美術時評 2018年4月◀ ▶
by Masaaki Kambara
2018年3月17日~5月27日
2018/4/26
倉敷市立美術館は現代アートも充実している。寺田武弘の木彫(1970)がチラシを飾るが、迫力に満ちているだけでなく、これまでの作品概念を再考させるメタアートとなっている点で新鮮だ。木を削っているから木彫なのだが、材木アートという方がピッタリしている。削ってできた木屑を、壁に立てかけた内ぐりのある板材の前に散りばめる。削られた木屑を集めて、くり抜かれた板を埋めると元の一枚板に戻ることを予想させる。高松次郎にもこれと似たコンセプトでできた石彫がある。作家が不在であっても指示書に従って美術館内で展示は繰り返されるが、その度に木屑は着実に減少しているはずだ。
塩見允枝子のウォーター・ミュージックと題した小さなガラス瓶がいい。中に液体の入るラベルの付いたかわいい容器である。ここでも作品概念は覆される。ガラス瓶を見ていても何もわからない。このガラス瓶の使われ方の説明文が掲げられていて、それによってこれがパフォーマンスの道具であったことがわかる。
作品概念の問い直しは、戦後ことに1960年代を通じての動向であるが、似たようなことは古来よりある。能面や伎楽面などは、パフォーマンスの道具であるが、美術品としても立派に機能している。モノからコトへの移行、オブジェからイヴェントへの展開とみてもよいだろう。
塩見はパフォーミング・アートの中心的存在であるフルクサスの一員だが、日本ではまだまだ知名度は低い。工藤哲巳や三木富雄や岡崎和郎とともに、人をあっと驚ろかせる1960年代は、倉敷市立美術館の充実した作品群を形成している。このガラスの小瓶が能面のように輝きを放つには、まだまだ時間がかかりそうだが、今も気になるさわやかな一品だった。
2018年3月17日~5月27日
2018/4/26
常設展は池田遙邨からはじまるが、非常に豊かなコレクションである。小さな都市なら遙邨記念館を建てて、市立美術館としていただろう。今回は二部構成で、常設展示室に池田遙邨、企画展示室に「戦後の造形」となっている。入場料はいつものように210円、収支の事務処理が面倒なので、いっそのこと無料にすればと思う。
しかしそうすればますます大した作品ではないという風評被害にさらされることになる。そこには入場料が高い方がありがたみがあるという厄介な大衆心理がある。同じ常設展なのだから、大原美術館から少しはこちらに回ってはと思うが、いつも空いている。折り重なって頭越しに見るのが名作だというのも、やっかいな大衆心理だ。
私はこの穴場をこよなく愛する一人だが、遙邨はいつ来てもいい。ゆっくりと遙邨を独り占めできる。大原美術館のようにいつ行ってもその場所にいるというのも、母性を感じさせて悪くはないが、日本画が西洋画と違うのは、長くは展示できないという点にある。油絵は壁に掛かっているのが常態だが、掛け軸や屏風は仕舞われているのが常態だ。季節の折々に掛け替える。これが日本美を形成する。そして毎回新たな発見がある。
前回は微妙に傾いた灯台や城に私の目は反応したが、今回の遙邨は太陽に目が向いた。太陽の円盤だけを描いた二点の軸装が並んでいる。一方は日蝕とあり、黒い太陽が描かれている。もちろん太陽だから見える通りには描けない。写実を目指して見つめ過ぎると、目が焦げて黒い太陽になる。
私は自著「快読・西洋の美術」を、太陽の色は何色かという問いから書き出した。岡本太郎を念頭に黒い太陽にも触れたが、何かいい挿絵がないかとずっと気になっていて、今回やっと遭遇した思いがする。熊谷守一の日輪の絵を見たのが引き金になったのだと思う。遙邨の太陽はこれまでも見ていたが、今回はじめて反応したということだ。フリーハンドのつたない円形が何ともいい。エッジの効いた吉原治良や背筋の伸びた書家の一気呵成とは対極にある。仙厓は円相を月や饅頭に見立てたが、その系譜にありながら、遙邨は太陽に挑んでいる。
2018年3月1日(木)~5月27日(日)
2018/4/21
所蔵品展だが見応えは十分にあった。明治以降の工芸の伝統が継承された証明がここにある。地道だが確実な技に支えられた生きざまが見えてくる。目に飛び込んでくるパフォーマンスではなくて、見ていて安定感があり、染み入るような美の様態、発散ではなくて吸収するという存在のあり方だと言ってもいい。落ち着いた気分になるとすれば、それが工芸というものなのだろう。
人間国宝という名で継承されるものは、その人が亡くなればすべては消えてしまうという儚い世界観を背景にしている。美術は作者がいなくなっても作品が残るはずの世界のことだ。それに真っ向から対立して、名人の名が残される。それは歌舞伎だって、将棋だっていい。工芸という分野だけが特殊で、制作されたものが残されていく。
名人の作ったものは、名作といってはいけない。いつも同じものが生み出される環境を整える人のことを名人と呼ぶ。日によって味が違う料理人は、名人とは言えない。コンスタントに同じものを作り続ける技を、何十年も掛けて身につけるのである。そしてそれは一代限りのものでなくなれば、もはや他者が分け入る余地はない。
明治の名工を支えたのは、名もない江戸の職人であったはずで、多くは欧米の価値観に流されて危機に瀕する中、かろうじて命を永らえたものが今に残る。超絶技巧として今日もてはやされるパフォーマンスではないのだ。確実に地に足のついた手技の人間賛歌に目を向けねばと思う。板谷波山の染み入るような陶器の肌を前にして、名工の人格に接した気がした。それはつつましい吸収光を放つ村上良子の着物についても言えることだ。
2018年4月13日(金)~2018年5月27日(日)
2018/4/21
