾しない。
身近にいて可愛がられている甥(ポール公)がいて、将軍は懇意にしていた。この男を通して会えるよう計らってもらう。これに先立って女に引き合わせると気に入り、皇女であるなら結婚をしたいと考えはじめる。
教え込まれた通り、正確に固有名詞を伝えると、祖母はよく覚えたねという反応だった。急に咳き込むと病気ではないのかと心配してくれるが、人前で緊張し興奮すると咳き込むのだと答える。
子どもの頃からかと聞くのでうなづくと、祖母の顔色が変わり、孫娘であることを確信して抱き寄せる。抱きしめながら、孫でなかったとしても、自分には黙っておくよう、祖母は付け加えた。
甥はこの女を妻にするはずである。将軍は女が皇女であったことから、身を引くことを決意して、祖母に別れを告げる。将軍の本心を見抜いて、別の部屋(緑の間)で待つよう命じた。皇女が見つかったことと、甥の婚礼を伝える時間が迫っていた。
女があいさつにくると、人払いをして甥との結婚について、他に好きな相手がいるのではないかと問いかける。女の気持ちを読み取ると、将軍の待つ別の部屋に向かうよう指示する。
仲間が皇女も将軍もいなくなったと、大あわてしだすと、祖母は安堵したように腰を上げ、集まったおおぜいの関係者を前に、開会のあいさつに向かった。芝居は終わったというのが、第一声としてのはじまりと考えていた。粋な計らいに、無言の拍手を送って映画は終わった。
祖母役の演技に感心したあたりで、この映画について書いていたような気がしてきた。確認すると2年前に取り上げていた。読み直すと同じようなことを書いている。2年すればすっかり忘れてしまうのに、われながら感心した。
第1028回 2026年4月4日
ジーン・サックス監督作品、原題はCactus Flower、クインシー・ジョーンズ音楽、ウォルター・マッソー、イングリッド・バーグマン主演、ゴールディ・ホーン、リック・レンツ共演 、アカデミー賞助演女優賞受賞、103分。
歯科医(ジュリアン)とそこに勤める看護師(ステファニー)が、結ばれるまでのコメディ。狭い診療所は二人だけで、顔を突き合わせて10年になる。歯科医は独身で若い娘(トニー)とのアバンチュールを楽しんでいる。看護師は美人だが堅物で男を寄せ付けない。
患者から誘われても、独身者は少なく、好色な妻帯者ばかりではねつけている。歯科医はレコード店に勤める娘と恋愛関係にあるが、本気で結婚を考えはじめていた。妻がいて子どもも3人いると嘘をついていたことから、娘は踏ん切りがつかない。
妻とじかに会って話をすると言いはじめると、妻の代役を見つけることが必要となり、身近にいる看護師に目をつける。突然、妻になってくれと言うと驚くが目を輝かせる。事情を話し20分だけのことだと付け加えると、落胆から怒りに変わった。
看護師は独身で、姉夫婦の家に同居していた。二人の息子と犬がいて、休みの日は彼らの相手をしてやった。二人の甥を連れて町に出たときに、別れてひとりでレコード店に立ち寄る。
どの店員かわからなかったので、買い物の届け先に歯科医の名を出して、その妻だと聞こえるように言った。反応を示した店員が声をかけてきて、離婚の事情を聞いた。
やり取りから店員は、夫人が控えめな好人物で、夫のことをまだ愛しているのだと理解した。寂しそうに去って、通りの向こうで待っていた、二人の息子と帰っていく後ろ姿を見つめている。
その後、娘は歯科医に話すと、頼んでもいない看護師の勝手な行動に戸惑う。娘は良心の呵責からか、息子の年齢を聞く。看護師の甥のことなど知らないので、8歳だと適当に答えると、12歳くらいに見えたと帰ってきた。
あわてて12歳だと訂正して、8歳は弟のほうだと言い直す。結婚して10年だと聞いていたので計算が合わない。結婚前に生まれたのだと、話が一人歩きをしていく。テンポのいいセリフのやり取りは、舞台劇を見ているようで心地よい。
慎み深いひとに見えるのに、そんなに情熱的になるほどに、強い愛情だったのだと解釈は進展していく。娘は押しかけ女房になる、後ろめたさを感じ出しているように見える。
娘は衣服も化粧も派手だが、見かけによらず意外とまじめで、ナイーブな神経をもっている。冒頭ではアパートの自室でガス栓を開いて、自殺をはかるところからはじまる。
隣に住む若者(イゴール)が臭いを嗅ぎつけて、窓を破って助けたことから、互いに気にしはじめていく。若者は劇作家を目指していた。歯科医は迷惑そうにこの若者を見ていた。
妻を悪人に見せる必要から、浮気女にして、知人の患者に愛人を演じてもらおうと考えた。どう見ても魅力ある男には見えないが、看護師は仕方なくその役を演じている。娘はその姿を見ることで、弱気になっている心が刺激され、妻に嫌悪感を抱かせるという意図があった。
歯科医は娘にミンクのコートを贈って喜ばせようとした。娘はそれを診療所に転送することで、看護師が手にすると歯科医からの愛のメッセージが添えられていたことから、自分に来たものと勘違いをしてしまう。
富豪の患者から誘われて、着飾って舞踏会に出かけると、関係者が偶然に顔をそろえていた。若者が看護師に惹かれて近づいてくる。看護師も酔いに任せて若者と踊り明かし盛り上がりを見せた。年甲斐もなくダンスに浮かれて、羽目を外している。