名匠だとはわかっていても、なぜか薄っぺらに見えたのは何故なのだろう。富士山も手を替え品を替え、繰り返され、それぞれに工夫を施されるが、もう一つ琴線にふれてこない気がする。入り口にあった「屈原」の、意志の力と言ったような鬼気迫る絵の力が見えてこない。日本画壇の重鎮になって、反骨精神が失われたからだろうか。若い日に「無我」を描いて見せた幼児の上昇志向は、遥か彼方に富士を見ていたが、登りつめると下界を見下ろす富士となる。上から目線の限界を払拭しようとして、もう一度下から見直そうとしたかもしれない。
再生は一滴の水が龍となった「生々流転」によって果たされる。テーマは上昇にある。40メートルもの長大な絵巻だが、展覧会ではすべてが開かれている。ことに最後の5メートルがいい。何も描かれてはいないが、描かれているとすれば、それは「予感」だ。余韻を残すこの待ち時間のあとに波が踊る。北斎の波のように首をもたげて立ち上がる姿は、龍の存在を暗示する。
そして振り返ってもう一度、余韻の余白をたどると、おぼろげに龍の胴体が浮かび上がってくる。龍は古来より水神の化身だった。この一作がなければ大観は、天心の死とともに大正2年の時点で、活動を終えていたと、私は見ている。朦朧体と揶揄された若き日の反骨が、天心の教えとともに蘇っている。
2018年4月11日(水)~5月28日(月)
2018/4/21
何の目的のデモンストレーションかは定かでないが、無数のこいのぼりが広い展示室を泳いでいる。無料の展示だが、そのダイナミズムはインスタレーションとしての現代アートに分類できる。鑑賞者はクッションにもたれ、寝そべって時を過ごしている。一点一点見るわけではない。珍しい企画に戸惑いながら、しばし時間を共有する。
ビュールレ・コレクションは混雑しているが、こちらは空いている。大きな美術館なので、貸し会場としても機能するが、多くは定期的な団体展の年中行事に使われている。東京都美術館の国立バージョンと見ていい。集客力はもっぱら新聞社主催の企画展が担うことになり、今で言えばビュールレ・コレクションの人気に乗じて、こいのぼりにたどり着いたというわけだ。チラシは全国にばら撒かれていたので、たまたま出くわしたというわけではない。期待も伴ってやってきた。こんな大規模な企画の真意を測りかねて戸惑いの中で、書いている。
スポンサーを見るとTEACと無印良品とあり、文化事業としての一環であることがわかる。この時期、六本木界隈になびくこいのぼりには、祝祭に浮かれる華やいだ気分があり、子どもの成長を願う未来への姿勢が読み取れる。都会の谷間での、爽やかなひと時に感謝する。
2018年2月14日(水)~5月7日(月)
2018/4/21
名品でたどる近代フランス絵画史である。粒ぞろいと言っていいだろう。こじんまりした小品だが、質は高い。最後にモネの睡蓮の大作で締めくくられる。上野で見たプーシキン美術館展と時代が重なり、比べてしまうのだが、個人コレクションならではの私的興味は、密やかな香りが感じ取れるものだった。
改めて印象派のもつ絵画史における役割を再認識するところとなるが、それは「近代」という名の理念を、丸ごと一枚の絵画が受け持っているという点にある。個性と自由によって彩られた絵画の実験は、印象という曖昧な虚無をまとった厭世観を下敷きにしている。その人でしか表現できない個性と、何でも表現できるという自由を旗印に、最終的には絵画の解体にまで至るアナーキーな思想を含んでいる。
モネは目を開いているのに見えない世界を描こうとしている。これと対極にあるのが同い年の画家ルドンで、目を閉じているのに見える世界を描いて見せた。軍配は明るい厭世観に上がった。市民権を得て印象派は、それを否定するポスト印象派をも巻き込んで広がりを見せていく。印象派展にゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワールを加えるのが普通だが、理念は印象派を否定している。
かつては後期印象派と名づけられたが、今日ではポスト印象派という方が多い。私は後期印象派でよいと思っている。ポストモダニズムがやはりモダニズムの内にあるという意味とも同じだ。シュルレアリスムだって同じことだろう。否定したとしても印象派の名を使用する限りは印象派抜きには考えられないということだ。反芸術や没芸術と言いながら、芸術を必要以上に意識する用語法がある。意識することによって比較がなされる。比較というのは対等を目指し、民主主義の原理でもある。
曖昧模糊とした宇宙の構造に原理を与えるのは、確実な刻印によって揺るぎない足跡を残す存在証明だった。そんな中で印象派が見つけ出したのが浮世絵だったというのは、興味深い。
2018年2月23日(金)~ 6月10日(日)
2018/4/21
日本を中心にした若い東洋の写真家に囲まれてウィリアム・クラインが主役に躍り出る。都市の生態を写し続けた写真家である。ニューヨーク、東京、モスクワとピンポイントで大都市が取り上げられる。ともに雑然として、ファッショナブルだが閉塞的な都会の憂鬱が映し出されている。都市の写真を撮っているはずだが、やがては写真のような都市になるのだという本展のねらいは、憂鬱を通り越して不毛や破滅への警戒でもある。しかしそんな悲観的な結論を出しているわけではない。現象を淡々と追っているだけだが、開けた未来でないのは、ブレードランナーの映し出した世界とも連動する(1)。
写真都市という命名は興味深い。都市が写真のようになるとはどういうことか。都市に惹かれて写真家はシャッターを切るのだが、それは都市が写真のようになろうとしているからだ。でなければ写真家はそれに目が向かない。それは写真が秘めた不毛性であり、都市がもつ不毛性ででもある。写真という機械が携えた特性は、現代の都市が共有するものでもある。つまり絵になる都市ではなくなったということだ。印象派に至るパリは、明らかに絵画都市だった。
石川直樹の写し出す雪に覆われた白い街は、都市の再生を予感させる(2)。越冬する南極の昭和基地にも似て、未来に向けて命をつなごうとしている。雑多な虚飾が消えて都市を、つかのま農村へと変貌させる。人工は自然の恵みを得て蘇ろうとする。それはニューヨークが雪に覆われて、時折見せる表情であり、それを見逃さない写真家も少なくない。死に瀕した魂の浄化を感じ取ってのことだろう。
移動式のステージが輝きを放つ沈昭良の写真も、写真都市そのものを浮かび上がらせる(3)。やなぎみわにもこれに似た写真があったように思う。幻のようにすぐに消え去ってしまうという点では、打ち上げ花火に似ている。夜空を焦がす地上には巨大な都市が広がっている。江戸の町は写真都市を先取りしている。
1
2
3
2018年4月13日(金)~ 5月27日(日)
2018/4/20
教科書で見慣れているので、今さら見ることもないという、すごいセレクションだった。元興寺の薬師如来もあれば、等伯の松林図屏風(下図)もある。見返り美人もいるし洛中洛外図の最期の結晶、岩佐又兵衛の舟木本まである。代表作なのに地方美術館の行なう岩佐又兵衛展ではなかなか見れないものだ。
雪舟展だって、今回選ばれた数点のエキスで、十分成立可能だ。破墨山水は等伯にそのまま継承されたと言ってもよいものだ。墨の濃淡がこんなにまで豊かな表現力を発揮するのかという驚きだけではない。かすれや筆の跡がこちらの魂にびんびんと伝わってくる。
若冲だってこれだけで十分だという気もするセレクションだ。鶏がカラーとモノクロで並んでいる。国立だとこんな展覧会ができるのだ。何ともうらやましい限りの企画である。しかも教科書をなぞるのではない新機軸がそこに盛り込まれる。企画者の嗜好が反映し過ぎるきらいはあるが、それが展覧会の個性となるので致し方ない。トピックをつなげながら、日本美術史の通史を装う。厳密に見ると抜け落ちているものは多い。
古代彫刻からスタートするが、奈良末から平安初期の一木彫に限定することで、片手落ちだが今までにない充実感を与えてくれる。日本の自立をたどるなら、それでよいのだろう。中国に学び、やがて和風化する。「一木の祈り」と名づけられた中に、日本人の想いと時代の意志を伝えようとする。
日本文化の形成は通底する一つのトピックだが、参照された中国画の原点も贅沢に展示され、逆立ちしてもかなわない重厚な歴史の厚みを見せつける。玉澗もいいし、顔輝もいい。顔輝は劉生の麗子像と並べられるが、普通そんな比較は写真どうしでおこなうものだが、ここでは本物どうしが並んでいる。劉生だって影響されて、横に置いたのは顔輝の図版だったはずだ。
比較にだけ登場するには畏れ多い存在を平気で出演させる。名優をチョイ役で使う豪腕プロデューサーや成金スポンサーに似てもいる。そんな役なら出ないという気骨もない。顔輝に気の毒な気がしながらも、こんなところで触れるオリジナルに、観客も喜ぶものだから、スポンサーもいい気になる。
美術館とは困ったものだ。一木の祈りと言いながら展示室には10体近い仏像が並んでいる。整列して立っているので、小学校の朝礼のようにも見える。信者には腹を立てる者もいるかもしれない。日頃は本尊として本堂に威厳をもって置かれている。だからこそ一本の木から切り出された一体の仏が意味をもってくるのだ。
そんな愚痴を飲み込みながら久しぶりに「松林図屏風」の前に立った。この空気感は何なのかと改めて思った。単なる空白ではない。何重にも塗り重ねられた空白という矛盾した言い方がぴったりする。「空気を読む」とは現代日本で流行りのことばだが、等伯は絶妙なバランスで空気を読んでいる。それは乱世の世を生き抜く知恵であったかもしれないし、昨今では忖度という語で取りざたされる空気感の表現ではなかったか。
松林図屏風がここまで現代に評価される所以だろうか。先の見えない靄の立ち込める時代にあって、真実を見極めるためには、松の影を人と見なす想像力も求められるだろう。明確な正解を提示しない中で、霧の中の存在を想定して、先を見こそうとする。それが忖度ということだ。
等伯は何も言っていないのに、この絵の真意を探ろうとして見つめ続ける多くの鑑賞者がいた。私も釘付けにされてしまったその一人だ。教科書に載っているが、教科書には書いていないひとときだった。後期になれば彦根屏風や天橋立図も加わるようだ。
2018年4月14日(土)~7月8日(日)
2018/4/20
プーシキン美術館の所蔵品を使ったフランスの風景画の系譜をたどる展覧会である。17世紀の理想風景から始まって、フランス人の自然観が、風景画に見事に反映している。それは一方でロシアのコレクターを魅了したものなのだろう。北の海から南の海、山岳や田園を前にできる羨望が収集に反映する。フランス人が集めるよりも説得力をもったコレクションになったのだろう。理想風景から古代風景へ、田園風景から都会風景へ、楽園風景から幻想風景へと展開する時代の様式が、見事に写し出されている。
印象派が描き出した風景画の視点は、美術史でも中心的なトピックであり、パリジャンが行き交う都会風景は、ロシア人だけではなくて、日本人を虜にしたものでもある。それを乗り越えようとして柔らかな光を分析することをやめて、タヒチに旅立ったりするのだが、ユートピアを求め、やがては幻想旅行に陥る流れが、丹念に跡付けられている。