歯科医と娘は呆れながらも、二人を嫉妬の目で見ている。看護師は娘に芝居をしていたと真相を伝える。その後娘は歯科医に問いただすが、まだ妻を一人歩きさせながら、話をふくらませている。
アパートで若者どうしが仲良くする姿を目にすると、歯科医に破綻が訪れる。ぼらぼろになって、診療所に戻っていった。それぞれは年相応の相手に収まりをつけることになる。若者どうしは壁一枚を隔てただけで、長い間知らないままに生活をしてきた。
診療所内では10年も男女が独身のままいた。一番近くにいたのに気づかないというのが恋愛の教訓だろう。テーブルの上の鉢植えに花が開いたとき、それがサボテンであることに、あらためて気づくのである。
第1029回 2026年4月5日
シドニー・ルメット監督作品、アガサ・クリスティ原作、イギリス映画、原題はMurder on the Orient Express、アルバート・フィニー主演、リチャード・ウィドマーク、アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリー、ローレン・バコール、イングリッド・バーグマン、ジャクリーン・ビセット共演、アカデミー賞助演女優賞受賞、128分。
オリエント急行の列車内で殺人事件が起こった。たまたま乗り合わせていた名探偵エルキュール・ポワロの推理を楽しむ。ただし乗客全員を集めて、解き明かされていく長ゼリフは、聞き漏らさないように必死になって聞くことになる。
それぞれに辻褄があわされて納得するが、事件の過程ではおそらく誰にもわからない。2時間におさめようとする、映画の限界だろうと思う。原作小説のダイジェストに終わらないためには、どんな工夫が必要かを考えさせられることになった。
乗客は12人いてそれぞれにどんな人物なのかを説明しながら、探偵は事件との関わりを説明して問い詰めていく。短時間の内に次々と出てくる登場人物の多さに混乱する。
不要な人物は大胆に切り捨てるほうが、映画としては見やすいこともあるが、ここでは12という数字にこだわりがあるため、外すわけにはいかない。殺害された男の胸には、12の刺し傷があった。
はじまりは富豪の軍人(アームストロング大佐)の幼児(デイジー)が誘拐されて、身代金が要求され、支払うが死体となって発見されるという、痛ましい事件からである。
1930年のことで、新聞記事が映し出されて、事件の輪郭が伝えられたあと、5年後のイスタンブールで、ロンドン行きのオリエント急行に乗り込む乗客たちが集まってくる。
ベルギー人の探偵ポアロも乗車予定だが席の予約が取れない。探偵の名声を知る知人(ビアンキ)が、鉄道幹部にいて便宜を図るが、一等車はいつにない集客の多さだと驚いている。探偵は寝台車の上段に席が取れた。ひとりだと思っていた若いビジネスマン(ヘクター・マックイーン)はがっかりしている。
探偵のいびきがうるさくて眠れなかったと、秘書として雇われているボス(ラチェット・ロバーツ)に伝えると、昼間に眠っておくよう言われた。ボスは一等車の個室にいたが、その夜に殺害される。
これに先立ってボスは、先に食堂車で探偵と顔を合わせていた。アメリカ人だったが、身の危険を訴えていて、探偵を警備に雇いたいと申し出た。気難しい探偵はそれに応じなかった。
殺害されたボスの客室から燃えかすになった紙片が見つかり、探偵はかすかに読める文字から、誘拐後に殺害された少女の名を見つけ出す。持ち主のわからないhの文字の入ったハンカチについて、推理が巡らされる。
フランス語のアンリが、英語のヘンリーにあたり、頭文字がhであることや、ロシア語のnが hと似ていることから、名前の割り出しがされていく。驚くような指摘がなされていくのも名探偵の見せどころだが、まくし立てるようなおしゃべりは、好感の持てるものとは言い難い。
イングリッド・バーグマンは、本作でアカデミー賞助演女優賞に輝くが、これまでのような目を引く主役ではない。目立たず陰を秘めているところから、サスペンスに欠かせない犯人役なのだと、注目したがそうではなかった。スウェーデン人の役柄に、肩を張らない素顔が感じられた。
殺害されたのはただの富豪のボスではない。マフィアのボスでもあり、身代金殺人の主犯だった。12人の乗客は、それによって引き起こされた、諸々の悲劇の当事者だった。彼らが偶然に列車に乗り合わせたということはありえない。列車の乗務員にも、犯行に手を貸す当事者がいた。
探偵は最後に複雑な推理とは別に、マフィアの抗争の犠牲になったのだという簡単な推理があることを示す。列車は雪に閉ざされて止まったままで、外部から簡単に乗り込むことができた。
二者択一を迫られ、警察も単純なほうを好むだろうと言って、探偵は犯人がボスを殺害後、逃走したということで報告書を書くことにした。それを聞くと12人の乗客はほっとして、胸を撫で下ろす。
執拗に繰り返された12の傷は、強い恨みを語るものではあるが、それぞれに深さが違っていた。一人のものとは思えず、それを解き明かすには複雑な推理が必要だ。12は悪人に審判をくだす陪審員の数でもあった。