唯一見落とされたものがあるとすれば、タヒチと並んでユートピアとされた日本へのまなざしだっただろう。ゴッホにとっては、そこは実現できない東方の楽園だったはずだ。江戸の風景画を真似た絵画には、その想いが込められている。浮世絵世界を思わせる一点を加えてもよかった気がする。
2018年4月14日~5月13日
2018/4/20
光琳の燕子花図屏風が観客を出迎える。根津美術館所蔵だから当然と言えば当然だが、やはりいい。木島櫻谷の変奏を先に見たばかりなので、両者を比べると、とても本家を超えることはできないと実感する。光琳の何がいいのかというと、同じかきつばたを描いているが、屏風の左右でのコントラストの大胆さが、目を射抜く。左右それぞれを別個に見ていてももちろんいい。左右が並ぶとまったく異なったメッセージが発せられる。櫻谷のような一続きの景色ではない。
左隻では左から右へという移動が感じ取れるのに対して、右隻は対面しながら、こちらに向かってやってくる。かきつばたがパターンとして何ヶ所かで繰り返されることで、一列に連なった行進を呼び起こす。左右は単純な水平移動から、重層的な立体感を伴って、空間に複雑なうねりを引き起こす。これらを武者行列だと見なせばこのことはよくわかる。
かきつばたは緑の胴体に群青の編笠をかぶる集団に変身する。真横からやってくるグループが、真正面からやってくるグループと、今まさにぶつかろうとしている。この行列が戦列なのか祝祭なのかはわからないが、群生するにしては判で押したようなフォルムの繰り返しが目につく。葬列と言うほどの悲愴感ももちろんない。それを読み解くには、この作品制作時の光琳のデータが必要だし、かきつばたに託された花言葉に言外の意味を見つけ出さなければならないだろう。
光琳の陰で、弟の乾山は一歩身を引いているが、今回の展示からもずいぶん絵を描いているのだということがわかる。もちろん絵付けの場合は独壇場だ。絵画ではできないことが焼き物ではできる。乾山の内と外のコントラストがすごい。蓋物の場合はあっと驚くような内側の装飾が誇張される。蓋を開けて展示されているので気づくことではあるのだが、現実世界では蓋を開けた瞬時に気づく驚きである。
外側を見ている限りでは予想もつかない装飾が施される。湯飲みの場合は、ちらっとは見えるが、蓋があればそれもない。中にびっしりと内容物が詰まっていれば、蓋を開けても気づかずに、食器であれば手をつけたときにはじめて見えるということも起こってくるだろう。江戸っ子は下地に贅を凝らすというのなら、質素倹約を旨とする幕府の方針を笑い飛ばすパロディの精神が読み取れる。
角皿の絵付けでは、直角に折れ曲がる時のつなぎの絵に余韻が残る。必ずと言っていいほど一工夫ある。目だましのようにトリッキーに織り込んで見せる時もある。立体物に絵を描く時のように平面に対したとすれば、燕子花図屏風には、乾山の得意とした焼き物の絵付けの身のこなしが、自ずと現れ出たと解釈できるかもしれない。
2018年4月14日~年5月6日
2018/4/20
動物画家だと思っていたが、それだけではなかった。見事な四季の自然が描き出されている。動物も登場するが、ここでは主役は樹木で、緑のバリエーションがまずは目に飛び込んでくる。日本画には常識的な発色だが、この緑だけで絵は完結している。そこに桜が加われば春になるし、紅葉が入ると秋になる。わずかな赤が点在するだけでも効果的で、季節感は浮かび上がってくる。そして雪が入ると冬になる。そこでは白は下地ではなく、ふんわりと画面に盛り上げられる。代表作の雪中を歩むキツネも、冬を表した四季の連作だと見てもよいかもしれない。
四季の樹木に託された生命観の表現は、青々とした緑が、それをおおう季節のウェールで多様に変容し、日本美の特性を際立たせている。冬になればあの緑はすっかりと姿を消すが、それは春が来ればまた、復活をとげるのだと言わんばかりに、下地となって塗り込められているようにさえ見える。それほどまでに残像を残す緑なのである。
描かれて百年を経過しているが、瑞々しさは神経質なまでに保存されている。注文主の作者への敬意の念が伝わってくる。コレクターではない、パトロンという名の強い絆を感じさせるものだ。やがて樹木は古木となるだろう。いまはまだ幼虫のような緑であるが、これから百年の歩みの中で、さらに味わいのある緑に変貌しているに違いない。
燕子花図(左)1917
燕子花図(右)1917
2018年3月21日~6月12日
2018/4/20
100年前のフランスの子どもたちが見た夢のありかを教えてくれる。それは兵隊さんだったりもするが、自由と平和をめざす文化の成熟を伝えるものだ。古書店のすみに眠っているものが、埃を払われて展示されると見事な美術品に変貌する。フランスの出版文化が丸ごとそこには盛り込まれている。子ども向けの本だが、装丁もいい。格調高い表紙のデザインが、技術の高さを示している。
今なら写真になってしまうところが、絵で描かれる。本文を汲み取って、絵という世界言語に翻訳する。多くの日本人はフランス語が読めないが、挿絵を通して夢をふくらませる。ちょうど子どもが絵を通して、夢を広げたようにである。画家が本文を読んで得た想像力を反芻するのだ。
コレクターはフランス文学の著名な研究者である。経済人が金にあかせて集めたものではない。私も手が出せるのではないかという夢を抱かせてくれる。研究者として古書店をめぐる時に、ふと目に止まった絵本の一冊が、きっかけであったかもしれない。絵本でなくてもよい。無名の小説をパラパラとめくる内に、挿入された挿絵の一枚に目が行く。その古書に二足三文の値段が付いていれば、その一枚の絵のために、買って持ち帰り、絵を切り取って額に入れて壁にかけるだろう。つまらない小説だと、挿絵も埋もれてしまう。とにかくページを繰ることだ。ワクワクとした期待が広がる。
忘れ去られた絵の発見であるが、山ほど眠っていることに気づくと、もうそこではコレクターの第一歩を踏み出している。絵だけですべてを伝えようという傲慢さがなければ、見る方にも夢を共有する輪が広がっていく。どんな凡庸な挿絵でも100年もすれば、それは美に上昇するのだ。絵のあるページを開いて置くだけで、日替わりの美術館になる。
2018年2月24日(土)~ 6月17日(日)
2018/4/12
所蔵品を用いたテーマ展である。女性が行進している絵を集めたものかと思って展示室に入るが、最初の展示が黒い箱を積み重ねたルイーズ・ニーヴェルソンで、行進とは何の関係もない。ナンシー・スペロのインパクトの強い画像に誘われてやってきたせいもある。首からプラカードを掛けられてユダヤ人女性が公開処刑に向かう光景を版画化している。この画像は二つの意味をもつ。一つは見せしめのため、晒し者にされるイメージであり、もう一つは抗議のためのデモ行進のイメージである。
前者は嘲りのキリストから続く宗教絵画の図像学がある。十字架を担いでゴルゴタの丘に向かうキリストは、ここでナチスが採用した辱しめの方法であり、「行進」という図像がもつ伝統的な意味を形づくっている。民主主義はそれを逆手にとってレジスタンスの表明としたことも、同時にこの図像学が教えることとなる。デモ行進の持つ意味と祝祭性は、キリスト教図像学に根ざしたものだった。アンソールの描くキリストのエルサレム入場は、このような事情を踏まえた現代的転換だったようだ。こうした背景で私は「女たちの行進」を思い描いたのである。
ルイーズ・ニーヴェルソンに長らく、女性アーティストだという認識はなかった。ルイーズだから確かに女性名であるが、日本にいる限りでは男女の区別はあまり問題になってこない。その後の展示を見ると、草間彌生、オノヨーコ、石内都、やなぎみわ、澤田知子と女性の名が続き、ともに個性が爆発する濃厚なキャラクターが見え出してきて、確かに女たちの行進に違いない(1)。
性差だけによる安直なセレクションにがっかりしながら、行進の図像学に改めて想いを馳せると、この聖者の行進は必ずしも女性である必要はなく、はじまりは痩せこけて虐げられたユダヤ人男性であった。弱き者という言い換えでよかったはずだが、先述の草間彌生以下の名列にはもはや弱者のイメージはなさそうだ。ウーマンパワーを前に翻弄される青白い弱者の苦悶の表情が、やがて男たちの行進としてのイコンを形成していくだろう。ファムファタールならぬ宿命の男として。
ただオノヨーコの「マイ・マザー・イズ・ビューティフル」というコミュニケーションアートは、男女を超えて母に送るメッセージとして今も受け継がれ、壁面に広がる大いなる行進を形づくり、冴え渡っていた(2)。貼り付けられた一枚一枚のメモは、民主主義に支えられたデモ行進に違いなく、母なるマリアを讃えるのに老若男女の差はないということなのだろうと思った。
1
2
2018年3月23日~5月20日
広島市現代美術館
2018/4/12
ダリやタンギーに似たシュルレアリスムふうの骨を思わせる人体表現で、1950年代に活躍した画家だというのが、私の記憶だった(1)。今回その全貌を見て、現代美術館で取り上げる意義を再認識した。絵画だけに収まらず、写真の技術にも秀でて、文筆力も優れ、国際的な舞台でのコミュニケーション力を考えると、マルチ化する現代アートの先駆的役割を果たした人物だったのではないかと思いはじめる。
とりわけエンコースティックを用いた1960年代の仕事がいい。重厚な素材感に魅せられて、もはやモチーフもイメージさえも必要としないという、画家としては手わざの放棄にまで到達するような、平面の力に出会う。それは壁そのものと言ってもいい(2・3)。
その後アクリル画になって失われてしまったものは大きいように思う。それは手わざとしての画家であることの放棄のように見える。サイズも大きく、決して悪い作品ではないのだが、絵画としての存在感が、伝わってこないのだ。
このことは物質としてよりも、情報としての制作への興味の変容をうかがわせてもいて、阿部のもつ資質が、マルチメディアを志向する時代の先駆者としての自覚を呼び覚まし、それまでの価値観に揺さぶりをかけたように見える。
同じ作家とは思えないような絵画の様式的変化は、興味深く考察する必要があるだろう。それは画家としての名をとどめることを妨げることにもなるし、新時代の先駆けをなす「あくなき越境者」としての再評価にもつながっている。
ユーゴスラビアで撮影した写真のスライド上映が、会場ではモニターを通して行なわれていたが、戦争中に満州やフィリピンで従軍カメラマンとして写した写真や、中世ロマネスクの宗教美術を写したものなどもまとめて見てみたいと思った。それは世界に分け入る好奇心の人であることを伝えているはずだ(4・5)。
ローマ在住のまま異国に没したことも日本での評価を遅らせたものに違いない。広島市現代美術館の企画展として、なぜ今頃に阿部展也なのだと思ったが、とんだ認識不足だったような気がする。
1
2
3
4
5
2018年4月11日〜6月10日
2018/4/12
18世紀のロココから1960年代のカルダンの服飾まで、パリに生きる女性像を、ボストン美術館の所蔵品を通して見ていくという企画である。手を替え品を替え続く一連のボストン美術館展の一つである。今日まで250年間にパリジェンヌの装いがどのように変化したかというテーマだが、これは美術史にとっても重要な視点を与えるものだ。女性が個人として目覚め、自立していく姿が、予め結論付けられているので、その後付けのようだと、面白みと意外性に欠けるというきらいはある。
一館の所蔵品だけで、こんなテーマ展が成り立つというのは、大美術館のデモンストレーションとしては有効だが、他方で私ならこの作品を加えるべきだというもの言いも出てくる。このテーマでのベストセレクションはこれだという、鑑賞者とのディベートを前提とすると、なかなか興味を引くエンターテイメントにもなっている。
美術展として名品を見せるというには物足りないかもしれない。一流の画家名がずらりと並ぶというわけではないが、同主題の比較は作品完成度を外して見えてくるものがある。ひとり立ちのパリジェンヌを描いたマネとサージェントを並べてどっちが好きかという単純な比較をポスターやチラシは強要するのだが、そんな恣意的な比較は、多分しない方がいいものの、それが描こうとしている違いは、はっきりとしている。両者の違いをパリジェンヌの光と陰、あるいは理想と現実、外面と内面と言ってもいい。
パリジェンヌという主題にぴったりかと言うと疑問だが、ドーミエの石版画がいい。パリの街中で起こる何でもない光景をとらえて、当時の世相を皮肉ってみせる庶民性は、しっかりとした観察眼とデッサン力に支えられている。机に向かって書き物に余念のない女性がいる。部屋の片付けはそっちのけで、椅子はひっくり返り、掃除用具が散乱し、幼児がバケツの中に頭から突っ込んでいる。誇張された子どものお尻が笑いを誘う。
展覧会の解説パネルでは、女性の解放と自立の時代にあって、女性に対するドーミエの偏見を書き立てていたが、ドーミエが国家権力をはじめ権威に対するレジスタンスを信条としていたことを考えると、男女の問題ではなくて、この対象がこの時点で権力を有するまで至っていたということだろう。
このようなパリジェンヌという切り口は、日本では江戸っ子に対応を見ることができる。それは浮世絵が映し出した世界そのものだとすれば、パリの近代絵画がパリジャンやパリジェンヌを描くのに、江戸っ子が一役買ったという仮説も成り立つかもしれない。
印象派の画家たちがあれほどまでに浮世絵を愛した理由は、江戸に住む庶民と、彼らが作り上げた都市の存在に魅せられたからだ。ゴッホにとっては、そこは楽園とまで目に映っていた。
ここで扱ったパリっ娘という概念がいつから成立したかは、興味深い問題だ。本展ではヴェルサイユの時代以降、18世紀ロココから説き起こしたが、宮廷文化よりも庶民が根付いた街という視点の方が重要かもしれない。それならばシャルダンが描き出した絵画は、必須のアイテムになるだろう。朝の食卓での祈りは、慎ましやかなパリの庶民が見せる何気ない一瞬を写し出している。その感覚を引き継いでドーミエが、そしてマネがペーソスを込めて、都会生活の日々のリアリズムを浮き上がらせる。
こうしたスナップ写真は、都会生活者たる条件でもあって、そこには目まぐるしく変容する都市構造が下敷きとなっている。印象派を絵画という側面でなく、そこで扱われた主題の問題としてとらえなおしたジェームズ・ルービンにとっては、絵画史の上ではマネやモネの陰に隠れているカイユボットなどは、この主題を語るには欠かせない画家だっただろう。雨の日のパリの街路をゆく男女を描いた絵がその著作の表紙に使われている。
私はいま神戸に住んでいて、神戸っ子に憧れを抱いているが、根っから神戸に生まれ育ったわけではない。横浜なら浜っ子ということになるだろうが、共通していてどこか異なった個性をもつ都会っ子という概念を美意識として突っ込んで考えてみたいと思い始めている。その意味でもきっかけになるいい展覧会だった。
2018年4月7日〜6月3日
2018/4/10
1930年代の古いものだが、北京ドローイングという大判の墨絵がいい(下図)。100点ほどあるが、10点足らずが展示されていた。クロッキーのようにしてラフな線で人体を描いたもので、ロダンのデッサンにも似て、彫刻家独特の空間のとらえ方がうかがえる。その上を薄墨で太い線が輪郭をなし、これがリズミカルで、書でありながら、人体が奏でるダンスのように見える。
モダンダンスのマーサ・グラハムと出会い、身体運動に向かう興味の延長に、東洋の書に出くわしたと見れば納得がいく。書は抽象的でありながら、それが明確な意味をもつという点では、極めて具体的なものだ。
ノグチがめざした彫刻も、実はこれに対応している。それはプレイグラウンドやプレイスカルプチュアの名で、ただ鑑賞するだけではない、空間造形のあり方を模索する。遊具と化した抽象彫刻は、すべり台の名で日常空間に入り込む。庭もまた見るためだけではなくて、体感する空間体験である。
1970年大阪万博の可動する噴水には、私自身も実感がある。視覚だけでなく、水しぶきが音を伴い、炎天下のぐったりとした万博疲労の身体に、心地よくそれを和らげる体感があった。
「あかり」と題された照明器具も、光の彫刻という限りでは、日常の用途を脱した純粋美の探求者となる。台座の上で完結する彫刻で終わっていれば、ノグチの立ち位置はなかっただろう。単体としての抽象彫刻は、肖像彫刻に比べると、取り立てて魅力的というわけではない。しかしそれが都市空間や地球環境に置かれると、輝きを放つ。スケールから言うと、火星から見た彫刻という現存しない顔のマケットが秀逸のものとして記憶に残った。
逆境を切り開いていくフロンティア・スピリットには驚くが、底辺にあるのは「自分は一体何者なのか」を探る好奇心だったようだ。中国に住んでは墨画を学び、日本に来ては石だけでなく、木や紙や土に馴染んだ。ブランクーシのもとで学ぶという直感も、マーサグラハムに近づくという野望も、山口淑子と結婚するという本能も、動物的ではあるが、全ては理にかなっていたようで、自己を実現するために機能した。
逆境の始まりにあった生い立ちからは、父の不在と賢明な母という条件が、この才能を生み出したように見えてくる。それはまたキリスト誕生の要件でもあった。父は遥か彼方の天上の神だったのである。
本展を訪れる前に讃岐牟礼のジョージナカシマ記念館に立ち寄ったが、日本人の血を持つデラシネに心優しい何かが、共通して讃岐の地にはあるのだろうかと、お椀を伏せた独特の山を見ながら、「授乳のマリア」にも似た地形が宿す、母性に想いを馳せてみた。
讃岐牟礼
2018/4/10
建築論が充実していたSD選書(鹿島出版会)は、若い頃によく読んだが、その中に収録された「木のこころ - 木匠回想記」に接して、感銘を受けたことがある。著者であるジョージ・ナカシマは、木樵の風格をもった職人さんだと思っていた。
年譜をたどると、高学歴を有する建築家であり、手の人というよりも、明晰な頭脳をもった知の人だったことを再確認した。記念館には椅子が数多く並ぶ。愛娘ミラの成長に合わせて三段階の高さの椅子を考案し、ミラチェアと名づけたことが、椅子制作の原点であるようだ。遊具の馬を思わせる三脚の素朴なデザインである。
極めてプライベートな視点を貫くことで、普遍的ありかを求めるという姿勢は、その後も変わらない。息子の名を冠したシリーズもある。誰にでも使ってもらえるというユニヴァーサルなデザインではなくて、身近にいるある人のためにというのが、木工品にはふさわしいスタンスのように見える。それは木という存在が、身近な日常を共有するものであり、日々の暮らしに寄せる思いは、日曜細工の延長上に見つかる自然の美学に他ならないからだ。
先にあげた「木のこころ」は、木に宿る生命力について、詩情を感じさせる名文で綴られる。ことに印象的だったのは、木は伐採されて命を絶たれるが、家具となって第二の命を生きるのだと言うフレーズだ。
この第二の生命という発想は、キリスト教世界では重要なポイントで、復活の思想に対応する。木は一度死んで、三日後に復活するキリストを象徴する。家具はその聖なる奇跡の結果ということになる。それは救済をもたらすと同時に、審判を下す驚異の神の姿でもある。
その神秘的な相貌は表面にあり、ナカシマの椅子やテーブルには、裁断された木目や年輪が、命の曲線を描いて、苦悩の姿を見せている。樹齢何百年もの歪んだ亀裂には楔が打ち込まれているものもあり、磔刑のキリストを彷彿とさせる。キリストが最後に木を担ぐという意味は深いのである。そして杭で木と結び付けられる。
ナカシマのテーブルの中でもレッドウッドのシリーズがいい。このアメリカ産のセコイアの巨木が見せる切断面は、顔を歪めて身悶えしているようで、赤らんだ肌は命のありかを伝えている。私たちはそれを見つめながら日々を送りたいと願う。私には敬虔な祈りを引き出す深い宗教性を感じさせるテーブルと思えた。
例えてみれば「最後の晩餐」を支えた食卓のようにである。この神秘の祭壇の前にあっては、椅子はそれに奉仕する質素な佇まいが求められる。ある教会から注文を受けて制作された、荒縄で編まれた素朴な椅子が一点、片隅に展示されていた。
2018年3月3日~5月6日
2018/4/1
「くまのもの」というユーモラスなタイトルをもつが、まじめな建築展である。建築家が一歩下がって、物質を主役に持ち上げている。通常これまで手がけてきた自作の写真と図面と模型で、栄光をたどろうとするのだろうが、ここでは編年順のサクセスストーリーではなくて、自作を材料によって分類する。現代建築なら、鉄とコンクリートとガラスで決まりだったはずだが、ここでの選択を見ると、インターナショナルスタイルを超え、モダニズム以降の日本回帰を視野に入れたアプローチのように見える。
最初にくるのが「竹」だというのは、一般的ではないが、東洋的であり竹林に囲まれた茶室建築を念頭に置くと、魅力的なものに見えてくる。竹林の七賢の住まう草庵を思わせて、具体的には根津美術館へのアプローチで、その切り口の見事さが具体化されたように見える。
ここで考えようとする素材は、竹から始まり、木、紙、土、石、瓦・タイル、金属、樹脂、ガラス、膜・繊維と続く。工芸作家ならこれらの中から一つを選び取って、生涯の仕事とするのだが、デザイナーは、素材にこだわらず、そのエキスのみを利用する。具体的な作業は、その道のプロに任せればよい。
竹を編み、木を組む。それぞれが単調な繰り返しによって美へと向かう。展示室はこれらが放つ美を、効果的なライティングによって、くっきりとさせ、光の美へと変貌させた。「もの」が見せる表情は、それが語る豊かな言語を聞きつける耳を必要とする。耳のいい建築家が、家を建てる風土がもった気象の原理を聞きつけて、物質を組み合わせて立ち上げる。
物質が欲する方向性を見定める中で、サンプリングを重ねて、基本台帳をつくる。固いか柔らかいか、しなやかか脆いか、伸びるか縮むか、明るいか暗いか、詰まるか疎らか、物質の性質が書き込まれ、美のありかを把握して、四季の変化に対応させる。マジシャンのようなプロの仕事に至るまでは、試行錯誤の実験の連続となる。
依頼主の思いが建築家を鍛える。美術館建築を通じて、美術を見る目を育てる。ものと関わるだけでは完結しない。人と関わる中で、哲学を生み、建築家を科学者から芸術家へと変貌させる。根津美術館やサントリー美術館の設計を手がける中で、古美術に触れ、建築家のスタイルは発展する。競技場の設計を通じて、スポーツの精神を学ぶことになる。商業スペースのプロデュースを通じて、流通や経営を学として受け入れる。
ものが心を反映する限り、ものの奥に潜む人間の原理へとたどり着かざるを得ない。そうした壮大な宇宙のダイナミズムを感じさせるスケールに圧倒される。富山で見たガラス美術館もそうだったし、太宰府で通り過ごしたカフェもそうだった。「くまのもの」が見せる物質の詩学に堪能したひと時だった。
2018年3月24日(土)~5月13日(日)
2018/4/1
新鋭の写真家を発掘するのが、第一の目的だが、そのために過去の秀作の収集が アーカイブとなって提供される。作家のセレクションと一人5点程度の絞り込みによって、写真史の試みがなされていく。もちろん抜け落ちている作家名も多いが、私設の写真美術館の所蔵ポリシーに従ったコレクションであり、極めて現実的なセレクションの中に、議論の余地を残しながら、より客観的な歴史遺産へと前進していくものと思われる。
しかも35歳までの作品という限定がつく。森山大道の前に来て、おやっと思う。ずいぶんと作風が違い、あの独特のアクの強さがないのだ。作家によって35歳はさまざまだ。この年齢の設定は一般的だが無理はある。35歳を過ぎて、一念発起して写真をはじめる場合もあるだろう。そんな場合は大物にはなれないという門前払いの足切り試験のように見えて、あまり関心しない。
芸術上の現れは、千差万別でそれだからこそ面白い。網羅的に見えて何か抜け落ちているのではという、最初に感じた印象は、その辺りが原因であるもしれない。少し前に見た有名画家の幼年期から青年期の作品を集めた展覧会で感じたのと同質の違和感を感じた。
有名作家だから若い頃のものを見て見たいという好奇心は分からなくもないが、作家の方からすると、恥ずかしいから見ないでほしいというものもあるだろう。むしろそう思う方が健全ではないのだろうか。過去を振り返らずに、今しかないというのが作家の姿であるという限りにおいて。
2018年3月6日~5月6日
2018/4/1
日本の芸術写真のはじまりを把握するのに重要なデータを提供してくれるのが、「光画」という雑誌である。野島康三や中山岩太や木村伊兵衛などが、名をなすために重要な舞台となった。神戸を拠点にした写真文化のモダニズムとも連携し、港町のハイカラ趣味が、陽光の日差しとともに輝きを放つ。芦屋のハナヤ勘兵衛も名を連ねている。
写真が報道や広告から離れて、芸術として自立するためには、必要不可欠な手続きだった。そこでは芸術写真の掲載だけではなくて、芸術論として写真を論じる目が誕生する必要があった。近代の絵画史を踏まえて、写真史を読む込み、独自の芸術メディアとして自立させるために、制作と理論の場としての役割を担ったのが、「光画」だったようだ。表紙に掲載された写真を並べるだけでも、その方向性は見えてくる。
野島康三(1・2)の写し出した無名の顔が語る真実は、肖像を超えたところにあり、カメラがとらえる野島でしか実現しないメカニズムを擁している。このスタイルが確立されれば、あとは顔のヴァリエーションを築いていく。しかし一定数のヴァリエーションは必ず必要であるが、個々の作品には完成度の違いはなく、安定している。
中山岩太(3・4・5)も優れたポートレートを残すが、カメラよりもモデルに委ねられる場合が多い。それよりも被写体をもたず、暗室での操作によって生み出される写真の化学的実験が、芸術への扉を開いていく。抽象とも取れるが、二重露光による異質なもの同士の出会いは、シュルレアリスムに近く、福助足袋のイメージによって、抽象とシュルレアリスムは見事にひとつのものとなった。
木村伊兵衛(6・7)にはスタントプレイはない。着実にカメラを客観的な目にしようとする。肉眼がとらえきれない写実主義をカメラに委ねる。やがてはライカを生涯の友として携帯することになるが、それは常に掛け替えるメガネとして機能する。よりよく真実を見るための道具は、近視のためだけでなく、老眼鏡であったり、サングラスであったりした。
中山の写真が造り出されたものだとすれば、木村のそれは写し出されたものだということになるだろうか。通り過ごして振り返った時に見えた一瞬が、木村伊兵衛のとらえた写真のようで、気をつけないと見過ごしてしまう光景が、定着している。
光画という雑誌を中心に見ることで、これら主要メンバーの作品だけでなく、それらを超える時の名作に触れることができる。無機質な建築や船舶や車両に向ける佐久間兵衛(8・9)の視線は、ロトチェンコと連携して新しい社会構造を探ろうとする時代の息吹きが感じ取れる。
ハナヤ勘兵衛(10)の常軌を逸したパフォーマンスは、同じく芦屋に現れる、のちの具体の前衛運動につながる狂騒を含んでいる。木村専一(11・12)の一分の隙もない空間構成は、写真が確固たる位置を確保するためには欠かせないものだ。絵筆をカメラやペンライトに持ち替えて、静物画に対抗して光画というメディアを宣言したフロンティア精神が、そこにはみなぎっている。
1~6
7~12
2018年3月3日~4月8日.
2018/4/1
大作である。ことに墨絵がいい。花を描いているが、黒い花は異様でもあるし、不吉でもあるが、心に染み入る強さを響かせている。速水御舟が晩年に描いた墨牡丹を連想するが、死を予感させながらも気高く、気品に満ちている。狭い展示室では大作は壁画と化して、壁面全体を覆っている。
シルエットを木漏れ日と見ると、光の処理が気になり出すが、絵の印象からは日高理恵子の描く樹木の枝に近い。しかしここでは宣紙を用いて、墨絵独特のぼかしが巧みなだけに、古画から引き継がれた東洋の神秘が宿っている。クリアな西洋の遠近法空間ではなくて、雲海を漂う龍にも似た得体の知れない生命誕生を見届けることになるのだ。
墨絵と合わせて展示されたブルーの大作では、龍の印象はさらに強い。天空と大海を自由に行き来するファンタジーは、樹木もあれば、波間の泡も、さらには龍の鱗も連想させる。枝を伸ばす生命体は、水に漂う姿と取れば、人体の脈動にも似てくる。宇宙と人体を行き来するイメージの連鎖に、絵画の冒険と可能性を感じることができた。